No.596
TOHOシネマズシャンテで中国映画「ワン・セカンド 永遠の24フレーム」を観ました。わたしはこれまでに数えきれないほど多くの映画を観てきましたが、もう最高に感動しました。今年の一条賞映画篇の大賞候補作ですし、次回作『心ゆたかな映画』にも必ず取り上げます!
ヤフー映画の「解説」には、「『活きる』などのチャン・イーモウ監督が、文化大革命時代の中国を舞台に撮り上げた人間ドラマ。同監督作『妻への家路』などのヅォウ・ジンジーが共同で脚本を務め、ニュースフィルムに1秒だけ映った娘の姿を追い求めて強制労働所から脱走した男と、幼い弟と暮らす身寄りのない少女の交流を描く。主人公を『オペレーション:レッド・シー』などのチャン・イー、彼と出会う少女を数千人に及ぶ高校生の中から選ばれたリウ・ハオツンが演じるほか、『胡同(フートン)愛歌』などのファン・ウェイらが共演する」と書かれています。
ヤフー映画の「あらすじ」は、「1969年、文化大革命時代の中国。強制労働所送りになった男(チャン・イー)は、22号という映画本編前のニュースフィルムに娘が1秒だけ映っていることを知り、娘の姿を見たい一心で強制労働所から脱走する。映画館のある村を目指す道中、フィルム缶を盗む子供(リウ・ハオツン)を目撃した男は、娘が映っている22号のフィルムかと思いその子供を捕まえる。身寄りのない子供はリウという名前の少女で、やがて成り行きで小さな村にたどり着いた二人は、村で勃発した騒動を通じて奇妙な絆で結ばれていく」です。
この映画、主演女優としてデビューしたリウ・ハオツンがとにかく愛らしい! 2000年5月生まれの彼女は数千人に及ぶ高校生の中からオーディションで選ばれたそうですが、チャン・イーモウ監督にとっては「初恋のきた道」(1999年)で主演したチャン・ツィイー以来のヒロインではないでしょうか。映画「ワン・セカンド 永遠の24フレーム」ではずっと汚い服を着て、髪も顔も汚れ放題だった彼女ですが、最後に可愛い中国服を着て、おさげ髪でニッコリ笑いました。その姿が「初恋のきた道」のチャン・ツィイーに重なって、チャン・ツィイーの大ファンであるわたしの胸は熱くなりました。
「初恋のきた道」は、都会からやってきた若い教師ルオ・チャンユーに恋して、その想いを伝えようとする18歳の少女チャオ・ディの物語です。文盲のディは手作りの料理の数々にその想いを込めて彼の弁当を作った。やがてその気持ちに彼も気づき、いつしか二人の心は通じ合う。しかし、文化大革命という時代の波が押し寄せ、二人は離れ離れになります。少女は町へと続く一本道で愛する人を待ち続けるのでした。この「初恋のきた道」に主演したチャン・ツィイーの可憐さを彷彿とさせるリウ・ハオツンは、早くも"イー・モウガール"と呼ばれ、次世代を担う新星として国内外から熱い注目を浴びています。(映画を観た人なら納得すると思うのですが)薬師丸ひろ子の若い頃と現在の浜辺美波を足して2で割ったような感じで、「こんな美少女がいるとは、さすが中国は人口大国だな!」と変に感心してしまいました。
この映画は、映画への愛に溢れています。チャン・イーモウ監督は、「子供の頃に観た映画の光景がいつまでも忘れられない。あの言い表せないほどの興奮と喜びはまるで夢のようだった。映画は、成長する私たちの傍にずっと寄り添ってくれた。夢は、私の人生にずっと付き添ってくれた。どんな人にも一生忘れられない特別な映画がひとつはあるだろう。忘れられないのは、単に映画のことだけでなく、天に輝く星を仰ぎ見るような、あの頃に抱いた夢や憧れなのかもしれない。『ワン・セカンド 永遠の24フレーム』は、映画を愛するすべての人に捧げる作品である」と語っています。数カ月に一度の映画上映を待つ人々のスクリーンを見つめる恍惚とした表情。損傷したフィルムが無事に復旧して映画が観られるとわかったときの大歓声......もう、この場面だけで泣けてきます。
