No.668


 1月23日の夜、コロナシネマワールド小倉で日本映画「ファミリア」のレイトショーを観賞。ハリウッド映画で、わたしが好きな某作品の日本版といった感じでした。現代日本社会は血縁も地縁も薄くなって「無縁社会」などと呼ばれますが、その中での人と人との繋がりを描いていました。
 
 ヤフー映画の「解説」には、こう書かれています。
「生まれ育った環境や国籍を超えて家族になろうとする人々を描く人間ドラマ。陶器職人と海外で暮らすその息子、在日ブラジル人青年らが、強い絆で結ばれていく。『いのちの停車場』などの成島出が監督を務め、『凪の海』などのいながききよたかが脚本を担当。『峠 最後のサムライ』などの役所広司、大河ドラマ「青天を衝け」などの吉沢亮をはじめ、オーディションで選ばれた在日ブラジル人のサガエルカスやワケドファジレ、室井滋、松重豊、MIYAVI、佐藤浩市らが出演する」
 
 ヤフー映画の「あらすじ」は、以下の通りです。
「陶器職人として一人山里に暮らす神谷誠治(役所広司)を、仕事でアルジェリアに赴任中の息子・学(吉沢亮)が、婚約者ナディアと共に訪れる。一時帰国した学は、結婚を機に仕事を辞めて陶器職人になるというが、誠治はそれに反対する。一方、誠治が暮らす隣町の団地に住む在日ブラジル人のマルコス(サガエルカス)は、以前助けてもらった誠治に亡き父親の面影を重ねていた」
 
 ひょんなことからマルコス(サガエルカス)というブラジル人青年を助けた神谷誠治(役所広司)と息子の学(吉沢亮)は、在日ブラジル人たちが住む団地で開かれた屋外パーティーに招待されます。それは近所の人々が集まって、料理を作って、酒を飲んで、歌って踊る......まさに「隣人祭り」でした。隣人祭りといえば、前日に観た一条真也の映画館「非常宣言」で紹介した韓国映画にも登場しました。2日続けて、たまたま観た映画に「隣人祭り」が登場したことに、わたしは驚きました。シンクロニシティというより、何か大きな潮流を感じます。もともと「映画は時代の予言者である」と考えているわたしですが、人と人との繋がりを断ち切られたコロナ禍の時代を経て、アフターコロナには「隣人祭り」が世界的に流行するかもしれないと思いました。その屋外パーティーで、誠治と学の親子はブラジル人中年女性たちから「ハンサムな2人ねえ」とモテモテでした。それもそのはず、役所広司と吉沢亮の親子なら最強のイケメン親子ですね!
 
「隣人祭り」が登場する映画といえば、クリント・イーストウッドが監督・主演した「グラン・トリノ」(2009年)を思い出します。イーストウッドの監督作品の中でも最高傑作と呼び声の高い作品です。妻に先立たれ、息子たちとも疎遠な元軍人のウォルト(クリント・イーストウッド)は、自動車工の仕事を引退して以来単調な生活を送っていました。そんなある日、愛車グラン・トリノが盗まれそうになったことをきっかけに、アジア系移民の少年タオ(ビー・ヴァン)と知り合います。やがて二人の間に芽生えた友情は、それぞれの人生を大きく変えていくのでした。朝鮮戦争従軍経験を持つ気難しい主人公が、近所に引っ越してきたアジア系移民一家との交流する姿が感動的でしたが、その舞台が「隣人祭り」だったのです。民族や国籍が違っても、一堂に会して、食べて飲んで、歌って踊る。「隣人祭り」には、あらゆる差異を無化して、人々を一体化させる力があります。

隣人の時代』(三五館)
 
 
 
 拙著『隣人の時代~有縁社会のつくり方』(三五館)で詳しく紹介しましたが、「隣人祭り」は近所の人々との縁、すなわち地縁を強化するイベントです。地縁と並んで大切なのが血縁です。すなわち、家族であり、先祖です。現代人はさまざまなストレスで不安な心を抱えて生きています。ちょうど、空中に漂う凧のようなものです。そして、わたしは凧が最も安定して空に浮かぶためには縦糸と横糸が必要ではないかと思います。縦糸とは時間軸で自分を支えてくれるもの、すなわち「先祖」です。この縦糸を「血縁」と呼びます。また、横糸とは空間軸から支えてくれる「隣人」です。この横糸を「地縁」と呼ぶのです。この縦横の二つの糸があれば、安定して宙に漂っていられる、すなわち心安らかに生きていられる。これこそ、人間にとっての「幸福」の正体だと思います。
 
「グラン・トリノ」では、アジアの移民一家は悪党どもに狙われますが、「ファミリア」でもブラジル人たちが半グレどもに狙われます。問題解決に主人公が乗り出す点、またその手段も含めて、「ファミリア」には明らかに「グラン・トリノ」の強い影響が見られます。そう、役所広司は和製クリント・イーストウッドを演じたわけです。役所広司は今や世界的にも有名な日本を代表する俳優ですが、「ファミリア」では初老の陶器職人の役でした。彼はじつは孤児で、児童養護施設の出身でした。同じ施設の出身である刑事を佐藤浩市が演じていましたが、2人の競演は素晴らしかったです。役所が67歳、佐藤が62歳ですが、どちらも人生の悲哀を表情や仕草に表しており、何よりも「間」が秀逸でした。今や人気絶頂で「国宝級イケメン」などと呼ばれる吉沢亮も、この2人の存在感と色気の前には影が薄くなっていましたね。
 
