No.686


 東京に来ています。
 3月6日の午後、銀座で複数の打ち合わせをした後、シネスイッチ銀座でユニセフ・イタリア共同制作映画「丘の上の本屋さん」を観ました。地元で鑑賞することができない作品ですが、この映画だけはどうしても観たいと思っていました。84分のこの映画は素晴らしい傑作でした。現在のわたしの最大のテーマである「コンパッション」から始まって「ウェルビーイング」に至るハートフル・サイクルが描かれており、ラストでは感動のあまり涙が出ました。
 
 ヤフー映画の「解説」には、こう書かれています。
「本が年齢や国籍を越えて絆を育んでいく様子を描いたドラマ。小さな古書店を営む男性が、移民の少年に本を貸して読書の喜びを教えていく。メガホンを取るのは『ギリシャでの出来事』などのクラウディオ・ロッシ・マッシミ。『フォード vs フェラーリ』などのレモ・ジローネ、『これが私の人生設計』などのコラード・フォルトゥーナのほか、ディディー・ローレンツ・チュンブ、モーニ・オヴァディアらが出演する」
 
 ヤフー映画の「あらすじ」は、「イタリアにある村、チヴィテッラ・デル・トロント。リベロ(レモ・ジローネ)は、丘陵地帯を見下ろす丘の上に小さな古書店を構え、入れ代わり立ち代わり訪れる風変わりな客たちを温かく迎え入れている。あるとき、リベロは店の外から本を眺めている移民の少年エシエンに気付いて、彼に本を貸し与える。好奇心旺盛なエシエンはリベロが語る読書の素晴らしさに熱心に耳を傾け、彼と読んだ本の感想を語り合う。やがて彼らは、年齢や国籍を越えた友情を育む」です。
 
 チヴィテッラ・デル・トロントは、「イタリアで最も美しい村」と呼ばれているそうです。その村にある小さな古書店を営むリベロが、アフリカ移民の少年・エシエンに貸してあげた本は、ミッキーマウスの漫画本、『ピノッキオの冒険』、『イソップ寓話集』、『星の王子さま』、『白鯨』、『シュバイツァー自伝』『ドン・キホーテ』『ロビンソン・クルーソー』などですが、リベロが素晴らしい「本のソムリエ」であり、「人生の教師」であることがよくわかるブックリストだと思いました。
 
 借りた本を返すとき、リベロは必ず、エシエンの感想を求めます。たとえば、『ピノッキオの冒険』を読んだ彼の感想は、「狐と猫が面白かった」と言います。リベロが「悪役なのに?」と訊き返すと、エシエンは「土の中に入れておけばお金が増えるとピノッキオを騙すところが面白い」と言います。それを聴いたリベロは、「嘘つきは愛想が良いものだから、気をつけなければいけないよ」と優しく諭すのでした。『ピノッキオの冒険』は、イタリアの作家・カルロ・コッローディの児童文学作品です。「あやつり人形の物語」として1881年から1882年にかけて、週刊誌に連載されたものを改題し、1883年に最初の本が出版されました。以来、100年以上にわたって世界中の子どもたちに読み継がれています。

涙は世界で一番小さな海』(三五館)
 
 
 
 じつは、わたしは世界の児童文学の名作から「人間としてのルール」を抽出し、子ども向けの倫理の本を書く計画があります。弘文堂から刊行することが予定されており、いま書いているものの次に取りかかろうと思っています。拙著『涙は世界で一番小さな海』(三五館)で紹介したように、19世紀の後半は多くの児童文学の名作が生まれました。まずは、1860年代のイギリスでキングスレイが『水の子』を、ルイス・キャロルが『不思議の国のアリス』を、ジョージ・マクドナルドが『北風のうしろの国』を書きました。いずれも、ファンタジーの古典とされる名作です。アメリカでは、オルコットの『若草物語』が刊行されました。80年代にかけては、イギリスではスティーブンソンが『宝島』を書き、フランスではマロが『家なき子』を書き、イタリアではコッローディが『ピノッキオの冒険』を、アミーチスが『クオレ』を書き、アメリカでは国民作家であるマーク・トウェインが『トム・ソーヤーの冒険』を書きました。まさに児童文学のカンブリア爆発!
 
