No.699


 4月8日、シネプレックス小倉で映画「AIR/エア」を鑑賞。有名企業のサクセス・ストーリーということで経営者の端くれとして興味を持ちましたが、テンポが良くて一気に上映時間が過ぎました。以前、NHKで放送されていた「プロジェクトX」みたいな印象でしたが、面白かった!
 
 ヤフー映画の「解説」には、こう書かれています。
「『グッド・ウィル・ハンティング/旅立ち』などのベン・アフレックとマット・デイモンが共演し、ナイキのシューズ『エア ジョーダン』の誕生秘話を描いたドラマ。1984年、経営難だったナイキのバスケットボール部門の担当者が、NBAデビュー前の新人選手マイケル・ジョーダンに一発逆転を賭けた取引を持ちかける。監督をアフレックが務め、ジェイソン・ベイトマンやヴィオラ・デイヴィスなどが共演する」
 
 ヤフー映画の「解説」には、こう書かれています。
「1984年。経営難に陥ったナイキで、ソニー・ヴァッカロ(マット・デイモン)はCEOのフィル・ナイト(ベン・アフレック)にバスケットボール部門の立て直しを命じられる。マイケル・ジョーダンというまだNBAデビュー前の新人選手に目を付けたソニーは、周りに反対されながらも彼に社運を賭けた依頼をする」
 
 この映画、「映画を愛する美女」こと映画コラムニストのアキさんが試写会で観て感動したそうです。わたしはアキさんのオススメ映画は必ず観るようにしているので、バスケットボールにもナイキにもまったく関心がありませんでしたが、この映画を鑑賞いたしました。完成したナイキのシューズ「エア ジョーダン」を前にして、マット・デイモンが演じるソニー・ヴァッカロが「これは、ただの靴だ。でも、履く人物によって意味が生まれる」というセリフが印象的でした。昨年の夏、ある人がおニューの靴を初めて履く瞬間を見たことがあります。けっこう高価な靴ではありましたが、ただの靴です。でも、その人が履くことによって一気に世界がキラキラと輝き出したのでした。
 
 それにしても、ナイキの経営が苦境に陥っていたなんて初めて知りました。映画では、アディダスやコンバースに押されていたようですね。映画の中でのソニーの発言で、アディダスの創業者がナチスの信奉者だったというエピソードが披露されましたが、これには驚きました。わたし自身は、学生時代にコンバースを履いていました。しかし、エアジョーダンが発売されてからはナイキがバスケットシューズ業界の王者になりました。「エア」は同社が有するソール用のエアクッション技術を用いた運動靴シリーズであることを意味し、シリーズ名としての「ジョーダン」はNBA選手マイケル・ジョーダンとのコラボレーションであることを意味しています。また、マイケル・ジョーダンのニックネームがもともと"エア"であった(ジャンプの滞空時間が長かったことによる)ことともかけています。
 
 マイケル・ジェフリー・ジョーダンは、1963年2月17日に誕生。なんと、わたしと同じ年に生まれていました。彼は、アメリカ合衆国のプロバスケットボール選手経験者及びマイナーリーグ(AA)の右打右投の外野手経験者で、実業家です。MJの愛称で知られるジョーダンはNBA公式サイトでは「史上最高のバスケットボール選手」と述べられるとともに、人間離れした動きや実績から「バスケットボールの神様」とも評されています。1980年代と1990年代にNBAの世界的ブームを牽引した最も重要な人物であり、バスケットボールのみならず、スポーツというカテゴリにおいて世界的な文化のアイコンとなりました。現在はNBAのシャーロット・ホーネッツとNASCARカップ・シリーズの23XIレーシング(英語版)の筆頭オーナー兼会長であり、NASCARカップ・シリーズにも参戦しています。
 
