No.777
東京に来ています。
朝から水天宮のホテルと銀座のカフェで打ち合わせ。昼からはシネスイッチ銀座でフランスのドキュメンタリー映画「ジャン=リュック・ゴダール 反逆の映画作家(シネアスト)」を観ました。「昨日はヒッチコック、今日はゴダール」というわけですが、安楽死によって91年の人生を閉じたゴダールの生涯には強い関心がありました。
ヤフーの「解説」には、こう書かれています。
「1950年代から1960年代にかけて起こったフランスの映画運動『ヌーヴェルヴァーグ』の代表的映画監督、ジャン=リュック・ゴダールに迫るドキュメンタリー。『勝手にしやがれ』『気狂いピエロ』などの作品の映像や過去のインタビュー、ゴダール作品に出演したマリナ・ヴラディやハンナ・シグラ、ナタリー・バイらの証言などにより、ゴダールの精神や女性の存在との関係などについてひも解く。監督はドキュメンタリーの監督、編集などを務めてきたシリル・ルティ」
ヤフーの「あらすじ」は、以下の通りです。
「1950年代から1960年代、フランス映画界で巻き起こった映画運動『ヌーヴェルヴァーグ』をけん引した映画作家ジャン=リュック・ゴダール。ゴダールは常に独創的で芸術的な作品を生み出してきた。そんな彼の人生をさまざまな視点でひも解く」
この映画を観て、ゴダールの破天荒な映画人生に呆れるやら、感銘を受けるやら、何かと忙しいのですが、ゴダールが政治や社会に対して強い関心を抱いていたことはよく理解できました。ブログ「ヒッチコックの映画術」を観て、映画の本質が魔法であることを再確認しました。その翌日、「ジャン=リュック・ゴダール 反逆の映画作家(シネアスト)」を観て、映画が社会を替えうるのだと再確認しました。シリル・ルティ監督のメッセージからも熱い想いが伝わってきます。
わたしは、同じシネスイッチ銀座で観た一条真也の映画館「イメージの本」で紹介したゴダールの異色作を連想しました。数々の絵画、映画、文章、音楽をコラージュした映像でつづる5章で構成された物語に、現代にはびこる暴力、戦争、不和への思いを込める。第71回カンヌ国際映画祭でスペシャル・パルムドールに輝きました。この映画にはストーリーはありません。さまざまな絵画、映画、文章、音楽がコラージュされているだけです。それも登場した映画のワンシーンに見入っていると、2~3秒で唐突に終わってしまうのです。それが90分近くにわたって延々と続くので、観ていて落ち着かず、不安な気分にさえなってきます。
監督は、ジャン=リュック・ゴダール。言わずと知れた世界映画史に燦然と輝く巨匠です。1930年12月3日パリ生まれなので、2018年12月3日に88歳の誕生日を迎えました。フランス・スイスの映画監督であり、編集技師、映画プロデューサー、映画批評家、撮影監督、俳優でもあります。ソルボンヌ大学中退で、「ヌーヴェルヴァーグの旗手」と呼ばれました。代表作は「勝手にしやがれ」(1960年)、「気狂いピエロ」(1965年)などです。ゴダールといえば、彼の映画は政治色が強いことで有名です。1967年8月には、ゴダールはアメリカ映画が世界を席巻し君臨することを強く批判すると同時に、自らの商業映画との決別宣言文を発表しました。
Wikipedia「ジャン=リュック・ゴダール」の「人と作品」の「中期:商業映画との絶縁・政治の時代」には、「パリ五月革命の予言もしくは先取りであるなどと言われる、『中国女』(1967年)において既に政治的な表現の傾向が顕著になっていたが、ゴダールを本当の『政治の時代』へと踏み入らせる直接のきっかけとなったのは1968年の第21回カンヌ国際映画祭における『カンヌ国際映画祭粉砕事件』だった。本映画祭開催9日目の5月19日、会場の宮殿にジャン=リュック・ゴダールが現れ、コンペティション部門に出品されていたカルロス・サウラの作品上映を中止させようとした」と書かれます。
続けて、Wikipediaには、こう書かれています。
「ヌーヴェルヴァーグ運動の中心的人物だったゴダールとフランソワ・トリュフォーはフランスで行われていた学生と労働者のストライキ運動に連帯し、警察の弾圧、政府、映画業界のあり方への抗議表明としてカンヌ映画祭中止を呼びかけ、クロード・ルルーシュ、クロード・ベリ、ジャン=ピエール・レオ、ジャン=ガブリエル・アルビコッコらと会場に乗り込んだ。審査員のモニカ・ヴィッティ、テレンス・ヤング、ロマン・ポランスキー、ルイ・マルもこれを支持して審査を放棄し、上映と審査の中止を求めた。コンペティションに出品していたチェコスロヴァキアの監督ミロシュ・フォルマンも出品の取りやめを表明した。その結果、この年のカンヌ映画祭は中止になった」