「ファミリア」で渋い父親役を演じた役所広司ですが、この日のコロナシネマワールド小倉では、「ファミリア」の上映前に、同じく役所広司が父親役の新作映画の特報がスクリーンに流れました。「銀河鉄道の父」です。役所が宮沢賢治の父を演じ、菅田将暉、森七菜と親子役で初共演。一条真也の読書館『銀河鉄道の父』で紹介した門井慶喜氏の小説の映画化です。門井氏が大量の宮沢賢治資料の中から父・政次郎について書かれた資料をかき集め、賢治の生涯を、父親の視線を通して活写しました。同作は究極の親子愛を描いた傑作として、第158回直木賞を受賞した。わたしは、この本を読んで大変感動しました。それで、拙著『心ゆたかな読書』(現代書林)でも取り上げています。映画「銀河鉄道の父」は「ファミリア」と同じく成島出監督作品です。「家族」がテーマというのも共通していますね。5月5日公開とのことで、絶対に観ます!

結魂論』(成甲書房)
 
 
 
「ファミリア」に話を戻しましょう。
 誠治の息子・学は、アルジェリア人女性のナディアが結婚します。ナディアも誠治と同じく孤児でした。彼女の両親はアルジェリアの内戦で命を落としたのです。親しい友人たちも、次々と亡くしました。悲しい思いをたくさんしてきたにもかかわらず、ナディアはいつも幸せそうに笑います。そんな彼女を「本当にいい子だ」と誠治は温かく迎えるのでした。故郷に帰ってきた学が、誠治に向かって「ここで家族を作りたいんだ。父さんも一緒に」、「遠く離れた土地で話す言葉も、育った環境も違うのに、俺たちは家族になるんだ。世界ってすごいね」と言います。そう、家族を作ることは新しい世界を作ること。これほど偉大なことはありません。そして、その偉業は結婚という営みから始まるのです。拙著『結魂論〜なぜ人は結婚するのか』(成甲書房)で詳しく述べましたが、「結婚は最高の平和である」というのが、わが持論です。「ファミリア」を観て、改めてそれを強く思いました。
 
 いま、「結婚は最高の平和である」と言いました。その最高の平和を脅かすものこそテロであり、戦争です。アルジェリアに帰った学とナディアの夫婦はテロに巻き込まれ、人質になります。それを日本で知った誠治の狂乱ぶりは見ていて辛いものがありました。敵国の兵士ならまだしも、何の関係もない第三国の民間人を人質にしたり、ましてや殺害する非道は絶対に許せません。そして、人質の安否を心配する家族の憔悴ぶりを見るにつけ、人質解放の目的で現地に乗り込んで行く者こそ最高のヒーローだと思いました。過去に、日本にもそんなヒーローがいました。アントニオ猪木です。1990年の湾岸危機で、突如クウェートに侵攻したイラクは、当時クウェートにいた日本人41人などを人質としてイラクに連行・国外移動禁止処分にしました。政府間の人質解放交渉は難航しましたが、猪木がイラクで「平和の祭典」を行うことを発表。外務省はこれに難色を示しましたが、猪木は個人で費用を負担してトルコ航空機をチャーター、関係者や人質被害者41人の家族46人と共にトルコ経由でバグダードへ入った。このイベントの開催後に、在留日本人と全人質が解放されたのです。
 
 猪木といえば、ブラジル移民として知られます。父の会社が倒産した猪木一家は、13歳の時に貧困を抜け出せるかもしれないという希望から、母親、祖父、兄弟とともにブラジルへ渡り。、サンパウロ市近郊の農場で少年時代を過ごしました。ブラジル移住後最初の1年半は、農場で早朝5時から夕方の5時までコーヒー豆の収穫などを中心に過酷な労働を強いられたといいます。「ファミリア」では、ブラジルの貧しい者たちが「日本で働ければ、3年で家が建つ」という甘い囁きに乗って日本にやって来たものの、直後にリーマン・ショックが起こって勤務先の会社が次々に倒産。ブラジル移民たちは地獄を見たわけですが、かつて猪木一家のように日本からブラジルに移住した人々も現地で地獄を見たのです。そんな地獄を見た猪木寛至少年が力道山に見出されて、日本でプロレスの人気者となり、後に政治家になってイラクの日本人人質の解放に尽力したことを思うと、なんだか泣けてきます。映画の中では、ブラジル人の青年たちから成る「GREEN KIDS」というグループが「脱獄」というラップ曲を歌っていましたが、なかなか良かったです。
 
 ブログ「時代は、コンパッション!」に書いたように、わたしはもともとラッパーになりたいと思っていました。「たたくより、たたえ合おう。」というACジャパンの公共広告を見て、その想いが強くなりました。このCMの「たたくより、たたえ合おう。」というコピーは、まさに「コンパッション」そのものです。この秀逸なコピーに触発されて、わたしも「コンペティションよりコンパッション!」というコピーを思いつきました。「コンペティション」とは競争という意味ですが、「競い合いより、思いやり」というメッセージですね。かつて、わたしは「また会えるから」というグリーフケア・ソングを作詞したことがありますが、「コンパッション!」というラップ・ミュージックも作詞したいと思いました。Yo!Yo! コンペティションよりコンパッション♪ 競い合いより思いやり♪ Yeah!」といった感じです。(笑)先日、新宿の伊勢丹メンズ館で還暦用の赤いボルサリーノを買ったので、それを被ってパフォーマンスしたいYo!

ラップは、コンパッション・レッドで行きたいYo!