No.724

 
 映画「テノール! 人生はハーモニー」をシネプレックス小倉で観ました。ラッパーの青年がオペラ歌手になるというヒューマンドラマですが、上映時間が100分というちょうどいい感じでテンポも良く、楽しく鑑賞しました。とにかく、オペラ座の荘厳さには終始圧倒されましたね。
 
 ヤフー映画の「解説」には、こう書かれています。
「パリの歌劇場、オペラ座を舞台にしたドラマ。ラップに夢中の青年に歌の才能を感じたオペラ教師が、彼にオペラのレッスンを行う。メガホンを取るのはクロード・ジディ・Jr。『100歳の少年と12通の手紙』などのミシェル・ラロック、ヒューマンビートボクサーのMB14、テノール歌手のロベルト・アラーニャらが出演する」
 
 ヤフー映画の「あらすじ」は、以下の通りです。
「ラップに夢中のフリーター青年アントワーヌ(MB14)は、オペラ座へ寿司をデリバリーした際、そこで自分を見下してきたレッスン生たちにオペラの真似事をしてやり返す。オペラ教師マリー(ミシェル・ラロック)は、アントワーヌの美しい歌声を聞いてその類まれな才能にほれ込み、彼のアルバイト先に押しかけてオペラを学ぶように迫る。周囲に黙ってオペラのレッスンを受け始めたアントワーヌだが、自分がオペラの世界に身を置くことが身分不相応ではないかと思い悩む」
 
 この映画、何よりもわたしが大好きなパリのオペラ座が舞台であるところが嬉しかったです。「パリ・オペラ座」は1875年に完成した「ガルニエ宮」の呼び名として主に用いられますが、それ以前の劇場にも、またそれらを会場として公演を行うオペラ・バレエ団体にも用いられる場合があります。1989年に「オペラ・バスティーユ」が新たに完成し、現在は主にここでオペラ公演が行われます。こちらは「バスティーユ・オペラ座」とか「新オペラ座」とも呼ばれ、単にオペラ座と呼ばれることはありません。
 
 パリ・オペラ座の様子は豪華絢爛の一言です。映画の中では、オペラ劇場以外の場所もいろいろ出てくるのですが、どれも室内装飾が素晴らしくて目を奪われました。そんなオペラ座の一室に迷い込んだ寿司の出前の青年・アントワーヌ(MB14)はオペラのレッスンの場で即興でオペラの真似事をします。もちろん遊び半分の素人芸に過ぎませんが、彼の声は本物でした。その歌声に惚れ込んだオペラ教師マリー(ミシェル・ラロック)は、アントワーヌをオペラの道に導こうとします。
 
 マリーを演じたミシェル・ラロックは62歳という年齢を感じさせないほど美しい人ですが、彼女が惚れ込んだアントワーヌを演じるMB14は28歳。その年齢差はじつに35歳差です。横隔膜のチェックをするためアントワーヌの腹部を触ったマリーは、若い男に飢えた年増女と誤解されます。その後、誤解は解けますが、「女を誘惑する男はドン・ファンと呼ばれるのに、男を誘う女はクーガ(肉食獣)と呼ばれるのはおかしいわ」とマリーは言います。確かに、言われてみればそうですね。
 
 マリーの部屋でオペラのレッスンを開始したアントワーヌは、ヴィクトル・ユゴーの詩で即興ラップを披露します。MB14がジャンルを超越した優れたアーティストであることを示すシーンでした。実際に、彼は天才だと思います。しかし、マリーはアントワーヌとの出会いに運命を感じていました。美しい声を持つ彼との出会いが、人生に疲れたマリーに再びオペラへの情熱を呼び起こさせてくれたのです。このままアントワーヌとマリーが恋仲になっていくのかと思いましたが、そうはなりませんでした。彼らはあくまでも師弟であり、その一線は超えません。
 
 アントワーヌのオペラでの声域はテノールですが、この映画には本物のテノール歌手であるロベルト・アラーニャが出演しています。オペラ座の舞台上で初めて出会ったアラーニャは一発でアントワーヌの才能を見抜き、「リゴレット」の一節を披露します。興味を持ったアントワーヌは、瞬く間に「リゴレット」をマスターし、最後は2人で合唱するのでした。ラッパーがオペラ歌手に変身した瞬間とも言えるでしょうが、芸術にジャンル間の差別はないと思いますが、この映画では明らかにオペラはラップよりも遥かに上位にある芸術として描かれています。ラップの世界よりもオペラの世界に居場所を見つけたアントワーヌは「みにくいアヒルの子」であると思いました。
 
