No.645
日本映画「ACACIA―アカシア―」を観ました。
2010年の作品なので、DVDでの鑑賞です。10月1日に亡くなられたアントニオ猪木さんが初主演を務めていますが、なんと、わたしが日頃から深い関心を抱いている「コンパッション」や「グリーフケア」がテーマの映画でした。まさか、猪木さんとコンパッション、グリーフケアが結びつくとは! 驚きと感動で胸がいっぱいです!
ヤフー映画の「解説」には、こう書かれています。
「ミュージシャン、作家、映画監督など多方面で活躍する辻仁成が、アントニオ猪木を主演に迎えて描く人間ドラマ。元プロレスラーの孤独な老人が、他人に心を許さない少年との出会いをきっかけに、過去の痛みを乗り越える勇気を得ていく姿を描く。共演には石田えり、北村一輝、坂井真紀といった実力派が集結。映画初主演ながら、大きな体を折り曲げて縫い物をしたり、心優しい大魔神役を見事に演じ切ったアントニオ猪木の好演が光る」
DVDパッケージの表紙
ヤフー映画の「あらすじ」は、「さびれた団地の用心棒を務める元プロレスラー、大魔神(アントニオ猪木)は息子に十分な愛を注げなかったことを悔いて生きてきた。そんな彼のもとに孤独な少年タクロウ(林凌雅)が転がり込んでくる。他人に心を許さない生意気なタクロウはなぜか大魔神には素直に心を開く。温かな住人仲間たちに見守られ、つかの間、二人は親子のように暮らす」です。
DVDパッケージの裏表紙
この映画の存在を知ったのは、「プロレスにとどまらないアントニオ猪木の闘魂|『ACACIA』【面白すぎる日本映画】」というイラストレーター・版画家の牧野良幸氏が書かれた「サライjp」のコラムでした。牧野氏は、「アントニオ猪木は映画にも出演していた。それを今回取り上げてみたい。取り上げる映画は『ACACIA』。2010年公開の作品で、監督は小説家でありミュージシャンであり、映画監督でもある辻仁成。自作の小説の映画化である。これがアントニオ猪木の俳優としての初主演映画だった。俳優としてもいきなりリングの中央に上がった感じだ。ただアントニオ猪木が主演ということで、派手な格闘シーンやアクションを期待してはいけない。これは格闘映画ではなくヒューマン映画なのだ」として、映画「ACACIA」について解説されています。
ヤフーニュースより
この作品の魅力をいろいろ書いた牧野氏は、「最後に印象に残った場面を加えるなら、夜の停泊船でタクロウが大魔神にたずねるシーンだ」として、「ねえ大魔神、死んだら人間はどうなるの?」「死んだら人は、星になるんだよ」「だから星は光っているんだ」というタクロウと大魔神の会話を紹介し、「アントニオ猪木さんも今は星になっているかもしれない。その星は間違いなく光り輝いていることだろう。あらためてご冥福をお祈りします」と述べるのでした。こんな映画が存在したことを初めて知ったわたしは、猪木ロスもあって、早速、アマゾンでDVDを購入しようとしましたが、すでに絶版。中古価格もかなり高くなっていましたが、速攻で2本注文しました。1本は自宅、もう1本は会社に置いておきます。
さびれた団地に暮らす大魔神(映画.com)
この映画は、「コンパッション」の映画です。アントニオ猪木が演じる大魔神が住むさびれた団地には、生活保護を受けている高齢者たちが住んでいます。彼らは家族がいないか、いても独居生活を強いられています。お金もなく、夢も希望もない老後といった感じですが、「老い」や「病」や「死」や「死別」は身近にあります。そんな「悲しみ」を共有していている彼らは、「思いやり」を持ち、お互いに助け合って暮らしています。まさに、彼らには「コンパッション」があるのです。
『コンパッション都市』(慶應義塾大学出版会)
最近、米国バーモント大学臨床教授(パブリックヘルス、エンドオブライフケア)で医療社会学者のアラン・ケレハーの著書『コンパッション都市』が慶應義塾出版会から翻訳出版されました。「コンパッション都市」とは、「老、病、死、喪失を受けとめ、支え合うコミュニティ」であり、一言でいえば「悲しみをともにする共同体」です。同書の冒頭には「生命を脅かす病気、高齢、グリーフ・死別とともに生きる市民がいます。また家庭でケアを担う市民がいます。そんな境遇にあるすべての市民を手助けし、支援するために組織される地域コミュニティ、それがコンパッション都市・コミュニティです」と書かれていますが、まさに「ACACIA―アカシア―」に登場する団地は悲しみをともにするコンパッション団地であり、コンパッション都市の見事な縮図となっていました。
