No.744


 東京に来ています。「殺人的な暑さ」と言う他はありません。東京のサラリーマンはみんな上着なしですが、わが業界の会議はスーツが欠かせないので大変です。7月26日は業界の3つの会議に参加後、シネスイッチ銀座でウクライナ映画「キャロル・オブ・ザ・ベル 家族の絆を奏でる詩」を観ました。実話を基にしており、心温まる佳作でした。
 
 ヤフー映画の「解説」には、こう書かれています。
「第2次世界大戦下のポーランドを舞台に、同じ家で暮らすことになったウクライナ人、ポーランド人、ユダヤ人の3家族の姿を描くドラマ。戦争に翻弄される人々が、ウクライナ民謡から生まれた楽曲『キャロル・オブ・ザ・ベル』を支えに苦境を生き抜こうとする。監督はドキュメンタリーなどに携わってきたオレシア・モルグレッツ=イサイェンコ。『スナイパー コードネーム:レイブン』などのアンドレイ・モストレンコ、ヤナ・コロリョーヴァ、ヨアンナ・オポズダらが出演する」
 
 ヤフー映画の「あらすじ」は、「1939年、ポーランド領スタニスワヴフ(現ウクライナのイヴァーノ=フランキーウシク)。ユダヤ人一家が暮らす家に、ウクライナ人とポーランド人の一家が越してくる。ウクライナ人の娘は歌が得意で、歌うと幸せが訪れると信じて『キャロル・オブ・ザ・ベル』を度々歌っていた。やがて第2次世界大戦が始まり、ポーランド人とユダヤ人の親たちが連行された後、ウクライナ人の母はわが子と分け隔てなく、残された子供たちの面倒を見る。戦況が悪化し、ナチス・ドイツによって夫が殺されるが、彼女はそんなときに出会ったドイツ人の子供も戦火から守ろうとする」です。
 
 この映画は2022年のウクライナ映画です。ウクライナはロシアからナチス・ドイツの支配下にあり、第二次世界大戦が終わってもまたロシアに占領され、苦難を強いられました。侵略者はヒトラーからスタリーンに変わっても、世界に平和は訪れません。ウクライナ人をはじめ、ポーランド人、ユダヤ人といった虐げられし人々の運命に胸が痛みました。ドイツ人はカトリック、ウクライナ人はギリシャ正教、ユダヤ人はユダヤ教......それぞれ信じる宗教は違いますが、ウクライナ民謡でクリスマスキャロルとして有名な「キャロル・オブ・ザ・ベル」で宗教や民族の違いを超えて人々の心が繋がっていきます。
 
 戦争を描いた映画はどれも痛ましいですが、ナチス・ドイツが登場すると異様な緊張感が生まれ、映画そのものがサスペンスフルになります。一条真也の読書館『ナチス映画史』で紹介した馬庭教二氏の著書によれば、近年、ヒトラーやナチスを題材とする映画が多数製作、公開されています。2015年から2021年の7年間に日本で劇場公開された外国映画のうち、ヒトラー、ナチスを直接的テーマとするものや、第2次大戦欧州戦線、戦後東西ドイツ等を題材にした作品は筆者がざっと数えただけで70本ほどありました。この間毎年10本、ほぼ月に1本のペースでこうした映画が封切られていたことになるわけで、その異常なまでの数の多さに驚かされます。ユダヤ資本が支えているハリウッドを始め、映画産業そのものがナチスへの憎悪の上に成立している気さえしてきますね。
 
 自らは死ぬ運命にあるユダヤ人夫妻が娘たちをウクライナ人家族に託す場面には泣けました。ユダヤ人夫妻の心中を想うと辛いですが、子どもたちを預かって守り抜こうとしたウクライナ人夫妻は立派でした。そこには「コンパッション」の精神がありました。思えば、戦時中に限らず、人の子を預かって育てた人はあらゆる歴史、そして場所を通じて存在しました。日本でも、少し前まで、親を亡くした親戚の子を預かって我が子のように育てるという習慣がありました。自分の子どもだけでも大変なのに、なかなか出来ることではありません。よく苦労話で「親戚の間をたらい回しにされた」などと言いますが、現在では「たらい回し」どころか、一瞬たりとも預かるような親戚は少なくなったのではないでしょうか。ましてや、他人の子を預かるなど、並大抵のことではありません。わたしは、そんな人を心から尊敬します。
 
