No.685
3月4日、羽田空港からスターフライヤーで北九州に戻りました。そのまま サンレー本社で複数の打ち合わせをした後、夜はシネプレックス小倉で映画「フェイブルマンズ」を観ました。第95回アカデミー賞に主要含む7部門ノミネートされたスティーヴン・スピルバーグ監督の最新作です。地味な内容ながらも映画愛に溢れていました。
ヤフー映画の「解説」には、「『E.T.』など数多くの傑作を生み出したスティーヴン・スピルバーグ監督の自伝的作品。映画に心を奪われた少年がさまざまな人々との出会いを通じて成長し、映画監督になる夢を追い求める。『デッド・シャック~僕たちゾンビ・バスターズ!~』などのガブリエル・ラベル、『マンチェスター・バイ・ザ・シー』などのミシェル・ウィリアムズ、『ルビー・スパークス』などのポール・ダノのほか、セス・ローゲン、ジャド・ハーシュらが出演。第47回トロント国際映画祭で最高賞に当たる観客賞を受賞した」と書かれています。
ヤフー映画の「あらすじ」は、「初めて訪れた映画館で映画に魅了された少年サミー・フェイブルマン(ガブリエル・ラベル)。その後彼は8ミリカメラを手に、家族の行事や旅行などを撮影したり、妹や友人たちが登場する作品を制作したりするなど、映画監督になる夢を膨らませていく。母親(ミシェル・ウィリアムズ)が応援してくれる一方で、父親(ポール・ダノ)は彼の夢を本気にしていなかった。サミーはそんな両親の間で葛藤しながら、さまざまな人々との出会いを経て成長する」となっています。
あのスティーヴン・スピルバーグ監督の自伝的作品というからには、彼の映画と同じくドラマティックな展開が繰り広げられるかと思っていました。しかしながら、意外と地味というか、淡々と物語が進行していきました。スピルバーグが生んだ名作の数々が登場するわけでもなく、彼が映画界に足を踏み入れたところまでが描かれています。「すべての映画はグリーフケア映画である」と考えているわたしですが、この映画は正真正銘のグリーフケア映画でした。主人公サミーは、ユダヤ人差別、いじめ、母親の浮気、両親の離婚、そして失恋といったさまざまなグリーフを抱え込みますが、彼の映画製作という営みにはそれらのグリーフをケアするという意味合いがあったからです。
サミー少年が最初に映画館を訪れ、観た映画は「地上最大のショウ」(1952年)でした。サミーは、この映画の列車と乗用車の衝突シーンに大変なショックを受け、映画への関心を一気に高めます。巨匠セシル・B・デミル監督のアカデミー賞作品賞受賞のスペクタクル映画ですが、チャールトン・ヘストンをはじめとするオールスター・キャストと、リング・リング・サーカスとバーナム・ベイリー・サーカスの熟練の曲芸師たちが、手に汗握るスリルと興奮の数々をスクリーン狭しと披露します。父親は、サミーに「1秒間に24の静止画がある」と映画の秘密を科学的に説明します。呆然とした表情でスクリーンを見上げるサミー少年の表情から、わたしが初めて映画館に行ったときのことを思い出しました。わたしは4歳のときに、父に連れられて行った小倉の映画館で大映映画「大怪獣空中戦 ガメラ対ギャオス」(1967年)を観たのが初の映画館体験でした。それから、数え切れないほどの数の映画を劇場で観ることになります。
「地上最大のショウ」はわたしも大好きな作品ですが、あのジェームズ・ステュアートが、終始白塗りメイクの道化師姿だったのが非常に印象的でした。彼の背負う過去の設定とか、ラストの彼の勇敢な決断および行動にも心を揺さぶられました。ジェームズ・ステュアートといえば、ランス・ストッダート役を演じた「リバティ・バランスを討った男」(1962年)も「フェイブルマンズ」に登場していました。「リバティ・バランスを討った男」はモンタナ州立大学教授ドロシー・M・ジョンソンが書いた同名小説を映画化した異色西部劇映画です。ジョン・ウェインとジョン・フォードがコンビで製作した最後の西部劇映画でもあります。「フェイブルマンズ」の最後には、"西部劇の神様"であるジョン・フォード監督がサミーに映画製作のアドバイスをするシーンが出てきます。
「地上最大のショウ」の列車と乗用車の衝突シーンが頭から離れないサミーは、自分でもショッキングな映像を撮影しようとします。彼には3人の妹がいましたが、彼女たちを自分の映画に出演させ、さまざまな怖い目に遭わせます。現在でいうスプラッター・ムービーのような血まみれの映像も撮られました。妹たちにしてみれば、たまったものではありません。でも、スピルバーグが次々に世に送り出してきた名作映画の数々の原点が少年時代にあったとするならば、映画史において、3人の妹たちの役割は大きかったと言えるでしょう。
「フェイブルマンズ」では、スピルバーグの少年時代の実家が忠実に再現されているそうです。わたしは、これまで何度も映画というメディアの本質は「時間を超える」ことであり、それゆえに無数のタイムトラベル映画が作られてきたと述べてきました。時間を超えるという映画の本質は「フェイブルマンズ」においては、昔の空間をリアルに再現することによって、より高密度のタイムトラベル感が味わえます。そして、そのタイムトラベル感を最も堪能する者といえば、なんといってもスピルバーグ本人です。自分が幼い頃を過ごした思い出の家が忠実に再現されたときの彼の驚きと喜びの大きさは如何ばかりだったでしょうか?
