No.707


 4月22日、宮崎の祝賀会に参加してから小倉に戻りました。その夜、前日の21日から公開の日本映画「ヴィレッジ」をシネプレックス小倉で観ました。重い内容で気が滅入りましたが、横浜流星の鬼気迫る演技には圧倒されました。エンドロールの途中で退場したところ、エンドロール後に重要なシーンが流されたと知って大ショック!一条真也の映画館「朝が来る」で紹介した日本映画以来の失態です。誰か、そのシーンについて、わたしに教えてくれませんか?
 
 ヤフー映画の「解説」には、「『新聞記者』『ヤクザと家族 The Family』などの藤井道人監督が、ある集落を舞台に環境問題や限界集落、若者の貧困、格差といった社会の闇を描いたサスペンス。美しい自然と神秘的な薪能が魅力的な村を舞台に、ゴミ処理施設で働く青年の人生が、幼なじみが東京から戻ったことをきっかけに変化していく。主人公の青年を『嘘喰い』などの横浜流星が演じ、黒木華や中村獅童、古田新太などが共演する」と書かれています。
 
 ヤフー映画の「あらすじ」は、「夜霧が幻想的な集落・霞門村に暮らす片山優(横浜流星)は、美しい村の山に建設された巨大なゴミの最終処分場で働いていた。母の君枝(西田尚美)の作った借金の返済に奔走する一方、職場の作業員に目をつけられた優は、浮かばれない日々を過ごしていた。しかし、幼なじみの中井美咲(黒木華)が東京から戻ったことから、優の人生が変わっていく」です。
 
 よく閉塞感のある村や島を差別的に描いた映画が多く、わたしはそれに批判的です。しかし、この映画の主眼はそこには置かれてあず、あくまでも村は状況設定に過ぎませんでした。また、予告編を観て、閉塞した村落の秘密に関わる怪奇事件を描いたホラーかと思いましたが、実際は社会派サスペンスでした。ある村が10年ほど前に生き残っていくためにゴミの最終処分場を誘致。それを基に展開していく村人の物語です。ゴミの処理業というのは社会に必要なエッセンシャルワークですが、そこに不法投棄などのダークな部分が加わると、一気に嫌気がさしますね。
 
 脚本はまったく陳腐そのものでした。藤井監督の書き下ろしだそうですが、単調で、恐らくこうなるだろうなという予想を超えずそのままの展開で肩透かしを食らいます。先読みが出来てしまい、伏線も何もないので、ストーリーはつまらなかったです。一条真也の映画館「ヤクザと家族 The Family」で紹介した藤井監督の前作もそうでしたが、エンドロール後にオチを入れるような姑息な演出も気に入りません。わたしはトイレが近いので、エンドロールなど最後まで観ない観客なのです。でも、それを補って余りあるほど、俳優陣の演技は素晴らしかったです。横浜流星だけでなく、古田新太も作間龍斗も黒木華も中村獅童も一ノ瀬ワタルも、出ている役者はみんな入魂の熱演でした。
 
 横浜流星演じる主人公の優は、母親の借金のためにゴミの最終処分場で働きます。彼の父親は、ゴミの最終処分場の建設に反対したために村八分に遭ってしまい、その復讐に殺人を犯して、自宅に火を放って自ら命を絶っています。優は、「犯罪者の息子」として村人たちから蔑まれてきました。何の希望も夢もなく 霞門村という閉ざされた村で死んだように生きている優でしたが、幼馴染の美咲が東京から戻ったことから、彼の人生は再び動き出します。しかし、その先に幸福はなく、悪夢が待っていました。
 
 この映画には冒頭から能の「邯鄲」が登場しますが、人生は夢のように儚いという物語です。どん底に落ちてゆくしかない主人公の人生は悲惨そのものですが、「これも夢である」と考えれば救いはあります。ある意味、この映画の最大のメッセージは「映画も人生も夢である」ということかもしれませんね。