No.729


 東京に来ています。
 6月22日、数件の打ち合わせの間を見つけて、ヒューマントラストシネマ有楽町で映画「aftersun/アフターサン」を観ました。正直最初は意味がわからず、「なんで、こんな無意味な映画を作ったのか」と思いましたが、後から次第に意味がわかってきて震撼しました。悲しい映画であり、怖い映画であり、危険な映画でもあります。メンタルが弱っている人は観ない方がいいかもしれませんね。
 
 ヤフー映画の「解説」には、「幼いころに父親と二人きりで過ごした夏休みを、成長した女性が回想するかたちで描き、世界各国の映画祭や映画賞で話題となったヒューマンドラマ。トルコのリゾート地で31歳の父親と短い夏を過ごした11歳の少女が、当時の父親と同じ年齢になり、大好きだった父親の記憶をたどる。監督は本作が初長編となるシャーロット・ウェルズ。出演はドラマ『ふつうの人々』などのポール・メスカルをはじめ、フランキー・コリオ、セリア・ロールソン=ホールなど」とあります。
 
 ヤフー映画の「あらすじ」は、以下の通りです。
「思春期真っただ中の11歳のソフィ(フランキー・コリオ)は、離れて暮らしている31歳の父親カラム(ポール・メスカル)と夏休みを過ごすため、トルコの閑散としたリゾート地にやってくる。二人はビデオカメラで互いを撮影し合い、親密な時間が流れる。20年後、当時の父の年齢になったソフィが映像を見返すと、そこには大人になって分かる父親の一面があった」
 
「aftersun/アフターサン」は11歳のソフィが父親と2人きりで過ごした夏休みを、その20年後に父親と同じ年齢になった彼女の視点で綴った作品です。わたしにも2人の娘がいて、それぞれに思い出があるので、どうしても父親の視点から娘を見てしまいますね。しかしながら、この映画ではあくまでも成人した娘の視点というところが重要なポイントになっています。父と娘の二人旅なのは、ソフィの両親がすでに離婚していたからです。それを父の誕生日を迎える夏休みに2人きりで過ごすべく、母はソフィを送り出してくれたのでした。日本では離婚後に1日限りで子どもに会えるケースがありますが、数日間も外国旅行に一緒に行けるとは驚きました。
 
 父娘水いらずの楽しい夏休みのはずですが、わたしは予告編から単なるハートウォーム・ムービーでないことは予測していました。いきなり旅の始めから、ツインベッドを予約したはずのホテルの客室のベッドが1つしかないことが嫌な予感を与えます。娘をベッドに寝かせてベランダで煙草を吸う父の姿は、さらに嫌な予感を与えてくれます。正直言って、「父子の近親相姦」「父が目を離した隙に娘が暴行を受けてしまう」「精神を病んだ父が自殺する」といった3つのバッドストーリーを頭に描いてしまいました。幸いにして、3つとも外れましたが、最後の「精神を病んだ父が自殺する」は当たらずとも遠からずでした。
 
 ここからはネタバレ覚悟で書きますが、父親は精神を病んでいたのです。映画を観ながら、なんとなくわたしも感じていましたが、「町山&藤谷のアメTube」の「aftersun/アフターサン」後編を見て、その感じが間違っていなかったことを確信しました。ある意味で、娘は母親から父親が自殺しないように監視するというミッションを与えられていたのです。ベランダから飛び降りる、夜の海に入水する、崖の上から身を投げる...映画の中には何度も父親が命を絶ちかねないシーンが登場します。無事に旅行を終えた父娘は空港で別れますが、おそらくはそれが今生の別れになったのだと思います。ちなみに「aftersun/アフターサン」の主人公ソフィアのモデルはシャーロット・ウェルズ監督自身だそうです。
 
 シャーロット・ウェルズ監督は、1987年、スコットランド生まれ。現在は、ニューヨークを拠点とするフィルムメーカーです。彼女は、来日時のインタビューで「aftersun/アフターサン」について、「誰もその人間の、相手の頭の中に入り込むのは難しい。そのため(娘が)わかっていない部分は、空白のまま表現しました。カラムの精神状態はいわゆるその他の作品とかで描かれているように、わかりやすいメロドラマ風な見せ方ではなくて、ちょっと荒れることもあるけどふつうに暮らしていて、ほかの人たちと同じように見える――そういう現実的な見せ方をしたかったのですね。メンタルヘルスに対する簡単な答えはないですから、それにつながる要素を作品の中で散りばめて、観客の人には『何かおかしいぞ』『この人は何か問題を抱えているぞ』と気づかせ、考えてもらう意図がありました」と語っています。

