No.748


 8月4日から公開されたディズニー&ピクサー新作アニメ映画「マイ・エレメント」をシネプレックス小倉で観ました。 ブログ「ディズニー&サンレー」で紹介したように、同劇場では現在、素敵なコラボが実現しています。この映画も想像を超える傑作で、いろいろと考えるヒントを与えられました。火と水が主役ですが、現在のわたしの最大のテーマである「ウェルビーイング&コンパッション」に通じる大いなる陰陽和合の物語でした!
 
 ヤフー検索の「解説」には、「火・水・土・風といったエレメント(元素)たちが暮らす世界を描く、ディズニー&ピクサーによるアニメ。異なる特性のエレメントとは関われないというルールがある街を舞台に、火のエレメントである少女と、水のエレメントである青年の出会いを描く。『アーロと少年』などのピーター・ソーンが監督を務め、同作にも携わった『カーズ2』などのデニス・リームがプロデューサーを担う。ボイスキャストにはリーア・ルイス、マムドゥ・アチーらが名を連ね、日本版声優として川口春奈、玉森裕太らが参加する」と書かれています。
 
 ヤフー検索の「あらすじ」には、こう書かれています。
「火・水・土・風という、異なる特性を持つエレメント(元素)たちが暮らすエレメント・シティ。火の街で暮らす少女・エンバーは街から出ることなく、父親の店を継いで家族の期待に応えようと奮闘していた。ある日、熱くなりやすい自分とは真逆の、水のエレメントの青年・ウェイドと出会う。彼と過ごすうちに世界の広さに触れたエンバーは、自分の新たな可能性について考え始め、知らない世界への興味を募らせていく。しかしこの街には、違うエレメントとは関われないという決まりがあった」
 
「マイ・エレメント」におけるエンバーとウェイドの恋愛は、肌の色が違う者同士、信仰が違う者同士、身分が違う者同士、あるいは不倫...すべての「許されない恋」のメタファーとなっています。さらに、火であるエンバーと水であるウェイドの恋物語は究極の「ロミオとジュリエット」になっていました。まったく違う世界に生きて、何もかも違う存在同士ですが、二人は出会ってしまいました。お互いの心は確かに通じ合い、相手に触れたいのだけど、怖くて触れることができない。でも、勇気を出して触れ合ったとき、世界は劇的に変わります。大切なのは、側に「あなたが好きです」と言ってくれる相手がいることではないでしょうか。わたしは、そう思います。
 
 火の女の子であるエンバーは、父親から店を継承することに悩みますが、その継承式に火のリレーが行われたことが興味深かったです。一条真也の読書館『古代都市』で紹介したフュステル・ド・クーランジュの歴史書の第三章「聖火」の冒頭には、「ギリシア人やローマ人の家には祭壇がすえてあって、すこしの灰ともえる灰とが、つねにそなえてなければならなかった。夜も昼もその火をたやさないのが、家長の神聖な義務であった。祭壇の火がきえると、その家には災いがおそう。毎晩人は炭火がもえゆきないように、灰をかけておく。朝眼がさめると、まずその火をかきたて、木の枝をのせて火力をさかんにする。祭壇に火がきえるのは、全家族が死滅したときである。竈がきえるのと家がたえるのとは、古代人のあいだでは意味を同じくする表現であった。祭壇に火をたやさないこの風習が、ふるい信仰と関係のあることはあきらかである(田辺貞之助訳」と書かれています。このように、火は「家族」のシンボルなのです。また、オリンピックの聖火リレーがわかりやすい例ですが、火とは「継承」のシンボルでもあります。
 
 また、水の男の子であるウェイドが他者への思いやりに溢れ、涙もろい点も興味深かったです。とにかく、ウェイドはよく泣きます。人間が泣くと、涙が出てきます。この涙には大きな秘密が隠されているように思います。涙とは、つまるところ、共感のかたちです。童話作家のアンデルセンは、「涙は人間がつくるいちばん小さな海」という有名な言葉を残しています。わたしたちは、小さな海をつくることができるのです。その小さな海は大きな海につながっているように、それぞれの人間の心も深い人類の集合的無意識でつながっています。たとえ人類が、民族や国家や宗教によって、その心を分断されていたとしても、いつかは深海において混ざり合うのです。泣くこと、そして涙を流すことは、人間同士がつながっていることの証なのです。わたしは、そう考えています。

