No.706


 日本映画「わたしの魔境」を観ました。「もし今、オウム真理教に類似したカルトがあったらどうなる?」をテーマに普通のOLがカルト教団に洗脳される過程を描いた問題作です。4月5日からアマゾン・プライムやU-NEXTをはじめとした各種サイトで配信されていますが、同時にDVDも発売されました。わたしはDVDで鑑賞。映画としての完成度は高くはありませんが、カルト教団の内部をリアルに描いていて興味深かったです。
 
 ヤフー映画の「解説」には、「[配信作品]カルトに洗脳される普通の女性を描いたドラマと、オウム真理教関係者などへ取材したドキュメンタリーで構成された一作。ドラマパートでは、社会人になったばかりの主人公がヨガサークルをきっかけにカルトに入信する。またドキュメンタリーパートでは、地下鉄サリン事件死刑囚の家族やオウム真理教後継団体『ひかりの輪』を取材する。監督を務めるのは『幸福な囚人』などの天野友二朗。元NMB48の近藤里奈や津田寛治などが出演する」と書かれています。
 
 ヤフー映画の「あらすじ」は、「湯川華(近藤里奈)はマルチ商法を行うとは知らずに入社した会社で、上司から叱責を受け、精神的に追い込まれてしまう。動画サイトで興味を持ったヨガサークル『ニルヴァーナ』に入るが、そこは恐ろしいカルトだった。華は教祖の不条理な命令に従ううち、元の生活に引き返すことができなくなる」です。
 
 どこにでもいる普通の新卒OLの湯川華。彼女は、騙されてマルチ商法企業に入社してしまい、上司から理不尽な叱責を受ける毎日を送ります。ある日、人気YouTuberの紹介動画をきっかけに、カルト宗教「ニルヴァーナ」に心の救いを求め、のめり込んでいきます。そこには、自分が会社員生活で見出す事の出来なかった、心の平和を見いだせたかに思いました。しかし彼女は、やがて教団の恐ろしい実態を知り、引き返せなくなっていくのでした。地下鉄サリン事件から約30年が経過し、事件の記憶が風化しつつある中、今の時代に置き換えたフィクションとして描くことで、Z世代への警鐘を鳴らしています。
 
「わたしの魔境」という映画はフィクションパートに加えて、実際のオウム関係者や死刑囚の妻らへの取材も交え、カルト洗脳の構造を解き明かそうとしています。そこが映画としてはどうにも中途半端です。現代日本に存在するカルト宗教の狂気をドラマとして見せたいのか、かつて日本中を震撼とさせたテロ事件を起こしたオウム真理教についてのドキュメンタリーなのか、そのへんが曖昧でした。しかしながら、取材に答えた人々が非常に興味深い面々だったので、ドラマよりもそちらに見入ってしまいました。
 
 取材に答えた興味深い人の中には、宗形真紀子氏の名前もありました。一条真也の読書館『二十歳からの20年間』で紹介した本の著者です。同書の版元は三五館で、編集を担当した中野長武さん(現、三五館シンシャ代表)がわたしの担当編集者だったこともあって送ってくれたのです。宗形氏は、20歳のときにオウム真理教に出家した女性です。彼女は、2007年にオウムの後継団体であるアレフを脱会しました。彼女のオウムや麻原彰晃へのはまり込み方は、かなり深いものでした。そのため、過ちに気づくまでに地下鉄サリン事件から数えて8年を要したといいます。気づいてから脱会するまでにはさらに4年かかったので、合計して事件後12年も経ってようやく脱会できたのでした。それから、さらに3年が経って、彼女は同書を書いたのです。彼女の人生は「わたしの魔境」の主人公・華に重なる部分も多く、おそらくは『二十歳からの20年間』は映画「わたしの魔境」の原案ではないかと思いました。
 
『二十歳からの20年間』に、宗形氏は「わたしの、二十歳からの20年間は、ひと言で言えば、『魔境』というものの深みにはまり込み、そこからもがき苦しみながら抜け出していった、とてもとても長い歳月でした。そして同時に、本当の意味で抜け出すためには、わたしにとっては必要不可欠な、かけがえのない歳月でもあったのです」と書いています。彼女が陥った「魔境」とは何か。それは、古来より、修行を志した者が必ず直面する「心の中の悪魔」「増上慢」として戒められてきたものです。そして同時にこれは、修行を志さずとも、すべての人が必ず直面する「心の落とし穴」のことでもあると、宗形氏は述べます。この「魔境」について深く追求したのが、宗教哲学者の鎌田東二先生の著書『呪殺・魔境論』(集英社)です。同書では、麻原彰晃が向き合った「魔境」とは何だったのかについて鋭く考察しています。
 