 マイケル・ジョーダンは、15年間の選手生活の中で得点王10回、年間最多得点11回、平均得点は30.12点でNBA歴代1位、通算得点は32292点で歴代5位。1990年代にシカゴ・ブルズを6度の優勝に導き、5度のシーズンMVP、6度のファイナルMVP受賞。また、一九八四年のロサンゼルスオリンピックと、1992年のバルセロナオリンピックにおいてアメリカ代表(ドリームチーム)の一員として2度にわたり金メダルを獲得しました。現役時代の背番号23はシカゴ・ブルズ、マイアミ・ヒート、ノースカロライナ大学の永久欠番。1996」年、NBA50周年を記念したNBA50周年記念オールタイムチームと75周年を記念した75周年記念チームの1人に選出。2009年にはバスケットボール殿堂入り。
 
 マイケル・ジョーダンは、その跳躍力から「Air Jordan」や「His Airness」という愛称で呼ばれました。フォーブスのスポーツ選手長者番付1位を6回獲得し、2020年時点の純資産は21億ドルとされます。フォーブスの「アメリカで最も裕福なセレブリティ」にて4位であり、「世界で最も裕福な元スポーツ選手」とされています。3連覇達成後シーズンオフの1993年7月23日、不慮の事件で父親を失ったジョーダンは、突如引退を表明。その後、彼は突如として野球への転向を表明。家族が住む地元シカゴのシカゴ・ホワイトソックスのキャンプに参加しました。多くのファンはマイケルが父親を殺害されたグリーフを紛らわせるため子供の頃のもう一つの夢を追求したのだと解釈し、ジョーダン自身も「最初の優勝の後に父親と約束した夢」だと述べています。
 
 マイケル・ジョーダンがいかにNBAいやアメリカのプロスポーツ界におけるスーパースターであったかを想像するなら、日本人はMBLの大谷翔平をイメージするとよいかもしれません。投手としても打者としても活躍する「二刀流」の選手である彼は、2018年のシーズンからMBLで投打にわたり活動し、日本人史上4人目の新人王を受賞。2021年シーズンでは、2001年のイチロー以来となる日本人史上2人目(アジア人史上でも2人目)のシーズンMVPとシルバースラッガー賞を受賞しています。2022年8月9日、メジャーリーグではベーブ・ルース以来約104年ぶりとなる、二桁勝利・二桁本塁打を達成。2022年10月5日、MLBで投手打者の両方で規定回に達した初めての選手となりました。2023年のワールド・ベースボール・クラシック (WBC)では、日本代表のエース兼打者として活躍し、WBC史上初の2部門(投手部門・指名打者部門)でのオールWBCチームに選ばれた上にMVPを受賞しています。
 
 大谷翔平が日本人の夢の結晶であるように、マイケル・ジョーダンはアメリカ人の夢の結晶でした。高校時代は実績に恵まれなかった彼がNBAでスーパースターとなるさまは、まさに「アメリカン・ドリーム」そのものだったのです。映画の中で流れたブルース・スプリングスティーンの「BORN IN THE USA」こそは、そんな彼のテーマソングでした。彼は「神様」と呼ばれました。アメリカは建国以来200年あまりと歴史の浅い国です。そんなアメリカには神話がありません。神話とは宇宙の中における人間の位置づけを行うことであり、世界中の民族や国家は自らのアイデンティティーを確立するために神話を持っています。建国200年あまりで巨大化した神話なき国・アメリカは、さまざまな人種からなる他民族国家であり、統一国家としてのアイデンティー獲得のためにも、どうしても神話の代用品が必要でした。それが、映画であり、MLBやNBAなどのプロスポーツだったのです。

龍馬とカエサル』(三五館)
 
 
 
 映画「AIR/エア」におけるジョーダン・ファミリーへのナイキ社のプレゼンテーションの場面は興味深かったです。わたしも広告業界出身ですので、多くのプレゼンに立ち会ってきました。アディダスやコンバースといった強敵にナイキが勝利した理由には、2社に負けない契約金を用意し、さらにはエアジョーダンの利益をマイケル・ジョーダン本人に還元したことも大きかったでしょうが、何よりも自社のバスケット・シューズに「ジョーダン」名を付けたことが最大の勝因だったと思います。わたしは、『龍馬とカエサル』(三五館)の「名」の項に「人間にとって最も目に心地よい映像は自分の姿であり、最も耳に心地よく最も大切な響きを持つものは自分の名前です」と書いたことを思い出しました。
 