続けて、Wikipediaには、こう書かれています。
「 しかし、この事件をきっかけとしてゴダールの周囲や各々の政治的な立場・主張に亀裂が入り、作家同士が蜜月関係にあったヌーヴェルヴァーグ時代も事実上の終わりを告げるに至った。プライベートにおいても女優アンナ・カリーナと1965年に破局が決定的になり、『中国女』への出演を機に1967年にアンヌ・ヴィアゼムスキーがゴダールの新たなるパートナーとなった。この後『ウイークエンド』(1967年)を最後に商業映画との決別を宣言し『勝手に逃げろ/人生』(1979年)で商業映画に復帰するまで、政治的メッセージ発信の媒体としての作品制作を行うようになる。
Wikipedia「ジャン=リュック・ゴダール」の「人と作品」の「後期2:『映画史』の時代」には、「『映画史』は1989年に第1章と第2章が発表され、1998年に第4章の完成をもって完結する『映画史』的なものが中心となるのが、「『映画史』の時代」である。ここにおいて『分断と再構築』の構造は更に深化を遂げ、映像、声(台詞)、テキスト、そして音楽がそれぞれのレベルで分断され、1つのシーン(作品)として再構築される」と書かれています。まさに、「イメージの本」も「分断と再構築」の映画であったと言えるでしょう。
何の修飾詞も付けず『映画史』と題されてはいるが、ここで参照され言及される作品は極めて限定されたものに過ぎない。その構成要素は、1950年代までのハリウッド、ヌーヴェルヴァーグを中心としたフランス、イタリアのネオ・レアリスモ、ドイツ表現主義およびロシア・アヴァンギャルド等、その他ヨーロッパ諸国の作品が圧倒的多数を占めており、非欧米では日本から4人の作家(溝口健二、小津安二郎、大島渚、勅使河原宏)とインドのサタジット・レイ、イランのアッバス・キアロスタミ、ブラジルのグラウベル・ローシャ、台湾の侯孝賢が参照されるのが目立つ程度であり、大方の非欧米圏はあっさりと無視されている。時代的にも著しい偏りが見られ、1970年代以降で取り上げられているのは殆どが自分の作品だけであり、大半が1950年代までの『古き良き映画』である」
このドキュメンタリー映画には数多くの俳優も出演していますが、ゴダールと結婚したこともあるアンナ・カリーナの美しさが際立ちました。コペンハーゲンからパリへとやってきた女の子、アンナ・カリーナは、まだ新進監督だったジャン=リュック・ゴダールの「小さな兵隊」に出演。恋に落ちて結婚した2人は、ルーヴル美術館を走り抜けるシーンがあまりにも有名な「はなればなれに」や、ヌーベルバーグの代名詞ともいえる「気狂いピエロ」を生み出しました。その後、ゴダールのパートナーとなったアンヌ・ヴィアゼムスキー、アンヌ=マリー・ミエヴィルが作風の変化に影響を及ぼしていることを考えると、ゴダールにとって公私にわたるミューズが、いかに大きな存在だったのかがわかります。
そのゴダールのミューズであったアンナ・カリーナは、2019年に亡くなりました。彼女の死を追悼して、「アンナ・カリーナ 君はおぼえているかい」という映画も作られました。ヌーヴェルルヴァーグを代表する女優アンナ・カリーナの魅力に迫るバイオグラフィーです。ココ・シャネルに見いだされ、ジャン=リュック・ゴダール監督のミューズとしてモデルや女優、歌手として活躍した日々を映し出します。彼女のパートナーで「トレジャーハンター」シリーズなどのデニス・ベリーが監督を担当し、時代の寵児となったカリーナへの愛をつづる。コケティッシュな遠にスクリーンの中で輝き続けます。
ジャン=リュック・ゴダールは、2022年9月13日、スイスの自宅で死去しました。91歳でした。仏メディアの報道によると、体調に異常はなく、スイスで部分的に合法化されている安楽死を選んだそうです。遺族の声明によると、ゴダールさんは「穏やかに亡くなった」といいます。仏紙「リベラシオン」は13日午後、ゴダールさんはスイスで認められている「自殺幇助」により亡くなったと報じました。家族の1人は同紙に「(ゴダールさんは)病気ではなかった。ただ疲れ果てていた」と話しています。AFP通信は関係者の話として、ゴダールさんは日常生活に支障をきたす病気を患っていたことから、自殺幇助による死を選んだと伝えています。偉大な映画作家の魂が安からんことを祈るばかりです。