No.480


 死者・行方不明者63人に上った御嶽山の噴火災害から、27日で6年目となりました。心より犠牲者の方々の御冥福をお祈りいたします。また、5人の行方不明者の方々が1日も早く見つかることを願っています。この日、日本映画「ミッドナイトスワン」を観ました。ネットで高評価の作品ですが、実際に素晴らしかったです。感動しましたし、泣きました。何よりも草彅剛の超弩級の演技に圧倒されました。

 ヤフー映画の「解説」には、こう書かれています。
「『神と人との間』などの内田英治が企画、監督、脚本、原作を手掛けたヒューマンドラマ。養育費を当てにして育児放棄された少女を預かるトランスジェンダーの主人公が、次第に彼女と心を通わせていく。『台風家族』などの草なぎ剛、『ジャンクション29』などの田中俊介、『太陽の坐る場所』などの水川あさみのほか、服部樹咲、佐藤江梨子、平山祐介、根岸季衣、田口トモロヲ、真飛聖らが出演する」

 ヤフー映画の「あらすじ」は、以下の通りです。
「新宿のニューハーフショークラブのステージに立っては金を稼ぐトランスジェンダーの凪沙(草なぎ剛)は、養育費を当て込んで育児放棄された少女・一果を預かる。セクシャルマイノリティーとして生きてきた凪沙は、社会の片隅に追いやられる毎日を送ってきた一果と接するうちに、今まで抱いたことのない感情が生まれていることに気付く」

 この映画には、LGBTQやネグレクト(育児放棄)など、さまざまなテーマが盛り込まれていますが、共通しているのは登場人物たちの「生きづらさ」です。まず、LGBTQですが、少し前まで「LGBT」と呼ばれていた言葉にいつの間にかQがついて「LGBTQ」になりました。朝日新聞掲載「キーワード」によると、「レズビアン、ゲイ、バイセクシュアル、トランスジェンダー(生まれた性と異なる性で生きる人)、クエスチョニング(性自認や性的指向を定めない人)の頭文字をとっている。Qは性的少数者の総称を表す『クィア』という意味でも使われている」そうです。この映画では、トランスジェンダーの凪沙を演じた草彅剛が鬼気迫る演技を見せてくれました。

 トランスジェンダーの人は昔は「おかま」と呼ばれました。日本全国の夜の街には「おかまバー」がありました。小倉には、元祖おかまバーの「ストーク」という有名な店があり、わたしも何度か行ったことがあります。わたしがまだ20代の頃でしょうか、小倉の堺町公園の隣にある丸源ビル(小倉が発祥!)の入口で、女装した「おかま」とおぼしき人がサラリーマン風の男性に向かって激怒し、「きさん(小倉弁で貴様のこと)、おかまと思ってナメよったら承知せんぞ!」と凄んでいる場面を目撃したことがあります。「おかまって怖いな」と思ったものですが、常に差別されていた彼らは底知れぬ悲しみを抱えていたのでしょう。この映画でも、凪沙に向かって「化け物!」といった心ない言葉が投げつけられていました。

 トランスジェンダーの主人公が登場する映画といえば、「彼らが本気で編むときは、」(2018年)も話題になりました。「かもめ食堂」「めがね」などの荻上直子監督が手掛けたオリジナル脚本の人間ドラマです。母親に育児放棄された少女がおじとその恋人に出会い、共同生活をするさまを描きます。女性として人生を歩もうとするトランスジェンダーの主人公リンコを、草彅のジャニーズ事務所の後輩になる生田斗真が演じました。生田も草彅ももともと華奢な体つきもあって、女性になった姿にまったく違和感はなく、なんともいえない美しさを漂わせていました。アイドル出身の男性俳優が続けてトランスジェンダーの人物を演じたことに、時代の変化を感じてしまいます。

