No.779


 10月6日、この日から公開された日本映画「アントニオ猪木をさがして」をシネプレックス小倉で観ました。猪木信者で映画狂いのわたしですから、この映画の公開をとても楽しみにしていました。でも、内容はイマイチでした。猪木に対するわたしの思い入れが強すぎることも一因かも。
 
 ヤフーの「解説」には、こう書かれています。
「79歳で逝去したプロレスラー、アントニオ猪木のドキュメンタリー。実業家や政治家としても活動した彼の軌跡を、人柄を知るさまざまな人物へのインタビューや、ファン視点のドラマ、アーカイブ映像を通してたどっていく。監督はプロデューサーとして『吾郎の新世界』などを手掛けてきた和田圭介、『高野豆腐店の春』などの三原光尋」
 
 ヤフーの「あらすじ」は、以下の通りです。
「プロレスラーのアントニオ猪木は、実業家、政治家としても活動し、リングの内外で伝説的なエピソードを残してきた。偉人、カリスマ、異端児など、さまざまな評価のあった猪木の軌跡と実像に、さまざまなジャンルの人物へのインタビュー、猪木ファンの人生を描いたドラマ、アーカイブ映像などを通して迫る」
 
 この映画、 "燃える闘魂"アントニオ猪木の発した「言葉」の数々を切り口にしながら「ドキュメンタリー」「短編映画」「貴重なアーカイブやスチール」という3つの要素で構成されています。短編映画は三原監督が担当したようですが、クオリティが低いにもかかわらず作中に3つも入っていてイライラしました。ここはドキュメンタリーとアーカイブ映像に徹して、猪木の雄姿を少しでも多くスクリーンで観たかったです。でも、猪木が少年時代に働いたブラジルの農場の様子、マサ斎藤と死闘を演じた巌流島の戦いが開始されるまでの映像などは見応えがありました。
 
 巌流島といえば、講談師の神田伯山が巌流島で講談を披露しています。彼は、「なぜ、この島は武蔵島ではなく巌流島と呼ばれるのか? 勝った武蔵ではなく、佐々木巌流の名がつけられているのか?」と問うところは、「なるほど、たしかに不思議だな」と思いました。彼いわく、武蔵は卑怯にも弟子を使って小次郎を殺したという噂が根強く残っていることを明かします。そんな噂は初めて知ったので驚きました。それと、武蔵と小次郎の決闘自体が史実であったかどうか怪しいというのです。神田伯山は「この島で宮本武蔵と佐々木小次郎が本当に闘ったのかどうかは誰にもわからない。わかるのは、アントニオ猪木とマサ斎藤が闘った事実のみ!」と語る場面にはシビレました!
 
 大の猪木ファンであった神田伯山は、猪木のことを「ヒーローです!」と言い切ります。彼は、映画完成披露試写会の舞台挨拶で、猪木の言葉の魅力について「好きな言葉はいっぱいあります。なにを言うかよりも、誰が言うのかが大事。(アントニオ猪木という)人に魅力があるから、どんな言葉でもありがたいです。意外とダジャレでスベっているときもあるけれど、なんかありがたい。それは、猪木さんに魅力があるから。猪木さんの発する言葉を聞くと、楽しい、うれしいって思えます。言葉を超越した存在だと思います」と熱弁し、大きな拍手を浴びていました。
 
 同じ完成披露試写会の舞台挨拶には、プロレスラーの藤波辰爾と藤原喜明がも出席しました。 2人とも猪木の弟子ですが、藤波はプライベートでよく行ったそば店では、直立不動になって同席していたそうです。藤原は酔ったフリをして「アントンって呼んでもいいですか」と猪木さんを愛称で呼ぼうとすると「いいよ」と返されたことなどを振り返りました。 ただ、リング上での鬼気迫る表情とは別人のような一面もあったといいます。藤波は「寂しがり屋」、藤原は「優しいところがあるんだよ」としみじみと語りました。藤波と藤原以外にも、長州力、佐山サトル、前田日明、高田延彦、船木誠勝、山田恵一、武藤敬司、蝶野正洋、亡くなった橋本真也など、猪木の弟子は多いです。
 
