No.670


 1月27日、第95回アカデミー賞に作品賞をはじめ8部門9ノミネートされた映画「イニシェリン島の精霊」が公開されました。わたしは、公開初日にシネプレックス小倉で鑑賞しました。なんとも不可解な内容で、一種のサイコホラー映画のようにも思えましたが、おそらくはアイルランド内戦の不条理を個人に置き換えた暗喩なのでしょう。結論から言うと、見応えのあるヒューマンドラマでしたね。
 
 ヤフー映画の「解説」には、こう書かれています。
「『スリー・ビルボード』などのマーティン・マクドナー監督によるドラマ。島民全員が顔見知りであるアイルランドの孤島を舞台に、親友同士の男たちの間で起こる絶縁騒動を描く。キャストにはマクドナー監督作『ヒットマンズ・レクイエム』でも組んだコリン・ファレルとブレンダン・グリーソン、『スリー・ビルボード』などのケリー・コンドン、『聖なる鹿殺し キリング・オブ・ア・セイクリッド・ディア』などのバリー・コーガンらが集結。ベネチア国際映画祭コンペティション部門で最優秀男優賞と最優秀脚本賞を獲得した」
 
 ヤフー映画の「あらすじ」は、以下の通りです。
「本土が内戦に揺れる1923年、アイルランドの孤島・イニシェリン島。島民全員が知り合いである平和な島で、パードリック(コリン・ファレル)は長年の友人であるはずのコルム(ブレンダン・グリーソン)から突然絶縁されてしまう。理由も分からず動揺を隠せないパードリックは、妹のシボーンや隣人ドミニクの助けも借りて何とかしようとするも、コルムから『これ以上自分に関わると自分の指を切り落とす』と言い渡される。やがて島には、死を知らせると伝承される精霊が降り立つ」
 
 原題は「banshees」で、アイルランドの民話に登場する「泣き叫ぶ姿をした妖精」を意味するそうです。冒頭から、仲の良い友人からいきなり絶交を言い渡された主人公パードリック(コリン・ファレル)は大いに困惑し、やがてグリーフを抱きます。わたしは、一条真也の読書館『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』で紹介した村上春樹氏の小説を思い出しました。この小説の書き出しは「大学二年生の七月から、翌年の一月にかけて、多崎つくるはほとんど死ぬことだけを考えて生きていた」です。第1行目から「死ぬ」という単語が登場するのです。そして、この物語は最後まで「死」の気配が強く漂っているのでした。なぜ、多崎つくるが「死ぬ」ことだけを考えるようになったのか。それは、彼がこの上なく大切にしていた親友たちから絶交されたからです。それも、彼自身には絶交される理由がまったく思い浮かばないという不条理な経験をしたからです。その結果、彼は大きな喪失体験をするのでした。この喪失感を抱いた多崎つくるの姿が、「イニシェリン島の精霊」のパードリックのそれに重なりました。
 
 コルムがパードリックとの関係を絶った理由は、パードリックの話があまりにも退屈だからという驚くべきものでした。バイオリンを演奏するコルムは、残り少ない人生をつまらないお喋りに費やすことに不安を感じ、作曲することに時間を割いて、歴史に名を残したいと思うようになったのです。だからといって、何の落ち度もない友人を一歩的に遠ざけるのは不自然であり、不条理です。不条理といえば、イニシェリン島の島民たちは昼間からパブに集い、ビールやウイスキーや、ときにはシェリーを飲みます。いいご身分というか、「彼らは一体何をして生計を立てているのか」と考えると、パードリックは細々と酪農もどきをしていますが、とても生活できるレベルではありません。ふと気づけば、酒場の主人・警察官・神父・ゴシップ好きの食料品店の女主人以外は、全員が職業不明です。職業不明の連中が、毎日、昼間からパブで飲んだくれている......ここで、ようやく、この物語が現実離れした寓話であると悟るのでした。

龍馬とカエサル』(三五館)
 
 
 
 コルムの行動は常識外れですが、残り少ない人生をつまらないお喋りに費やすことに不安を感じるというのは理解できないことはありません。2時間以上も馬の糞の話をするパードリックが退屈な人間であることに間違いはないでしょう。一方、パードリックの妹のシボーンは読書好きで、教養の豊かな女性です。拙著『龍馬とカエサル』(三五館)にも書きましたが、教養は人間的魅力ともなります。ユリウス・カエサルは古代ローマの借金王でしたが、原因の1つは、自身の書籍代だったといいます。当時の知識人ナンバーワンはキケロと衆目一致していましたが、その彼もカエサルの読書量には一目置きました。当時の書物は、高価なパピルス紙に筆写した巻物です。当然ながら高価であり、それを経済力のない若い頃から大量に手に入れたため、借金の額も大きくなっていったのです。カエサルは貪欲に知識を求めたのであり、当然、豊かな教養を身につけていたに違いありません。「人類史上最もモテた男」の1人と言われる彼の魅力の一端に、その教養があったのです。パードリックも妹のように、読書する習慣があれば、退屈な男にはならなかったことでしょう。
 
 コルムの一連の不条理行動でホラー映画の雰囲気さえ醸し出している「イニシェリン島の精霊」ですが、「この不気味さは、何かの映画に似ているな」と思って、よく考えてみたら、一条真也の映画館「LAMB ラム」で紹介したA24製作のホラー映画に似ていることに気づきました。「LAMB ラム」は、アイスランドの山間で羊飼いをしている夫婦の物語です。ある日、出産した羊から羊ではない何かが生まれ、二人はその存在を"アダ"と名付けて育てることにします。子供を亡くしていた二人にとって、アダとの生活はこの上ない幸せに満ちていたが、やがて夫婦は破滅への道をたどることになるのでした。「LAMB ラム」も、「イニシェリン島の精霊」も、ともに聖書的メタファーに満ちていますが、アイスランドやアイルランドの自然をこの上なく美しく描いている点も共通しています。そして、登場する動物たちが無邪気なようでありながら不気味な点も共通しています。特に、ロバのジェニーはパードリックにとって特別な存在であったように思えてなりません。告解を受けた時の神父の男色を疑う言葉や、息子にいたずらを繰り返す警察官の所業からも、ただならぬ性的なサインを感じてしまいます。というわけで、「イニシェリン島の精霊」は、とにかく不気味であり、想像の余地が豊富な、まったく退屈しない映画でありました。