孤独な大魔神とタクロウ(映画.com)
また、映画「ACACIA―アカシア―」は、「グリーフケア」の映画でもあります。大魔神(アントニオ猪木)は息子に十分な愛を注げなかったことを悔いて生きてきた人です。その心の穴を埋めたのが、タクロウ少年でした。この映画で最も感動したのは、大魔神が亡くした息子を思い出して号泣するシーンでした。「うっ、うっ・・・」と嗚咽する大魔神の涙には、多くの観客が貰い泣きしたと思います。猪木自身は生涯4人の女性と結婚しましたが、最初のアメリカ人妻との間に生まれた女の子を8歳で亡くしています。猪木は、この作品の脚本を読んだとき、辻監督に「なぜ、俺のことを知っているんだ?」と言ったとか。
辻監督の書いた脚本は偶然でしたが、このシーンへの猪木の思い入れは強く、普段はジョークを飛ばして周囲を和ませる彼が、撮影当日は誰とも口を聞かず、スタジオの隅でじっと集中していたそうです。そしてワンテイクの長回しで撮影されたシーンに、その場に居たスタッフは誰もが鳥肌が立つぐらい感動したといいます。わたしも、このシーンには非常に感動しました。こんな演技はなかなかできるものではありません。やはり、猪木の心の奥底に幼い娘を亡くしたグリーフがあったからこそ、観る者の心を打つ号泣シーンが撮れたのだと思います。演技はド素人の猪木ですが、くすんだ色に包まれたスクリーンに映るその表情にはずっと悲哀がありました。
大魔神が亡くした息子の名前はエイジでしたが、その死は自死でした。彼はずっと学校でいじめを受けてきたのです。その原因は、悪役レスラーだった父親の反則だったそうです。もちろん猪木自身は悪役レスラーではありませんでしたが、わたしは、猪木と激闘を繰り広げたラッシャー木村のことを思いました。「はぐれ国際軍団」として新日本のリングに上がっていた頃、人気者である猪木の敵役として木村は非常に憎まれていました。当時、木村の自宅には生卵などがよく投げられ、飼い犬はノイローゼになったそうです。そんな木村は、子宝に恵まれず、3人の養子を取ったそうです。そして、3人とも東大に入れたそうです。このエピソードは、一条真也の読書館『龍魂継承』で紹介した天龍源一郎の対談本で、前田日明が明かしたものですが、これを知ったわたしは、ラッシャー木村という人に興味が強烈に沸いてきました。
停泊した船の上で(映画.com)
猪木演じる大魔神が泣くシーンがもう1回あります。それは、北村一輝演じる実の父親が、タクロウのいる停泊船に会いに来たとき、タクロウはそれを拒んで、「ぼくはテロリストになって、世界をぶっ壊す。ぼくを生んだことを後悔させてやる!」と口にしたときでした。そのとき、それを聴いた大魔神はむせび泣きながら「悲しいことを言ってくれるな」と言うのです。ここも感動のシーンなのでしょうが、亡き息子を思い出して号泣するシーンに比べて、わたしの心に響くものはありませんでした。それよりも、最初に大魔神とタクロウが停泊船に忍び込んだシーンで、大魔神がモップを手にして「人食い鮫が来た!」とパフォーマンスする場面が良かったです。「ホウキ相手にでもプロレスができる」と言われた稀代の名レスラー・アントニオ猪木を彷彿とさせるシーンでした。
人は死んだら星になる(映画.com)
この映画を「グリーフケア映画」であると言いました。グリーフケアには、死別の悲嘆を軽減することと、自らの死の不安を乗り越えることの2つの目的があります。後者に関しては、タクロウ少年が老人たちに「死」について問いかけるシーンで表現されていました。河津祐介演じる借金取りに追われる老人に対して、タクロウは「人間は古くなって、最後は死ぬの?」「死ぬのって怖くないの?」と言います。すると、老人は「昔は怖かったさ。でも、もう十分生きたからね」と答えるのでした。タクロウは、大魔神に対しても「ねえ大魔神、死んだら人はどうなるの?」と問います。大魔神は「死んだら、人は星になるんだよ」と答え、さらに「だから星は光っているの?」と問うタクロウに「そう、そして、いつかまた人に生まれ変わるんだよ」と言うのでした。