 それから、ネグレクトです。「ミッドナイトスワン」の冒頭では、水商売勤めの母親(水川あさみ)が仕事の帰りにベロベロに酔っぱらって中学生の娘に暴行するシーンがあり、胸糞が悪くなりました。帰宅するなりソファに倒れ込んだ母の近くで、娘の一果はスナック菓子を食べます。このシーンを観て、一条真也の映画館「MOTHER マザー」で紹介した映画で、やはり母親からネグレクトされていた幼い息子が1人でスナック菓子を食べるシーンを連想しました。どちらの映画も、母親は男にだらしなく自堕落な生活を送るシングルマザーでした。彼女たちも、きっと「生きづらさ」を感じながら生きていたのでしょう。

 トランスジェンダーの女性とネグレクトされた少女、この社会の片隅でひっそりと生きる2人が出会ったとき、バレエ「白鳥の湖」が描くような美しくも悲しい物語が生まれました。オープニングからラストまで素晴らしい映画だっと言いたいところですが、ネグレクトの母親が再登場してから2人の物語に突如亀裂が入り、そこからは不要なシーンが多かったように思います。特に、ネタバレにならないように注意深く書くと、タイで性転換手術を受けてから廃人のようになった凪沙に一果が再会するシーンは「ここまで悲惨にしなくてもいいのに」と思いました。2人で海に行き、一果が海の中に入っていくシーンも「?」でしたし、このあたりは説明不足が目立ちましたね。そして一果が海に入るシーンがラストならまだしも、その後にいきなりニューヨークが舞台となるラストシーンはまったく蛇足であると感じました。

 この映画に登場する社会の片隅で生きる人々は、凪沙と一果だけではありません。舞台となっている新宿のゲイバーで働く人々も同じです。ゲイバーだけでなく、キャバクラもホストクラブも性風俗店で働くひとたちもみんな同じだと思います。この映画が撮影された後、新型コロナウイルスの流行という想定外の出来事によって、新宿の夜の街は壊滅的な打撃を受けました。わたしは新宿の夜の街にはまったく縁がありませんが、少しは馴染みの店もある銀座や赤坂や小倉の鍛冶町や金沢の片町などの接待を伴う飲食店で働く人たちの顔が浮かんできました。ずっと飲みに出ていませんが、「みんな元気かな?」「生きづらさを感じていないかな?」と思うと、なんだか泣けてきました。

 それにしても、草彅剛の演技力は凄いです。正直、彼を見直しました。こんな気持ちは一条真也の映画館「凪待ち」で紹介した映画を観たときに香取慎吾を見直して以来です。「凪待ち」は「凶悪」「彼女がその名を知らない鳥たち」などの白石和彌監督がメガホンを取ったヒューマンドラマです。パートナーの女性の故郷で再出発を図ろうとする主人公を香取慎吾が演じるのですが、そのパートナーの女性が何者かに殺害され、彼は加害者として疑われます。もともとギャンブル中毒で素行の良くなかったことが禍となったのですが、香取慎吾はそんな危うい男を見事に演じました。言うまでもなく、草彅剛と香取慎吾は元「SMAP」で、現在は「新しい地図」の仲間ですが。それにしても、2人とも凄い役者になったものです。

 元「SMAP」で「新しい地図」のメンバーは、もう1人います。そう、稲垣吾郎です。11月20日、彼の主演作である「ばるぼら」の公開が11月20日に控えています。これは、手塚治虫の名作を息子である手塚眞が監督した話題作です。禁断の愛とミステリー、芸術とエロス、スキャンダル、オカルティズムなど、様々なタブーに挑戦した問題作です。その独特な世界観から「ばるぼら」は「映画化不可能」と言われたそうですが、とうとう手塚治虫生誕90周年を記念し初映像化されます。これは、ぜひ観なければ! それにしても、「新しい地図」の3人がそれぞれ映画で新境地を開いているのは嬉しい限りです。SMAPに対するわたしの想いは当ブログでもさんざん書いてきましたが、5人が再結集する日を信じています。

 さて、女優の竹内結子さんが自死されたニュースには驚きました。まだ40歳で、今年1月に第二子を出産されたばかりというのに、残念でなりません。報道によれば自死とのことですが、コロナ禍と関係があったのでしょうか。いま、わたしの周囲には「コロナうつ」の兆候を感じる方が何人かいます。じつは、竹内さんと草彅剛は「僕と妻の1778の物語」(2011年)でW主演しています。一条真也の読書館『妻に捧げた1778話』で紹介した本を映画化したもので、SF作家である眉村卓と大腸がんで死去した妻・悦子の間にあった夫婦愛の実話を元にした作品です。

