No.677


 福岡市を訪れ、市内の自社施設を視察しました。その夜はKBCシネマでブラジル映画「ピンク・クラウド」を観ました。ブラジル映画を観たのはおそらく初めてですが、なんともいえぬ重い内容でした。最後の最後まで救いのない映画でしたね。2019年の作品ですが、コロナ禍を見事に予言していたのには驚くしかありません。
 
 ヤフー映画の「解説」には、こう書かれています。
「毒性を持つピンク色の雲に突如として覆われた世界を舞台に、家の外に出られなくなった人々の姿を描くSFスリラー。終わりの見えない共同生活を余儀なくされたカップルを、ヘナタ・ジ・レリスとエドゥアルド・メンドンサが演じる。監督・脚本は短編などに携わってきたイウリ・ゲホバージ。新型コロナウイルスの世界的流行以前に構想、撮影されていたが、パンデミックによるロックダウンを予見したかのようなストーリーが展開する本作は、サンダンス映画祭などで上映された」
 
 ヤフー映画の「あらすじ」は、「触れると10秒で死に至るピンク色をした謎の雲が出現し、外出制限で人々は家から一歩も出られなくなってしまう。そんなとき、一夜を共にしていたジョヴァナ(ヘナタ・ジ・レリス)とヤーゴ(エドゥアルド・メンドンサ)は、窓を閉め切って家に引きこもる。月日が流れても事態は一向に好転せず、見知らぬ他人であった二人の間に息子リノが誕生。ロックダウン以前の生活を知らない彼は部屋の中だけで何不自由なく暮らし、ヤーゴも新しい生活に順応していたが、ジョヴァナの内に生じたゆがみは大きくなっていく」です。
 
 この映画の冒頭には、「この作品は2017年に脚本が書かれ、2019年に映画に完成した。現実との符号は偶然である」という一文がスクリーンに映ります。振れると10秒で死に至るというピンク色の雲の出現によって、世界中の人々が外出を制限され、ロックダウンに入ります。この映画はディストピアSFとして作られていますが、新型コロナウイルスの感染拡大による自粛生活を体験したわたしたちから見ると、まったくリアルな物語です。この3年で、このような事態が起こり得ることが「想定外」から「想定内」へと変わってしまったのです。改めて、凄いことだと思います。この映画は外に出られないというストレスがどのように人の精神に影響を与えていくのかを描いていますが、そのストーリーは、緊急事態宣言中の生活を知っているわたしたちにはリアルです。
 
 新型コロナウイルスの感染拡大は、わたしを含めて、あらゆる人々のすべての「予定」を奪いました。緊急事態宣言は解除され、自由に外出もできるようになりましたが、まだ終息したわけではありません。将来、完全にコロナ前の日常が戻ってきたとしても、絶対に忘れてはならないことがあると思います。それは、今回のパンデミックで卒業式や入学式という、人生で唯一のセレモニーを経験できなかった生徒や学生たちの不安、一世一代の結婚式をどうしても延期しなければならなかった新郎新婦の無念、故人の最期に面会もできずご遺体にも会えなかった遺族の方々の絶望の涙、コロナによる肺炎で亡くなった方々の通夜も告別式も行えなかったご遺族の悲嘆などです。
 
 映画「ピンク・クラウド」はコロナ禍前に作られたコロナ禍を予言したようなロックダウン人間ドラマです。わたし自身は外出自粛が続く日々の中で、社員や友人たちと、LINEで互いに励まし合いました。そして、これまでの人生の中で、最も家族と語り合う時間も持てました。しかし、「ピンク・クラウド」で描かれる長期にわたるロックダウンは人々の心を疲弊させ、壊し、破滅への道へと追い詰めます。パンデミックの経験者として多くの観客が思うことは、「ピンク・クラウド」のロックダウン生活における細部のリアリティの薄さです。どうやって日々の食糧や生活用品を調達していたのか? 映画の冒頭で一瞬登場したドローンを活用したとしても、完全に外出できない世界で農業や漁業を含めた経済活動はどうしていたのか? 常備薬が必要な人々に薬を出す医療機関はどのように運営していたのか? ツッコミどころは多すぎます。
 
