No.778


 東京に来ています。10月4日の夕方、ヒューマントラストシネマ有楽町で日本映画「福田村事件」を観ました。実在の事件を描いた作品ですが、非常に大きな衝撃を受けました。これは、日本人が絶対に観なければならない映画です!
 
 ヤフーの「解説」には、こう書かれています。
「関東大震災直後に千葉県福田村で起きた実際の虐殺事件を題材に、『A』シリーズなどの森達也が監督を務めたドラマ。地震後の混乱の中、9人の行商団員が殺害された悲劇に至る過程を描く。脚本は『夜の哀しみ』などの佐伯俊道、『止められるか、俺たちを』などの井上淳一、『戦争と一人の女』などの荒井晴彦が担当。『11・25自決の日 三島由紀夫と若者たち』などの井浦新、荒井脚本による『幼な子われらに生まれ』などの田中麗奈のほか、永山瑛太、東出昌大、豊原功補、柄本明らが出演する」
 
 ヤフーの「あらすじ」は、以下の通りです。
「1923年春、澤田智一(井浦新)は妻の静子(田中麗奈)と共に、日本統治下の朝鮮・京城から千葉県福田村に帰郷する。彼は日本軍が同地で犯した蛮行を目撃していたが、静子にはそのことを話さずにいた。そのころ、ある行商団一行15人が香川から関東を目指して出発していた。行商団が利根川の渡し場に向かっていた9月6日、地元の人とのささいな口論が、その5日前に発生した関東大震災で大混乱に陥っていた村民たちを刺激し、さまざまなデマが飛び交う中で悲劇へと発展していく」
 
 1923年(大正12年)3月に香川県を出発していた売薬(当時の「征露丸」や頭痛薬、風邪薬など)行商団15人は、関西から各地を巡って群馬を経て8月に千葉に入っていました。9月1日の関東大震災直後、4日には千葉県にも緊急勅令によって戒厳令の一部規定が適用され、同時に官民一体となって朝鮮人などを取り締まるために自警団が組織・強化され、村中を警戒していました。『柏市史』によれば「自警団を組織して警戒していた福田村を、男女15人の集団が通過しようとした」そうです。
 
 自警団の人々は彼らを止めて種々尋ねるがはっきりせず、警察署に連絡。「ことあらばと待ち構えていたとしか考えられない」という状況だったといいます。生き残った被害者の証言によると、関東大震災発生から5日後の1923年(大正12年)9月6日の昼頃、千葉県東葛飾郡福田村(現在の野田市)三ツ堀の利根川沿いで「15円50銭」などと言わせ、休憩していた行商団のまわりを興奮状態の自警団200人ぐらいが囲んで「言葉がおかしい」「朝鮮人ではないか」などと次々と言葉を浴びせました。
 
 福田村村長らが「日本人ではないか」と言っても群衆は聞かず、なかなか収まらないので駐在所の巡査が本署に問い合わせに行きました。この直後に惨劇が起こり、現場にいた旧福田村住人の証言によれば「もう大混乱で誰が犯行に及んだかは分からない。メチャメチャな状態」でした。生き残った行商団員の手記によれば「棒やとび口を頭へぶち込んだ」「銃声が2発聞こえ」「バンザイの声が上がりました」とあります。駐在の巡査が本署の部長と共に戻って事態を止めた時には、すでに15名中、子ども3人を含めて9名の命が絶たれていました。その遺体は利根川に流され、遺骨も残っていません。あまりにも無残です。
 
 惨劇の場に駆け付けた本署(松戸警察署野田分署)の警察部長が、鉄の針金や太縄で縛られていた行商団員や川に投げ込まれていた行商団員を「殺すことはならん」「わしが保証するからまかせてくれ」と説得したことで、6人の行商団員が生き残りました。映画では、縛られていた人々は「般若心経」を唱えていました。わたしは結果的にこの「般若心経」が彼らの命を救ったような気がしてなりません。それは、「般若心経」を唱えることが彼らが日本人だることの証になったことと、観自在菩薩の力が発動されたという二重の意味においてです。
 
