No.739
7月15日の小倉は、気温38度にまでヒートアップ!
本当に暑かったですが、昼はブログ「サンクスフェスタ小倉」で紹介したイベントで、夜は3年ぶりに完全復活した小倉祇園祭で小倉の街は大いに盛り上がりました。その日の夜、シネプレックス小倉で前日に公開されたアニメ映画「君たちはどう生きるか」を観ました。ポスター画像以外、公開前にはまったく情報がなかった作品です。
ヤフー映画の「解説」には、こう書かれています。
「『もののけ姫』『千と千尋の神隠し』などの宮崎駿が、『風立ちぬ』以来約10年ぶりに監督を務めた作品。タイトルは吉野源三郎の同名の著作に由来し、宮崎監督が原作と脚本を手掛ける」
「君たちはどう生きるか」は、一条真也の映画館「風立ちぬ」で紹介したアニメ映画以来、宮崎監督の10年ぶりの新作となります。「風立ちぬ」は、もともと「モデルグラフィックス」(大日本絵画)の2009年4月号から2010年1月号まで連載された宮崎監督自身による漫画を映画化したものです。映画化にあたって、宮崎監督は脚本も担当しています。主人公の声に「エヴェンゲリオン」シリーズなどの監督である庵野秀明、ヒロインには瀧本美織、他にも西島秀俊や野村萬斎などが声優として参加しています。大正から昭和にかけての日本が舞台ですが、戦争、大震災、世界恐慌による深刻な不景気など、非常に暗い時代でした。そんな中で、飛行機作りに情熱を傾けた青年・堀越二郎の人生を描きます。
「風立ちぬ」の主人公・二郎は幼少の頃から飛行機に憧れて、長じて航空機の設計者となります。彼はイタリア人飛行機製作者であるカブロー二を尊敬し、夢の中でカブローニと飛行機談義を交すほどでした。そして、いつの日か自らの手で美しい飛行機を作り上げたいという夢を抱いていたのです。列車に乗っていた彼は、関東大震災に遭遇しますが、そのとき乗り合わせていた菜穂子という少女に出会います。数年後、避暑に訪れていた軽井沢のホテルで再会した二人は恋に落ちて、結婚の約束をします。ところが、菜穂子は当時は「不治の病」とされたに結核に冒されていたのでした。菜穂子の励ましもあって、二郎はゼロ戦を生み出します。ところが、愛する二人の前には過酷な運命が待っていたのでした。
この映画をわたしが観たのは公開から2日目となりますが、ネットでの評価が異常に低くて驚きました。スタジオジブリの情報統制に合わせるように、映画ジャーナリストやブロガー、YouTuberたちも積極的に発信しないので、内容がまったく摑めませんでした。いつもは親切に情報提供をしてくれる映画コラムニストのアキさんも初日に観られたそうですが、「この映画に関しては何も言えません。観てからのお楽しみですね」と突き放す始末です。もう実際に鑑賞するしかありません。こうして、期待と不安な気持ちが入り混じったまま観たわけですが、想像していたほど悪くはありませんでした。ストーリーに「?」な部分は多々ありますが、シンボルの万華鏡というか、イメージのコラージュのようで、絵的にも美しかったです。
それと、「君たちはどう生きるか」は、過去のジブリ作品の欠片を集めたジグソーパズル的な作品でした。戦時中の物語なので、全体的には「風立ちぬ」のような雰囲気ですが、宮崎アニメの代表作である「となりのトトロ」「もののけ姫」「千と千尋の神隠し」「崖の上のポニョ」などを彷彿とさせるシーンもありました。ジブリ・ファンには楽しめたのではないでしょうか。登場するキャラクターも、白雪姫の小人みたいな7人の老婆、「ワラワラ」という居酒屋チェーンみたいな名前の可愛いキャラなど、なかなか味がありました。唯一公開されていたポスター画像に出ている鳥男みたいな奴もいました。ただ、物語にとって重要な役割を果たすアオサギは不愉快でした。なぜなら、わが家の庭の池には、小倉の板櫃川から飛んでくる大きなアオサギが飛んで来て、池の鯉を狙うからです。そのような理由で、わたしはアオサギが大嫌いなのです!