 こうして見ると、現在まで日本でも読みつがれてきた児童文学の名作がずらりと並んでいることがわかります。これらの作品がすべて1860~80年代に集中して誕生したことも興味深いですが、その源流にはアンデルセンという童話の王様がいました。アンデルセンといえば、『イソップ寓話集』『グリム童話集』と並んで『アンデルセン童話集』は「世界の三大童話」とされています。世界中の子どもたちが、これらの童話を両親から寝る前に読んでもらったり、また字をおぼえるやいなや自分で読んできました。日本でも、児童書といえば必ずこの3つの童話の名前があがります。映画「丘の上の本屋さん」では、リベロがエシエンに『イソップ寓話集』を貸します。そのとき、リベロは「作者はアフリカの人だから、きっと君と同じ肌の色だったと思うよ」と言って、エシエンの関心を惹きます。
 
 また、一条真也の読書館『星の王子さま』で紹介したサン=テグジュペリの永遠の名作童話もリベロからエシエンに貸し出されました。『星の王子さま』については、『涙は世界で一番小さな海』でも詳しく述べましたが、この本の感想をエシエンが語ったとき、象を吞み込んだウワバミを帽子と間違えた話に2人とも大笑いします。国籍や民族や世代までも超えて、本が人と人との「こころ」を繋げることを示した素敵なシーンでした。ちなみに、わたしは『星の王子さま』という大人のための童話の中には、ブッダ・孔子・ソクラテス・イエスの世界四大聖人のメッセージがすべて込められており、「こころの世界遺産」と呼ぶべき人類にとって最も重要な物語であると思っています。
 
 さらに、エシエンが医師志望だと知ると、アルベルト・シュヴァィツアーの伝記本を貸して「君は、この本を読まなきゃいけない。この人はアフリカの人々をたくさん救った立派な医師なんだ」と言葉を添えます。少年時代、こんな素晴らしい本のソムリエがいれば、人生はどれほど輝くことでしょうか。わたしは、中学・高校の頃に通った金栄堂やナガリ書店といった地元・小倉の書店(残念ながら、どちらも現存しません)の店主や店員さん、高校生の夏休みの度に訪れた東京・神保町の一誠堂書店や小宮山書店といった古書店主との会話を思い出しました。みなさん、わたしに多くの本を紹介してくれ、本の魅力というものを教えてくれました。アマゾンなど存在しなかった時代です。
 
 最後に、リベロは1冊の本をエシエンに渡します。「これは貸すんじゃなくて、君にあげる。とても大事な本だから、じっくり読んでほしい」と真剣な表情で言います。「あらゆる人には、幸福になる権利がある」とも述べます。ネタバレ覚悟で書くと、その本とは『世界人権宣言』でした。わたしは最後の本の題名が『世界人権宣言』だと分かった瞬間に感動してしまい、思わず落涙しました。世界人権宣言の第一条には、「すべての人間は、生れながらにして自由であり、かつ、尊厳と権利とについて平等である。人間は、理性と良心とを授けられており、互いに同胞の精神をもって行動しなければならない」と書かれています。そう、世界人権宣言は、人権および自由を尊重し確保するために、「すべての人民とすべての国とが達成すべき共通の基準」を宣言したものなのです。
 
 世界人権宣言は、人権の歴史においてきわまて重要な地位を占めています。そして、その根底には「コンパッション」の思想があると言えるでしょう。「コンパッション」を表現した世界人権宣言は、1948年に開催された第3回国連総会において採択されました。この1948年は、WHO(世界保健機関)が「ウェルビーイング」を初めて提唱した年でもあります。ともに第二次世界大戦の3年後に世に出た「世界人権宣言」と「ウェルビーング」は明らかに思想的根底が通じています。ともに、人類の最高の理想である「平和」と「平等」を志向しているのです。

 
 
 
 このように「コンパッション(思いやり)」から始まって、「スマイル(笑顔)」、「ハピネス(幸せ)」、そして「ウェルビーイング(持続的幸福)」へ至る「CSHW」のハートフル・サイクルが「丘の上の本屋さん」という映画には見事に描かれていて、大変感動しました。ハートフル・サイクルを回すためには、「心のゆたかさ」が必要ですが、そのために読書と映画が重要な役割を果たします。読書をテーマにした映画は多いですが、「丘の上の本屋さん」ほど読書と映画が幸福な結婚を果たした作品を他に知りません。映画の最後には、「わたしを本に囲まれた環境で育ててくれた両親に感謝する」という作者の言葉が紹介されましたが、わたしもまったく同じ言葉でわが両親に感謝したいと思います。

心ゆたかな読書』と『心ゆたかな映画