世界をつくった八大聖人』(PHP新書)
 
 
 
 わたしは、『世界をつくった八大聖人』(PHP新書)という本を書きました。その中で、ブッダ、孔子、老子、ソクラテス、モーセ、イエス、ムハンマド、聖徳太子といった偉大な聖人たちを「人類の教師たち」と名づけました。彼らの生涯や教えを紹介するとともに、八人の共通思想のようなものを示しました。その最大のものは「水を大切にすること」、次が「思いやりを大切にすること」でした。東洋の三大思想家といえば、孔子、老子、ブッダです。孔子の「」、老子の「」、ブッダの「慈悲」は、いずれも草木に関する文字です。すなわち、ブッダと老子の「慈」とは「玆の心」であり、「玆」は草木の滋げることですし、一方、孔子の「仁」には草木の種子の意味があります。そして、3人の着目した根源はいずれも草木を通じて天地化育の姿にあったように思います。草木を育てるものが水であることは言うまでもありません。昔、「花には水を、妻には愛を」という百貨店の広告コピーがありましたが、水と愛の本質は同じではないでしょうか。
 
 映画「マイ・エレメント」の構想を最初に知ったとき、わたしは一条真也の映画館「インサイド・ヘッド」で紹介した同じディズニー&ピクサーのアニメ映画を連想しました。2015年の作品で、第88回アカデミー賞で最優秀長編アニメーション賞を受賞しました。喜び、怒り、嫌悪、恐れ、悲しみといった感情がそれぞれキャラクターとなり、物語を繰り広げるアニメです。田舎町に暮らす11歳の女の子ライリーは、父親の仕事の影響で都会のサンフランシスコに移り住むことになります。新しい生活に慣れようとするライリーの頭の中では、ヨロコビ、カナシミ、イカリ、ビビリ、ムカムカたちが、ライリーの幸せのためという強い気持ちが原因で衝突するのでした。わたしは、アニメーションの歴史に残る大傑作であると思いました。
 
「マイ・エレメント」に登場する火や水のエレメントの描写からは、米ソ合作映画である「青い鳥」(1976年)に登場する火の精・水の精の姿を連想しました。原作はモーリス・メーテルリンクのあまりにも有名な戯曲ですが、チルチルとミチルの幼い兄妹が幸せの青い鳥を探し求める物語です。クリスマスイヴの夜、貧しい木こりの家で眠る兄妹の部屋に醜い妖女が現れ、「これからわたしの欲しい青い鳥を探しに行ってもらうよ」といいます。妖女から、ダイヤモンドのついた魔法の帽子を貰ったチルチルとミチルは、光やイヌやネコやパンや牛乳や砂糖や火や水たちと一緒に不思議な冒険の旅に出かけます。動物でも植物でも、みんな人間のように話します。すべての存在には生命があり、人間以外のモノにも感情があるというのですが、これは万物の中に生命を認める「アニミズム」の世界そのものだと言えるでしょう。
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ヤフーニュースより
 
 
 
 豪雨、洪水、津波といった水害に最近の人類は翻弄されていますが、一方で地球温暖化による猛暑にも悩まされています。国連の気候変動に関する政府間パネル(IPCC)は、人間が地球の気候を温暖化させてきたことに「疑う余地がない」とする報告を公表しました。地球温暖化の科学的根拠をまとめた作業部会の最新報告書(第6次評価報告書)を公表するにあたって、IPCCは「人間の影響が大気、海洋及び陸域を温暖化させてきたことには疑う余地がない。大気、海洋、雪氷圏及び生物圏において、広範囲かつ急速な変化が現れている」と強い調子で、従来より踏み込んで断定したのです。さらには、「気候システム全般にわたる最近の変化の規模と、気候システムの側面の現在の状態は、何世紀も何千年もの間、前例のなかったものである」と指摘しています。
 