ジブリ作品以外では、「君たちはどう生きるか」のストーリー展開はダーク・ファンタジー映画の名作「パンズ・ラビリンス」(2006年)によく似ています。鬼才ギレルモ・デル・トロ監督がメガホンをとり、ファシズムという厳しい現実から逃れるため、架空の世界に入り込む少女を通じて人間性の本質に鋭く切り込んだメキシコ・スペイン・アメリカの合作映画です。1944年のスペイン内戦で父を亡くし、独裁主義の恐ろしい大尉と再婚してしまった母と暮らすオフェリア(イバナ・バケロ)は、この恐ろしい義父から逃れたいと願うばかり自分の中に新しい世界を創り出します。オフェリアが屋敷の近くに不思議な迷宮を見つけ出して足を踏み入れると、迷宮の守護神が現われ彼女に危険な試練を与えるのでした。
「パンズ・ラビリンス」のオフェリアは愛する父親を亡くしますが、「君たちはどう生きるか」の主人公・眞人は母親を亡くします。そう、両作品はともにグリーフケアの物語なのです。戦時中という非常時の中でオフェリアの母、眞人は継母が妊娠していること、彼らがうす暗い森の中の秘密の入り口を潜り抜けて異世界へと侵入すること、そこには奇妙な姿をした妖精たちに導かれて迷宮の世界を冒険すること、さらには彼らが異世界の継承者として求められることも共通しています。そして、彼らの異界探訪が一種の通過儀礼であり、現実の世界に戻ったときは成長して大人に近づいている点も同じです。神話にまで遡ることができる「行きて帰りし物語」の典型と言えますが、明らかに宮崎監督は「パンズ・ラビリンス」を意識して「君たちはどう生きるか」を作ったのだと思われます。
でも、映画「気もたちはどう生きるか」は解釈するのには向いていない作品かもしれません。この映画は、基本的に宮崎監督の夢の欠片を集めたような気がします。ですから、黒澤明の「夢」(1990年)に似ています。黒澤明も宮崎駿も、実写とアニメのジャンルは違えど映画の歴史にその名を残した巨匠です。「七人の侍」に代表される痛快時代活劇が世界的な評価を受けて黒澤監督ですが、晩年はエンターテイメントからアートへの転換を図りました。その象徴的な作品が「夢」です。このような私小説的な映画が作れるというのは、これまでの偉大な功績へのご褒美という側面もあったと思います。その意味で、宮崎駿にとっての「君たちはどう生きるか」は、黒澤明にとっての「夢」なのだと思います。そういえば、宮崎駿はこの映画から「宮﨑駿」と改名しています。つまり「君たちはどう生きるか」は、新しいミヤザキ駿、シン・ミヤザキハヤオの第1作なのかもしれません。
さて、映画「君たちはどう生きるか」は、一条真也の読書館『君たちはどう生きるか』で紹介した本に宮崎速雄監督がインスパイアされて生まれたものです。映画そのものを語るのが難しいので、同書について書きます。わたしは『法則の法則』(三五館)の中で、『君たちはどう生きるか』を詳しく紹介しました。題名通り「人生いかに生きるべきか」と青少年に問う感動的な内容ですが、じつはこの本、自然法則から人生法則まで、ありとあらゆる「法則」へのまなざしに満ちた法則本なのです。主人公は「コペル君」というあだ名で呼ばれる中学2年生の少年です。もちろん、そのあだ名は、天動説に対して地動説を主張したコペルニクスに由来しています。このコペル君の個人的な体験を素材に、「おじさんのノート」というかたちで、読者に社会に対する認識の仕方や倫理観などを語りかける内容です。なんと、図解入りでニュートンが発見した「万有引力の法則」についてもわかりやすく解説されています。
『法則の法則』(三五館)
吉野源三郎著『君たちはどう生きるか』の主人公は「コペル君」というあだ名で呼ばれる中学2年生の少年です。もちろん、そのあだ名は、天動説に対して地動説を主張したコペルニクスに由来しています。このコペル君の個人的な体験を素材に、「おじさんのノート」というかたちで、読者に社会に対する認識の仕方や倫理観などを語りかける内容です。なんと、図解入りでニュートンが発見した「万有引力の法則」についてもわかりやすく解説されています。