 わたしも映画「福田村事件」を観て初めて知ったのですが、事件の背景には朝鮮人差別だけでなく、地差別部落差別もあったようです。まさに日本の暗部そのものといった印象がありますが、あえて言わせてもらうならば、(映画を観た限りでは)永山瑛太演じる行商人のリーダーの行動には問題があったと思います。彼は暴徒に対して挑発的な態度に出るのですが、幼い子どもや妊婦の生命も預かっている立場なのに軽率でした。船頭の青年役の東出昌大、その恋人役のコムアイの演技は素晴らしかったです。あと、自警団の在郷軍人を演じた前参議院議員の水道橋博士がすごい怪演でした。彼には、ガチの狂気を感じましたね。
 
「福田村事件」の初日舞台挨拶で、田中麗奈は「福田村事件を多くの日本人はしりません。どうして、こんな大事件が100年間も知られてこなかったのか」と発言しました。東出昌大は、「ハリウッドだったら、3・4回は映画化されたような事件です。日本でこういう映画が作られなかったのは配給会社の問題もあるが、差別や国家についての問題をメディアが直視しないことも大きな原因だと思う」と言っていました。大賛成です。もともと、「朝鮮人が日本人に復讐する」とか「朝鮮人が井戸に毒を入れる」などの流言飛語をそのまま報道した当時のマスコミの罪はあまりにも重いです。わたしは、現在世間を騒がせているジャニーズ事務所の創業者・ジャニー喜多川氏の性加害問題を連想しました。この問題は、60年も前から疑惑が指摘されており、2度にわたって裁判でも取り上げられてきました。それなのに、被害は止められませんでした。
 
 ジャニーズ性加害問題については、国連が日本メディアの責任を指摘しています。この問題で、性被害を受けた当事者に聞き取りをした国連の人権理事会の専門家は会見を開き、「数百人が性的搾取と虐待に巻き込まれる憂慮すべき疑惑が明らかになった」などと指摘しました。国連人権理事会専門家 イェオパントン氏は、「ジャニーズ事務所の特別チームによる調査に、透明性と正当性に疑問が残っている。ジャニーズ事務所のメンタルケア相談室による相談希望の被害者への対応は、不十分との報告がある」と述べ、この問題を報道してこなかった「メディアの責任」についても、「不祥事のもみ消しに荷担したと伝えられています」などと言及しました。ついに、山は大きく動きました。いま、わたしたちは、100年前、60年前、そして現在の日本メディアの責任を問わなければなりません。
 
 それにしても、「福田村事件」は観ていて辛くなってくる映画です。しかしながら、わたしは、この映画を観て良かったと思います。このような歴史的事実があったことをすべての日本人は知るべきです。森達也監督は、1956年広島生まれ。1998年、オウム真理教の残党を取材した自主制作ドキュメンタリー映画「A」を発表し、海外でも高い評価を受けました。2001年、続編「A2」が山形国際ドキュメンタリー映画祭にて審査員特別賞、市民賞を受賞しています。森監督と言えば、ドキュメンタリー作家としてのイメージしかありませんでしたが、初の劇映画である「福田村事件」の完成度の高さには驚きました。
 
「福田村事件」を観ると、絶望的な気分になります。しかし、かつて森監督は『世界はもっと豊かだし、人はもっと優しい』(ちくま文庫)という本を書かれました。アマゾンの内容紹介には、「人は悪意や自分の利益のために大量の人を殺せない。むしろ善意や大義を燃料とする時にこそ、愛する者を守ろうとする時にこそ、他者への想像力を失い、とても残虐になる。オウム事件をきっかけに、日本社会の他者への不安と恐怖は増大し(9・11以降のアメリカ社会と同様に)、他者への想像力を失った。だから今、視点を変えるために」と書かれています。わたしは同書を読んで感動し、拙著『ハートフル・ソサエティ』(三五館)や『心ゆたかな社会』(現代書林)にも強い影響を与えています。わたしたちが、本気で「ハートフル・ソサエティ」「心ゆたかな社会」の実現を目指すなら、この「福田村事件」という映画は必見です!

ハートフル・ソサエティ』と『心ゆたかな社会