映画に興じる人々(「映画.com」より)
現代はDVD、ブルーレイ、ネット配信など、いつでも、どこでも映画が鑑賞できる環境にありますが、やはり映画は映画館で観るべきものです。わたし自身、「いつでも映画が観られる環境に甘えていないか」と自問しましたが、わたしは北九州市という地方都市に住んでいるため、地元では観られない映画が多いです。それで上京したときは、必死で時間をやりくりして、TOHOシネマズシャンテ・ヒューマントラストシネマ有楽町・角川シネマ・シネスイッチ銀座などを訪れて、そこでしか鑑賞できない映画を観ます。「自分は東京に住んでいないから、映画レビュアーとしては不利だ」と思ったこともありますが、逆にものすごい集中力で観るわけですから、それは「弱点」ではなく「強み」ではないかと思えてきました。わたしは、文化大革命時代の中国の人民に負けないぐらい映画に飢えているという自信はあります。
神の如き映写技師(「映画.com」より)
「ワン・セカンド 永遠の24フレーム」には、1人の映写技師が登場します。なんだか日本のお笑い芸人のTKO・木下に似たような風貌なのですが、彼は人々の崇拝と称賛を一身に集めています。この映画において映写技師は上映会で、照明から音響まですべてをコントロールする神のような存在として描かれています。チャン監督の言葉を借りると、彼は「無冠の王」だそうです。映写技師は映画の知識が豊富で、フィルムを自分の子供のように丁寧に扱い、映画への愛に溢れています。フィルムが傷んだ時は、心から悲しみます。ある意味で、若き日々のチャン・イーモウのアバターともいうべき人物なのです。 チャン監督は「映写技師の行動を通して、観客は、思い通りにいかず、苦労の多い人生において、光と影によるフィルムの世界が大きな満足感をもたらすことを描き、上映作業の最中、彼の心が喜びに満ちあふれていることを描いた。これこそが人間であり、我々と映画の関係なのだ」と語っています。映写技師の姿を通じて人と映画の関係が、人間の成長と発展の潜在的な原動力になる可能性があるということを伝えたかったのだとも力説しています。
映写技師が登場する映画としては、一条真也の映画館「ニューシネマ・パラダイス」で紹介した1989年のイタリア映画が有名です。「ワン・セカンド 永遠の24フレーム」を観て、「ニューシネマ・パラダイス」を思い出した人はきっと多いと思います。実際、両作品には映画のフィルムが燃え出すという共通のシーンも出てきます。しかし、わたしは多くの人々が、「人生最高の映画」とか「心に残る名画」とか大絶賛する「ニューシネマ・パラダイス」という映画をまったく評価していません。まず、わたしは主人公が30年も故郷に帰らなかったというのが納得いきませんでした。親類縁者が皆無というのならまだしも、故郷には年老いた母親が住んでおり、しかも彼女は息子の帰りをずっと待っていたのです。それでもサルヴァトーレが帰郷しなかったのは、アルフレード老人から「絶対に帰ってくるな」と言われていたからです。アルフレードは、サルヴァトーレの母親が息子を呼び戻そうとしたとき、彼女を叱ったそうです。わたしは、サルヴァトーレの母親が可哀想で仕方がありませんでした。彼女は戦争未亡人なのですが、女手ひとつで苦労しながら2人の子どもを育て上げたのです。そんな母親を30年も放置しておくとは!