さて、コペル君は銀座のデパートの屋上から地上の人々の動きを眺めながら身震いし、「びっしりと大地を埋めつくしてつづいている小さな屋根、その数え切れない屋根の下に、みんな何人かの人間が生きている!」と思います。それは、当たり前のことでありながら、あらためて思いかえすと、コペル君は恐ろしいような気がするのでした。コペル君の下に、しかもコペル君の見えないところに、コペル君の知らない無数の人々が生きているのです。そして、彼らは何かをしているのです。その不思議さを、コペル君はデパートの屋上で思い知ったのです。
その後、コペル君は1つの発見をします。自分が赤ちゃんの頃に飲んでいた「オーストラリア製」と印された粉ミルクの缶を手にして、コペル君は牛の世話をした現地の牧場の人をはじめ、いかに多くの人々の営みが関係しているかを実感します。コペル君は次のように思います。
「僕は、粉ミルクが、オーストラリアから、赤ん坊の僕のところまで、とてもとても長いリレーをやって来たのだと思いました。工場や汽車や汽船を作った人までいれると、何千人だか、何万人だか知れない、たくさんの人が、僕につながっているんだと思いました」
それからコペル君は、電灯、時計、机、畳といった部屋の中にあるものを次から次に考えてみます。すると、どれもがオーストラリアの缶ミルクと同じで、とても数えきれないほど大勢の人間が、後ろにつながっていることに気づきます。あたかもそれは、一人ひとりの人間が分子として存在し、しかも、相互に編み目のように結びつきあっているようでした。かくして、コペル君はそれを「人間分子の関係、編み目の法則」と名づけるのです。大発見をおじさんに手紙で伝えたコペル君は、「人間分子の関係、編み目の法則」よりももっと良い名があったら教えてほしいと書き添えます。それに対して、おじさんは、「人間分子の関係、編み目の法則」とは、経済学や社会学でいう「生産関係」と同じであることを示すのです。
岩波文庫版の巻末には、「『君たちはどう生きるか』をめぐる回想〜吉野さんの霊にささげる」という丸山真男の小文が掲載されています。丸山真男といえば岩波文化人の代表とも呼ばれた有名な政治学者であり、もっともマルクス主義を理解している日本人の一人とされた人物です。コペル君が缶ミルクから「人間分子の関係、編み目の法則」を発見し、おじさんがその足りないところを補いながら、それを「生産関係」の説明にまで持ってゆくところに読み進んで、丸山真男は思わず唸ったそうです。そして、「これはまさしく『資本論入門』ではないか」と思ったといいます。丸山真男は、『君たちはどう生きるか』を読んだとき、すでに東大生であり、『資本論』についてのそれなりの知識を持っていました。おそらく、その理解の深さは相当なレベルであったでしょう。
その丸山真男をして、中学生の懸命の発見を出発点として「商品生産の法則」へと読者を導いてゆく筆致の鮮やかさに唖然としたというのです。そう、この本はマルクス主義入門、すなわち共産主義でもあるのです。現代日本に突如として80年前の小説である『君たちはどう生きるか』が注目された秘密がここにあります。「社会の右傾化」とか「左翼の逆襲」とか野暮なことは言いたくありませんが、謎のベストセラーが誕生するには必ず秘密があります。それもまた「法則」ではないでしょうか。いずれにせよ、マルクスやエンゲルスが追求した「法則」について知りたい方は、『資本論』にチャレンジする前に、ぜひ『君たちはどう生きるか』を読まれることをおすすめします。
そして、宮崎版「君たちはどう生きるか」には、同書が一瞬だけ登場します。主人公・眞人の亡くなった母親が「大きくなったら、この本を読んで」と書き記した同書を見つけたのです。母の思い出とともに本のページを繰る眞人の目には光るものがありました。このシーンを観て、自分もいつか「生き方」の本が書きたいなと思いました。死ぬ前に『ハートフルに生きる』という本を書きたいです。最後に、映画「君たちはどう生きるか」を高く評価する人も、まったく評価しない人もいるでしょうが、わたしはシナリオの出来が良くないので好きな作品ではありません。宮崎監督が観客を置き去りにして作ったマスターベーション的な映画だと思いました。あと、エンドロールが大嫌いです。声優陣の豪華さには目を見張りますが、役者の名前だけで、誰がどの役を演じたかが一切不明で、不親切です。米津玄師の主題歌「地球儀」もイマイチでした。