No.484
わが社の新しいシネアド(前川清バージョン!)のチェックをかねて、小倉のシネコンを回りました。最後に、日本映画「浅田家!」を観ました。16日から「劇場版『鬼滅の刃』無限列車編」という話題作が公開で、シネコンには多くの人が訪れていました。「浅田家!」は全10シアター中で9番目の大きさの劇場でしたが、観客はまずまず入っていました。ネットでは高評価ですが、なかなか見応えがありました。
ヤフー映画の「解説」には、「第34回木村伊兵衛写真賞を受賞した浅田政志の著書『浅田家』『アルバムのチカラ』を原案にした人間ドラマ。家族写真を撮りながら成長していく主人公の姿を描く。監督を『湯を沸かすほどの熱い愛』などの中野量太が務め、脚本は『乱反射』などの菅野友恵と中野監督が共同で担当。主人公を『母と暮せば』などの二宮和也、その兄を『悪人』などの妻夫木聡が演じる」とあります。
ヤフー映画の「あらすじ」は、以下の通りです。
「家族を被写体にした卒業制作が高評価を得た浅田政志(二宮和也)は、専門学校卒業後、さまざまな状況を設定して両親、兄と共にコスプレした姿を収めた家族写真を撮影した写真集『浅田家』を出版し、脚光を浴びる。やがてプロの写真家として歩み始めるが、写真を撮ることの意味を模索するうちに撮れなくなってしまう。そんなとき、東日本大震災が発生する」
ジャニーズのアイドルが主演する映画というと偏見もありますが、二宮和也なら役者としても定評があります。一条真也の映画館「母と暮せば」、「ラストレシピ~麒麟の舌の記憶」、「検察側の罪人」で紹介した映画などでも良い演技を披露していました。「検察側の罪人」で共演した木村拓哉、元SMAPでいえば 「凪待ち」で紹介した映画の香取慎吾、「ミッドナイトスワン」で紹介した映画の草彅剛、他にも 「永遠の0」で紹介した映画で映画賞を総ナメにしたV6の岡田准一など、ジャニーズ・アイドル出身でも名俳優はたくさんいます。
二宮和也が演じた写真家の浅田政志は、1979年、三重県津市出身です。三重県立津工業高等学校卒業後、日本写真映像専門学校に入学し大阪に住みました。同校卒業後は東京を中心に各地で活動を展開しています。家族写真をテーマとしており、代表作「浅田家」では、実際の自身の家族を被写体にして、ラーメン屋や消防団、極道などフィクションの設定での家族写真を撮影しました。ちょっと力が入り過ぎているというか、コテコテで、わたしは浅田家の家族写真は苦手ですが、アイデア自体は面白いと思います。また、浅田家以外の家族を撮影するときの政志のアイデアは素晴らしいと思いました。わたしも写真スタジオの会社を経営しているので、勉強になりました。
『のこされた あなたへ』(佼成出版社)
この映画、前半はコミカルな展開がテンポよく進むのに比べ、後半の東日本大震災後の被災地のシーンの進み具合はゆっくりです。ちょっと間延びする感さえありますが、地震や津波のシーンを直接描かず、震災からしばらく経ってからの被災地の風景を描いているところは好感が持てました。わたしも2011年には東北の被災地を訪れ、『のこされた あなたへ』(佼成出版社)を書きましたが、わたしが訪れたときの被災地の風景と同じ印象でした。あのときの巨大な悲嘆を思い出しました。
被災地では、さまざまなボランティアの方々が活動されていましたが、この映画には津波で汚された写真を復元して持ち主に返却するボランティア活動が描かれています。ボランティアの青年を演じた菅田将暉も良かったですが、実際にこの気の遠くなるような作業を我慢強く続けられた方々には、心より敬意を表したいと思います。実際は8万枚以上の写真を復元して、持ち主の元に帰ったのは約6万枚だそうです。失くしたはずの家族の写真を見つけた人々の喜びは、いかばかりだったか。映画では、娘の葬儀を出したいのに遺影が存在せず、途方に暮れている父親が登場しますが、その姿を涙なくしては見れませんでした。政志の思いつきで卒アル(卒業アルバム)に亡き娘の姿を発見し、むせび泣く父親の姿を見て、また涙。わたしにも娘がいますので、このシーンはたまりません。
3・11をはじめとした津波のとき、多くの人は家族写真が貼られたアルバムを持って逃げたといいます。津波からしばらく時間が経過して、被災者の多くは家族写真の復元を希望するそうです。それは、家族写真こそが「家族」という実体のあやふやなものに形を与え、「見える化」してくれるからにほかなりません。逆に言えば、家族写真がなければ、「家族」というものの存在に確信が持てないのではないでしょうか。わたしは家族写真というのは「家族の見える化」であると思いました。ヘーゲルは「家族とは弔う者である」と述べましたが、それに加えて、わたしは「家族とは一緒に写真に写る者である」と言いたいです。
40年以上にわたって富士フィルムの年賀状CMに出演し続けた故樹木希林は、「写真は家族の形を整える」「写真は家族の記憶をとどめるもの」「写真がなかったら、うちの家族って何だったのっていうようなもんですよ」との名言を残しています。つまり、家族写真とは、初宮参り、七五三、成人式、結婚式、長寿祝い、葬儀、法事法要といった冠婚葬祭と同じ役割や機能があります。結局、家族写真も冠婚葬祭も「かたち」です。「ころころ」が語源との説のある人間の「こころ」は不安定ですが、家族という「こころ」の集合体はもっと不安定です。だから、写真や儀式といった「かたち」で安定させる必要があるのでしょう。
冠婚葬祭といえば、映画「浅田家!」のオープニングとエンディングには葬儀のシーンが登場します。「葬儀に始まり、葬儀に終わる家族映画の王道」かと思ったら、最後につまらない小細工をしていました。このラストは、わたしにとっては大いなる減点です。どうして、こんなつまらないオチにするのでしょうか。ドリフの葬式コントじゃあるまいし、本当に信じられないぐらい下らない演出でした。せっかく、それまで感動の連続だったのにガッカリです!
同じ中野監督の作品である一条真也の映画館「湯を沸かすほどの熱い愛」で紹介した映画も感動の傑作になりかけたのに、ラストでつまらない小細工をしてガッカリでした。というか、グロかった! どうも、この監督は普通の終わり方をするのを良しとしない主義らしいですね。でも、正直言って、両作品のラストとも大いにスベっていると思います。ネタバレにならないように注意しながら書くと、やはり人間の「死」や「葬」は変化球を投げずに、きちんと直球で描いてほしかった!
シネアドもチェックしました!