No.652
11月24日の夕方、銀座で映画関係者と打ち合わせした後、ヒューマントラストシネマ有楽町でフランス映画「ファイブ・デビルズ」を観ました。超常現象が起こるので一応はホラーなのでしょうが、説明不足の印象が強く、ストーリーがよく理解できませんでした。途中で寝てしまいましたし、決して面白い映画ではありませんでしたね。
ヤフー映画の「解説」には、「『アデル、ブルーは熱い色』などのアデル・エグザルコプロス主演のスリラー。特殊な嗅覚を持つ少女が、叔母の来訪を機に母と叔母の記憶に入り込む。監督を務めるのは『パリ13区』などの脚本を手掛けたレア・ミシウス。『ベネデッタ』などのダフネ・パタキア、『アマゾンの男』などのパトリック・ブシテーのほか、サリー・ドラメ、スワラ・エマティ、ムスタファ・ムベングらが共演する」とあります。
ヤフー映画の「あらすじ」は、以下の通りです。
「嗅覚にまつわる不思議な能力を持つヴィッキー(サリー・ドラメ)。その力を用いてひそかに母親ジョアンヌ(アデル・エグザルコプロス)の香りを収集していた彼女の前に、謎めいた雰囲気を漂わせた叔母が現れる。それを機にヴィッキーの嗅覚の能力はさらに力を増し、自分が生まれる前の母と叔母の記憶の世界に入り込んでしまう」
物語は、ファイブ・デビルズというフランスの山奥の村を舞台に、特殊な嗅覚を持つ少女が両親たちの過去にタイムリープして、その真相を知っていく様子を描いています。タイムリープもよくわかりにくいのですが、何より、この映画には白人女性と黒人男性の夫婦とか、白人女性と黒人女性の同性愛とか、いろんな要素がゴチャマゼになっていて、観ていて混乱します。別に黒人と白人の結婚だろうが、同性愛だろうが、今のご時勢、一向に構いません。しかし、とにかく説明不足なので、「どうして、そうなったの?」と疑問に思う点が多々ありました。監督が、多様性を表現したかったのでしょうか?
映画の冒頭で、ファイブ・デビルズに住む少女ヴィッキー(サリー・ドラメ)が「炎上する建物の前で立ち尽くす若かりし頃の母ジョアンヌ(アデル・エグザルコプロス)の夢」を見るシーンが登場します。母を溺愛するヴィッキーは特殊な嗅覚を持っています。自分の好きな匂いを別の何かで再現することができるのですが、嗅覚の超能力という設定はきわめて珍しいですね。ヴィッキーは匂いの主体を小瓶に詰めるのが趣味で、彼女の部屋には「MAMAN」と書かれた母の匂いが再現された小瓶がいくつも置かれていました。ヴィッキーは、まるで調香師のようでもあり、魔女のようでもあります。カラスを煮るところなどは、完全に魔女でしたね。
ヴィッキーは、匂いを嗅いでタイムリープします。つまり、香りが時間を超越させるわけですが、日本のSF作家である筒井康隆の「時をかける少女」を連想しました。放課後の誰もいない理科実験室でガラスの割れる音がしました。壊れた試験管の液体から漂う甘い香り。芳山和子が「このに匂いを私は知っている」と感じたとき、彼女は不意に意識を失って床に倒れてしまいます。そして目を覚ました和子の周囲では、時間と記憶をめぐる奇妙な事件が次々に起こり始めます。思春期の少女が体験した不思議な世界と、あまく切ない想いを描いた名作です。この物語は、NHK少年ドラマシリーズでも「タイムトラベラー」として1972年に映像化されましたが、1983年に角川映画化され、原田知世が和子役でデビューしています。
また、ヴィッキーが香りによって時を超えるという設定に、わたしはこの映画と同じフランスが生んだ世界文学史上に輝く名作小説を思い起こしました。マルセル・プルーストの『失われた時を求めて』です。物語の語り手であるマルセルはマドレーヌ菓子を紅茶に浸して食べますが、その香りから幼少時代の記憶が一気に思い出されるのです。そして、壮大な物語が始まるのでした。とにかく、この出来事をめぐってフランス語の原書で3000ページもの小説を書き上げたということ自体が驚嘆に値しますし、プルーストの文学的才能を物語っていると言えるでしょう。
『香をたのしむ』(現代書林)
母親から出されたスプーン1杯の紅茶とマドレーヌを口元に運んだとき、マルセルは身震いし、「すべてを支配する喜び」に満たされます。漠然とした懐かしさに圧倒された彼は、この「いつか嗅いだことのある香り」の原因を必死で突き止めようとします。懸命な努力の結果、ついに記憶はよみがえります。それはマルセルが子どもの頃こと、日曜日の朝に、レオニ叔母さんが紅茶に浸したマドレーヌを彼に食べさせてくれたのでした。この描写は大変なインパクトを世界中の読者に与えました。そして、嗅覚によって過去の記憶が呼び覚まされる心理現象を「無意識的記憶」あるいは「プルースト現象」と呼ばれるまでに至ったのです。この「プルースト現象」については、拙著『香をたのしむ』(現代書林)で詳しく説明しました。