No.595


 シネスイッチ銀座で2021年のフランス&ベルギー&ドイツ&スウェーデン合作映画「ベルイマン島にて」を観ました。物語の起伏が少なくてネットでの評価は高くはありませんが、わたしには面白い作品でした。観客は高齢の御婦人が多く、いろんな意味でシネスイッチ銀座らしい映画でしたね。

 ヤフー映画の「解説」には、こう書かれています。
「イングマール・ベルイマン監督が暮らした島を舞台に描くヒューマンドラマ。スランプに陥った映画監督のカップルがスウェーデンを訪れ、何とか現状を打破しようとする。メガホンを取ったのは『未来よ こんにちは』などのミア・ハンセン=ラヴ。『ファントム・スレッド』などのヴィッキー・クリープス、『海の上のピアニスト』などのティム・ロス、『イノセント・ガーデン』などのミア・ワシコウスカ、『サマーフィーリング』などのアンデルシュ・ダニエルセン・リーらが出演する」

 ヤフー映画の「あらすじ」は、以下の通りです。
「映画監督同士のカップル、クリス(ヴィッキー・クリープス)とトニー(ティム・ロス)は、アメリカからスウェーデンのフォーレ島にやって来る。創作活動も夫婦関係もマンネリ気味の二人は、数々のイングマール・ベルイマン監督作品の舞台となった島でひと夏を過ごし、インスピレーションを得ようとする。監督としてまだ駆け出しのクリスは、自身の初恋を基にした脚本の執筆に取り掛かる。

 アメリカの映画監督同士の夫婦がやってきたスウェーデンのフォーレ島は、巨匠イングマル・ベルイマンの多くの映画の舞台です。島全体がベルイマンを売りにしていて、「ベルイマン映画祭」やバスによる撮影地ツアー「ベルイマン・サファリ」が催されています。そんな島で、スランプ気味の妻クリス(ヴィッキー・クリープス)は、年上の夫トニー(ティム・ロス)に、次作の構想について語り出します。夫婦の間には娘が1人いますが、年齢が離れていることもあり、おそらくはセックスレスで妻には性的不満があり、一方の夫は密かにSMに憧れているという、すれ違いの人生を送っています。物語は、「フォーレ島を実際に訪れている夫婦の現実」「クリスのプロットの再現映像」「クリスのプロットの映画撮影場面の脳内妄想」という三層構造になっています。そのため、ときどき、「あれ、これは現実かな?」という場面もありました。いま流行のマルチバースではありませんが、異なった時空が同時に存在しているような気分になり、特にクリスの脳内妄想によって次第に魔術的な雰囲気になってきます。

 魔術といえば、わたしはイギリスの作家ジョン・ファウルズが書いた『魔術師』という小説を連想しました。澁澤龍彦・橋本治・石原慎太郎・村上春樹といった、まったくカラーの違う作家たちが絶賛した愛読書ですが、やはり島を舞台にしています。原題は「THE MAGUS」といいますが、1968年にガイ・グリーン監督が映画化し、ファウルズ自身が脚本を書きました。「怪奇と幻想の島」という超ベタな日本語タイトルが付けられていましたが、マイケル・ケインとアンソニー・クインという2大オスカー俳優が競演しており、傑作でした。ロンドンからギリシャの小さな島にやって来た英語教師のニコラス。ある日、砂浜で1冊の本を拾った彼は、持ち主を探すうちに浜辺の屋敷にたどり着きます。そこで自分を霊能者と名乗る謎の男モーリスと出会い、彼の不可解な話に次第に関心を持つようになったニコラスは、週末を屋敷で過ごすようになります。だが、そこでは死んだはずのモーリスの婚約者が現れるなど、奇妙な出来事が次々と起こるのでした。