「フェイブルマンズ」には、さまざまなグリーフが描かれます。まず、フェイブルマン一家はユダヤ人であるにもかかわらずキリスト教のコミュニティの中で生活しようとするため、子どもたちは差別・いじめに遭います。それも辛い経験ですが、サミーにとって何よりも辛かったのは、母親が父親の親友に心を奪われていることでした。思春期の少年にとって、愛する母親が人の道に外れるさまを目にするのは大きなグリーフとなります。結果、両親は離婚してしまいますが、このときのグリーフが後のスピルバーグ作品に与えた影響を考えると興味深いものがあります。
『ユダヤ教vsキリスト教vsイスラム教』
「フェイブルマンズ」では、戦後のアメリカ社会におけるユダヤ人差別の実態が描かれており、非常に興味深かったです。なぜ、キリスト教徒はユダヤ人を差別・虐待するのか? それは、救世主イエス・キリストを殺したのがユダヤ人であるからです。『ユダヤ教vsキリスト教vsイスラム教』(だいわ文庫)に詳しく書いたように、キリスト紀元の最初の1000年間で、ヨーロッパのキリスト教徒(カトリック)階層のリーダーたちは、 すべてのユダヤ人はキリストの処刑の責任を負いました。
キリスト教徒たちは、ローマ人による神殿の破壊とユダヤ人が分散しているのは、過去の宗教上の罪と、ユダヤ人が自分たちの信仰を放棄してキリスト教信仰を受け入れなかったことに対する罰であるという教義を発展させました。そして、それを固定化させたのです。「フェイブルマンズ」の中で、ハイスクールの生徒たちがサミーを取り囲み、「キリストを殺害したことを謝罪しろ!」と迫ったとき、サミーは「ぼくは2000歳じゃないし、ローマ人でもないから謝罪はしない」と言いましたが、わたしは「この言葉には、ユダヤ人の2000年にわたるグリーフが込められている」と思い、胸が痛みました。
「最も長い歴史を持つ嫌悪」と呼ばれる反ユダヤ主義は、2000年以上もの間、さまざまな形態で続いています。 国家社会主義者(ナチス)による人種的反ユダヤ主義は、ユダヤ人に対する嫌悪を極端なジェノサイドにまで発展させました。一方、ホロコーストは言葉や考え方( 固定観念、悪意のある風刺画、徐々に広がる嫌悪)と共に始まりました。その悪夢をスピルバーグは、「シンドラーのリスト」(1993年)で再現しました。この作品は、ナチスによるユダヤ人大虐殺から多くの命を救った実在のドイツ人実業家オスカー・シンドラーを描いた名作です。リーアム・ニーソンが主演を務め、レイフ・ファインズ、ベン・キングズレーが共演。第66回アカデミー賞で作品賞など7部門を受賞し、スピルバーグは初の監督賞を獲得。
「フェイブルマンズ」の最後はハリウッドで働き始めたサミーが生き生きと映画かれていますが、「ハリウッドはユダヤ人が作った」と言われるほどユダヤの影響が強い場所でした。20世紀フォックス、パラマウント映画社、ワーナー・ブラザース社、コロンビア映画社、MGMスタジオなど、現在もメジャー作品を手掛けている映画会社が続々と設立されましたが、創設者は全員ユダヤ人でした。いわば、ハリウッドと葉「現代のエルサレム」であり、「フェイブルマンズ」のラストシーンの舞台になっていることはとても象徴的ですね。この映画は、一種の「ユダヤ教映画」として観ることもできると思いました。
「フェイブルマンズ」には、ジョン・ウイリアムズの音楽が使用されています。ジョン・タウナー・ウィリアムズは、1932年アメリカ合衆国ニューヨーク生まれの作曲家、指揮者、ピアニストです。これまでにグラミー賞25回、英国アカデミー賞7回、アカデミー賞5回、ゴールデングローブ賞4回を受賞しています。アカデミー賞には52回ノミネートされており、ウォルト・ディズニーに次いで2番目に多いとか。これまでに「ジョーズ」、「未知との遭遇」、「E.T.」、「インディ・ジョーンズ」、「ジュラシック・パーク」、「シンドラーのリスト」といったスピルバーグ作品をはじめ、「スター・ウォーズ」、「スーパーマン」、「ホーム・アローン」「ハリー・ポッター」といった映画史に残る大ヒット作を中心にの多くの映画音楽を作曲しています。
1946年生まれのスピルバーグは、現在76歳。アメリカ映画アカデミー会員で、大英帝国勲章(KBE) 受章。フォーブスの「アメリカで最も裕福なセレブリティ」2位の人物でもあります。2018年には総興行収入が100億ドル(約1兆728億円)を超えた初めての映画監督となりました。要するに、映画の歴史の中で最大の成功者といえる人物がスピルバーグなのです。そんな彼の自伝映画は、映画愛には溢れてはいるものの、感動の名作かというと、150分の長編でありながら、それほどのインパクトは感じられません。正直、わたしはもっと心を動かされる内容を期待していたので拍子抜けでした。
一条真也の映画館「エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス」で紹介した映画ほど酷くはありませんが、アカデミー賞の作品賞ノミネート作品としては物足りないと思いました。わたしは、ノミネート作品をすべて観たわけではありませんが、作品賞はやはり一条真也の映画館「トップガン マーヴェリック」で紹介したトム・クルーズの主演映画に与えるべきだと思います。次は、一条真也の映画館「逆転のトライアングル」で紹介した映画でしょうか? いずれにせよ、世紀の駄作であるエブエブだけはやめていただきたい!