 人類はまさに「火」と「水」をコントロールできずに窮地に立っているわけですが、そのことを『世界をつくった八大聖人』でも指摘しました。火と水。わたしは、ここに人類の謎があるような気がします。人類がどこから来て、どこへ行こうとしているかの謎を解く鍵があるように思います。もともと世界は水から生まれましたが、人類は火の使用によって文明を生みました。ギリシャ神話のプロメテウスは大神ゼウスから火を盗んだがゆえに責め苦を受けますが、火を得ることによって人間は神に近づき、文明を発展させてきたのです。そして、文明のシンボルとしての火の行き着いた果てが核兵器でした。
 
 明日8月6日は「広島原爆の日」、9日は「長崎原爆の日」ですが、「ヒロシマ ナガサキ」という原爆のドキュメンタリー映画があります。その映画に登場する広島で被爆した男性が「原爆が落ちた直後、きのこ雲が上がったというが、あれはウソだ。雲などではなく、火の柱だった」と語った場面が印象的でした。その火の柱によって焼かれた多くの人々は焼けただれた皮膚を垂らしたまま逃げまどい、さながら地獄そのものの光景の中で、最後に「水を...」と言って死んでいったといいます。命を奪う火、命を救う水という構造が神話のようなシンボルの世界ではなく、被爆地という現実の世界で起こったことに、わたしは大きな衝撃を受けました。考えてみれば、鉄砲にせよ、大砲にせよ、ミサイルにせよ、そして核にせよ、戦争のテクノロジーとは常に「火」のテクノロジーでした。火焔放射器という、そのものずばりの兵器などもあります。

リゾートの思想』(河出書房新社)
 
 
 
 拙著『リゾートの思想』(河出書房新社)や『リゾートの博物誌』(日本コンサルタントグループ)にも詳しく書いたように、天国や楽園とは豊かな水をたたえた場所です。人類における最初の戦争は、おそらく水飲み場をめぐっての争いではなかったでしょうか。それほど、水は人間の平和や幸福と深く関わっていると思うのです。そして、火は文明のシンボルです。いくら核兵器を生んだ文明を批判しても、わたしたちはもはや文明を捨てることはできません。歴史的に見れば、戦争が文明を生み出したと言えるでしょうが、その不思議な戦争の正体とは間違いなく火であると、わたしは思います。そして、自動車もエアコンもパソコンもスマホも、みな火の子孫なのです。その最たる子孫こそが核兵器原子力発電所でした。
 
 わたしたちは、もはや火と別れることはできないのか? しかしながら、水が人類にとって最も大切なものであることも事実です。ならば、どうすべきか。わたしは、人類には火も水も必要なことを自覚し、智恵をもって火と水の両方とつきあってゆくしかないと思います。人類の役割とは、火と水を結婚させて「火水(かみ)」を追い求めていくことではないでしょうか。「火水(かみ)」とは「神」です。これからの人類の神は、決して火に片寄らず、火が燃えすぎて人類そのものまでも焼きつくしてしまわないように、常に消火用の水を携えてゆくことが必要ではないかと思います。ちなみに、火とは太陽や男と並んで「陽」のシンボルとされています。水は月や女と並んで「陰」のシンボルです。両者が揃うと「陰陽」となります。

ウェルビーイング?』『コンパッション!』の双子本
 
 
 
 わたしは、幸福を追求するキーワードとして「ウェルビーイング」と「コンパッション」の2つを提唱しています。わたしは、以前はウェルビーイングを超えるものがコンパッションであると考えていましたが、この2つは矛盾しないコンセプトであり、それどころか2つが合体してこそ、わたしたちが目指す互助共生社会が実現できることに気づきました。ウェルビーイングが陽なら、コンパッションは陰。そして、陰陽を合体させることを産霊(むすび)といいます。幸福の正体は、ウェルビーイングだけでは解き明かせません。また、コンパッションだけでも解き明かせません。陰陽の2本の光線を交互に投射したとき、初めて幸福の姿が立体的に浮かび上ってくるように思います。

陰陽を表現した「太極図
 
 
 
 それは、「死」があるからこそ「生」が輝くことにも通じています。太極図では、陰と陽が1つの円を作っています。陰陽は相反するものでなく1つのものが見せる異なったように見える姿です。陰と陽の光があたり、1つの円が見えてくるという感覚です。言い換えると、陰と陽がないと円は見えてきません。そして陰陽が繋がることによって神道でいう「産霊」が起動するように思います。わたしは、喜びと悲しみ、冠婚と葬祭、平和と平等、そしてウェルビーイングとコンパッションを繋ぎ、産霊の力によって「幸福」というものを実現したいと思いました。
 