 出家後、宗形氏はさらなる神秘体験、夢と現実のシンクロニシティによりオウムに傾倒しました。その結果、さらなる魔境に入ってしまいました。しかし、この「魔境」は彼女だけの問題ではなく、じつはオウムの中核の問題であったそうです。現在の宗形氏は、同じような境遇にあって脱会した、上祐史浩氏やオウムの元出家信者と元在家信者からなる「ひかりの輪」という団体に所属し、その中心メンバーの1人として、人生をやり直す一歩を踏み出しているとか。宗形氏は14歳での霊体験をはじめ、16歳での父の死、そしてノイローゼ、登校拒否、自殺衝動などを体験しています。そんな傷だらけの心を持った彼女が、いかにしてオウムに引き寄せられ、もがき苦しみ、その悪因縁を断ち切って脱出したのか。宗形氏自身はサリン事件などのテロリズムに直接関与はしていないにせよ、『二十歳からの20年間』は史上例を見ない宗教犯罪における貴重な現場からの証言であると思いました。
 
『二十歳からの20年間』を読んで感じたのは、宗形氏がいかにも純粋であり、真面目であり、いわゆる「いい人」であったことです。わたしは、一条真也の読書館『約束された場所で』で紹介した本に収録されている作家の村上春樹氏と心理学者の故河合隼雄氏の対談を連想しました。そこで村上氏は「オウムの人に会っていて思ったんですが、『けっこういいやつだな』という人が多いんですね」と言い、河合氏は「世間を騒がすのはだいたい『いいやつ』なんですよ」と語ったのでした。宗形氏が本当の意味で救われたのは、母親へ深い感謝の念を抱いたときでした。当然ながら、オウム出家によって、彼女はあらゆる人間関係を失いました。しかし、彼女の母親だけは違ったのです。母は、誰にも耐えられないような目に遭いながら、微笑を絶やしませんでした。そして、いつも淡々と優しい気持ちを持ち続けていました。そんな母の姿を見たとき、宗形氏は大きなショックを受けました。何か世界を踏み越えて、本当のことを垣間見てしまったように感じたそうです。そのとき、母が観音さまのように見え、目から鱗の落ちる思いがしたといいます。

法則の法則』(三五館)
 
 
 
『二十歳からの20年間』に、宗形氏は「すべてを捨てて、ある意味命がけで、十数年も修行して、遠くに求め続けていた観音さまが、意外なことに、こんなに身近なところにいたなんて、この現実に驚かされました」と書いています。彼女は、「わたしはもしかしたら、このままでとても幸福なのではないか?」と心の底から思ったそうです。『二十歳からの20年間』と同じく中野さんが編集をしてくれた拙著『法則の法則』(三五館)では、「幸福になる法則」というものを紹介しています。それは、ずばり、自分を産んでくれた親に感謝するというものです。親を感謝する心さえ持てれば、自分を肯定することができ、根源的な存在の不安が消えてなくなるのです。そして、心からの幸福感を感じることができます。映画「わたしの魔境」のラストシーンで、父親の胸に飛び込んで泣き崩れた娘と、襲撃に加わった他の信者の呻吟する姿にも、この「幸福になる法則」の正しさを再確認することができました。
 
 宗形氏の所属する「ひかりの輪」を主宰するのが元オウム幹部・上祐史浩氏ですが、彼には一条真也の読書館『オウム事件17年目の告白』で紹介した著書があります。その中になんと小生の名前が登場します。わたしがブログに書いた『二十歳からの20年間』の書評が引用されているのです。そして、あの上祐氏がわたしの唱える「幸福になる法則」の考え方に共鳴しているのです。難しい仏教の教義や宗教理論などではなく、本当にシンプルな真理を述べただけなのですが......。『オウム事件17年目の告白』で紹介した本を読んで、わたしの上祐氏に対する見方も少し変わりました。もちろん、彼らが行った凶悪な犯罪行為はどんな言葉を用いても許されることではありません。これからの上祐氏の生き方に注目したいと思います。
 
 わたしは、オウム真理教を宗教だとは思っていません。ましてや、仏教などとはまったく思っていません。宗教学者の大田俊寛氏は一条真也の読書館『オウム真理教の精神史』で紹介した著書で次のように書いています。
「人間は生死を超えた『つながり』のなかに存在するため、ある人間が死んだとしても、それですべてが終わったわけではない。彼の死を看取る者たちは、意識的にせよ無意識的にせよ、そのことを感じ取る。人間が、死者の肉体をただの『ゴミ』として廃棄することができないのはそのためである。生者たちは、死者の遺体を何らかの形で保存し、死の事実を記録・記念するとともに、その生の継続を証し立てようとする。そしてそのために、人間の文化にとって不可欠である『葬儀』や『墓』の存在が要請される。そこにおいて死者は、『魂』や『霊』といった存在として、なおも生き続けると考えられるのである」
 