 わたしは、ウクライナ人夫妻の生き方から、『論語』「託孤寄命章(たっこきめいのしょう)」を連想しました。孔子は、君子とは何よりも他人から信用される人であると述べました。信用とは全人格的なものです。『論語』「泰伯」篇には、以下のような一文があります。「曾子曰く、以て六尺(りくせき)の孤を託すべく、以て百里の命を寄すべく、大節に臨みて奪うべからざるや、君子人か、君子人なり」 意味は、「曾子が言った。孤児を託すことのできる者、百里四方ぐらいの一国の運命を任せうる人、危急存亡のときに心を動かさず節を失わない人、そういう人が君子人であろうか、君子人である」。これが、有名な「託孤寄命章」と呼ばれる一章です。確かに、幼い子どもを誰かに託して世を去っていかねばならないとき、これを託すことができるのは最も信頼できる人物だというのは事実です。ということは、自分はそのとき誰を選ぶだろうと考えてみれば、真に信頼できる人が誰かがわかります。
 
 ナチス・ドイツから身を隠すユダヤ人の子どもたちは一切、外出できません。また、ナチスがユダヤ人狩りのために家宅捜索に来たときは、大きな柱時計の裏の部分に隠れます。大きなといっても柱時計の裏は狭く、息苦しい場所です。わたしは、そのシーンを見て、フランス映画「サラの鍵」(2011年)を思い出しました。1942年、ナチス占領下のフランスで起きたヴェルディヴ事件(フランス政府が率先してユダヤ人をアウシュビッツへと送った事件)を軸に、現代に生きる女性ジャーナリストが、迫害を受けたユダヤ人少女サラの悲劇を解き明かしていく人間ドラマです。この映画では、ナチスに見つからないように、ユダヤ人の姉が幼い弟をタンスの中に隠して鍵を掛けたままナチスに連行されてしまうのです。わたしは、この映画をDVDで初めて鑑賞したとき、大きなショックを受け、また深い感動を得て、涙が止まりませんでした。
 
「キャロル・オブ・ザ・ベル 家族の絆を奏でる詩」を観て、わたしはアメリカ映画「ソフィーの選択」(1982年)も連想しました。第二次世界大戦が終結した2年後の1947年。ニューヨーク市ブルックリンで、南部から出てきた作家志望のスティンゴ(ピーター・マクニコル)と、美しいポーランド女性・ソフィー(メリル・ストリープ)、ソフィーの彼・ネイサン(ケビン・クライン)の3人が出会います。ソフィーはナチの強制収容所から逃げ延びた後、アメリカで出会ったネイサンと共に暮らし始めます。やがて3人は親しくなり、幸福な関係を築くかに見えましたが......。ホロコーストを題材に、メリル・ストリープがその圧倒的な演技でアカデミー賞主演女優賞ほか多くの映画賞を受賞した魂が震える感動作です。ナチスに迫害されたユダヤ人の悲劇を描いた映画は非常に多いですが、わたしが最も心を痛めた作品が「サラの鍵」で、次が「ソフィーの選択」です。
 
 戦争は多くの人々を不幸にしますが、最も弱い存在、すなわち子どもは大きな悲劇に巻き込まれます。親を殺され、兄弟姉妹を殺され、友人を殺され、そのグリーフはあまりにも深いです。「キャロル・オブ・ザ・ベル 家族の絆を奏でる詩」では、親が別々の3人の少女が深いグリーフを体験し、長く暗い辛いトンネルのような日々を過ごします。でも、離れ離れになっても、彼女たちの心は音楽で繋がっていました。ウクライナ人の母親はピアノが堪能で、子どもらに歌を教えており、ナチスの将校の息子にも教えていました。「戦争と音楽」をテーマにした映画では、イギリス・ドイツ・フランス・ベルギー・ルーマニアの合作映画「戦場のアリア」(2005年)を思い出しました。第1次世界大戦中にフランス北部の前線で起こった、フランス軍、スコットランド軍、ドイツ軍による一夜限りの休戦と交流を描いた感動作です。
 
 この映画のタイトルである「キャロル・オブ・ザ・ベル」はウクライナの民謡を元に、マイコラ・レオントーヴィッチュが1914年に編曲したシュチェドルィックに、1936年にウクライナ人作曲家ピーター・J・ウィルウフスキーが英語の歌詞を付けたもの。作曲から100年以上経った今日において、最もよく歌われるクリスマス・ソングの1つです。また今日までに多くのアーティストによってカバーされています。その形態もクラシック、メタル、ジャズ、カントリーミュージック、ロック、ポップミュージックなど。そして、「ホーム・アローン」をはじめとする多くの映画やテレビ番組などで使用されてきました。この有名な曲にまつわる感動の実話を映画化したオレシア・モルグレッツ=イサイェンコは、良い仕事をしましたね。