No.669
1月26日の夜、博多のKBCシネマでインド映画「エンドロールのつづき」を観ました。一条真也の映画館「ニューシネマ・パラダイス」で紹介したイタリア映画のインド版とされ、一条真也の映画館「RRR」で紹介した超大作を押さえてアカデミー賞のインド代表にもなりましたが、惜しくもノミネートには入りませんでした。予想していた内容とは大きく異なりましたが、映画の本質を浮き彫りにする佳作でした。
ヤフー映画の「解説」には、こう書かれています。
「映画と出会ったある少年が、映画監督を目指すヒューマンドラマ。映画館でスクリーンにくぎ付けになった少年が、やがて映画を作りたいと思うようになる。監督などを手掛けるのはパン・ナリン。オーディションで選ばれたバヴィン・ラバリが主人公の少年を演じている。ナリン監督自身の実話を基にした本作は、第66回バリャドリード国際映画祭でゴールデンスパイク賞を受賞した」
ヤフー映画の「あらすじ」は、以下の通りです。
「インドの小さな町に住む9歳のサマイ(バヴィン・ラバリ)は、学業のかたわら父親のチャイ店を手伝っていた。ある日、家族と映画館を初めて訪れた彼は、すっかり映画に魅了される。ある日、映画館に忍び込んだのがバレて放り出されるサマイを見た映写技師のファザルが、サマイの母親の手作り弁当と引き換えに、映写室から映画を観ることを彼に提案する」
9 歳のサマイはインドの田舎町で、学校に通いながら父のチャイ店を手伝っています。厳格な父は映画を低劣なものだと思っていますが、信仰するカーリー女神の映画は特別と、家族で街に映画を観に行くことに。人で溢れ返った映画館、席に着くと、目に飛び込んだのは後方からスクリーンへと伸びる一筋の光であり、そこにはサマイが初めて見る世界が広がっていたのです。映画にすっかり魅了されたサマイは、再び映画館に忍び込むが、チケット代が払えずつまみ出されてしまう。それを見た映写技師のファザルがサマイに救いの手を差し伸べます。料理上手なサマイの母が作る弁当と引換えに、映写室から映画をみせてくれるというのです。サマイは映写窓から観る色とりどりの映画の数々に圧倒され、いつしか「映画を作りたい」という夢を抱きはじめるのでした。
サマイとファザルの心の交流は、誰が見ても「ニューシネマ・パラダイス」の主人公トト少年と映写技師アルフレードとの交流を連想してしまいます。一般的には名作とされている「ニューシネマ・パラダイス」という映画を、わたしはまったく認めていません。アルフレードが映写技師という仕事に誇りを抱いていないからです。彼は小学校も卒業しておらず、自分に学がないことに強いコンプレックスを持っていました。映写技師の職に就いたのはなりゆきで、「他にやろうとする人間がいなかったからだ」と語っています。それでも、少年トトには映写技師の仕事が魅力的に見えます。「ぼくは映写技師になりたい」というトトに向かって、アルフレードは「やめたほうがいい。こんな孤独な仕事はない。たった一人ぼっちで一日を過ごす。同じ映画を100回も観る。仕方ないから、ついついグレタ・ガルボやタイロン・パワーに話しかけてしまう。夏は焼けるように暑いし、冬は凍えるほど寒い。こんな仕事に就くものじゃない」と言うのです。
では、「エンドロールのつづき」の映写技師であるファザルは、自身の仕事に誇を持っているかというと、残念ながらそうではないのです。英語も数字もわからないファザルは、他に就く仕事がなくて仕方なく映写技師を務めているのでした。もっと若ければトルコで神秘主義者と一緒に暮らしたかったというファザルは、サマイに「映画なんて、人をだますイカサマさ」などと言い放つのでした。わたしは、このような自らの仕事を卑下する人間が大嫌いです。反社会的な行為でない限りは、どんな仕事にも存在意義があり、働く人にはミッションがあるはずです。わたしは、アルフレードやファザルの姿から、一条真也の読書館『星の王子さま』で紹介した愛読書の内容を思い出しました。『星の王子さま』には、夜と昼のめまぐるしい交代に合わせて休みなく街頭の灯を点けたり消したりする点灯夫が登場しますが、彼について「点灯夫が街灯に灯をともすとき、それはまるで彼が新しい星や一輪の花を誕生させたかのようです。彼が街灯の灯を消すときに、その花も星も眠ります。これはとても素敵な仕事です。素敵だから本当に役に立つのです」と書かれています。