別れた夫婦の心の絆(映画.com)
大魔神が留守のとき、1人の女性が訪ねてきました。留守番をしていたタクロウは、その人が大魔神の奥さんだった人だと悟ります。石田えりが演じているのですが、猪木と石田えりでは、ちょっと夫婦にしては年齢が離れすぎています。むしろ父娘でしょう。そういえば、石田えり、かつて猪木の弟子である前田日明と噂になったことがありますね。まあ、それは置いておくとして、石田えり演じる芳子が来たのは、亡き息子エイジの命日が近いからでした。芳子は、エイジの命日にはアカシアの花が咲くとタクロウに話し、アカシアが幸福のシンボルだといいます。そして、芳子は「思い出というものが人間を作っている。忘れられないものがある。それが私をこの世界に縛り付けている」と言うのでした。
亡き息子が忘れられないという芳子の気持ちはわかりますが、死者は生者を縛る存在ではないと思います。生者は死者から支えられて生きているからです。この映画のタイトルと主題歌にもなっている「アカシア」は、辻監督がミュージシャンとして昔から歌っていた曲だそうです。アカシアは、世界中どこでも生息しているそうで、とても環境に強い花だとか。アフリカの砂漠にも生息しているそうです。たった1週間しか花が咲かないので、アカシアの並木道がある函館の地元の人でさえ、その花を見たことはないといいます。この映画のロケ地も函館で、辻監督は少年時代にこの街に暮らしていました。
2010年6月12日、映画「ACACIA―アカシア―」は初日を迎え、猪木と辻監督、子役の林凌雅が角川シネマ新宿で初日舞台挨拶を行いました。映画初主演を果たした猪木は、その年にデビュー50周年を迎えましたが、「元気ですかー!」というおなじみの掛け声に場内は拍手喝采。自身の演技について、「実はまだ見ていないんです。恥ずかしくて(笑)」と衝撃の告白をしました。これには辻監督も、「衝撃的ですね」と驚きを隠せない表情だったとか。辻監督は、「完成して2年も経つので、てっきり見てもらっていると思っていましたが...。この映画はある意味、猪木さんのドキュメンタリーでもある。見られないというのは、それだけ猪木さんにとって思い入れがあるということですから」と主演俳優を称えていました。
辻仁成の原作の映画といえば、「サヨナライツカ」が忘れられません。「ACACIA―アカシア―」と同じ2010年に公開された作品で、当時は辻仁成の妻であった中山美穂が主演しました。愛されることがすべてと思っていた女性が、運命的な出会いを経て、愛することが本当の愛だと気付くラブストーリーです。「私の頭の中の消しゴム」のイ・ジェハン監督がメガホンを取り、監督から熱烈なラブコールを受けた中山美穂が、「東京日和」以来12年ぶりの映画主演作で愛に生きる強く純真な女性を熱演。バンコクで始まった恋が東京、ニューヨークと場所を移し、25年の時を超えて愛へと変わる過程が切なかったです。
オリコンニュースより
ミポリンのファンだったこともあって、わたしは「サヨナライツカ」のDVDを何度も観ました。そのミポリンは、「ACACIA―アカシア―」の撮影現場を見学に訪れたそうです。初日舞台挨拶で辻監督が明かしたところによれば、芝居をしている猪木を見たミポリンは大泣きしていたとか。この映画を観た作家の瀬戸内寂聴は「ボロボロ泣いてしまって恥ずかしくなったけれど、アントニオ猪木さんがあんなに素敵な顔になるとは! この映画は本当によかった。胸を打たれました」とコメントしています。
けっして上手ではない猪木の演技でしたが、そこには女性たちの心を揺さぶる真心がありました。「ACACIA―アカシア―」は一度別れた夫婦の再生の物語でもあります。4人の妻の中でも、猪木が最も愛したのは2番目の妻で、女優の倍賞美津子だとされています。彼女は、「ACACIA―アカシア―」という離婚した夫婦がヨリを戻す映画を観たのでしょうか? そして、映画初主演した元夫の演技に何を感じたのでしょうか? わたしには、そこが気になります。