『コンパッション!』(オリーブの木)
 
 
 
 インタビューでは、「男性が助けを求めることは少しずつ許されてきている」として、ウェルズ監督はカラムについて「彼は共感、コンパッションをもつ男性ですね。愛情深く、娘を思いやり、良い父親ではありますが、でも彼も最後にいなくなってしまうので、それを完璧と言えるかは疑問です」と語っています。「カラムのような人が、健全に生きられるような社会につくり変えていかなければいけないということでしょうか?」というインタビュアーの質問に対しては、「そうですね。こういう話をしたときに、心の病を抱えている人が増えたというより、それに対する認識が強まった、もしくは人々がより自由に話せる環境ができたのではないか――そういうことを何となく考えるようにはなりましたね。だから、男性が助けを求めること。誰かに話すことが許される社会が少しずつできているのではないか? と思います」と語っています。ウェルズ監督が2日前に発売された拙著のタイトルと同じ「コンパッション」という単語を口にしたことを知って驚きました。
 
「なぜ男の人は命を絶つのか?」という問いに対して、この作品を観たあるイギリス人男性の答えは「ただ死にたいからだ」だったそうです。ウェルズ監督は、「ただ単純にそういう答えが戻ってきたことがあるのです。まあ、イギリスというのはそのみんなお酒飲みですし、男の人というのは酔っ払わないと自分の悩みを話せない。そういうのを話せる社会環境は必要ですし、あと他者への高い期待をもうそろそろなくさないといけないのじゃないかなと思いますね」とも語っています。「aftersun/アフターサン」の終盤では、クラブのような場所で31歳になったソフィアが躍るシーンがあるのですが、そこで流れている曲がクイーンとデヴィッド・ボウイによる「アンダー・プレッシャー」でした。父娘が一緒に踊るシーンでは、同曲の中に出てくる"This is last dance"というフレーズがなんとも虚しく響きます。
 
「aftersun/アフターサン」の中ですごく気に障るシーンがありました。トルコのリゾートホテルのイベントでカラオケのリクエスト大会がありました。せっかくソフィが父親の好きな曲をリクエストしたのにカラムは「絶対に歌わない」と言って拒絶したのです。仕方なくソフィは1人で歌いましたが、歌い終わって席に戻った娘に対してカラムは「歌のレッスンを受けさせようか?」「レッスンすれば上手くなるよ」と言い放つのでした。ソフィは「わたし、下手だった?」と落ち込みますが「レッスン料を払えるお金なんかないでしょ」とやり返すのでした。このシーンを見て、わたしは「カラオケぐらい歌ってやれよ!」とカラムに対して猛烈に腹が立ちましたが、今から思えば、彼はうつ病だったのでしょう。最近、わたしの周囲でも、うつ病の人が本当に多いです。うつは自殺に繋がりますので非常に危険な病気です。その危険さ、怖さといったものがこの映画の至る所に満ちていました。
 
 うつ病の原因は簡単には特定できません。遺伝的要素を含めて、さまざまな要因が絡み合っているのだと思います。でも、その中には「生きる意味の喪失」というものが確実に存在すると思います。生きる意味を呼びこす営みの1つが、誕生日祝いです。誕生日を祝うということは、その当人に対して「あなたが生まれたことは正しいですよ」「あなたの存在を祝福していますよ」「これからも元気で生きて下さい」といった、すべてを肯定するメッセージを送ることです。映画の中には娘のはからいで父がサプライズで多くの他人から誕生日を祝われるシーンが登場しました。そのとき、うつ病で死の誘惑にとりつかれていた彼が虚をつかれたような表情で固まっていたのが印象的でした。ブログ「還暦祝いin山形」で紹介したように、5月10日に60歳の誕生日を迎え、還暦を山形の地で迎えたわたしは同業者の仲間たちからサプライズでお祝いされました。そのときの驚きと感動を思い出しました。

サプライズで誕生日を祝われて感動!