No.750
8月11日、シネプレックス小倉で問題の映画「バービー」を観ました。バービー役の女優マーゴット・ロビーの髪型に原爆を連想させるキノコ雲が合成された画像が大炎上し、日本人は大激怒。日本公開直前の出来事で、この日はシネコンで一番小さな10番シアターでの上映。わたしも、今回の一件には強い怒りを感じました。しかしながら、映画そのものに罪はないので、まずは鑑賞した次第です。
ヤフー検索の「解説」には、こう書かれています。
「世界中で発売されているファッションドール、バービーを映画化したファンタジー。ハッピーな毎日を送ることのできるバービーランドで暮らすバービーとケンが、リアルワールド(人間の世界)に迷い込む。バービーを『ハーレイ・クインの華麗なる覚醒 Birds of Prey』などのマーゴット・ロビー、ケンを『ラ・ラ・ランド』などのライアン・ゴズリングが演じる。監督は『ストーリー・オブ・マイライフ/わたしの若草物語』などのグレタ・ガーウィグ」
ヤフー検索の「あらすじ」は、以下の通りです。
「"バービーランド"はどんな自分にでもなれる、夢のような場所。そこに暮らすバービー(マーゴット・ロビー)は、ある日突然、体に異変を感じる。バービーは原因を追求するべく、ボーイフレンドのケン(ライアン・ゴズリング)と共に人間の世界へとやってくる。そこでバービーは、自分の思い通りにならない経験をする」
現在、アメリカをはじめとした世界各国ではクリストファー・ノーラン監督の最新作「オッペンハイマー」が公開中です。日本では公開されていません。科学者の伝記映画としては例外的な大ヒットとなっているそうです。内容は、アメリカ陸軍による原子爆弾開発計画「マンハッタン・プロジェクト」のリーダーを務めた物理学者ロバート・オッペンハイマーの半生を描いたものです。「マンハッタン・プロジェクト」を中心に据え、特に試作された核弾頭「トリニティ」の臨界実験を映像的なクライマックスに据えているといいます。原爆というのは世界史上で2回しか使われていません。その土地は日本の広島と長崎です。ですから、被爆国である日本の人々は、当事者として、映画「オッペンハイマー」をどこの国の国民よりも早く観る権利、また評価する権利があると思います。
実際、わたしは「オッペンハイマー」が日米同時公開されるとばかり思っていました。それが、日本だけ非公開で、現在も公開が決定していないのは何故なのか。この映画で、原爆開発の倫理的責任はどう描かれているのか。試作弾頭「トリニティ」の臨界実験の描写は凝りに凝ったCGと音響で圧倒的なインパクトが強いそうですが、それが、原爆の恐怖を表現しているのか、それとも開発成功を称える高揚シーンになっているのか。さらには、広島・長崎の惨状はどう描かれているのか。本当は、「広島原爆の日」である8月6日までには公開されているべきでした。こうなったら、1日も早い「オッペンハイマー」の日本公開を切に希望します。
7月21日に「オッペンハイマー」とアメリカで同時公開された映画が「バービー」です。この2作を二本立てで見ることがブームになり、ファン達が関連画像をSNSに投稿。その画像は、バービー役の女優マーゴット・ロビーの髪型に原爆を連想させるキノコ雲が合成されています。さらに、爆発を背景に2作品の登場人物が合成された画像もあります。 日本人には見過ごせない画像ですが、さらに問題なのがバービーの公式アカウントが「忘れられない夏になりそうですね」とハートマークをつけて投稿した点です。また、キノコ雲の画像にもウインクのマークをつけて返信しています。公式が好意的に受け止めているかのような返信に見えます。アメリカの一部の人々がいまだに「原爆は栄光の兵器」「ウィニング・ウェポン」という考え方があることを知り、呆然としました。岸田首相が開催した「広島G7」はいったい何だったのでしょうか?
