No.631


「秋分の日」の9月23日、一条真也の映画館「秘密の森の、その向こう」で紹介したフランス映画に続いて、アイスランド・スウェーデン・ポーランド合作映画「LAMB/ラム」を観ました。第74回カンヌ国際映画祭(2021年)では、「ある視点部門」を受賞しています。なんとも奇妙で、後味の悪いグリーフケアの物語でした。
 
 ヤフー映画の「解説」には、こう書かれています。
「アイスランドの人里離れた場所に住む羊飼いの夫婦をめぐるスリラー。羊から生まれた謎の存在を育てる二人の姿を描き、第74回カンヌ国際映画祭のある視点部門『Prize of Originality』 を受賞した。監督・脚本は『ローグ・ワン/スター・ウォーズ・ストーリー』などに携わってきたヴァルディマル・ヨハンソン。『ミレニアム』シリーズなどのノオミ・ラパスが主演と製作を務めるほか、ヒルミル・スナイル・グドゥナソン、ビョルン・フリーヌル・ハラルドソンらが出演する」
 
 ヤフー映画の「あらすじ」は、以下の通りです。
「アイスランドの山間で羊飼いをしている夫婦・イングヴァルとマリア(ノオミ・ラパス)。ある日、出産した羊から羊ではない何かが生まれ、二人はその存在を"アダ"と名付けて育てることにする。子供を亡くしていた二人にとって、アダとの生活はこの上ない幸せに満ちていたが、やがて夫婦は破滅への道をたどることになる」
 
 映画が始まってすぐ羊の顔が大写しにされますが、角を持つ羊の顔から悪魔を連想しました。その悪魔とは、黒ミサを司る、山羊の頭を持った悪魔のバフォメットです。羊と山羊は偶蹄目ウシ科に属し、古くから家畜化されてきた動物という点では同じです。鳴き声で見分けられるといわれますが、実際には難しいようです。羊は、尻尾が長く、あごひげがない、角がらせん状、といった特徴を持つ。草食で、性格はおとなしくて臆病。山羊は、尻尾が短く、あごひげがある、角が後ろに少し曲がっている、といった特徴を持つ。雑食で、性格は好奇心が強く、攻撃的。羊と山羊の違いは、こんなところでしょうか。
 
 羊も山羊も、キリスト教において深い意味を持っています。イエス・キリストの別名は、「神の仔羊」と言われました。一方、山羊の場合は、どんな断壁であっても上へ上へと登っていく姿が(「バベルの塔」と同じく)神に対する挑戦に映り、冒涜的なイメージがあります。『旧約聖書』の時代から天上は神の座であるというイメージがあったからです。RealSound映画部の編集者・間瀬佑一氏は、映画「LAMB/ラム」について、「なぜ羊なのだろう? 犬や猫といった一般的に馴染みのある動物ではなく、なぜある性質の物語においては羊がモチーフとして、あるいはメタファーとして用いられるのだろうか。もちろん答えなど存在しないが、考えられるのは羊が弱い存在として虐げられたり人間の管理下にある"家畜動物"であること、そしてキリスト教において重要な意味を持つことだ」と述べています。
 
 その羊から生まれた羊でない何か(映画では、頭が羊で身体が人間の半獣半人)を一人娘を亡くした夫婦がわが子のように育てるという「LAMB/ラム」は、まさにグリーフケアの物語でした。頭が羊で身体が人間とうだけでも尋常ではありませんが、よく考えたら、ミッキーマウス・ドナルドダック・グーフィーだって、バックスバニーだって、みんな半獣半人みたいなものです。彼らはアニメのキャラだからいいものの、実写化されたら結構ブキミかもしれません。その羊と人間のハーフのような"アダ"を溺愛するマリアを演じるノオミ・ラパスの顔もなんだか羊にそっくりでゾッとしました。いずれにせよ、頭が羊の"アダ"をわが子のようにして育てる夫婦はまともではありません。いかに、愛娘を亡くしたグリーフが深いのかが窺えます。
 
 映画の冒頭部分で、夫のイングヴァルが食事中にタイムトラベルの実用化の話をするシーンがあります。理論上は時間旅行が可能であるという話題でしたが、イングヴァルは「未来には興味がない。今が幸せだ」と言います。しかし、マリアが「過去にも行けるのね」とつぶやきながら、遠くを見るのです。彼女が時間を遡って今は亡き娘に再会したいのだなと思わせるシーンでした。わたしは、もともと、タイムトラベル・パラレルワールド・マルチバースといったSF的アイデアはグリーフケアでも重要な意味を持つと考えていますが、この夫婦が陥ったのはグリーフケアの闇でした。一昨日に開催したグリーフケア委員会の会議で、アメリカにはグリーフ・ピルという向精神薬のようなものがあり、重度のグリーフを抱えた者に処方されるとの報告がありました。基本的に、わたしはグリーフを精神疾患と考えることには反対ですが、この夫婦のような狂気というか、異常な悲嘆者には必要なのかもしれません。