No.505


 日本映画の「ヤクザと家族 The Family」を観ました。北九州市に住んでいるというと、「ヤクザの街ですよね」などと言われることが多いです。しかし、北九州市は日本で最も暴力団追放運動が成功した政令指定都市であり、正直、わたしはヤクザに会ったことはおろか、目にしたこともほとんどありません。そんな北九州市の小倉にあるシネコンで公開日の翌日に鑑賞したのですが、いろいろと考えさせられました。

 

 ヤフー映画の「解説」には、こう書かれています。
「『新聞記者』などの藤井道人監督がメガホンを取り、一人のヤクザの生きざまを三つの時代に分けて描くヒューマンドラマ。ヤクザになった男が大切な仲間や恋人と出会うも、暴力団対策法が施行されたことにより波乱が起きる。主人公のヤクザを『新宿スワン』シリーズや『楽園』などの綾野剛、主人公と父子の契りを結ぶ組長を『終わった人』などの舘ひろしが演じるほか、尾野真千子、北村有起哉、市原隼人、磯村勇斗などが共演する」

 

 ヤフー映画の「あらすじ」は、以下の通りです。
「1999年、覚せい剤が原因で父親を亡くした山本賢治(綾野剛)は、柴咲組組長の柴咲博(舘ひろし)の危機を救ったことからヤクザの世界に足を踏み入れる。2005年、ヤクザとして名を挙げていく賢治は、自分と似た境遇で育った女性と出会い、家族を守るための決断をする。それから時は流れ、2019年、14年間の刑務所暮らしを終えた賢治だったが、柴咲組は暴力団対策法の影響で激変していた」

 

 最初に、この映画は主演の綾野剛が素晴らしかった!一条真也の映画館「新宿スワン」「怒り」「亜人」「楽園」などで、これまでわたしは彼の演技、特に表情の豊かさを絶賛してきましたが、一連の「仮面ライダー」出身者に代表されるイケメン俳優にはない人間の喜怒哀楽を表現する圧倒的な演技力が彼にはあります。この映画でのヤクザ役では、これ以上なく人間の「哀しみ」を表現していました。

 

「ヤクザと家族 The Family」の物語は、1999年、2005年、2019年の三つの時代を通して描かれています。昭和のヤクザの世界では義理人情を重んじる旧世代が中心でしたが、1992年に施行された暴力団対策法、2009年に制定された暴力団排除条例、さらには経済至上主義の新興勢力の台頭と抗争で昔ながらのヤクザは次第に追いやられていきます。唯一の家族ともいえる親分、組を守るために綾野剛演じる山本が14年の刑期を終えて2019年に出所すると、組はすっかり衰退し、半グレに代表される若い世代が時代にあわせて躍動する激変した現実を目の当たりにします。この映画には、全編に「滅びの美学」とでもいうべき哀愁が漂っています。

 

 2011年10月1日から、「暴力団排除条例」が東京都と沖縄県でも施行され、47都道府県の足並みが揃いました。「暴力団を恐れない、暴力団に金を出さない、暴力団を利用しない、暴力団と交際しない」を原則に、日本から暴力団を一掃するのが目的ですが、その直後に一条真也の読書館『暴力団』で紹介した溝口敦氏の著書を読みました。「まえがき」の冒頭には、「暴力団は今曲がり角にいます。このまま存続できるのか、それとも大きく体質を変えて生き残りを図るのか」と書いています。それから、「暴力団は社会的に孤立しているのです。このたびの東日本大震災では傘下の右翼団体などを通じて、被災地の義援活動なども陰では行っているようですが、そのことにより暴力団を有用とするような意見はゼロなのです」と書かれています。ちなみに、わたしは「暴力団」の反対語は「互助会」ではないかと思っています。

 

 暴力団の人々は、ふつう「ヤクザ」と呼ばれます。
 では、なぜ暴力団は「ヤクザ」と呼ばれるのか。溝口氏は、「1つの語源説にすぎないのですが、花札にオイチョカブという遊びがあります。その遊びでは札の合計が10や20になると、ブタといって勝負になりません。『ヤ(8)+ク(9)+ザ(3)=20』ですから、これはブタで、どうしようもない手です。ここから、自分たちはどうしようもない世間の持て余し者だ、というので、『ヤクザ』と名乗るようになったという説があるのです」と述べています。非常にわかりやすい説明ですね。

 

