No.672
1月27日から公開の映画「ミスタームーンライト~1966 ザ・ビートルズ武道館公演 みんなで見た夢~」をコロナシネマワールド小倉で観ました。ザ・ビートルズが初来日した1966年は、わが社が創立した年でもあります。この映画では、知らなかった事実の波状攻撃に驚くとともに大いに感動しました。ドキュメンタリー映画の大傑作です!
ヤフー映画の「解説」には、こう書かれています。
「ザ・ビートルズの日本武道館公演を題材にしたドキュメンタリー。ザ・ビートルズがどのようにして日本で人気を獲得し、日本武道館公演を実現させたのかを、関係者などの証言を通して辿っていく。監督を務めるのは『情熱大陸』や『プロフェッショナル 仕事の流儀』などのテレビドキュメンタリーのディレクターを務めてきた東考育」
ヤフー映画の「あらすじ」は、以下の通りです。
「1962年にレコードデビューし、多くの人を魅了してきたロックバンド、ザ・ビートルズ。およそ8年の活動期間ながら世界中を熱中させ、後のロックシーンに絶大な影響を与えた彼らは、1966年に来日し日本武道館で5回の公演を行った。その伝説的公演の舞台裏で奔走した人々、ステージに立ったザ・ビートルズの姿を目の当たりにした人たちなどの証言を通して、公演実現までの軌跡や日本におけるザ・ビートルズの人気に迫る」
音楽ドキュメンタリー映画といえば、昨年末に一条真也の映画館「ジョン・レノン~音楽で世界を変えた男~」で紹介した映画を東京のアップリンク吉祥寺で観ました「ザ・ビートルズのメンバーとして知られる、ジョン・レノンの故郷リバプールを中心に撮影された映画です。ジョンの生い立ちや人となり、彼の音楽に影響を与えた出来事などを、友人や関係者へのインタビューによって映し出しています。監督などを手掛けるのはロジャー・アップルトン。ザ・ビートルズの歴史研究家デイヴィッド・ベッドフォード氏と、詩人のポール・ファーリー氏が語り手を務めています。ジョン・レノンは、1940年にイギリス・リバプールで生まれます。ティーンエイジャーになった彼は、ザ・ビートルズの前身バンドであるザ・クオリーメンを結成。リバプール・カレッジ・オブ・アートに進学後、バンドにのめり込んだジョンは、後にザ・ビートルズのメンバーとなるポール・マッカートニーらと出会うのでした。
ジョン・レノンとポール・マッカートニーが出会ったのは教会だそうですが、この出会いは人類の歴史においても大きな出来事でした。彼らが出会ったことによって、ザ・ビートルズが誕生したからです。「ジョン・レノン~音楽で世界を変えた男~」では、なぜかビートルズが演奏する原曲ではなく他のバンドの演奏曲が使われていましたが、「ミスタームーンライト~1966 ザ・ビートルズ武道館公演 みんなで見た夢~」ではビートルズのオリジナル曲がガンガン流れて気持ち良かったです。伝説の日本武道館公演のシーンはほんの少しで、その世紀のイベントに至るまでの物語があまりにも興味深かったですね。作家の高橋克彦がビートルズに初めて会った日本であったこと、湯川れい子がビートルズの宿泊先のヒルトンホテルを訪ねてリンゴ・スターと記念写真を撮ったことも初めて知りました。
東芝音楽工業の洋楽担当ディレクターとして彼らの音楽を日本に初めて紹介した髙橋弘之氏の「ビートルズを日本一愛したのは私ですよ!」という言葉には感動しましたし、日本公演のプロデューサーだった永島達司のカッコ良さには痺れました。日本航空のCAだったコンドン聡子さんがビートルズの4人にJALの法被を着せたの回顧も素晴らしかったです。この映画には、音楽関係者をはじめ多くの高齢の証言者が登場しますが、そのすべての方がオシャレであることに感心しました。日本武道館公演で前座を務めた尾藤イサオ、ミッキー・カーチス、財津和夫も登場します。そういえば、チューリップの曲ってビートルズの影響が強いですね。さらに言えば、わたしの大好きな矢沢永吉やサザンオールスターズだって、音楽的ルーツをたどればビートルズに行き着きます。
