No.671
1月28日、前日27日に公開した日本映画「レジェンド&バタフライ」をシネプレックス小倉で観ました。東映70周年記念作品として総製作費20億円を投じて製作された話題作です。木村拓哉が信長を演じたということで時代劇超大作とばかり思っていましたが、意外にも合戦シーンはほとんどなく、なんと、ラブロマンスの傑作でした!
ヤフー映画の「解説」には、
「『HERO』シリーズなどの木村拓哉が戦国・安土桃山時代の武将・織田信長を、『奥様は、取り扱い注意』シリーズなどの綾瀬はるかが正室・濃姫を演じる時代劇。大うつけと呼ばれた若き日の信長が、尾張国と敵対する美濃国の濃姫と政略結婚をし、やがて天下統一を目指す。監督を『るろうに剣心』シリーズなどの大友啓史、脚本を『コンフィデンスマンJP』シリーズなどの古沢良太が担当する」と書かれています。
ヤフー映画の「あらすじ」は、以下の通りです。
「尾張国の織田信長(木村拓哉)は大うつけと呼ばれるほどの変わり者だった。敵対する隣国・美濃国の斎藤道三の娘・濃姫(綾瀬はるか)と政略結婚という形で出会った信長は、彼女と激しくぶつかるが、今川義元との戦で一緒に戦術を練ったことから二人は固い絆で結ばれるようになる。そこから二人は、天下統一に向かって歩みだす」
日本映画といえば時代劇。時代劇といえば東映。その東映の70周年記念作品だけあって、「レジェンド&バタフライ」は素晴らしいエンターテインメント超大作でした。「武士の一分」(2006年)や一条真也の映画館「無限の住人」で紹介した2017年の日本映画などの主演作品から、キムタクの殺陣の素晴らしさはよく知っていましたが、本作でも刀さばきが絶品でした。彼は、1998年にドラマ「織田信長 天下を取ったバカ」で信長に扮しています。じつに25年ぶりに信長を演じたわけですが、50歳にして10代を演じるのも凄いこと。そして、それは誰も見たことのない新しい信長でした。血の匂いが漂ってくるような後半に比べて、前半はけっこうユーモラスな場面も多いです。ギャグを飛ばしたり馬鹿笑いする場面に、ところどころキムタク感が出ていて、ちょっとホッコリします。
濃姫役の綾瀬はるかも素晴らしい演技でした。彼女は、一条真也の映画館「今夜、ロマンス劇場で」で紹介した2018年の映画で「お転婆姫と三獣士」という戦前の日本映画に登場するお姫様を演じましたが、姫がよく似合う女優さんですね。キムタクの50歳とまではいきませんが、彼女も37歳で10代の濃姫を演じたのですから大したものです。信長との初夜のロマンの欠片もない格闘シーンや、京都での乱闘のアクションシーンも見事でした。その後の信長との血まみれのキスシーンも感動的でしたね。そのキスシーンを絶賛したのが、濃姫の乳母・各務野を演じた中谷美紀でした。彼女をスクリーンで拝むのは、一条真也の映画館「総理の夫」で紹介した映画以来です。中谷美紀は現在47歳だそうですが、本当に美しい人ですね。表情も佇まいも気品があって、すっかり見とれてしまいました。
「レジェンド&バタフライ」には織田信長の生涯がダイジェスト風に描かれていますが、特に元亀2年(1571年)9月の比叡山焼き討ちのシーンがリアルでした。なぜ、信長は比叡山を焼き討ちにしたのか。延暦寺の僧侶らはまったく宗教者としての責を果たしておらず、放蕩三昧だったからだとされています。延暦寺の僧侶らが荒れ果てた生活を送っていたことは、『多聞院日記』にも延暦寺の僧侶が修学を怠っていた状況が記されています。その上で、信長に敵対する朝倉氏、浅井氏に与同したとされています。こうした僧侶らの不行儀と信長に敵対したことが、比叡山焼き討ちの原因だったと考えられます。しかし、焼き討ちによる死者の数は、フロイスの書簡には約1500人、『信長公記』には数千人、『言継卿記』には3000~4000人と書かれています。相当な数の人間が亡くなっており、その中には僧侶だけでなく、女子供もいました。これは非道の極みです。いくら魔王を自認する信長でも、やり過ぎであったと言えるでしょう。
わたしは、「比叡山焼き討ち」という因果が「本能寺の変」という応報を招いたように思えてなりません。天正10年(1582年)6月2日、日本の歴史上屈指の大事件が発生しました。明智光秀が13000人もの大軍を率いて、京都・本能寺に宿泊中の織田信長を急襲。信長は寝込みを襲われ、包囲されたのを悟ると、寺に火を放ち自害して果てたのです。信長の嫡男で織田家当主の信忠は、宿泊していた妙覚寺から二条御新造に移って抗戦しましたが、まもなく火を放って自刃。信長と信忠を失った織田政権は瓦解しますが、光秀も6月13日の山崎の戦いで羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)に敗れて命を落としました。これが秀吉が台頭して豊臣政権を構築する契機となって戦国乱世は終焉に向かうのです。光秀が謀反を起こした理由については、定説が存在せず、多種多様な説があります。
本能寺の変で、明智光秀は主君・織田信長を討ちました。しかしその証である信長の首を手に入れることはできず、これが原因で細川藤孝などが味方しなかったともいわれいます。信長の首が見つからなかったことから、本能寺の変の後も信長は生存し続けたという伝説も生まれました。「レジェンド&バタフライ」では、炎上する本能寺を脱出した信長が濃姫のもとに帰り、二人で船に乗って南蛮へ行くというシーンが描かれます。しかし、それは死にゆく信長が見た一瞬の夢でした。信長と濃姫が南蛮船に乗ったシーンはとてもロマンティックで、明らかに映画史に残る恋愛映画の名作「タイタニック」を彷彿とさせました。「タイタニック」は、日本歴代洋画興収NO.1&アカデミー賞歴代最多受賞、全世界が恋に落ち、 陶酔した不朽の超大作です。この冬のバレンタインに、ジェームズ・キャメロン監督の手によって美しく一新された3D映像で、期間限定で再び映画館の大スクリーンに甦ります!
