No.487
現在、映画館では洋画の上映が少なく、日本映画とアニメ映画ばかりです。もちろんコロナの影響ですが、おかげで最近は日本映画を観ることが多くなりました。24日の土曜日、コロナワールド(!)小倉のシネコンで「朝が来る」を観ました。正直言ってそれほど期待していなかった作品ですが、とても感動しました。何度も泣かされました。
ヤフー映画の「解説」には、こう書かれています。
「ドラマ化もされた直木賞作家・辻村深月の小説を映画化。特別養子縁組で男児を迎えた夫婦と、子供を手放す幼い母親の葛藤と人生を描く。キャストは『八日目の蝉』などの永作博美をはじめ、井浦新、蒔田彩珠、浅田美代子ら。『殯の森』などの河瀬直美監督がメガホンを取り、『凶悪』などの高橋泉が河瀬監督と共同で脚本を手掛けた」
ヤフー映画の「あらすじ」は、以下の通りです。
「子供に恵まれなかった栗原佐都子(永作博美)と夫の清和(井浦新)は、特別養子縁組の制度を通じて男児を家族に迎える。それから6年、朝斗と名付けた息子の成長を見守る夫妻は平穏な毎日を過ごしていた。ある日、朝斗の生みの母親で片倉ひかりと名乗る女性(蒔田彩珠)から『子供を返してほしい』という電話がかかってくる」
この映画には、愛する夫の子どもを産みたくても(夫が無精子症のため)生めない女性と、愛する恋人の子どもを産んでも(まだ14歳だから)育てられない少女が登場し、それぞれの心の葛藤が描かれます。2人はまるで真逆な境遇にあるようですが、「女であるがゆえの生きにくさ」を背負っている点では共通しています。そして、「女であるがゆえの生きにくさ」も「女であることの素晴らしさ」も、いずれも結局は妊娠と出産に極まるように思います。妊娠と出産は、女性を不幸にも幸福にもします。そのことを、この映画は見事に描いています。
それにしても、不妊治療に励む夫婦の姿には心が痛みます。わたしの同級生をはじめ、何組もそういうカップルを知っており、彼らが結果的に子どもには恵まれなかったことも知っているので、「こういう辛さだったのか」と少しは想像することができました。井浦新演じる清和が会社の同期と居酒屋で飲んだとき、2人の子持ちである相手に対して、「おまえは凄いなあ、奇跡だよ。1人でも子どもができるって凄いことなのに、2人も恵まれるなんて奇跡だよ」と言いながら酔い潰れるシーンはあまりにも切なくて、泣けました。わたしにも2人の娘がいますが、この「奇跡」に感謝しなければと思いました。
そう、わたしには娘がいますが、それだけに、中学2年生の少女が妊娠して出産するというストーリーには不快感をおぼえました。伝説的なTVドラマである「3年B組金八先生」で鶴見辰悟、杉田かおる演じる幼いカップルが子どもを作りますが、彼らでさえ中学3年生の15歳だったのに! しかも、「朝が来る」の片倉ひかりはまだ生理も来ていなかったのです。映画では、産婦人科医が「初潮が来ていなくても排卵はあります」と言うのですが、そんなこと初めて知りました。しかし、中学2年生の男女が避妊もしないでセックスするのは間違っています。ここの部分は変に美化しないで、シリアスに描いたところは評価できました。
主役の栗原佐都子を演じた永作博美の演技の巧さには唸りました。彼女は何度か心を揺さぶられる電話を受けるのですが、そのときの動揺した表情が素晴らしかったです。永作博美が主演した映画といえば、「八日目の蝉」(2011)を思い出します。誘拐犯の女と誘拐された少女との逃亡劇と、その後の2人の運命を描いた、角田光代原作のベストセラー小説を映画化したヒューマン・サスペンスです。子どもを身ごもるも、相手が結婚していたために出産をあきらめるしかない希和子(永作博美)は、ちょうど同じ頃に生まれた男の妻の赤ん坊を誘拐して逃亡します。しかし、2人の母娘としての幸せな暮らしは4年で終わるのでした。希和子と「朝が来る」の佐都子もまた真逆の人生を歩んでいるようで、血の繋がっていない子どもを愛する点では共通しています。
血が繋がっていない家族の映画には、一条真也の映画館「そして父になる」で紹介した是枝裕和監督の作品があります。巣鴨子供置き去り事件をモチーフにして、「フランダース国際映画祭」のグランプリに輝いた「誰も知らない」(2004年)をはじめ、是枝作品にはいつも「家族」さらには「血縁」というテーマがあります。「血がつながっているのに」が「誰も知らない」。「血はつながっていなくとも」が「そして父になる」。「血がつながっているのだがら」が「海街diary」。「血がつながっていても」が「海よりもまだ深く」。そして、「やはり血がつながっていないから」が「万引き家族」ではないでしょうか?
