No.504
1月29日から公開された日本映画「おもいで写眞」を観ました。テーマが遺影撮影だと知って、「この映画の鑑賞そのものが仕事だ!」と思い、公開初日にイオンシネマ戸畑まで行ってきました。
ヤフー映画の「解説」には、「『君に届け』『心が叫びたがってるんだ。』などの熊澤尚人監督が自身の小説を映画化。東京で挫折し祖母の死をきっかけに故郷に戻った女性が、遺影写真を撮る仕事を通じさまざまな境遇の人々と交流していく。ヒロインを『パンとバスと2度目のハツコイ』などの深川麻衣、彼女の幼なじみを『多十郎殉愛記』などの高良健吾が演じ、『深呼吸の必要』などの香里奈のほか、井浦新、古谷一行、吉行和子らが脇を固める」と書かれています。
ヤフー映画の「あらすじ」は、「仕事をクビになり失意に沈む音更結子(深川麻衣)は、祖母が亡くなったことを受けて帰郷する。母の代わりに自分を育ててくれた祖母を孤独に死なせてしまったと悔やむ中、幼なじみの星野一郎(高良健吾)から老人を相手にした遺影撮影の仕事に誘われる。当初は老人たちに敬遠されるが、一人で暮らす山岸和子(吉行和子)との出会いを機に、結子は単なる遺影ではなくそれぞれの思い出を写し出す写真を撮るようになっていく」です。
この映画、まずは、主演の深川麻衣がちょっと気になりました。正直言って、映画のヒロインにしては華がない。彼女が所属する芸能事務所テンカラットの設立25周年を記念して企画された作品だそうですが、映画の主演を務めるほどの演技力が伴っているとも思えませんでした。映画では、役柄の上だとはいえ、やたらと相手を睨みつけたり、しかめ面をしたりする場面が多いのですが、この回数が多すぎて、いつもイライラして怒っている印象がありました。笑顔になったのは最後ぐらいでしょうか。それが妙に堂に入っていて人相が悪くなり、「この娘は本当に、こういう娘なのかも」などと思ってしまいました。同じ乃木坂46の元メンバーでも、白石麻衣や西野七瀬なら、どんなに人相を悪くしても可愛いだけだったと思います。
その深川麻衣が演じる音更結子は、東京でメイクアップアーティストを目指していました。しかし、頑固な性格が災いして仕事をクビになってしまいます。そんな彼女に追い打ちをかけるように、母親代わりだった祖母が亡くなったという知らせが届きます。夢だけでなく、大切な身内までも失った結子は故郷に戻るのですが、そこで役所勤めの幼なじみ星野一郎から、老人向けの「遺影」の撮影という仕事の誘いを受けます。写真館を営んでいた祖母の遺影がピンボケ写真だったことを悔やんでいた結子は、その仕事を引き受けるが、縁起が悪いと敬遠され、なかなか老人たちに受け入れられませんでした。
やがて結子は、ひとり暮らしの老人・山岸和子との出会いをきっかけに、遺影撮影ではなく、それぞれの思い出の場所で写真を撮影する「おもいで写真」を撮り始めます。そして結子は、老人たちとふれあう中で、次第に人生の意味を見いだしていくのでした。この「遺影写真」では嫌がられても「おもいで写真」なら受け入れられるというのは大事なポイントだと思います。「トイレ」を「化粧室」と言い換えたりしますが、これはネガティブなイメージをポジティブに変換するワザと言えます。
『思い出ノート』(現代書林)
特にネガティブ・イメージの代表ともいえる「死」の周辺には言い換える機会が多いです。わたしは、これまで「死」を「人生の卒業」、「葬儀」を「人生の卒業式」、「終活」を「修活」などと言い換えてきました。そして、「エンディングノート」は「思い出ノート」に変換しました。2009年7月には、実際に『思い出ノート』(現代書林)を商品化して発売しましたが、そこには遺影として将来使える「思い出写真」を入れるクリアファイルまで付いていました。同書は非常に好評を博し、発売以来、何度も増刷を重ねてきました。バインダー式ですので、ページの開閉が楽で、書きやすいです。カバー表紙には大正ロマン風の朧月夜が描かれており、カバー前そでには「人は生き老い病み死ぬるものなれど 夜空の月に残す面影」という、わたしが詠んだ道歌が掲載されています。
私の思い出の日々(『思い出ノート』)