 映画「ピンク・クラウド」を観て、わたしは一条真也の読書館『紫の雲』で紹介した本を思い出しました。2020年の7月、緊急事態宣言の期間中に読んだ本です。原題の‟The Purple Cloud"を直訳したこのタイトルを見て、ギョッとしたサンレー関係者も多いことでしょう。なぜなら、わが社は「紫雲閣」という名前の施設を各地で展開しているからです。「『紫の雲』とは、どんな本なのか?」というと、1901年に発表された幻想文学です。ずばり言うと、猛毒のパープル・クラウドによって人類が滅亡する物語です。古典SFと言うべきでしょう。
 
 著者のM・P ・シール(Matthew Phipps Shiell)はイギリスの作家です。1865年、西インド諸島モントセラット生まれ。20歳で渡英し、教師、通訳などの職業のかたわら小説を書きました。1895年、短篇小説「ユグナンの妻」で小説家としてデビュー。以降、数々の怪奇幻想小説や冒険小説、本書『紫の雲』をはじめとするSFの先駆的作品を手掛けました。H・G・ウェルズ(1866年―1946年)とは完全な同時代人で、シールはウェルズより1年早く生まれ、ウェルズが死去した1年後の1947年に死去しました。代表作である『紫の雲』には『海の主』『最後の奇蹟』という続編があり、三部作を成しています。
 
『紫の雲』三部作は、人類が滅亡した仮想世界の物語です。わたしは小松左京の『復活の日』を連想しました。同作では数少ない人類の生き残りは南極に移住しますが、『紫の雲』の主人公アダムは北極の極地に到達します。ネタバレを承知で書くと、「紫の雲」とはウイルスの王様(!)である可能性が高いのですが、「人類の滅亡」という重いテーマといい、リアルな死者の描写といい、『紫の雲』と『復活の日』は非常に似ています。もしかすると、小松左京は原書で『紫の雲』を読んでいたのかもしれません。ちなみに、『紫の雲』では世界中が死体だらけになりますが、「ピンク・クラウド」では人が亡くなると、「薬品で遺体を溶かしてトイレで流す」という恐ろしい会話がなされていました。現在、「直葬」や「0葬」といった薄葬が話題になっていますが、この発言からわたしは「溶葬」や「流葬」といった言葉が頭に浮かびました。映画の終盤では、ピンク色の雲が色を変えるシーンがあります。果たして、その色は紫なのかどうか? それを知りたい方は、ぜひ「ピンク・クラウド」をご覧下さい!
 
 最後に、「ピンク・クラウド」の上映前にKBCシネマで流れていた洋楽が耳にとまりました。昔よく耳にした心地よいメロディの曲でしたが、どうしてもタイトルが思い出せません。サビの"Words Don't Come Easy"というフレーズをもとに調べてみたら、なんとそれがタイトルでした。歌手はF.R. デイヴィッド。チュニジアのフェリーヴィル生まれのシンガー・ソング・ライターです。曲は1982年に大ヒットしたもので、邦題は「ワーズ」でした。当時19歳だったわたしはこの曲が大好きで、ウォークマン(当時発売されていたSONYの携帯カセットプレイヤー)に入れて、よく聴いていました。YouTubeにこの曲のミュージックビデオ(MV)があったので視聴しましたが、もう曲も映像も最高で涙が出るほど素晴らしかったです。ニューヨークのお花屋さんの青年がある女性に一目惚れするストーリーになっていますが、ラストの広々とした公園で2人が再会し、笑顔で語り合うシーンは感動的です。屋内の閉じこもって人に会えない「ロックダウン(Lockdown)」の反対語は、屋外で人々が集まって交流する「パーク(Park)」ではないかと思いましたね。まさに、「ピンク・クラウド」の対極にあるようなハートフルなMVでした♫