「長い時間を置いてから帰れば、故郷はお前を温かく迎えてくれる」というアルフレードの言葉も気に入りません。たしかに映画監督としての名声を得たサルヴァトーレは故郷の人々から成功者として迎えられました。しかし、故郷とは賞賛されるために帰る場所ではないでしょう。第一、サルヴァトーレが映画の世界で成功することができたのも、母親やアルフレードや劇場で働く人々のおかげではないでしょうか。サルヴァトーレは、「血縁」も「地縁」も捨てた人間です。そんな人間が大都会に出て、少しばかり成功したからといって何になるのでしょうか。わたしは、このような映画が日本で大ヒットを記録した1989年頃から「血縁」と「地縁」が日本で希薄化していき、「無縁社会」化の現象が始まったような気がしてなりません。
『論語と冠婚葬祭』(現代書林)
わが国における儒教研究の第一人者である加地伸行先生とわたしの共著『論語と冠婚葬祭』(現代書林)では、現代日本が「無縁社会」化していくことを憂うとともに、中国や日本などの東アジアの人々は基本的に家族主義なのだと指摘しています。「ニューシネマ・パラダイス」は家族愛を否定した映画ですが、「ワン・セカンド 永遠の24フレーム」は逆に家族愛を見事に描いた映画です。そう、「ワン・セカンド 永遠の24フレーム」のメッセージは完全に「ニューシネマ・パラダイス」へのアンチテーゼなのです。「ワン・セカンド 永遠の24フレーム」には、親子愛としての「孝」、兄弟愛としての「悌」などの家族愛に溢れています。チャン・イー演じる男とリウ・ハオツン演じる少女が映画フィルムが入った缶を奪い合う場面などは父娘愛と姉弟愛の正面激突であり、呪術大戦ならぬ儒教大戦ともいえる見えない戦争が繰り広げられます。「批林批孔」運動として孔子の思想すなわち儒教を否定した文化大革命ですが、そんな時代にあっても中国には儒教の精神が生きていたという描写に感動しました。
「ニューシネマ・パラダイス」への違和感はまだあります。この映画に登場する映写技師アルフレードが、自身の仕事にさほどの誇りを抱いていないように感じられました。彼は小学校も卒業しておらず、自分に学がないことに強いコンプレックスを持っていました。映写技師の職に就いたのはなりゆきで、「他にやろうとする人間がいなかったからだ」と語っています。それでも、少年トトには映写技師の仕事が魅力的に見えます。「ぼくは映写技師になりたい」というトトに向かって、アルフレードは「やめたほうがいい。こんな孤独な仕事はない。たった一人ぼっちで一日を過ごす。同じ映画を100回も観る。仕方ないから、ついついグレタ・ガルボやタイロン・パワーに話しかけてしまう。夏は焼けるように暑いし、冬は凍えるほど寒い。こんな仕事に就くものじゃない」と言うのです。映写技師という仕事を神々しいまでに描いた「ワン・セカンド 永遠の24フレーム」とは大きな違いです。結局、映画を心から愛しているチャン・イーモウ監督に比べ、「ニューシネマ・パラダイス」のジュゼッペ・トルナトーレ監督は本当は映画を愛してはいないように思います。
チャン・イーモウは、北京2022冬季オリンピック・パラリンピック開閉会式の総監督も務めましたが、中国映画の最高の巨匠として知られています。日本の観客に向けたメッセージ動画では、「映画には40~50年前の私の青春時代の記憶が描かれています。あの過酷な時代の中で、映画を観ることは正月のような一大イベントでした。物語は、あの時代を生きた人々の映画への強烈な渇望、映画がもたらした、人々の夢や未来への希望を表現しています。私自身が感じている映画への追憶や想い、そして情熱を表現した作品でもあります」と身振り手振りを加えながら力強く語り、さらに「ご覧になった多くの方が、あの時代の映画と人々の関わり方や、歴史の記憶の中における我々の世代の青春や映画への夢に対して、共感していただけると思います」と続け、最後に「この映画がみなさんの心の中の何かに触れ、考えるきっかけになればと願っています。ありがとうございます」と語りかけています。
映画「ワン・セカンド 永遠の24フレーム」は、砂漠のシーンに始まって、砂漠のシーンで終わります。「中国って、こんなに砂漠があったっけ?」と驚きましたが、地球全体が砂漠化していることを言いたかったのかもしれません。文化大革命時代の中国で、フィルムの中にたった1秒だけ映されているという娘の姿を追い求める父親。幼い弟との貧しい暮らしを懸命に生き抜こうとする孤独な少女。交わるはずのなかった二人が激動の時代の中で運命的に出会い、思いがけない方向へと人生が進んでいくさまが描かれています。最後近くに「フィルムが砂漠にのまれていく」重要なシーンが登場しますが、そこにはチャン・イーモウ監督のさまざまな思いが込められていました。
『死を乗り越える映画ガイド』(現代書林)