 ヤクザというと金のことしか考えていないと思っている人もいます。しかし、一条真也の読書館『教養としてのヤクザ』で紹介した本の共著者の1人(もう1人は溝口氏)である鈴木智彦氏は、「「金ばかりでなく、精神的な充足もヤクザにはあった」として、「男になりたい、男でありたい、男で死にたいと嘯くヤクザたちは、男たちのロマンチシズムをいたく刺激し、ヤクザ映画が量産された。金が儲かるうえ、周囲の羨望を集める。時折訪れる刑務所生活は、理想の生活を送るための、いわば税金のようなもので、それさえ我慢すればなかなかの人生だったろう。太く短く燃え尽きる......刹那的かつ享楽的なヤクザの生活は、平成に入って徐々に変わっていった。というより、社会が少しずつ、しかし、確実にヤクザを追い詰めていった。平成4年、暴力団対策法が施行された頃は、まだ右翼と左翼とヤクザがタッグを組む自由闊達さがあり、彼らは連帯してシュプレヒコールをあげた。ばかりか、極道の妻たちが『このままでは生きていけない』とプラカードを掲げ、銀座をデモ行進できる時代だったのだ」と述べています。

 

 鈴木氏のいう「精神的な充足」には、家族のいない孤独な者が組長を「親父」と呼び、先輩を「兄貴」と呼ぶような家族的気分を味わえるという要素もありました。言うまでもなく、ヤクザとは「アウトロー」の代名詞であり、いわゆる「アウトサイダー」です。しかし、世の中にはヤクザ以外にもアウトサイダー的な職業があり、その1つがプロレスラーであるとされています。新日本プロレス、UWF、リングスで一時代を築いた前田日明は家庭的に恵まれず孤独な少年時代を過ごしたそうですが、新日本プロレス時代には、藤原喜明を父親、髙田延彦を弟のように思っていたとか。いわば、前田にとって新日本プロレスは「疑似家族」だったわけです。水商売のホステスの世界にも同じような文化があるとされており、それゆえに女性経営者を「ママ」と呼ぶようです。以前はよく「ホステスはヤクザが好き」などと言われていましたが、それは彼女たちにも「自分たちもアウトサイダー」という意識があったからなのでしょうか?

 

 ヤクザが疑似家族だというのは世界共通のようで、イタリアのマフィアなどがまさにそうです。マフィアはアメリカで大暴れましたが、その真実を描いたマリオ・プーゾの小説『ゴッドファーザー』を映画化したのが世界映画史上に輝く名作である「ゴッドファーザー」(1972年)です。わたしも何度も観ました。
 監督はフランシス・フォード・コッポラ。「ゴッドファーザー(ゴッドマザー、ゴッドペアレンツ)」とは、日本語版では原作、映画共に「名付け親」と訳されていますが、正式にはキリスト教(特にカトリック)文化において洗礼式に選定される代父母のことであり、その後の生涯にわたって第二の父母として人生の後見を担う立場です。「ゴッドファーザー」が公開されると当時の興行記録を塗り替える大ヒットになり、同年度のアカデミー賞において作品賞・主演男優賞・脚色賞を受賞しました。1990年にはアメリカ国立フィルム登録簿に永久保存登録されました。

 

 アメリカで「ゴッドファーザー」が公開された翌年の1973年、日本のヤクザ映画の歴史を変える大傑作が生まれました。深作欣二監督の「仁義なき戦い」です。シリーズを通しての主演は菅原文太。「ヤクザ映画の大傑作」と呼べるだけでなく、黒澤明以来、最も海外の映画に影響を与えた犯罪アクション映画の傑作と呼べる作品として高い評価を得ています。やくざ同士の抗争を題材にしながら仲間を裏切り、裏切られることでしか生きられない若者たちが描かれています。この映画が登場するまでのヤクザ映画の多くはいわゆる、チョンマゲを取った時代劇と言われる虚構性の強い仁侠映画であり、義理人情に厚く正しい任侠道を歩むヒーローが描かれていました。ある種の様式美の世界だった任侠映画は明治時代に舞台を移した時代劇の亜流であり、高倉健、鶴田浩二ら大物俳優の人気に支えられたブームだったのです。

 

 1969年(昭和44年)から始まる菅原文太主演の「現代やくざ」シリーズで既にヤクザを美化した従来の任侠映画の常識を覆す現実的なワルを主人公にしましたが、「仁義なき戦い」シリーズでは様式美をまったく無視して、殺伐とした暴力描写を展開させた点、ヤクザを現実的に暴力団としてとらえた点、実在のヤクザの抗争を実録路線として、リアリティを追求した点などが指摘されています。「仁義なき戦い」シリーズに登場するヤクザの大半は金にがめつく、弱者に強い社会悪としての姿が大いに描かれており、仁侠映画のようにヤクザを美化することはありません。一時は英雄的に表現されるキャラクターも最後には無残に殺される場面が多いです。