『思い出ノート』は、記入される方が自分を思い出すために、自分自身で書くノートです。それは、遺された人たちへのメッセージでもあります。たとえ新しい世界に旅立っても、その人は、遺された人たちの記憶の中で生き続けています。きっと、遺された人たちは、このノートに記された故人の筆跡を見るだけで、故人の思い出をよみがえらせ、それを語り合うことでしょう。ときに涙し、ときに笑い、そして懐かしむことでしょう。「HISTORY(歴史)」とは、「HIS(彼の)STORY(物語)」という意味ですが、すべての人には、その生涯において紡いできた物語があり、歴史があります。そして、それらは「思い出」と呼ばれます。自らの思い出が、そのまま後に残された人たちの思い出になる。そんな素敵な心のリレーを実現するノートになってくれれば嬉しいです。
映画「おもいで写眞」に話を戻しましょう。写真をテーマにした映画といえば、つい最近も一条真也の映画館「浅田家!」で紹介した作品を観ました。 ただ、「浅田家!」における写真は家族写真であり、「おもいで写眞」の場合は遺影です。映画の中にも登場しますが、遺影というと「縁起でもない!」と言って嫌う人が多いです。しかし、死は万人に訪れるものであり、それを無視した生などありえません。むしろ、いたずらに死を忌避せず、「理想の遺影を撮っておきたい」と前向きに考える方が死の不安も軽くなって、生が輝くのではないでしょうか。映画の中で、ある老人が「おもいで写眞さえ撮ってもらえば、葬式はしなくてもいい」などと言うシーンがありましたが、それは違うと思います。結局、写真も葬儀も「その人が生きていた証を残す」ということです。自身の葬儀に縁のある人々に参列してもらい、自分が一番気に入っている遺影(おもいで写眞)を見てもらうのが、最高の人生の卒業式ではないでしょうか。
映画「おもいで写眞」では、星野一郎役の高良健吾が良い味を出していました。高良健吾といえば、一条真也の映画館「悼む人」で紹介した映画を思い出します。ベストセラー作家・天童荒太の直木賞受賞作『悼む人』を堤幸彦が映画化した作品です。亡くなった人が生前「誰に愛され、愛したか、どんなことをして人に感謝されていたか」を覚えておくという行為を、巡礼のように続ける主人公"悼む人"こと坂築静人と、彼とのふれ合いをきっかけに「生」と「死」について深く向き合っていく人々の姿を描いた名作です。
天童が『悼む人』を書くに至った発端は、2001年、9・11アメリカ同時多発テロ事件、およびそれに対する報復攻撃で多くの死者が出たことだったそうです。これらの悲劇だけではなく、世界は不条理な死に満ちあふれていることに改めて無力感をおぼえた天童に、天啓のように死者を悼んで旅する人の着想が生まれました。彼は実際に各地で亡くなった人を悼んで歩き、悼みの日記を3年にわたって記し、その体験を元に2008年、『悼む人』を刊行したのです。そして2011年、日本は再び大震災に見舞われ、我々は改めて不条理な死と向き合う事を余儀なくされました。考えてみれば、亡くなった人が生前「誰に愛され、愛したか、どんなことをして人に感謝されていたか」を伝えることが葬儀の役割の1つではないかと思います。忘れ去られていい死者など1人もいません。誰でも「おもいで写眞」としての遺影を撮影され、それを「人生の卒業式」である葬儀で飾られるべきであると思います。
『葬式は必要!』(双葉新書)
ブログ『葬式は必要!』にも書きましたが、「葬式は、要らない」という言葉が2010年に生まれました。この年に生まれた言葉がもう1つあります。「無縁社会」です。映画「おもいで写眞」には、無縁社会の中でのマンモス団地の姿が描かれていました。そこには多くの独居老人が暮らしており、彼らは孤独死をする危険を背負いながら生きています。孤独死は大きな社会問題ですが、わたしもずっと関心を抱いてきました。ブログ「孤独死講演会」に書いたように、2010年7月27日、東京で「孤独死に学ぶ」と題する講演とディスカッションを行いました。全互協の総会イベントでしたが、わたしのお相手に「孤独死の防人」こと中沢卓実さんをお招きしました。
日本を代表するマンモス団地といえば......