そんな炎上騒動が公開直前に起こったものですから、映画としては非常に不幸であったと言えますが、まずは何の先入観も取っ払って「バービー」を観てみました。すると、冒頭に「太古より女の子は人形を好んだが、それはいつも赤ちゃん人形だった」みたいなナレーションが流れて、お母さんになった気分で赤ちゃん人形を抱っこする女の子たちの姿がスクリーンに映し出されます。ある日、突然、美しく若い大人の女性の巨大人形が出現し、少女たちは覚醒。それまで愛用していた赤ちゃん人形を叩き壊し、次々に破壊します。そのシーンが本物の生きた赤ちゃんを殺しているようなホラーまがいの映像で、わたしは「いきなり暴力的な映画だな」と思ってドン引きしました。その暴力性からは、原爆による大量殺戮が連想されました。
「バービー」のこの冒頭シーンは、SF映画史上に燦然と輝くスタンリー・キューブリック監督の名作「2001年宇宙の旅」(1968年)の冒頭シーンのパロディです。人類が文明を築く400万年前、ホモサピエンスの祖先であるヒトザルが、荒野で飢えに苦しみながら生存競争を闘っていた頃。ある日、ヒトザルたちの前に黒い石板のような謎の物体「モノリス」が出現し、サルたちは驚きながらも恐る恐るそれに触れます。やがて一体のヒトザルがモノリスの知能教育により、動物の骨を道具・武器として使うことに目覚めます。水場をめぐって対立する別のヒトザルの群れにも骨を武器として対戦し、勝利した歓びのあまり骨を空に放り上げます。「バービー」ではモノリスが巨大サイズのバービー人形、骨が通常サイズのバービー人形になっていました。「2001年宇宙の旅」はMGMで、「バービー」はワーナー・ブラザーズの製作ですが、こんな露骨なパロディ化が可能なのですね。
「バービー」に登場するバービーランドは、ピンク色を基調とした女の子たちにとっての夢の国です。そこでは、さまざまなファッションに身を包み、さまざまな職業のバービーたちが幸せに暮らしています。そこでは男たちは脇役にすぎず、毎晩、「ガールズ・ナイト」と称して女の子たちはパーティーに興じます。女性主役のバービーランドは、いわば「フェミニズム」の王国で、ここで生まれた「男女平等」だとか「女性の社会進出」「女性大統領の誕生」といった理念が現実の人間界に影響を与えているとされます。わたしは、これは哲学者プラトンが説いた「イデア」の世界だと思いました。プラトンは、本当にこの世に実在するのはイデアであって、わたしたち人間が肉体的に感覚する対象や世界とはあくまでイデアの似像にすぎないと訴えました。あまりにも有名な「イデア説」です。
プラトンの「イデア」の世界を見事に小説化したのが、ノルウェーの作家であるヨースタイン・ゴルデルが書いた哲学ファンタジー『ソフィーの世界』です。1991年に発表されるや「一番やさしい哲学の本」として、全世界で2300万部以上を売上げた大ベストセラーとなりました。日本でも、1995年に翻訳出版。主人公は、ごく普通の14歳の少女ソフィーです。「あなたは誰?」とたった1行だけ書かれた差出人不明の手紙を受け取った日から、彼女の周囲ではミステリアスな出来事が起こっていきます。「世界はどこから来た?」「わたしは一体何者?」これまで当たり前と思っていたことが、次々と問いとして突きつけられます。そしてソフィーはこれらの謎と懸命に向き合っていきます。わたしも読みましたが、大傑作です!
