No.636


 フランス映画「愛する人に伝える言葉」を観ました。「死」がテーマだと知っていたので、ぜひ観たいと思っていました。この映画のチラシを手に取ったのがシネスイッチ銀座だったので、てっきりミニシアターでしか鑑賞できない作品かと思っていたところ、地元のシネコンであるコロナシネマワールドで上映されていることが判明。早速観に行きましたが、4番シアターで観客はわたしを含めて2人だけ。やはりシネコン向きの作品ではなかったのでしょうか。内容は重く、いろいろ考えさせられました。
 
 ヤフー映画の「解説」には、こう書かれています。
「がんにより余命宣告を受けた男とその母親が、限られた時間の中で人生の整理をしながら死と向き合う姿を描くヒューマンドラマ。『太陽のめざめ』などのエマニュエル・ベルコがメガホンを取り、同作で脚本を手掛けたマルシア・ロマーノが共同で脚本を担当。フランスを代表する名女優カトリーヌ・ドヌーヴと『ピアニスト』などのブノワ・マジメルが共演し、セザール賞でマジメルが主演男優賞を受賞した。そのほかセシル・ドゥ・フランス、ガブリエル・サラらが出演」
 
 ヤフー映画の「あらすじ」は、「人生半ばにして膵臓がんを患ったバンジャマン(ブノワ・マジメル)は母・クリスタル(カトリーヌ・ドヌーヴ)と共に、わずかな希望を求めて名医と評判のドクター・エデ(ガブリエル・サラ)を訪ねる。ステージ4の膵臓がんは治癒が見込めないと告げられショックを受けるバンジャマンに対し、エデは病状を緩和する化学療法を提案。エデの助けを借り、『人生のデスクの整理』をしながら最期の日々を過ごす息子を、クリスタルはそっと見守る」となっています。
 
 この映画は、ガブリエル・サラ演じるドクター・エデが、病院のスタッフ・ミーティングで1人の女性看護師の話を聴く場面から始まります。その看護師によれば、ずっと何日も入院中の夫に付き添っていた妻が夜の11時に久々に帰宅しましたが、夫はその10分後に息を引き取ったそうです。看護師が運転中の妻に連絡すると、急いで引き返してきた妻は号泣するばかりでした。彼女は、「夫の最期の瞬間が近いことに気づかなかったこと」「夫をたった1人で旅立たせてしまったこと」に強い罪悪感を抱きます。看護師は彼女に同情するも、何も言葉がかけられず、ただティッシュを渡しただけだったというのです。それを聴いたエデ医師は「死期を決めるのは患者だ」「患者は1人で死ぬことを選んだのだ」「死の10分前まで奥さんが一緒にいたことは無駄ではない」と言います。その言葉は慈愛に満ちており、かつ哲学的であったのが印象的でした。
 
 ブノワ・マジメル演じるバンジャマンは39歳の若さですが、ステージ4の膵臓がんで余命半年~1年の宣告を受けます。当然ながら、大きなショックを受けた彼は、戸惑い、あるいは怒りをおぼえます。その様子は、スイス生まれの精神科医キューブラー・ロスによる死に直面した人間の態度の五段階説(否認・怒り・取り引き・抑うつ・受容)を思い出させました。この説は、介護福祉士国家試験やグリーフケア士試験にも出る非常に有名なものです。しかし、最後にバンジャマンが死を受容したことには、エデ医師の「最期に愛する人に言うべき5つの言葉」を教えてもらってからのように思います。その5つの言葉とは、「赦してほしい」「あなたを赦します」「愛しています」「ありがとう」「さようなら」でした。シンプルですが、非常に含蓄の深い最期の言葉だと思いました。

 
 バンジャマンの母親であるクリスタルを演じたのは、カトリーヌ・ドヌーヴでした。今月22日で79歳になるフランスの大女優です。21歳のときに主演したミュージカル映画の名作「シェルブールの雨傘」(1964年)をはじめ、「反撥」(1965年)、「昼顔」(1967年)、「幸せはパリで」(1969年)、「リスボン特急」(1972年)などでの存在感と名演が忘れられません。可憐だった彼女も、今では80歳近くなりましたが、スクリーンに映る容姿は少しふっくらとはしたものに、相変わらず気品に満ちていて美しいです。この年齢でまだフランス映画界で活躍する現役バリバリの女優なのですから、「すごい!」の一言です。愛する息子の死をどうしても受け容れられず苦悩する姿、ついに息子の死を迎えて悲嘆暮れる姿、いずれも深みのある演技でした。

