No.485
19日、東京へ。いくつか打ち合わせを済ませた後、TOHOシネマズ日本橋で日本映画「スパイの妻」を観ました。大ファンである黒沢清監督の最新作です。NHKBS8Kで放送されたドラマを、スクリーンサイズや⾊調を新たにした劇場版です。第77回ヴェネチア国際映画祭では銀獅子賞(監督賞)を受賞。全編に不気味な雰囲気が漂っていて、わたし好みの作品でした。
ヤフー映画の「解説」には、こう書かれています。
「『トウキョウソナタ』『岸辺の旅』などの黒沢清監督によるドラマの劇場版。太平洋戦争前夜を背景に、運命によってもてあそばれる夫婦の試練を描き出す。蒼井優と高橋一生が『ロマンスドール』に続いて夫婦にふんし、『犬鳴村』などの坂東龍汰や、『コンフィデンスマン JP』シリーズなどの東出昌大らが共演。『寝ても覚めても』などの濱口竜介監督と、濱口監督の『ハッピーアワー』などの脚本を担当した野原位が、黒沢監督と共に脚本を手掛ける」
ヤフー映画の「あらすじ」は、「1940年、神戸で貿易会社を経営する優作(高橋一生)は満州に渡り、偶然恐ろしい国家機密を知る。正義のために一連の出来事を明るみに出そうとした彼は、反逆者とみなされてしまう。優作の妻の聡子(蒼井優)は反逆者と疑いの目で見られる夫を信じ、スパイの妻とそしりを受けても、愛する夫と手に手を取って生きていこうと決意する」となっています。
黒沢清監督といえば、ホラー映画の巨匠!
これまで、わたしが日本映画史上最恐と思っている「降霊」(1999年)、「回路」(2000年)、「叫」(2007年)、「ダゲレオタイプの女」(2016年)などの黒沢作品にはいずれも幽霊が登場し、観客を震え上がらせてきました。「スパイの妻」はホラー映画ではないので、幽霊は登場しません。
しかしながら、「スパイの妻」には幽霊に負けない怖い存在が登場します。憲兵です。黒沢清以前の日本映画最恐監督であった中川信夫は、「東海道四谷怪談」「地獄」といったカルト的ホラー作品の残していますが、新東宝から「憲兵と幽霊」(1958年)という作品も発表しています。憲兵というのは幽霊に負けないくらい恐ろしい存在なのです!
その憲兵を東出昌大がじつに見事に演じていました。例の不倫騒動ですっかり悪役のイメージがついた東出ですが、「スパイの妻」での憲兵役は素晴らしかったです。不気味で、陰湿で、狂気を帯びていて、とにかく「令和の時代に、これほど憲兵が似合う役者がいたとは!」と感動してしまうレベルです。黒沢監督も絶賛していました。一条真也の映画館「コンフィデンスマンJP ロマンス編」、「コンフィデンスマンJP プリンセス編」で紹介した映画で見せた繊細な「ボクちゃん」の雰囲気はまったくありません。これだけの存在感が出せるのなら、彼はハリウッドでも「謎の東洋人」のキャラクターで活躍できるのではないでしょうあ。タッパもありますし・・・・・・。
高橋一生も良かったです。存在感ありまくりの東出と違って、彼は存在感を消す演技が抜群にうまいです。どことなく儚げというか、ちょっと目を離したら消えてしまいそうな危うげな感じです。一条真也の映画館「嘘を愛する女」で紹介した映画にも彼は出演しています。長澤まさみ演じるOLは、世話好きな研究医の恋人(高橋一生)と5年にわたって同居していますが、ある日、その彼がくも膜下出血で倒れて寝たきりになってしまいます。すると、彼の運転免許証、医師免許証が偽造されたもので、名前も職業もうそだったことが判明するのでした。こんなトンデモない話なのですが、この映画で高橋一生が演じた嘘男と「スパイの妻」の優作のイメージが重なりました。
そして、蒼井優ですが、彼女は一条真也の映画館「岸辺の旅」で紹介した黒沢清作品にも主演しています。同作品は、3年間行方不明となっていた夫(浅野忠信)がある日ふいに帰ってきて、妻(深津絵里)を旅に誘うという物語ですが、帰ってきた夫は3年前にすでに死んでいる幽霊でした。つまり「岸辺の旅」はジェントル・ゴースト・ストーリーなのですが、蒼井優は生前の夫と不倫関係にあった女性を演じていました。深津絵里演じる妻と直接対決する場面もあるのですが、完全に開き直って、「これでもか」というくらい堂々とした悪女ぶりでした。正直言って、わたしは、蒼井優があまり好きではありません。あの美空ひばりみたいなダミ声がどうしても苦手なのです。
さて、ホラー映画ではない「スパイの妻」ですが、凡百のホラー映画に負けないくらい、妖しい怪奇幻想のムードを発していました。それというのも、憲兵の存在もありますが、映画そのものの妖しさが横溢していたのです。映画の中で優作が個人的に撮影したフィルムを貿易会社のオフィスや憲兵たちが集まった部屋で上映するシーンがありますが、それはそれは淫靡で恐ろしい空気に満ちています。
黒沢監督の出世作である「CURE」(1997年)にもプライベート・フィルムを上映するシーンが登場しますが、あれも恐ろしかったです。未知のフィルムには何が写っているか、わかりません。昭和の頃のブルーフィルムなら可愛いものですが、そこには地獄が写っているかもしれないのです。これほど、怖いことがあるでしょうか。黒沢監督が書いた『映画はおそろしい』という名著がありますが、そう、映画というものは、その存在自体が恐ろしいもの。なぜなら、映画は、わたしたちの窺い知ることのない非日常の世界、すなわち異界を映し出すからです。
実際、「CURE」でも「スパイの妻」でも、劇中に登場するフィルムにはとんでもないものが写っていました。観る者の精神を破壊しかねない危険映像です。「CURE」といえば、精神病院を舞台にしたシーンも登場しました。「スパイの妻」にも精神病院が登場します。これは、憲兵が暴走する戦争中の日本そのものが狂っていたというメッセージもあるのでしょうが、やはり精神病院が超弩級の恐怖発生装置だからではないでしょうか。それは死体置き場や墓場よりも恐ろしい場所なのです。なにしろ、正気の人間でも狂人扱いされる場所なのですから・・・・・・。
あと、「スパイの妻」には、もっと怖い空間も出てきました。船の貨物室に置かれた荷箱です。アメリカへの密航者がこの箱の中で2週間隠れるというのですが、狭い空間の苦手なわたしは想像しただけで震え上がってしまいました。小便チビリそう!(笑) 船底の箱に隠れるという設定は、谷崎潤一郎の「人面瘡」という小説を連想しました。この小説には謎のフィルムやアメリカで活躍する日本人の女間諜なども登場し、「スパイの妻」に通じる部分が多いです。もしかすると、「スパイの妻」には谷崎の影響があるのかもしれません。それはともかく、黒沢監督には「怖いけどまた見たいと思うのが映画」という名言がありますが、オドロオドロシイ幽霊が出なくてもじゅうぶん怖い「スパイの妻」はまさにそんな映画でした。
最後に、ネタバレにならないように書くと、この映画が持つ不気味さの根源には、満州で関東軍によって行われた恐るべき国家機密があります。その内容が、現在のパンデミックに通じていたので、ちょっとドキッとしました。しかしながら、日本国を貶めるようなドラマが日本人によって作られたばかりか、国営放送であるNHKで放送され、さらには劇場版映画がヴェネツィア国際映画祭に出品されて称賛を受けたというのは、正直言って複雑な気分であります。