正直言って、わたしは織田信長という武将があまり好きではありません。父の織田信秀が亡くなったとき、その葬儀で19歳だった信長が抹香を遺灰に投げつけたことは有名ですが、わたしは葬儀の場で非礼を働く人間を絶対に認めません。この蛮行に意味を与えたり、「常識にとらわれない革命児」などと持ち上げる連中も単なる馬鹿だと思っています。また、信長が掲げた「天下布武」という考えが好きではありません。武力によって天下を統一するということですが、その覇権の原理は「天正」という年号に示されています。「天正」の出典は「清静なるは天下の正と為る」(清らかにして静かなる者が天下の長となる)という『老子』の言葉です。覇権への正当性は徳を失った足利将軍に代わり、天意により天下の為政者となることにあるというのです。これは中国における「放伐革命」(徳を失った君主を討伐して放逐すること)で、信長の印章に用いた「天下布武」(武力による天下統一)に示されています。
「レジェンド&バタフライ」で信長を演じた木村拓哉は、インタビューで「濃姫と出会ったことによって、天下布武という彼の中にはなかった引き出しを授けられた。彼女に出会っていなかったら、自国を守るだけで幸せな人生だったんじゃないかな。そんな風に思います」と語っています。その意味では、濃姫は戦の女神だったのかもしれません。しかし、わたしは「天下布武」という言葉が嫌いです。ブログ「『天下布武』と『天下布礼』」にも書いたように、わが座右の銘は「天下布武」ではなく、「天下布礼」です。もともと、サンレーの創業時に佐久間進会長が掲げていたスローガンです。
「天下布武」と「天下布礼」
2008年、わたしが上海において再び社員の前で「天下布礼」を打ち出しました。言うまでもなく、中国は孔子の国です。2500年前に孔子が説いた「礼」の精神こそ、「人間尊重」そのものだと思います。上海での創立記念式典で、わたしは多くの社員の前で「天下布礼」の旗を掲げたのです。わたしたちは「礼」という「人間尊重」思想で世の中を良くしたいのです。映画「レジェンド&バタフライ」には、天下布武の日々に疲れた信長が病身の濃姫に優しく接するシーンがあります。わたしは、これを見て「コンペティションからコンパッションへ」と思いました。信長が、天下統一の国盗りの「競い合い」よりも身近な愛する人に優しくする「思いやり」の大切さに気づいたように思えてなりませんでした。そう、信長は魔王などではなく、愛を求める1人の人間だったのです!
では、「天下布礼」を掲げるわが社の経営はこのままでいいかというと、わたしはそうは思っていません。というのも、わが社は女性の活用が遅れていると思っているのです。近年、出産・育児休暇の取得率向上や生理休暇の導入、フェムテックへの注力など、女性の社会進出の重要性を伝えるニュースを日常的に見るようになりました。国際社会の中で、日本の女性の社会進出は遅れています。「レジェンド&バタフライ」で描かれている濃姫は、戦に出陣する信長に「わらわも連れて行け」と言うほど、男勝りの女性でした。「男に生まれていたら、ものすごい武将になっただろう」と思わせるものがありましたが、妊娠・出産がうまくいかず、心に闇を抱えてしまいます。21世紀になって20年以上も過ぎた現代社会は、女性であることがハンディである社会であってはなりません。わが社は今後、女性管理職や女性役員を続々と誕生させたいです。