 アントワーヌがラップよりもオペラに惹かれた原因はいろいろあるでしょうが、わたしは彼が自身の主戦場であったラップバトルに嫌気がさしたことが大きかったと思います。相手をディスりまくるラップバトルはMCバトルとも呼ばれ、諸説はありますが、1970年代後半にアメリカの東海岸のヒップホップシーンが起源とされ、DJバトルやダンスバトルと共に行われ広まっていったとされます。アメリカでは1980年代バトルラップがラップの表現の1つとして人気を博した後、定着しました。その後、この映画の舞台であるフランスにも移入されたのです。MCバトルはゲーム的要素だと、ビートを小節ごとに交互で回すのが主流ですが、ただ単にラップでお互いを攻撃し合うこともあり、これもMCバトルと定義されます。
 
 1980年代初頭のアメリカにおけるヒップホップシーンでのMCは、他のMCのライブステージでバトルラップを用いて戦い、それを通じて名声を得ていました。なお、その場のステージや街角などで行われるものがMCバトル、MCそれぞれの音源の歌詞で繰り広げられる中傷合戦はビーフとされています。とにかくMCバトルは相手を攻撃するのですが、「テノール! 人生はハーモニー」の中で、MCバトルの最後でアントワーヌは相手から母親を侮辱され、そのとき、ラップに嫌気がしたようでした。ひたすら相手をディスるラップより、人生の素晴らしさを歌い上げるオペラにアントワーヌが魅力を感じたとしても少しも不思議ではありませんね。
 
 最近、ダウンタウンの松本人志に対して、オリエンタルラジオの中田敦彦「お笑い賞レースで審査員をやりすぎている」と猛批判したことが話題になっていますが、中田は「芸人のラップバトルを開催したい」と提言しています。彼は高校生時代に日本のラップ音楽を聞くなかで、1999年5月にリリースされたDragon Ashの代表曲「Greatful Days」にゲストボーカルとして参加したラッパーのZeebraに衝撃を受けたそうです。Zeebraがラップバトルで相手を大胆にディスるパフォーマンスが「今、俺にとって気持ちいい」と心酔する中田は、お笑い界と重ねて「芸人同士もそうであろうぜ!と思っちゃう」と提案。ヒートアップした中田は動画で、「いつかもうマジで全員と喧嘩してやるからな。弱ってるところボコボコにしてやる」と宣言したのです。ラップというジャンルに罪はありませんが、ラップバトルには強い攻撃性が存在することは間違いありません。
 
 では、ラップは不良の音楽であり、健全な大人は無視すべきなのでしょうか。わたしは、そうとは思いません。日本におけるラップバトル、MCバトルの雄は呂布カルマですが、彼はブログ「時代は、コンパッション!」で紹介したACジャパンの広告の中で、最高にハートフルな寛容ラップを披露しています。「たたくより、たたえ合おう。」というコピーのもと、ラップバトルで相手を尊重し認め合う大切さ、そこから生まれる交流を伝えるストーリーです。手話とオープンキャプションの字幕対応も取り入れています。企画制作は、わたしの古巣の東急エージェンシー!

まさに「コンパッション」そのもの!
 
 
 
 公共広告「たたくより、たたえ合おう。」では、コンビニのレジ待ちの列を舞台にラッパーの呂布カルマや高齢者、店員らが互いを思いやるラップを披露します。登場する「寛容ラップ」は「不寛容な時代~現代社会の公共マナーとは」がテーマです。このCMの「たたくより、たたえ合おう。」というコピーは、わたしの現在のメインテーマである「コンパッション」そのものです。この秀逸なコピーに触発されて、わたしも「コンペティションよりコンパッション!」というコピーを思いつきました。「コンペティション」とは競争という意味ですが、「競い合いより、思いやり」というメッセージですね。

今月、2冊同時に発売されます!
 
 
 
「テノール! 人生はハーモニー」の中で、アントワーヌの兄は町のボスとして対立するグループとの抗争を繰り広げています。自分たちのシマを守るために、兄は地下格闘技で、弟はラップバトルで闘い続けるのですが、そこに寛容ラップの精神が入れば、「競い合いより、思いやり」のコンパッションの世界が開けます。そして、お互いが思いやって尊重し合えば、人生讃歌としてのオペラがウェルビーイングの入口を開くでしょう。そう、ラッパーからオペラ歌手へと変身した青年のドラマである「テノール! 人生はハーモニー」を観て、わたしは「ウェルビーイング」と「コンパッション」について想いを馳せたのでした。

ツインブックスにご期待下さい!