 ウェルビーイングの定義は、「健康とは、単に病気や虚弱でないというだけでなく、身体的にも精神的にも社会的にも良好な状態」というものです。しかし従来、身体的健康のみが一人歩きしてきました。ところが、文明が急速に進み、社会が複雑化するにつれて、現代人は、ストレスという大問題を抱え込みました。ストレスは精神のみならず、身体にも害を与え、社会的健康をも阻みます。健康は幸福と深く関わっており、人間は健康を得ることによって、幸福になれます。ウェルビーイングは、自らが幸福であり、かつ、他人を幸福にするという人間の理想が集約された思想とも言えるでしょう。
 
 一方、コンパッションは、単なる好意や気遣いの感情以上のことを意味しています。この用語の中心には、互恵性(reciprocity)と具体的行動(action)という考え方があり、平たく言えば「思いやり」であり、仏教の「慈悲」「利他」、儒教の「仁」、キリスト教の「隣人愛」にも通じます。コンパッション都市とは、老いや病、死、喪失などを受けとめ支え合うコミュニティのことを指しています。そして、コンパッション企業とは、お客様のこころに寄り添って「思いやり」を示し、さらには、老いや病、死、喪失などを受けとめ支える会社です。互助共生社会の実現のために具体的行動を続けるわが社サンレーにとって、コンパッションはドンピシャリのキーワードであると考えています。

WCの包括メッセージとは?
 
 
 
 ウェルビーイングとコンパッションを包括すると、「ありのままの自分を大切に、他人に優しく生きる」というメッセージが浮かび上がってきます。わたしは、ウェルビーイングだけでは、またコンパッションだけでも、心ゆたかな社会としての「ハートフル・ソサエティ」の実現は難しいと思います。この2つのコンセプトを合体させること、つまり産霊(むすび)を行うことが、ハートフル・ソサエティ実現の第一歩となります。わが社は、そのためのさまざまな具体的な行動を同時進行で行っています。
 
「ウェルビーイング」という考え方が生まれたのは1948年ですが、そこには明らかに戦争の影響があったと思います。また、ビートルズの「Let It Be」のメッセージをアップデートしたものがジョン・レノンの「IMAGINE」だと気づきました。つまり、ウェルビーイングには「平和」への志向があるのだと思います。実際、ベトナム戦争に反対する対抗文化(カウンターカルチャー)として「ウェルビーイング」は注目されました。現在、ロシア・ウクライナ戦争が行われていますが、このような戦争の時代に「ウェルビーイング」は再注目されました。
 
 一方、「コンパッション」の原点は、『慈経』の中にあります。ブッダが最初に発したメッセージであり、「慈悲」の心を説いています。その背景には悲惨なカースト制度があったと思います。ブッダは、あらゆる人々の平等、さらには、すべての生きとし生けるものへの慈しみの心を訴えました。つまり、コンパッションには「平等」への志向があるのだと思います。現在、新型コロナウイルスによるパンデミックによって、世界中の人々の格差はさらに拡大し、差別や偏見も強まったような気がします。このような分断の時代に、また超高齢社会および多死社会において、「コンパッション」は求められます。
 
 地球環境の問題は別にして、人類の普遍的な二大テーマは「平和」と「平等」です。その「平和」「平等」を実現するコンセプトが「ウェルビーイング」「コンパッション」ではないでしょうか? コンパッション(Compassion)→ スマイル(Smile)→ ハピネス(Happiness)→ ウェルビーイング(Well-being)の「CSHW」のハートフル・サイクルは、かつて孔子やブッダやイエスが求めた人類救済のための処方箋となる可能性があるのではないか? 「WC」つまり「ウェルビーイング&コンパッション」の産霊を実現することが、ハートフル・ソサエティ実現の第一歩です。後は、実行あるのみです。最後に「マイ・エレメント」とWC本がほぼ同時に世に問われたことはシンクロニシティを思わせ、これもまた「ディズニー&サンレー」の一種の社会的コラボレーションではないかと感じました。

後は、実行あるのみです!