『ソフィーの世界』という本の大きな特色は、「哲学史の宝石箱」であることです。ソクラテスやアリストテレス、デカルトやカント、ヘーゲルなど、古代ギリシャから近代哲学にいたる西洋の主要な哲学者の大半が登場しています。読者をファンタジックな世界へ誘いながら、ソフィーと一緒に彼らの概念をやさしく生き生きと読み解いていく手法は秀逸で、「哲学って面白い!」と思わせてくれます。教育学者の田島薫氏は、「哲学というこの世界じゅうの物事の根源、存在の意味の解明をおもしろく描き、おとぎ話と融合させた作者の功績はとてつもなく大きい」と高く評価しています。『ソフィーの世界』は、1996年に映画化されています。そのラストシーンでは、不思議の国のアリスをはじめとする物語の主人公やミッキーマウスをはじめとするアニメのキャラクターたちがイデアの世界に実在しているシーンが流れますが、非常に感動的でした。
バービーランドも、一種の「イデアの世界」です。そこはファッションとレジャーとグルメと音楽とダンスに満ち溢れた楽園なのですが、あるとき、マーゴット・ロビー演じる主人公の定番バービーが「死」について考えた瞬間から、不穏なムードが漂います。すべての歯車が狂い、朝起きたバービーは口臭がするし、シャワーを浴びたらお湯ではなく水だし、ワッフルを焼いたら黒焦げになってします。しまいには、自慢の足までぺったんこになってします。困り切ったバービーは、人間界へ行って問題を解決しようとしますが、すべての発端は彼女が「死」について考えたからでした。わたしは、この場面を見て、現在のわたしのメインテーマである「ウェルビーイング」と「コンパッション」のことを連想しました。
『ウェルビーイング?』『コンパッション!』の双子本
わたしは、幸福の追求をテーマとした『ウェルビーイング?』(オリーブの木)、思いやりの実践をテーマにした『コンパッション!』(オリーブの木)を同時に書きました。現在、「SDGs」を超えるキーワードとして「ウェルビーイング(wellbeing)が流行していますが、わが社ではすでに40年も前から使っていた言葉です。「ウェルビーイング」は幸福についての包括的概念ですが、じつは決定的に欠けているものがあります。それは「老い」や「病」や「死」や「死別」や「グリーフ」です。これらを含んだ上での幸福でなければ意味はなく、まさにそういった考え方が「コンパッション(compassion)なのです。つまり、「ウェルビーイング」を補完するものが「コンパッション」であると言えます。バービーランドはいわば「ウェルビーイング」だけの能天気な楽園でしたが、そこに「死」という「コンパッション」の要素が入り込んだ途端に物語は急変するのでした。
わたしは、以前はウェルビーイングを超えるものがコンパッションであると考えていましたが、この2つは矛盾しないコンセプトであり、それどころか2つが合体してこそ、わたしたちが目指す「心ゆたかな社会(ハートフル・ソサエティ)」が実現できることに気づきました。ウェルビーイングが陽なら、コンパッションは陰。そして、陰陽を合体させることを産霊(むすび)といいます。陰陽といえば、火と水が代表的です。火と水の陰陽和合を描いたのが、一条真也の映画館「マイ・エレメント」で紹介したディズニー&ピクサーのアニメーション映画です。異なる特性のエレメントとは関われないというルールがある街を舞台に、火のエレメントである少女と、水のエレメントである青年の出会いを描いています。
陰陽を表現した「太極図」
幸福の正体は、ウェルビーイングだけでは解き明かせません。また、コンパッションだけでも解き明かせません。陰陽の2本の光線を交互に投射したとき、初めて幸福の姿が立体的に浮かび上ってくるように思います。それは、「死」があるからこそ「生」が輝くことにも通じています。太極図では、陰と陽が1つの円を作っています。陰陽は相反するものでなく1つのものが見せる異なったように見える姿です。陰と陽の光があたり、1つの円が見えてくるという感覚です。言い換えると、陰と陽がないと円は見えてきません。そして陰陽が繋がることによって神道でいう「産霊」が起動するように思います。わたしは、喜びと悲しみ、冠婚と葬祭、平和と平等、そしてウェルビーイングとコンパッションを繋ぎ、産霊の力によって「幸福」というものを実現したいと思いました。