 アンドリュー・カーネギーは、アメリカの鉄鋼王として知られますが、本人は製鋼のことなどほとんど知りませんでした。鉄鋼王よりもはるかによく鋼鉄のことを知っている数百名の人を使っていたのです。では、なぜ、カーネギーは成功したのか。彼は人の扱い方を知っていたので、富豪になったのです。その墓碑銘に「己より賢明な人物を周辺に集めし男、ここに眠る」と刻まれた彼は、子どもの頃から、人を組織し、統率する才能を示していました。10歳のときにはすでに、人間というものは自分の名前に並々ならぬ関心を持つものだということを発見しており、この発見を利用して他人の協力を得ました。
 
 まだスコットランドにいた少年時代、ある日、彼はウサギを捕まえました。ところが、そのメスウサギは妊娠していて、間もなくたくさんの子ウサギで小屋が一杯になりました。すると、餌が足りません。彼は、近所の子どもたちに、ウサギの餌になる草をたくさん取ってきた者の名を子ウサギにつけるというアイディアを思いつきました。そして、この計画は見事に成功したのです。後年、この心理を事業に応用して、カーネギーは巨万の富をなしました。彼はペンシルヴァニア鉄道にレールを売り込もうとしていましたが、当時の鉄道の社長はエドガー・トムソンという人物でした。そこで、カーネギーはピッツバーグに巨大な製鉄所を建て、それに「エドガー・トムソン製鋼所」という名をつけたのです。ペンシルヴァニア鉄道会社がレールをどこから買いつけたかは言うまでもありません。
 
 また、カーネギーと宿敵ジョージ・プルマンは、ユニオン・パシフィック鉄道に寝台車を売り込もうとして、互いに相手の隙を狙い、採算を無視して泥仕合を演じていました。カーネギーはプルマンに両者の合併案を持ちかけました。互いに反目しあうより、提携した方がはるかに得策だと熱心に説いたのです。彼は新会社の名前をプルマン・パレス車輛会社にすると提案しました。プルマンの顔は急に輝き、世界の工業史に残る合併が実現しました。カーネギーは、自分の下で働く多数の労働者たちの名前を全部覚えていることを誇りにしていました。そして、彼が陣頭指揮を取っているあいだ、ストライキが一度も起こらなかったと自慢していたのです。日本でも、かの田中角栄は驚異的な人数の名前を覚えていたといいますが、成功者の必要条件と言えるでしょう。人の心を摑もうとするとき、名前の持つ力というのは非常に大きいのです。
 
 最後に、映画としての「AIR/エア」は、幼馴染だったマット・デイモンとベン・アフレックの共演が嬉しかったです。一条真也の映画館「最後の決闘裁判」で紹介した映画でも共演を果たした2人ですが、やはり初共演作品である「グッド・ウィル・ハンティング/旅立ち」(1998年)が思い出されます。深い心の傷を負った天才青年と、同じく失意の中にいた精神分析医がお互いにあらたな旅立ちを自覚して成長してゆく姿を描く感動のヒューマン・ドラマです。実際に幼馴染だったマット・デイモンとベン・アフレックの2人は、当時ハリウッドスターではなかったばかりか、スターを夢見るものの芽が出ない無名の役者に過ぎませんでした。そんな彼らが自分たちの窮状を打破するために、幼馴染2人で脚本を書き、「自分達を主演で出演させるのであればこの脚本を使わせる」という条件のもと映画制作会社を駆け巡ったのです。中には脚本だけ買うという会社もあったそうですが、2人は断りました。諦めにずに条件通りの会社を探し続け、そしてやっと2人を主役にするという前提でこの脚本を扱ってくれる会社を見つけたのでした。この諦めないという姿勢は、「AIR/エア」で2人が演じた役柄を連想させました。