 
「愛する人に伝える言葉」のメガホンを取ったエマニュエル・ベルコ監督は、カンヌ国際映画祭のオープニングを飾った代表作「太陽のめざめ」(2015年)で知られますが、じつは彼女は女優でもあります。本作では、ベルコ監督がカトリーヌ・ドヌーブ&ブノワ・マジメルと3度目のタックルを組みました。主治医のドクター・エデ役に、現役の癌専門医であるガブリエル・サラを抜擢。サラ医師はニューヨークで終末医療などに従事しており、本作では彼自身の言葉・哲学が正式にセリフとして多く使われており、物語にリアルな深みを与えている。本作は、患者を見守る医者としての経験だけでなく、医者が持つ重要なメッセージもよく伝えているとサラ医師は語り、「私は難しい道を一緒に歩く相棒です。そして患者に自尊心の意味を教えるんです」とも述べています。

愛する人を亡くした人へ』(現代書林)
 
 
 
 この映画は、国や民族を超えた普遍的な「死の受容」をテーマにしていますが、カトリーヌ・ドヌーブやブノワ・マジメルがスクリーンに登場すると、やはりフランスの香りが漂ってきます。フランスといえば、フランスには「別れは小さな死」ということわざがあります。愛する人を亡くすとは、死別ということです。愛する人の死は、その本人が死ぬだけでなく、あとに残された者にとっても、小さな死のような体験をもたらすと言われています。もちろん、わたしたちの人生とは、何かを失うことの連続です。わたしたちは、これまでにも多くの大切なものを失ってきました。しかし、長い人生においても、一番苦しい試練とされるのが、あなた自身の死に直面することであり、あなたの愛する人を亡くすことなのです。この「別れは小さな死」は拙著『愛する人を亡くした人へ』(現代書林)で紹介しました。「愛する人へ伝える言葉」という映画タイトルから同書を連想する人も多いようです。
 
 それにしても、末期癌患者の終末医療の現場の様子は勉強になりました。現役の癌専門医であるガブリエル・サラが出演しているので、リアルに再現されていたことと思います。わたしは、ブログ「大正大学公開講座」で紹介した宗教学者の島薗進先生の特別講義で初めて知った「コンパッション都市」という言葉を連想しました。それは、「老、病、死、喪失を受けとめ、支え合うコミュニティ」であり、一言でいえば「悲しみをともにする共同体」です。その概念は、1896年の「健康づくりのためのオタワ憲章」(WHO)の原則を取り上げ、それを人生最終段階ケアに適用し、共同体の責任としたものです。慈悲共同体モデルでは、死にゆく人と非公式の介護者が社会的ネットワークの中心に置かれているという図を見ることができます。都市としての慈悲共同体は「コンパッション都市」と呼ばれますが、まさに互助会が創造すべきコミュニティのモデルではないですか! 英語の「コンパッション」を直訳すると「思いやり」ですが、多くの著書で述べてきたように、思いやりは「仁」「慈悲」「隣人愛」「利他」「ケア」に通じます。「ハートフル」と「グリーフケア」の間をつなぐ概念も「コンパッション」だと気づきました。
 
 それにしても、言葉は大切です。いくら心の中で強く思っても、言葉にしなければ相手には伝わりません。ブログ「稲盛和夫氏、逝く!!」で紹介したように、わたしが心から尊敬する経営者である稲盛和夫氏が、8月24日に90歳で亡くなられました。いま、ちょうど『稲盛和夫一日一言』(致知出版社)という本を読んでいるのですが、その冒頭には「魂から発せられた言葉は、表現が少々稚拙であっても、聞く人の魂に語りかけ、感動を与える。全身全霊を乗せた言葉にはある種の『霊力』があるからである。つまり言霊である。一所懸命、なんとか相手にわかってほしいという思いを込めて、文字通り心の底から出た言葉は、やはり、単なる話のための言葉よりも訴える力が強いのは確かだ。聞き手の感動を呼び起こすのもそれゆえにほかならない」という稲盛氏の言葉が書かれていますが、まったく同感です。「経営の達人」はたくさんいますが、稲盛和夫という方は「言葉の達人」でもあったのだなと改めて思いました。そして、想いを言葉にできる人こそが真のリーダーなのだと再確認しました。
 