それにしても、たったの1秒だけスクリーンに映し出される娘の姿を観たいと願う父親の気持ちには泣かされます。その娘が生きているのか、死んでいるのか、彼ら父娘は再会できたのか・・・・・・それは、映画を観ただけではわかりません。わかるのは、間違いなく彼の娘の姿がフィルムの24フレームに刻まれ、1秒だけスクリーンに投影されたことです。拙著『死を乗り越える映画ガイド』(現代書林)では、古代の宗教儀式は洞窟の中で生まれたという説を紹介しました。洞窟も映画館も暗闇の世界です。暗闇の世界の中に入っていくためにはオープニング・ロゴという儀式、そして暗闇から出て現実世界に戻るにはエンドロールという儀式が必要とされるのかもしれません。そして、映画館という洞窟の内部において、わたしたちは臨死体験をするように思います。なぜなら、映画館の中で闇を見るのではなく、わたしたち自身が闇の中からスクリーンに映し出される光を見るからです。闇とは「死」の世界であり、光とは「生」の世界です。つまり、闇から光を見るというのは、死者が生者の世界を覗き見るという行為にほかならないのです。映画館に入るたびに、観客は死の世界に足を踏み入れ、臨死体験するわけです。わたし自身、映画館で映画を観るたびに、死ぬのが怖くなくなる感覚を得るのですが、それもそのはず。わたしは、映画館を訪れるたびに死者となっているからです。
『死を乗り越える映画ガイド』において、わたしは、すべての人間の文化の根底には「死者との交流」という目的があり、映画そのものは「死者との再会」という人類普遍の願いを実現するメディアでもあるとも述べました。そう、映画を観れば、今は亡き好きな俳優に再会することができます。最近、一条真也の映画館「オードリー・ヘプバーン」で紹介したドキュメンタリー映画を観て、映画で死者と再会できることを再確認しました。この映画で、"永遠の妖精"と呼ばれたオードリーが幼少期に経験した父親による裏切り、ナチス占領下のオランダという過酷な環境で育った過去のトラウマ、奪われたバレエダンサーへの夢、幾度の離婚などが紹介され辛い気持ちになりましたが、劇中に登場した「ローマの休日」「麗しのサブリナ」「ティファニーで朝食を」「マイ・フェア・レディ」などの数々の名作の名場面を観ていると、「ああ、いまでもオードリーは生きている。いや、スクリーンの中で彼女は永遠に生きている」と実感できました。そういえば、「オードリー・ヘプバーン」を観たのは「ワン・セカンド 永遠の24フレーム」と同じTOHOシネマズシャンテでした。
「ローマの休日」の主演二人
オードリー・ヘプバーンの多くの出演映画の中で、やはり最高の代表作といえるのは彼女のハリウッド・デビュー作である「ローマの休日」(1953年)でしょう。オードリーのアン王女役は、まばゆいように新鮮です。相手役の新聞記者ブラッドリーは、当時のハリウッドを代表する俳優グレゴリー・ペックが演じました。「ローマの休日」と言う名作の素晴らしさ は、相手を思いやる気持ちが随所に出ているところです。中でも特に世界中の観客を感動させたのは、アン王女が記者会見場で各社の記者と接見した後に、階段を上り終えて止まる場面です。無言で見つめ合う二人の表情を見るだけで、今でも涙が出てきます。アン王女を演じたオードリーも素晴らしいですが、ブラッドリーを演じたグレゴリーも素晴らしい。グレゴリー・ペックは誠実な性格で知られ、多くの人々から慕われたそうです。また、オードリーとは恋愛関係にはなりませんでしたが、生涯、固い絆で結ばれていた同志的関係だったそうです。なんだか素敵ですね!
じつは、わたしは最近、ある映画通の方から、「グレゴリー・ペックに似ていますね。ただし、『ローマの休日』のときの」と言われました。わたしは本当に驚き、かつ困惑しました。わたしが「からかわないで下さいよ」と言うと、その方は「いいえ、近くの方に聞いてみてください。きっと、グレゴリー・ペックに似ていると言いますよ」とまで言うのです。そんなわけで、ここ数日、グレゴリー・ペックのことばかり考えていたら、なんと「ワン・セカンド 永遠の24フレーム」の劇中映画の最後にグレゴリー・ペックにそっくりの中国人俳優が登場して仰天しました。なんだか、スクリーンの中から「ついに、お前もグレゴリー・ペックに似ていることに気づいたね」と語りかけられているようでドキドキしました。街を歩いていても、道行く人がみんな「あの人は、マスクを外したら、きっとグレゴリー・ペックに似ているよ」と思っているような気がして落ち着きません。そのことを「出版寅さん」こと内海準二さんに話したところ、内海さんはただ笑うだけでした。ああ、わたしはグレゴリー・ペックに似ているのでしょうか? それとも、「似ていますね」と言った人から、からかわれただけなのでしょうか?
似てるかな?(もちろん、フェイク写真です)