No.731


 東京に来ています。
 6月28日は午後からグリーフケア会議に参加した後、夜の打ち合わせまで少し時間があったので、ヒューマントラストシネマ有楽町でイタリア映画「遺灰は語る」を観ました。一条真也の映画館「探偵マーロウ」で紹介した映画と同様、ネットでの評価が非常に低かったのが気になりましたが、たしかに難解というか万人受けする作品ではありませんでしたね。
 
 ヤフー映画の「解説」には、こう書かれています。
「『塀の中のジュリアス・シーザー』などのタヴィアーニ兄弟の弟パオロ・タヴィアーニが、兄ヴィットリオの死後初めて単独で監督を務めたロードムービー。戦後間もないイタリアを舞台に、ノーベル文学賞作家ルイジ・ピランデッロの遺灰をローマから彼の故郷シチリアへ移送する任務を命じられたシチリア島特使の姿を描く。『私を殺さないで』などのファブリツィオ・フェラカーネのほか、マッテオ・ピッティルーティらが出演する」
 
 ヤフー映画の「あらすじ」は、以下の通りです。
「第2次世界大戦終結直後のイタリア。シチリア島の特使に、1934年にノーベル文学賞を受賞したルイジ・ピランデッロの遺灰が入った骨壷を、ローマからシチリアに移送せよとの命令が下る。ピランデッロは『自身の灰は故郷シチリアに』との遺言を残していたが、彼の名声を利用したい独裁者ベニート・ムッソリーニの意向で遺骨はローマに留まったままだった。ピランデッロの遺志を果たそうとする特使だが、アメリカ軍の飛行機から搭乗を拒まれたり、骨壷が消えたりと、次々とトラブルに見舞われる」
 
 タイトルにある「遺灰」の文字から葬儀に関連する映画ということが明白でしたので、わたしのテーマでもあることから期待して観たのですが、正直、頭を抱えてしまいました。一条真也の映画館「探偵マーロウ」で紹介した映画と同じく、1930年代の物語なのですが、「探偵マーロウ」にナチスが登場するように、「遺灰は語る」にはムッソリーニのファシスト党が登場します。それぞれ、「ナチス」とか「ファシスト」という単語が出ただけで映画そのものに緊張感が走りましたが、それらは今でも寝ている観客の目を覚ますパワーワードなのだなと再認識しました。
 
「遺灰は語る」はロードムービーですが、ピランデッロの遺灰が入った骨壺の入った木箱を持ち込もうとしたアメリカ軍の飛行機から搭乗を拒まれたり、移動する列車の中で骨壷が消えたりする場面は、イタリア映画の歴史に燦然と輝く「ネオリアリスム」の印象がありました。イタリアにおいて、1940年代から50年代にかけて特に映画と文学の分野で盛んになった潮流で、「ネオレアリズモ」とも呼ばれます。ファシズムとナチズムに対する抵抗の時期であり、また戦後の混乱期の映画は、内戦による恐怖と破壊を経験した後で未来を築こうとあえいでいたイタリア社会に現れた問題や現実に題材を取りました。
 
 ネオリアリスム映画としては、「無防備都市」ロベルト・ロッセリーニ(1945年)、「自転車泥棒」ヴィットリオ・デ・シーカ(1948年)、「揺れる大地」ルキノ・ヴィスコンティ(1948年)などが代表的作品です。この中でも、わたしは特に「自転車泥棒」に多大な影響を受けました。たしかNHK教育で放映された内容を高校の美術の授業で観たのが初めての鑑賞だったと記憶していますが、敗戦国の戦後のどん底を痛感させる秀作でした。長い失業の末、映画ポスター貼りの職を得たアントニオは、質屋から自転車を請け出し、6歳の息子ブルーノを乗せ町を回りますが、ふとした隙に自転車が盗まれてしまいます。現在のわたしのメインテーマの1つである「コンパッション」を想い起させる映画でした。
 
「遺灰を語る」の最後には、ノーベル賞作家ピランデッロが書いた「釘」という短編小説が映像化されてスクリーンに流れます。その内容は、釘を拾った少年がなぜか「定め」だと感じて、赤毛の少女を殺すという意味不明の物語でした。その、あまりの不条理さに、わたしはアルベール・カミュの『異邦人』を連想しました。母の死の翌日海水浴に行き、女と関係を結び、映画をみて笑いころげ、友人の女出入りに関係して人を殺害し、動機について「太陽のせい」と答える青年の物語です。判決は死刑でしたが、自分は幸福であると確信し、処刑の日に大勢の見物人が憎悪の叫びをあげて迎えてくれることだけを望みます。通常の論理的な一貫性が失われている男ムルソーを主人公に、理性や人間性の不合理を追求したカミュの代表作です。
 
「遺灰は語る」についての情報をネットで検索していたら、「遺灰との旅」(2020年)というインド映画を知りました。わたしは未見ですが、とても興味深い作品のようです。一家の大黒柱が死去。「遠く離れた思い出の地に遺灰を撒くまでは遺書を読むな」という指示に従い、残された者たちは車で一路パンダルプールの川を目指します。インドのマンゲーシュ・ジョーシー監督による、笑いと涙に溢れたシニアたちのロードムービーだとか。いつか観てみたいです。「遺体」とか「遺骨」とか「遺灰」とかを描いた映画はすべて目を通しておきたいと思います。

内海夫妻から贈られた還暦祝いの品
 
 
 
「遺灰は語る」を鑑賞後、「出版寅さん」こと内海準二さんと会食しました。内海さんは銀座の洋食の名店でわたしの還暦祝いをして下さいました。サプライズだったので、非常に驚きましたが、ブログ「寅さんの還暦祝い」で紹介した内海さんの還暦祝いからもう7年半も経過したことにも驚きました。先日、奥様と京都に旅行されたという内海さんは、東寺の兎の置物(おみくじ付き)と柿渋の扇子をお祝いに贈って下さいました。「うちの奥さんはセンスがいいから、扇子を選んだんだよ!」と内海さんが豪快にぶちかます親父ギャグを聴きながら、わたしは感謝の念でいっぱいでした。最新刊『ウェルビーイング?』『コンパッション!』(ともに、オリーブの木)をはじめ、内海さんにはこれまで多くの本を作っていただきました。これからも多くの本を作っていただけると思っています。お互いが元気で、いつまでもバディとして仕事を続けられることが、わたしにとってのウェルビーイングかもしれないと思いました。内海御夫妻に心より御礼申し上げます。