 ブログ「さらば、燃える闘魂!」で紹介したように、10月1日には、難病「全身性アミロイドーシス」で闘病中だったアントニオ猪木さんが79歳で亡くなられました。9月21日に撮影された「アントニオ猪木『最期の言葉』」という動画では、猪木さんは東京都内の自室でベッドに横たわってインタビューに応じ、穏やかな表情を浮かべ、「見せたくないでしょ。こんなザマを。普通は。でもしょうがない。そしたら反応が逆なのか、同情というか。喜ぶファンもいる? そういうファンもいるということに自分はしっかりしなきゃなあと思います。見て欲しいというと抵抗はある。でもそれがこういう世間が猪木に期待してくれるなら、素直に応えるほかにないんじゃないですかね」と話しました。猪木さんが最後まで超一流のエンターティナーであったことがわかり、胸が熱くなりました。
 

 一番弱いときの自分の姿をあえて見せた猪木さんは、本当に強い人でした。長患いの様子をNHKの番組やYouTube動画などで知っていた多くの人々は「ようやく解放されましたね。お疲れ様でした」と思ったことでしょう。わたしも、そうでした。そして、映画「愛する人に伝える言葉」のラストでバンジャマンが息を引き取ったとき、わたしは彼に対して猪木さんの訃報に接したときと同じ感情を抱きました。「人生で何事も成し遂げていない」と嘆くバンジャマンに対してエデ医師が「君は大きなことを成し遂げた」と言うシーンがありますが、難病と闘いながら堂々と人生を卒業していくことは確かに偉業であると思います。それにしても、猪木さんは最期に本当は誰に会いたかったのでしょうか? 近くにいた人によれば、それは離婚した妻の女優・倍賞美津子さんだったといいます。生涯で4回結婚している猪木さんですが、変わらずに愛し続けたのは、2人目の妻である倍賞さんだというのです。2人の結婚直後に、猪木さんは日本プロレスを追放され、自ら新日本プロレスを旗揚げします。その後、倍賞さんの支えもあって新日プロは大ブームを迎えました。
 

 しかし、1980年代に入ると、猪木さんは、自身の事業に失敗し、負債は1億円からあっという間に数十億円になりました。そして、このことが原因で夫婦喧嘩が絶えなくなると、1985年には、倍賞さんと俳優の萩原健一さんとの不倫が発覚し、1988年には、倍賞さんから切り出す形で、二人は離婚したのでした。離婚したくなかった猪木さんは人目もはばからず号泣し、その落ち込みようは弟子のレスラーたちも見ていられない程だったといいます。猪木さんは後に、「借金に苦しむ私には、かつての勢いも魅力もなくなっていたのだろう。美津子は女優だし、その事を敏感に感じ取って心が揺れ始めたのだと思う」と語りました。それでも、倍賞さんは、猪木さんの引退試合(1998年)や、新日本プロレス創立30周年の記念興行(2002年)では、花束を持って駆けつけました。猪木さんは倍賞さんを「魂の友人」、倍賞さんは猪木さんを「戦友」と表現するなど、夫婦ではなくなったものの、その後も二人は固い絆で結ばれていました。
 
 猪木さんの最期のとき、そこに倍賞さんの姿はなかったようですが、猪木さんは薄れゆく意識の中で最愛の人が駆けつけてくれることを願っていたのかもしれないと思うと胸が痛みます。映画「愛する人に伝える言葉」のバンジャマンにも別れた彼女と、別れた時に彼女が身ごもっていた息子がいました。19年前、彼女の妊娠が発覚したとき、まだ20歳と若かったバンジャマンの将来を憂いた母のカトリーヌが強引に別れさせたのです。カトリーヌはバンジャマンの死期が近いことを彼女に知らせますが、酷い仕打ちを受けたことを赦せない彼女は決して会おうとしませんでした。ただ、息子だけは一目でも父親に会おうとしますが、なかなか気持ちの整理がつきませんでした。この映画を観ると、家族に囲まれて旅立つことがいかに幸せかということを痛感します。死生観とグリーフケアについて考えさせてくれる佳作でした。

心ゆたかな映画』(現代書林)
 
 
 
「死生観とグリーフケア」といえば、次回作『心ゆたかな映画』(現代書林)には同名の章があります。「映画は、愛する人は亡くした人への贈り物」をキャッチコピーとする同書は、「ミュージック&ミュージカル」「ラブロマンスに酔う」「ヒューマンドラマに涙する」「ファンタジーで夢の世界へ」「SF映画でワクワクする!」「ホラーだって心ゆたかに!」「死生観とグリーフケア」「社会を持続させるシネマ」「歴史とドキュメンタリー」「アニメーションの楽園」の全10章で、わたしが厳選した100本の名作映画を紹介した本です。2022年公開の最新作から、話題作、ホラー、アニメまで網羅した究極の映画ガイドです。発売日ですが、11月15日を予定しています。どうぞ、お楽しみに!