 かつて大田氏は自身のHPで、わたし宛に「伝統仏教諸宗派が方向性を見失い、また、一部の悪徳葬祭業が『ぼったくり』を行っていることは、否定できない事実だと思います。しかしだからといって、『葬式は、要らない』という短絡的な結論に飛びついてしまえば、そこには、ナチズムの強制収容所やオウム真理教で行われていた、『死体の焼却処理』という惨劇が待ちかまえているのです。社会のあり方全体を見つめ直し、人々が納得のいく弔いのあり方を考案することこそが、私たちの課題なのだと思います。とても難しいことですが」というコメントを寄せてくれました。わたしは、この大田氏の意見に深く共感します。火葬の場合なら、遺体とはあくまで「荼毘」に付されるものであり、最期の儀式なき「焼却処理」など許されないことです。それは、わが社のミッションである「人間尊重」に最も反する行為だからです。
 
 映画「わたしの魔境」に登場するカルト教団は、実際のオウム真理教と同じく信者2人を殺害。葬送儀礼を一切行うことなく遺体を焼却、その遺灰を川に流しました。わたしは、葬儀という営みを抜きにして遺体を焼く行為を認めません。かつて、ナチスもオウムも葬送儀礼を行わずに遺体を焼却しました。ナチスはガス室で殺したユダヤ人を、オウムは逃亡を図った元信者を焼いたのです。しかし、「イスラム国」はなんと生きた人間をそのまま焼き殺しました。このことを知った瞬間、わたしの中で、「イスラム国」の評価が定まりました。わたしたち日本人は、通夜も告別式もせずに火葬場に直行するという「直葬」「直葬」あるいは遺骨を火葬場に置いてくる「0葬」といったものがいかに危険な思想を孕んでいるかを知らなければなりません。わたしは、葬儀を行わずに遺体を焼却するという行為は「人間尊重」に最も反するものであり、ナチス・オウム・イスラム国の精神に通じていると考えます。

唯葬論』(三五館)
 
 
 
 麻原彰晃が説法において好んで繰り返した言葉は「人は死ぬ、必ず死ぬ、絶対死ぬ、死は避けられない」という文句でした。死の事実を露骨に突き付けることによってオウムは多くの信者を獲得したわけですが、結局は「人の死をどのように弔うか」という宗教の核心を衝くことはできませんでした。人が死ぬのは当たり前です。「必ず死ぬ」とか「絶対死ぬ」とか「死は避けられない」など、言挙げする必要などありません。最も重要なのは、人が死ぬことではなく、死者をどのように弔うかということ。問われるべきは「死」でなく「葬」なのです。 この主張は拙著『唯葬論』(三五館・サンガ文庫)や最新作『供養には意味がある』(産経新聞出版)でも強く訴えました。一連のオウム真理教事件は、すべての日本人に「弔い」や「供養」の意味を問うたような気がします。

供養には意味がある』(産経新聞出版)
 
 
 
 日本の犯罪史上に残るカルト宗教が生まれた背景のひとつには、既存の宗教のだらしなさがあります。あのとき、オウムは確かに一部の人々の宗教的ニーズをつかんだのだと思いますが、そのオウムは自らを仏教と称していました。そもそもオウムは仏教ではなかったという見方ができました。オウムは地獄が実在するとして、地獄に堕ちると信者を脅して金をまきあげ、拉致したり、殺したり、犯罪を命令したりしたわけです。本来の仏教において、地獄は存在しません。魂すら存在しません。存在しない魂が存在しない地獄に堕ちると言った時点で、日本の仏教者が「オウムは仏教ではない」と断言するべきでした。ましてやオウムは、ユダヤ・キリスト教的な「ハルマゲドン」まで持ち出していたのです。わたしは、日本人の宗教的寛容性を全面的に肯定します。しかし、その最大の弱点であり欠点が出たものこそオウム真理教事件だったと考えます。
 
 映画「わたしの魔境」には、カルト宗教と同じくらい人々を魔境に誘う組織が登場しました。マルチ商法の会社です。入社面接のときに華は「利他の心を大切にしています」と語ったところ、面接官たちから鼻で笑われました。利他の精神は最もマルチ商法に反するものだからです。利他は「ケア」に通じますが、その反対は「ハラスメント」です。「わたしの魔境」を観た日、わたしは某グリーフケア研究者と縁を切りました。彼は「ケア」の専門家を名乗っていながら、その正体は自分より目下の者に「ハラスメント」を繰り返す人物でした。彼と関わると魔境の入口が見えてきそうだったので、縁が切れて安心しました。最後に、グリーフケアというものが本当に普及したとき、カルト教団が悲嘆者を食い物にするケースは減ると思います。

DVDパッケージの裏