 東京都内の劇場で行われた上映会には美智子上皇后(当時は皇后)が来場され、草彅の隣席でご高覧されました。上映の前後、上皇后は草彅と懇談され、締めくくりには握手を交わされました。草彅は皇后から演技などを称賛されたといいます。なお、鑑賞の際には周囲の座席に一般の客もいて、皇后が公開された映画をこのような形で鑑賞するのは異例なことでした。2009年に草彅はある不祥事で逮捕されているのですが、それからわずか2年で皇后と臨席し懇談できたというのは、もちろん作品の素晴らしさもあったでしょうが、それ以上に当時の草彅が所属していたジャニーズ事務所の政治力を感じてしまいますね。

「僕と妻の1778の物語」は、草彅剛と竹内さんにとって「黄泉がえり」(2003年)以来8年ぶりの共演作でした。切ないジェントルゴースト・ストーリーの名作で、わたしも大好きな映画です。「黄泉がえり」の翌年の2004年、竹内さんは「天国の本屋~恋火」「いま、会いに行きます」という2本の映画に主演しますが、いずれも名作でした。特に、「いま、会いに行きます」は竹内さんの代表作となりました。

 それにしても、「黄泉がえり」「天国の本屋~恋火」「いま、会いに行きます」、そして「僕と妻の1778の物語」では、すべて竹内さんは亡くなる役、あるいは死者の役を演じていましたね。竹内さんの映画としての遺作は一条真也の映画館「コンフィデンスマンJP プリンセス編」で紹介した映画での女詐欺師のスタア役でしたが、この映画は7月18日に自死した三浦春馬の遺作でもありました。彼は天才恋愛詐欺師のジェシーを演じていました。ネットでは、「三浦春馬に続いて竹内結子も自殺か・・・映画『コンフィデンスマンJP』呪われてる? 長澤まさみが心配だ」といった投稿が相次いでいます。
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心より御冥福をお祈りいたします



 誤解を招くことを承知で言いますが、わたしは竹内さんに「ミッドナイトスワン」を観てほしかったです。彼女がどんな問題を抱えていたか、どれほど生きづらさを覚えていたのかはわかりません。でも、そんな人こそ観るべき映画が「ミッドナイトスワン」だと思うのです。なぜなら、この映画は、生きづらい人々が必死に生きる物語だからです。ちなみに、この映画にはある登場人物が自死するシーンが出てきます。人生の酸いも甘いも噛み分けたわたしなら、「それぐらいのことで死ななくても」と思う動機なのですが、その人物なりの思いや悩みや絶望はあったのでしょう。しかし、その場所が他人の結婚披露宴だったというのは不愉快でした。人の門出を汚したのでは、覚悟の自死も単なるエゴイズムによる行為となってしまいます。

 ここで古い話を出して申し訳ないのですが、草彅剛は2009年4月23日の深夜に東京都港区の公園で泥酔し、全裸で騒いだことにより、公然わいせつ容疑で現行犯逮捕されました。翌日に釈放されて謝罪会見を開きましたが、本人は当時の記憶が全くないと回答。十分反省した事により、翌5月1日には起訴猶予となりました。きっと彼も「生きづらさ」を感じながら生きていたのでしょう。その後のSMAPの解散劇や木村拓哉、中井正居との別れにも心を痛めたことでしょう。彼らのことを「裏切り者」だと恨んだかもしれません。それでも、彼は今日まで生き抜き、観る者に勇気を与えるこの映画に主演しました。

 映画の中で、薬で体をボロボロにした凪沙が「なぜ私が?」「なぜ私だけが?」と言いながら泣き叫ぶシーンを見て、思わず貰い泣きした人はわたしを含めて多いはずです。なぜなら、この世のほとんどの人は「なぜ私が?」「なぜ私だけが?」という思いを抱えながら生きているからです。いま、生きづらさを感じているすべての人に「ミッドナイトスワン」を観ていただきたいと思います。最後に、故竹内結子さんの御冥福を心よりお祈りいたします。合掌。