「ベルイマン島にて」に話を戻します。フォーレ島はベルイマン夫妻が終の棲家とした場所であり、島には夫妻の墓もあります。ベルイマンには9人もの子がいましたが、育児はすべて妻に任せて、生涯を50本もの映画作りに捧げました。妻に先立たれたベルイマンは幽霊や死後の世界を信じるようになったといいます。自宅では亡き妻の幽霊も見ていたようですが、わ多死はちょうどこの日に読んだ『世界のオカルト遺産調べてきました』松岡信宏著(彩図社)という本に「現代科学の観点からは、幽霊は生きた人間の脳が生み出す本物のような幻という方向に傾いているようだ」というくだりがあり、それを思い出しました。幽霊とは、死者の亡霊というより、生きた人間の側が何らかの手段で過去の情報を読み取っているというのです。わたしは、もしかすると、「ベルイマン島にて」に出てくる妻のクリス自身が今は亡き人の生前の幻ではないかという疑念が最後の最後に湧いてきて、クリスの墓が登場するような気がしていたのですが、それだとこの映画は完全にホラーになってしまいます。しかしながら、娘がフォーレ島を訪れるラストシーンですべては明らかになりました。

 夫のトニーを演じたティム・ロスは現在61歳とのことで、さすがに「老けたなあ」といった感じでした。彼は「海の上のピアニスト」(1998年)に主演したことで知られます。「海の上のピアニスト」は、ジュゼッペ・トルナトーレ監督と映画音楽 の巨匠エンニオ・モリコーネがタッグを組み、伝説のピアニストの半生を感動的に描いた人間ドラマです。1900年、大西洋上を行く客船の中で生後間もない赤ん坊が見つかりました。その子供は、生まれた年にちなんで"ナインティーン・ハンドレッド"と名付けられますが、船内のダンスホールでピアノを聞いて育つうちに、驚くべき才能を発揮するようになります。このピアニストの数奇な人生をティム・ロスは見事に演じましたが、一条真也の映画館「ニューシネマ・パラダイス」「鑑定士と顔のない依頼人」「ある天文学者の恋文」と同じくエンニオ・モリコーネの監督作品でしたが、わたしは彼の映画は基本的に変態映画だと思っており、あまり認めておりません。悪しからず。

 一方、妻のクリスを演じたのはヴィッキー・クリープスです。最近では、ブログ「オールド」で紹介したマイケル・ナイトシャマラン監督のホラー映画の母親役でも出演していましたが、彼女の代表作はやはり一条真也の映画館「ファントム・スレッド」で紹介したポール・トーマス・アンダーソン監督の映画でしょう。1950年代のロンドン。仕立屋のレイノルズ・ウッドコック(ダニエル・デイ=ルイス)は、英国ファッション界で名の知れた存在だった。ある日、ウエイトレスのアルマ(ヴィッキー・クリープス)と出会った彼は、彼女をミューズとしてファッションの世界に引き入れる。しかし、アルマの存在が規則正しかったレイノルズの日常を変えていくのでした。この「ファントム・スレッド」と老人と若い娘の恋愛物語でしたが、「ベルイマン島」の夫婦もそれに近いものがあります。なにしろティム・ロスが61歳なのに比べて、ヴィッキー・クリープスは当年38歳なのです。映画には彼女の下着姿もたくさん登場しますが、なかなかセクシーでした。

 さて、「ベルイマン島にて」の最大のテーマは、その名の通り、イングマール・ベルイマンでしょう。1918年生まれ、2007年没のスウェーデンの映画監督、脚本家、舞台演出家です。「神の沈黙」「愛と憎悪」「生と死」などを主要なモチーフに、映画史に残る数多くの名作を発表しました。現在の若い映画ファンにはあまり馴染みのない名前かもしれませんが、間違いなく20世紀を代表する映画監督の1人です。デンマークの映画監督であるビレ・アウグストは、黒澤明とフェデリコ・フェリーニに並ぶ三大映画監督として、ベルイマンの名前を挙げています。また、ウディ・アレンやクシシュトフ・キェシロフスキなど、ベルイマンに影響を受けたと告白する映画監督は枚挙に暇がありません。この日、シネスイッチ銀座に集っていた高齢の御婦人方は、若き日にベルイマンにはまったシネフィルとお見受けしました。かく言うわたしも、ベルイマンの映画はほぼ全作品を観ており、DVDも持っています。「ベルイマン島にて」は、ベルイマン映画の復習としても楽しむことができました。

わがベルイマン映画DVDコレクション