 藤波と藤原では物足りないという意味ではないですが、登場する弟子が2人だけというのはなんとも寂しいですね。せめて、長州力、前田日明、武藤敬司の3人は出演させてほしかったです。あと、小川直也とか藤田和之も。この映画は新日本プロレス創立50周年企画とのことで、同社と良好な関係な人物のみが選ばれたのでしょうね。その新日本プロレスからは、オカダ・カズチカと棚橋弘至が出演、少しだけ海野翔太も出ていましたが、今どきのプロレスに関心ゼロのわたしはピンときませんでした。でも、彼らが滑舌も良く、喋りも達者なことには感心しましたね。
 
 わたしは猪木の試合の映像を大きなスクリーンで堪能したかったのですが、思ったよりも試合シーンは少なくて残念でした。ストロング小林戦とか、ビル・ロビンソン戦、アンドレ・ザ・ジャイアント戦、ドン・フライとの引退試合などのシーンはありましたが、タイガー・ジェット・シンやスタン・ハンセン、ハルク・ホーガンらとの激闘シーンも観たかったですね。権利の関係からか、モハメド・アリ戦はスチール写真のみ、ウィリエム・ルスカ、ザ・モンスターマン、ウィリー・ウィリアムスらを相手にした格闘技戦の名試合も一切登場しませんでした。ただ、1996年1月4日東京ドームでのビッグバン・ベイダー戦は重要な場面で使われ、流されたシーンも猪木が死ぬかと思うような緊張感が漂っており、迫力満点でした。容赦なく攻めたベイダー、全て受け切った猪木。わたしはリアルタイムでテレビで観戦しましたが、今観ても興奮します。
 
「アントニオ猪木をさがして」のナレーションは、福山雅治が担当しました。「なぜ、彼が?」と思いましたが、福山雅治が長崎から東京に出てきて最初に会った著名人が猪木だったそうです。その後、福山が音楽界で成功してから両者は対談しましたが、初の東京ドーム公演を控えていた福山を猪木が叱咤激励したそうです。ほのぼのとした良い話ですが、猪木は本当に数えきれないほどの多くの人々を励まし、勇気と元気を与えてきたのだと思います。かくいうわたしも、その1人です。わたしは、本当に猪木から多くのものを与えられてきました。昨年は、石原慎太郎、稲盛和夫といったわたしがリスペクトしてきた方々が亡くなられましたが、わが最大のヒーローこそアントニオ猪木氏でした。病気で衰弱しきった自身の姿を一切隠さずに動画で晒し続けたヒーローなど他にいません。本当に、最後まで闘いをやめない凄い人でした。わたしは、猪木が日本人の死生観に変革を起こしたのではないかとさえ思います。
 
「アントニオ猪木をさがして」の中で、猪木さんが「徹子の部屋」にゲスト出演したときの映像が流れます。そのとき、黒柳徹子は「プロレスは八百長とか、ショーだとかいう声がありますよね」と非常に失礼な発言をします。猪木はにこやかな表情を崩さずに、「ショーという見方についてですが、プロレスは試合をしている2人は相手のことだけを考えるわけではありません。常に自分たちを観ている観客のことも考えながら試合をします。その意味では、ショー的要素もあるかもしれない。でも、わたしが言うのも何ですが、スポーツよりも高い次元にあるのがプロレスだと思っています」と語ります。このシーンを観て、わたしは猛烈に感動しました。猪木は、プロレスに対する偏見、差別、侮蔑、"世間の眼"と戦い続け、世界を股に八面六臂の大活躍をしました。「燃える闘魂」アントニオ猪木の雄姿は、わたしの心に永遠に生き続けるでしょう。最後に、猪木寛至が最後までアントニオ猪木を演じきったように、佐久間庸和も最後まで一条真也を全うしたいです。