中沢さんは千葉県松戸市の常盤平団地自治会長であり、特定非営利法人「孤独死ゼロ研究会」理事長でもあります。かつて「東洋一のマンモス団地」と呼ばれた常盤平団地は、全国のニュータウンに先駆けて56年前に建設されました。常盤平団地は「孤独死防止のメッカ」とされ、さまざまな取り組みが行われていることで知られています。それは、2000年秋に起きました。72歳の一人暮らしの男性の家賃の支払いが滞ったために何度も公団から催促状が発送されたにもかかわらず、何の連絡もありませんでした。異常を感じた管理人は警察に連絡し、警察官がドアを開けます。そこにあったのは、キッチンの流しの前の板間に横たわる白骨死体でした。かつての「東洋一の団地」に衝撃が走り、住民たちは、「自分たちの団地から、孤独死が出るなんて!」「隣人とのつながりとは、そんなに希薄なものだったのか」「恥ずかしい、人に知られたくない」という気持ちをそれぞれ抱いたとか。
常盤平団地の「孤独死予防センター」で中沢さんと
誰もが大きなショックを受けました。みんな、孤独死とは団地などではなく、特別な状況下で起こるものであると思い込んでいたからです。しかし、さらに独居老人の多くなった常盤平団地で、孤独死が続きます。そこで立ち上がったのが、中沢氏を会長とする常盤平団地自治会のメンバーでした。「孤独死ゼロ」を合言葉に、崩壊したコミュニティを復活させるという目標を立てます。そして、団地自治会を中心に、常盤平団地地区社会福祉協議会、民生委員が一緒になって、孤独死問題に対処するためのネットワークやシステムを作りました。みなさんの努力が実って、常盤平団地の孤独死は激減しました。今では「孤独死防止のメッカ」とも呼ばれるようになりました。あれから10年。現在、日本では民生委員という制度そのものが完全に疲労を起こしています。「在宅療養者の孤独死」が問題になっていますが、新型コロナウイルスの感染が拡大する中で、民生委員の独居老人宅の訪問はますます困難になっています。
民生委員総会での講演のようす
ブログ「民生委員総会講演会」で紹介したように、わたしは2015年5月17日に民生委員および児童委員の総会後に開かれた記念講演会で講演しました。拙著『隣人の時代』(三五館)にも書きましたが、民生委員制度の発端は大正7年(1918年)の大阪府における方面委員制度に始まります。重要なことは、方面委員は無報酬の名誉職だったことです。天皇の御聖慮による名誉職だったので、誰も不満は言いませんでした。しかし戦後になって、昭和21年(1946年)に民生委員制度として再発足したときにも無報酬が引き継がれてしまったのです。名誉職的な色彩が薄くなったことにより、高度成長期の民生委員は自営業者が減少し、引退者や主婦が増加したとか。でも、今や民生委員を引き受ける人間は減る一方です。民生委員の激減に、各地の行政は頭を悩ませています。
『隣人の時代』(三五館)
わたしは、行政が困っているときは民間に委託すべきだと考えます。これは郵便局の事業の一部をヤマト運輸などの宅配便業者が行ったり、警察の仕事の一部をセコムなどの警備業者がやるのと同じようなこと。つまり、行政サービスの民間委託ということですね。それで、民生委員が少なくて困っているのなら、互助会業界に任せてくれたらどうかなと思います。互助会には、営業員がたくさんいます。それなら、例えばその営業員さんが独居老人のお宅の数を控えておいて、時々訪問する。行政からそういう委託を受け、互助会が老人宅を訪問して安否確認を行えば、これは相互扶助の機能を発揮すると共に、互助会そのもののイノベーションになるのではないかという気がしています。世のため人のためになって、互助会そのものもイノベーションを図れるというわけです。
ハートスタジオの「グランフォト」
映画「おもいで写眞」では、町役場の職員である一郎が「遺影撮影のサービスによって、同時に安否確認もできる」というアイデアを思いつきますが、わが社のような写真会社をグループに持っている互助会なら、すべて代行することが可能です。わが社の写真部門は「ハートスタジオ」といいますが、高齢者の方々の生き生きとした瞬間をカメラでとらえる「グランフォト」という商品を開発しており、大変好評を得ています。映画を観ながら、わたしは「グランフォトも、結婚式のロケーション撮影みたいに、思い出のある場所でのロケーション撮影もありだな」と思いました。いつも映画を観るたびに、感動だけでなく、仕事のヒントまでも貰って帰るわたしは本当に幸せ者です!