 「仁義なき戦い」シリーズは全作観ましたが、男の血が大いに騒ぎました。しかし、わたしが一番好きなヤクザ映画は「仁義の墓場」(1975年・東映)。深作欣二監督の最高傑作だと思っています。戦後暴力史上、最も凶暴といわれた異色ヤクザ・石川力夫の30年の人生を描いた作品で、主演は渡哲也でした。戦後の混乱期、暴力と抗争に明け暮れる新宿周辺を強烈に生き、そして散った異色のヤクザの人生を実録タッチで描いた石川力夫に扮した渡哲也が妹の恋人に怒りを感じてコーヒーの中に吸いかけのタバコを突っ込んだり、愛妻の遺骨をボリボリ齧ったり、名場面の連続でした。本当にカッコよくて、この映画を観てヤクザに憧れた若者は多かったのではないかと思います。

 

 渡哲也といえば、石原裕次郎亡き後の石原プロモーションを支え続けましたが、渡に次ぐ石原プロの大物が舘ひろしでした。その彼が「ヤクザと家族 The Family」では最高の演技を見せてくれています。
「映画com.」で、映画評論家の和田隆氏は「山本の親分となる柴咲組長を演じた舘ひろしが綾野と新しい化学反応を起こす。いわゆる強面の親分ではなく、義理人情を重んじ、包容力と凄み併せを持った役で、『あぶない刑事』シリーズを見て育った世代としては、その立ち居振る舞いを見ただけでなんとも感慨深い。ヤクザ役は43年ぶりだという」と述べます。

 

「ヤクザと家族 The Family」での柴咲組長の初登場シーンは、黒のロングコートに白のマフラー、赤のタートルネックにサングラスというファッションでしたが、これがもう最高にカッコよかった! ちなみに、このコーディネートはわたしも愛用しています。小倉ではそれこそヤクザに間違えられる恐れがあるので自粛していますが、舘ひろしのコーデを見て、「自分のセンスは正しかった!」と思いましたね(笑)。
 ところで、舘ひろしといえば、一条真也の映画館「終わった人」で紹介した映画に主演しており、定年退職し世間から終わった人と見なされた元会社員の悲哀を演じていました。でも、こんな役は舘ひろしには似合いません。この映画、わたしが副会長を務める一般社団法人・全日本冠婚葬祭互助協(全互協)が全面協賛した作品ではありましたが、舘ひろしは終わっていません!

 「ヤクザと家族 The Family」という映画は、新旧の時代を対比させながら、「家族とは何か」「人間とは何か」といった問いを観客に突きつけます。観終わった後、多くの観客は「自分の生き方は正しいのか?」「誰のために生きてる?」などと考えることでしょう。旧世代のヤクザが重んじてきた「仁義」というコンセプトはもともと儒教の思想であり、「人の道」に通じます。また、仏教の「利他」の思想にも通じます。主人公の山本は「仁義」を重んじ、短い人生の中で二度にわたって「利他」的行動を取りました。ヤクザだろうが、一般人だろうが、人には絶対に忘れてはならない「人の道」があるのです!

 

 山本の利他的行動は、一条真也の映画館「劇場版『鬼滅の刃』無限列車編」で紹介した大ヒットアニメ映画に登場する煉獄杏寿郎 の生き様にも通じるものがありました。「鬼滅の刃」といえば、わたしも会社行事での社長訓示などで、何度も「鬼滅の刃」の話をしました。それで興味を持った社員も多いですが、中には無関心な者もいます。でも、企画部門などの社員が社会現象にまでなったコンテンツに無関心なのはダメだと思います。時代の変化をスルーしてはなりません!
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「鬼滅の刃」に学ぶ』(現代書林) 



「ヤクザと家族 The Family」では、時代の変化によって衰退していくヤクザの姿が描かれましたが、このたびのコロナ禍では多くの職業が衰退していきます。二度にわたる緊急事態宣言で瀕死の状態にある飲食業者はもちろん、東京五輪の中止が正式決定すれば電通やJTBといった最大手企業も危機的状況に陥るでしょう。わが冠婚葬祭業界だって、コロナ禍の直撃によって、未来は不透明です。こんな時代に生き残っていくのは変化への適応力しかありません。ダーウィンは、「最も強い者が生き残るのではなく、最も賢い者が生き延びるのでもない。唯一生き残ることが出来るのは、変化できる者である」と言いました。わたしは生き残っていくために、新著『「鬼滅の刃」に学ぶ』(現代書林)を書きました。ぜひ、ご一読下さい!

 

 最後に、覚醒剤やオレオレ詐欺など各種の詐欺行為、その他もろもろの悪事に手を染めてきたヤクザが社会から排除されるのは正直言って自業自得の面もあると思います。しかしながら、新型コロナウイルスの感染拡大の中で医療従事者や介護従事者などのエッセンシャルワーカーやその家族を排除し、差別する人々だけは絶対に許せません。そういう連中こそ、ヤクザ以上に「人の道」から外れた「外道」であり、法律で取り締まるべき対象だと思います。