この映画には、加山雄三も登場します。じつは、彼は日本武道館で初めてコンサートを行い、来日したビートルズと日本人で唯一個人的に食事をした歌手でもあるのです。ヒルトンホテルで、すき焼を食べました。さすが若大将!一条真也の読書館『この1本!』で紹介したホイチョイプロダクションズの馬場康夫氏の著書では、1956年にデビューして日本映画全盛の1958年に主演作を連打した石原裕次郎に比べれば、3歳年下ですでに映画が下降期に入り始めた1960年にデビューした加山雄三は、遅れてきた映画スターであり、マネーメーキング的にはいささか見劣りするとしながらも、「こと、音楽に限って言えば、加山雄三は石原裕次郎をはるかに超えた巨人である。石原裕次郎もスロー・バラードなんか歌うと味があって捨てがたい名歌手なのだが、なにしろ加山雄三は、演歌と歌謡曲しかなかった日本の音楽シーンにポップスという概念を打ち立てた日本初のシンガー・ソング・ライターである。しかも、日本で最初に半音階を使いこなし、エレキ・バンドを率いて日本中にバンド・ブームを起こしたロック・ミュージシャン」と書かれています。
じつは、ビートルズの来日には国内で賛否両論ありました。長髪でロックを歌う彼らの音楽が不良受けすると思われたのです。戦前は敵性音楽とされた洋楽のコンサートを武道の殿堂として作られた日本武道館で開催することにも反対意見が多かったそうです。しかし、そういった反対意見を弾き飛ばしたのが前年1965年にビートルズがエリザベス女王から勲章を授与されたことがあるとされています。わたしは、もうひとつ、同じ1965年に加山雄三の「エレキの若大将」が公開されたことも影響していると思います。この映画によって、エレキギターやロックが日本で一気に市民権を得たように思えるのです。エルビス・プレスリーを筆頭に映画の中で歌ったスターはたくさんいますが、自分の主演シリーズで自分が作曲した歌を歌いまくったスターは、加山雄三しかいません。そして、その楽曲は、桑田佳祐、松任谷由実、山下達郎といった後のミュージシャンに浅からぬ影響を与え、Jポップの原点となったのです。当時まだ勢いのあった東宝が大枚をはたいて、「若大将とビートルズ」という加山雄三とビートルズの共演映画を作っていれば良かったですね!
この映画のタイトルには「ミスタームーンライト」という曲名が入っていますが、映画の中で名曲「ミスタームーンライト」は流れません。どういうことかというと、ビートルズが東京を訪問して行った日本武道館公演(1966年6月30日~7月2日)のうち7月1日の昼の部を日本テレビが録画し、同日21時から1時間番組として放送した音楽番組のテーマ曲に「ミスター・ムーンライト」が使われたのです。番組のオープニングで羽田空港に到着した4人の乗った自動車が夜明け前の高速道路を疾走するのを映し出しつつ、突然この曲が流れたことは視聴者に強い印象を残し、リアルタイムで観たファンの目と耳に焼き付いて離れないほどでした。この曲が選ばれた理由はイントロのない曲を探した結果、同曲しかなかったからとのことです。しかし、「ミスタームーンライト」というのはビートルズの代名詞そのものであると思います。迷える人々に道を示す月光のような存在がビートルズだからです。
ビートルズの曲を聴くと、誰でも心を動かされるでしょう。そこには、モーツァルトにも通じる芸術的普遍性があるように思います。わたしが特に好きなビートルズの曲は「イエスタデイ」「レット・イット・ビー」「オール・ニード・イズ・ラヴ」「ヘイ・ジュード」「ノルウェイの森」ですが、彼らの楽曲は「こころの世界遺産」であると確信します。1966年はイギリスで音楽革命を起こしたビートルズが来日して、空前の大ブームを巻き起こしました。その影響で日本には多くのグループサウンズが生まれ、若者たちの間では長髪が流行しました。アメリカでは大衆文化革命を起こしたウォルト・ディズニーが亡くなり、中国では毛沢東が文化大革命を起こしました。そんな年に誕生したわがサンレーは、日本の北九州の地で冠婚葬祭の文化大革命を起こすという志をもって船出しました。わたしにとって、1966年は特別な年なのです。