わたしが好きな映写技師は、一条真也の映画館「ワン・セカンド 永遠の24フレーム」で紹介した中国映画に登場する映写技師です。この映画は、「活きる」などのチャン・イーモウ監督が、文化大革命時代の中国を舞台に撮り上げた人間ドラマです。同監督作「妻への家路」などのヅォウ・ジンジーが共同で脚本を務め、ニュースフィルムに1秒だけ映った娘の姿を追い求めて強制労働所から脱走した男と、幼い弟と暮らす身寄りのない少女の交流を描きます。わたしは非常に感動し、ブログ「一条賞(映画篇)発表!」で紹介したように、この映画を昨年のベスト4位に選びました。この映画に登場する映写技師は、日本のお笑い芸人のTKO・木下に似たような風貌なのですが、人々の崇拝と称賛を一身に集めています。この映画において映写技師は上映会で、照明から音響まですべてをコントロールする神のような存在として描かれています。
チャン・イーモウ監督の言葉を借りると、映写技師としての彼は「無冠の王」だそうです。映写技師は映画の知識が豊富で、フィルムを自分の子供のように丁寧に扱い、映画への愛に溢れています。フィルムが傷んだ時は、心から悲しみます。ある意味で、若き日々のチャン・イーモウのアバターともいうべき人物なのです。 チャン監督は「映写技師の行動を通して、観客は、思い通りにいかず、苦労の多い人生において、光と影によるフィルムの世界が大きな満足感をもたらすことを描き、上映作業の最中、彼の心が喜びに満ちあふれていることを描いた。これこそが人間であり、我々と映画の関係なのだ」と語っています。映写技師の姿を通じて人と映画の関係が、人間の成長と発展の潜在的な原動力になる可能性があるということを伝えたかったのだとも力説しています。さらに、日本の観客に向けたメッセージ動画では、チャン監督は「映画には40~50年前の私の青春時代の記憶が描かれています。あの過酷な時代の中で、映画を観ることは正月のような一大イベントでした。物語は、あの時代を生きた人々の映画への強烈な渇望、映画がもたらした、人々の夢や未来への希望を表現しています。私自身が感じている映画への追憶や想い、そして情熱を表現した作品でもあります」と身振り手振りを加えながら力強く語りました。
本作「エンドロールのつづき」のパン・ナリン監督も、オンラインで日本の観客とトークショーを行い、映画への熱い想いを語りました。本作の試写会はロサンゼルスで行われたそうですが、ハリウッドで活躍する名だたる撮影監督が試写に来てくれたそうです。パン監督は、「みなさん心から感動してくれて、自分の涙を指で拭って私に触れたんです。この映画をみて、撮影監督に感動してもらえたというのは、とてもエモーショナルな体験でした」と感激の体験を明かしました。映画の着想について話題が及ぶと、2011年に監督の故郷、インドのグジャラートに行った際に友人に会ったことがきっかけだったと述べました。「友人はデジタル化の波で35ミリフィルムが無くなって失職しました。他にもたくさんの映写技師が職を失ったんです。その友人とフィルムに対する愛について語りました」と言います。また、「当時自分は学校に持っていくお弁当を彼に持っていくことで(交換条件として)映画を見せてもらっていた。生涯の友です。そんなところから本作の着想が始まりました」というと、森さんは「映画そのままですね!」と驚きのコメントを残しています。
「エンドロールのつづき」で、子役バビン・ラバリが主人公の少年サマイを見事に演じましたが、あの姿はパン・ナリン監督の少年時代そのままだったわけです。パン・ナリン少年はカースト最上位のバラモンでありながら、生活に苦労を強いられていたというところ、映画を見せてもらえなかったところも実話と明かし、「子供のエピソードはそのままです!」と映画で描かれた幼少時代そのままの生活を送っていたと監督は語っています。また、「ガラスや捨てられたミシン、扇風機などを集めて自分なりの映写機を作りました。それは子供だったので特別なことではないんです。子供は人にどう見られるかということを恐れない。やりたいことをやるというところがクリエーションの源です。それは大人になると失われてしまいます」と語り、インド公開時のキャッチコピー「何もないからこそ、なんでもできる」という言葉を紹介しました。そして、原題「Last Film Show」から日本のタイトルが「エンドロールのつづき」となったことについては、すぐさま「日本のタイトルは大好きです!原題の『Last Film Show』より気に入っています。原題は何かが終わってしまうというふうに感じますが、日本の題名には未来が感じられますね」と述べました。