この映画にも登場する「特別養子縁組」は、素晴らしい取り組みだと思います。「特別養子縁組」とは、民法第817条で定められている子どもの福祉のための制度で、様々な事情で親が育てられない子どもを、家庭で特定の親から愛情を受けて養育することを目的としています。原則として6歳未満の子どもとその生みの親との法律上の親族関係を消滅させ、子どもと育ての親の間に実親子関係に準じる安定した養親子関係を家庭裁判所が成立させる縁組制度です。詳しくは、社会問題解決集団「フローレンス」のネット記事「ドラマ『朝が来る』のテーマ『特別養子縁組』とは?!」をご覧下さい。フローレンスは「訪問型病児保育」「障害児保育」「小規模保育」など、常識や固定概念にとらわれない新たな価値を創造するイノベーター集団ですが、このような社会が抱えるさまざまな問題を解決する活動を続けておられる方々を、わたしは心より尊敬いたします。
映画の中では、フローレンスではなく「ベビーバトン」という特別養子縁組の支援団体が開催する説明会のシーンがありました。そこには、どうしても子どもを授かることのできない多くの夫婦が参加しているのですが、浅田美代子演じる代表者の挨拶および質疑応答の後、実際に養子縁組を行なった家族が登場します。子どもを前にした妻が、「この子と初めて会ったとき、夫が声も出さずに号泣するんです。ああ、夫も辛かったんだなあとわかりました」と語ります。その後、妻の父親が「わたしもこの娘を授かるまで10年かかり、不妊治療も受けましたので、娘の気持ちはよく理解できました。養子縁組と聞いて最初は『ん?』と思いましたが、こんな可愛い孫ができて本当に良かったです」と語り、妻の母親も「孫は太陽です。この子がいるだけで、家の中が明るくなります。いま、わたしたち本当に幸せです!」と語るのでした。それを聞いた参加者たちは涙ぐみますが、わたしも貰い泣きしました。
当然ながら、子どもはペットではありません。人間です。いったん養子縁組をしたら離縁は原則としてできないそうです。育ての親には、子どもにとってその成長にふさわしい養育環境を用意し、成人後も精神的に子どもを支え続けること、すなわち「子どもの一生を引き受ける覚悟」が求められることになります。子どもが病気になることもあるかもしれないし、成長して犯罪を犯すことだってあるかもしれませんが、養親はそれを受け止めなければなりません。それは実の子であっても同じことですが、何が起こってもその子の「すべて」を引き受ける、育ての親にはその覚悟が問われるのです。ちなみに、養子縁組をした子どもには小学校に入学するまでに、その事実を知らせなければならないそうです。まだ年齢が幼いので早すぎるようにも思えますが、おそらくそうすべき確固とした理由があるのでしょう。そこに、さまざまな葛藤や感動があることは言うまでもありません。
実の子を持てなかった夫婦、実の子を育てられなかった少女、この両者をマッチングすることは理想的な問題解決であると言えます。誤解を招く表現かもしれませんが、「WIN-WIN」の関係と言ってもいいでしょう。それでも、「こころ」の収まりがつかないのが人間です。映画「朝が来る」には、わが子を他人の夫婦に託すことについて、「子どもがいないこと以外はすべてうまくいっている人たちが子どもを持って、すべてを手にするわけですよね。妬むのは筋違いだってわかっているんですけど、どうしてもそう思ってしまう」と正直に告白する妊婦の女性がいて、心が痛みました。しかも、彼女は、最愛に人の子どもを産むひかりと違って、風俗勤めで出来た子であり、父親が誰かもわからないのです。「女性の時代」とかなんとか口では言っても、まだまだこの社会は、女性が生きにくい社会なのです。まして、コロナ禍の現在においては・・・・・・。
さて、「朝が来る」では、永作博美の他にも尋常ではない存在感を放っていた女優がいました。特別養子縁組の団体である「ベビーバトン」の代表者を演じた浅田美代子です。これまでの彼女のイメージとは違って、人間としての迫力というか凄味がありました。すぐ、「あっ、樹木希林だ!」と思いました。浅田美代子は生前親しい仲だった故樹木希林を彷彿とさせるような印象だったのです。そういえば、樹木希林が企画した映画「エリカ38」(2019年)で、彼女は主役の渡部聡子・自称エリカを演じました。愛人の指示のもと、支援事業説明会という名目で人を集め、架空の投資話で大金を集めた女の話です。完全な汚れ役ですが、これを演じてから浅田美代子に樹木希林が乗り移ったのかもしれません。
最後に、非常に残念なことがあります。この映画は上映時間が139分もあり、トイレの近いわたしはけっこう我慢の限界に近づいていました。それでエンドロールが流れ始めると、すぐに席を立ってトイレに直行したのですが、鑑賞後にネットでユーザー・レビューを見たところ、「エンドロール後の一言に感動!」とか「エンドロールで席を立たないで!」とか「エンドロールを最後まで観ないと、それまでのすべてが台無しです」とか書いているではありませんか。
おいおい、それなら、映画の冒頭に「この映画はエンドロールの最後まで御覧ください」と告知してよ! それだったら、適当なところでトイレに行って戻り、場内が明るくなるまで席に座っていたのに! それにしても、観ないと「それまでのすべてが台無し」になるエンドロール後の一言とは何でしょうか? 気になって仕方ありません。わたしの大好きなコウメ大夫のように「チクショー!!」と叫びたい気分です。コロナがなかなか終息しないことにも「チクショー!!」と言いたい。
コロナ・ワールド(!)の前で