陰陽の代表的存在が「火と水」だと言いましたが、じつはもう1つあります。「男と女」です。しょせん、この世は男と女。男女が仲良く共生しないと理想的な世界など絶対に実現できません。その点、「バービー」という映画は監督が女性ということもあってか、フェミニズムの主張が強すぎて、男女を対立する存在として描いているとことに大きな違和感をおぼえます。男女は対立するものではなく、共生するもの、さらには和合するものです。その和合としての「産霊」の結果が赤ちゃんの誕生なのですが、ここで赤ちゃん人形を破壊する冒頭シーンが甦ります。LGBTQも多様性も結構ですが、男女が愛し合って子どもが生まれ続けなければ人類は存続できません。その意味からも、わたしは「バービーはケンを受け入れて、せめてキスぐらいはさせてやれよ」と思いましたね。あと、「バービーがケンのキスを頑なに拒んだのは、映画でも描かれた彼女の口臭のせいかもしれない」とも思いました。(笑)
考えてみれば、「老い」や「病い」や「死」のない現実世界は存在しないように、「ハグ」や「キス」や「セックス」のない現実世界もありえません。考えてみれば、それらのコミュニケーションが排除された世界こそが「コロナ禍」社会でした。バービー人形やケン人形には性器がありませんが、リアルワールド人間界で若い夫婦がセックスレスでは悲しいですね。恋人同士であってもセックスレスは寂しい。ケンがつぶやいた「長い曖昧な恋人」という言葉が虚しく響きますね。また、「バービー」はイデアをテーマにした哲学的映画です。バービーがケンに「ケンとは誰なの?」と問うところも哲学的です。そんな真面目な哲学映画の世界観が、人類史上最悪の愚行である原爆投下と関連づけられたこと自体に違和感をおぼえます。コラボされるなら、「オッペンハイマー」ではなく、「マイ・エレメント」であるべきでした。わたしは、そう思います。
さて、バービーはアメリカの着せ替え人形ですが、日本にはリカちゃん人形があります。「バービー」を試写で観た映画コラムニストのアキさんは、幼い頃に大量のリカちゃん人形で遊んでいたそうです。バービーが米国のマテル社から初めて作られた1959年当初の工場は日本で、日本国内でも1962年になって、マテル社製のバービーが発売されました。しかし、バービーは日本の女の子たちには不人気でした。そこへ1968年になって日本のメーカーであるタカラがリカちゃんを販売開始したところ、爆発的に売れました。そのため、米国製バービーは日本市場から姿を消したのでした。やはり、アメリカの人形よりも日本生まれの人形の方が大和なでしこの好みに合ったのでしょうが、こういった恨みもあって、映画「バービー」はプロモーションの段階から全日本人に喧嘩を売ったのかも?
「バービー」をポリコレ映画と見るか、反ポリコレ映画と見るか、鑑賞者によって見方の異なるところでしょうが、わたしは基本的にポリコレ映画というやつが大嫌いです。特に主人公の容姿が優れない昨今のポリコレ映画は観る気がしません。「映画の主役は美男美女であるべき」と考えているわたしにとって、結果的にマーゴット・ロビーとライアン・ゴズリングが主演した「バービー」は正しいハリウッド映画でした。特に、マーゴット・ロビーの美しさには魅了されました。彼女は顔が可愛いだけでなく、スタイルもいいし、肌も綺麗ですね。日本人でバービーの実写版を演じるなら、主役は白石麻衣でしょうか? リカちゃんの実写版なら、主役は西野七瀬だと思います。2人とも、日本最高の美人集団といっていい「乃木坂46」の絶対的エースでしたね。なぜ、わたしが唐突にこんなことを言うかというと、もうすぐ重大発表を控えているからです。まだ言えませんが、わが映画人生の中でも最大級の重大ニュース。9月に発表しますので、どうぞ、お楽しみに!