映画「エンドロールのつづき」は、パン・ナリン監督が敬愛するリュミエール兄弟、チャップリン、エイゼンシュタイン、ヒッチコック、エドワード・マイブリッジ、スタンリー・キューブリック、フランシス・コッポラ、スピルバーグ、タランティーノなど、映画史を彩る数々の巨匠監督たちの名前が登場し、彼らへのオマージュ作品となっています。この映画は、世界で一番の映画ファンだと語る監督が、世界中の映画ファンへ贈る映画へのラブレターなのです。それはまた、「映画作家への大きな大きなラブレター」でもありますが、勅使河原宏、小津安二郎、黒澤明といった日本映画の監督の名前も出てきます。そんな巨匠たちの作品を配給した松竹で本作も配給されることについて聞くと、「オーマイガー!本当に心から光栄に思い、ワクワクしています。松竹のロゴが出てくるとこれからすごいものが見られるんだ!とワクワクした学生時代を思い出しました」と語り、「涙が出るくらい嬉しいです。歴史が古く映画が始まった頃からあった松竹さんに公開してもらってとても幸せです」と感激しているといいます。最後に「この作品はスターがいる作品ではありません。心で作った作品です!」と述べるのでした。
わたしは、「エンドロールのつづき」を観ながら、ブログ「映縁」に書いた内容を思い出しました。村上春樹氏は「映画鑑賞は祝祭的儀式である」との発言を残されています。退屈な日常を生きる大衆にとって、映画を観ることはまさに祝祭であると言えるでしょう。絵画やクラッシック音楽や古典演劇などは鑑賞者を選びますが映画は誰でも楽しむことのできる大衆の娯楽であり、「夢のかたち」です。それは、イタリア人も中国人もインド人も同じこと。日本人だって、スクリーンの中の三船敏郎や高倉健や石原裕次郎や加山雄三や、岸惠子や若尾文子や岩下志麻や吉永小百合に自身の夢を投影し、日常生活のさまざまなストレスやグリーフを忘れてきたのです。「エンドロールのつづき」には、ショッキングな場面も登場します。映画のデジタル化で映写機やフィルムが不要になるシーンです。リサイクルされて、映写機は金属製のスプーンに、フィルムは色とりどりの腕輪に姿を変えていきます。でも、フィルムは単なるの物質ではありません。その中には、物語が入っています。夢も希望も喜びも悲しみも入っています。手塚治虫は『フィルムは生きている』という漫画を描き、手塚治虫のフィルモグラフィのタイトルも同名ですが、まさに映画のフィルムは生きているのです!
『死を乗り越える映画ガイド』(現代書林)
ところで、「映画鑑賞は祝祭的儀式である」という村上春樹氏の言葉は、わたしを驚かせました。なぜなら、わたしも映画鑑賞とは儀式そのものであると思ってきたからです。ただし、映画館で鑑賞した場合に限ります。「エンドロールのつづき」には、森の中に設えた簡易映画館が登場し、そこで上映されるフィルムには音声がありません。それで、子どもたちが楽器を鳴らし、歌をうたい、高らかにセリフを唱えます。それは、まさに宗教儀式そのもので、映画館は神殿そのものでしたし、フィルムは聖典や経典でした。拙著『死を乗り越える映画ガイド』(現代書林)に詳しく書きましたが、儀式というものは古代の洞窟で誕生したと言われています。ネアンデルタール人の埋葬も洞窟の中でした。そして、映画館とは人工洞窟であるというのが、わたしの考えです。その人工洞窟の内部において、わたしたちは臨死体験をするように思います。なぜなら、映画館の中で闇を見るのではなく、わたしたち自身が闇の中からスクリーンに映し出される光を見るからです。闇とは「死」の世界であり、光とは「生」の世界です。つまり、闇から光を見るというのは、死者が生者の世界を覗き見るという行為なのです。つまり、映画館に入るたびに、観客は死の世界に足を踏み入れ、臨死体験するわけです。
『心ゆたかな映画』(現代書林)
わたし自身、映画館で映画を観るたびに、死ぬのが怖くなくなる感覚を得るのですが、それもそのはず。わたしは、映画館を訪れるたびに死者となっているのでした。さらに、映画を含む動画撮影技術が生まれた根源には人間が「死」を乗り越えたいという願いが込められていると思えます。「死」のセレモニーといえば葬儀ですが、葬儀も映画も、人の心にコンパッションを生み出し、グリーフケアの機能を果たす総合芸術です。そして、映画による縁としての「映縁」は永遠の心の結びつきです。初対面の人でも映画好きと聞いて映画の話に花が咲き仲良くなったり、友人や家族と観に行って死生観を共有したり、何十年も前に観た映画のたった一言のセリフが今でも心に刻まれていたり、それがまた人と繋がるきっかけになったり......拙著『心ゆたかな映画』(現代書林)にも書いたように、同じ映画を観て感動することは最高の人間関係だと言えるでしょう。映縁は永遠なり!
ヤフーニュースより
最後に、「エンドロールのつづき」は映画館の物語でもありますが、わが心の映画館といえば、ブログ「さよなら、小倉昭和館」で紹介したように昨年8月10日夜に発生した旦過市場の火事で焼失した老舗映画館・小倉昭和館です。その小倉昭和館が、なんと、焼失前と同じ場所で再建されることになりました。昭和館の樋口智巳館主が記者会見で明らかにしました。今年4月にに着工し、同12月の開業を目指すそうです。小倉昭和館のエンドロールにも、つづきがあったのです。本当に良かった!