No.795


「文化の日」であり「ゴジラの日」でもある11月3日、日本映画「ゴジラ-1.0」をシネプレックス小倉で観ました。東宝が誇る「ゴジラ」シリーズのリブート作品というより、一条真也の映画館「永遠の0」で紹介した名作日本映画の大いなる続編といった印象でした。いわば、「永遠の0+1.0」です。素晴らしいグリーフケアの大傑作で、ラストは涙が止まりませんでした。山崎貴監督は本当に素晴らしい!
 
 映画ナタリーの「解説」には、「ゴジラ生誕70周年となる2024年に先駆けて製作された、実写版第30作品目となるゴジラ映画。太平洋戦争で焦土と化した日本で、人々が懸命に生きていこうとする中、突然現れた謎の巨大怪獣が復興途中の街を容赦なく破壊していく。監督は山崎貴。出演は神木隆之介、浜辺美波、山田裕貴、青木崇高、吉岡秀隆、安藤サクラ、佐々木蔵之介ら」とあります。
 
 映画ナタリーの「あらすじ」は、以下の通りです。
「出兵していた敷島浩一は日本へ帰還するが、東京は焼け野原と化し、両親は亡くなっていた。人々が日々を懸命に生き抜いていく中、浩一は単身東京で暮らす大石典子に出会う。しかし、これから国を立て直そうとする人々を脅かすように、謎の巨大怪獣が現れて......」
 
 来年2024年、ゴジラ生誕70周年を迎えます。第1作となる「ゴジラ」は本多猪四郎監督作品で、1954年(昭和29年)11月3日に公開されました。ました。そのため、11月3日は「ゴジラの日」とされています。海底の洞窟に潜んでいた侏羅紀(ジュラ紀)の怪獣ゴジラがたび重なる水爆実験で安住の地を追われ、東京に上陸して破壊の限りを尽くします。同年に発生した第五福竜丸事件を背景に、反核や文明批判をテーマとした濃密な人間ドラマは単なる娯楽映画の粋を超えていると高く評価され、その後の日本映画界に大きな影響を与えました。キャッチコピーは「ゴジラか科学兵器か驚異と戦慄の一大攻防戦!」「放射能を吐く大怪獣の暴威は日本全土を恐怖のドン底に叩き込んだ!」で、日本の怪獣映画の元祖とされます。
 
 70年におよぶ「ゴジラ」シリーズで、特筆すべき名作が一条真也の映画館「シン・ゴジラ」で紹介した2016年に公開された庵野秀樹監督作品です。日本発のゴジラとしては初めてフルCGで作られた特撮です。東京湾アクアトンネルが崩落する事故が発生。首相官邸での緊急会議で内閣官房副長官・矢口蘭堂(長谷川博己)が、海中に潜む謎の生物が事故を起こした可能性を指摘。その後、海上に巨大不明生物が出現。さらには鎌倉に上陸し、街を破壊しながら突進していきます。政府の緊急対策本部は自衛隊に対し防衛出動命令を下し、"ゴジラ"と名付けられた巨大不明生物に立ち向かいます。300名を超えるキャストが豪華集結。不気味に赤く発光するゴジラのビジュアルや、自衛隊の全面協力を得て撮影された迫力あるバトルが話題になりました。
 
ゴジラ」第1作、「シン・ゴジラ」ともに、謎の巨大生物が日本に出現した不条理さや恐怖や絶望を見事に表現していましたが、今作「ゴジラ-1.0」でもそれは成功しています。というより、平成末期に出現したシン・ゴジラは言うまでもなく、初代ゴジラが出現したのも終戦から9年が経過した1954年でした。日本社会も復興に向かって走り出した時期でしたが、なんと今回のゴジラは太平洋戦争末期の1945年に神風特攻隊の不時着用の基地に姿を現し、終戦からわずか2年しか経っていない1947年に東京に出現して銀座を破壊するのです。敗戦のショックと悪夢からいまだ覚めやらない日本人にさらなる絶望が降りかかるわけです。「泣きっ面に蜂」あるいは「弱り目に祟り目」ですが、2011年に大地震と大津波の未曾有の大災害に加えて、福島の第一原子力発電所の事故が発生したことを思い出しました。あれもまさに「泣きっ面に蜂」であり、「弱り目に祟り目」でした。
 
 そして、「ゴジラ-1.0」を大傑作たらしめている最大の理由は、山崎貴監督の不朽の名作である「永遠の0」(2013年)の続編的色彩が強いからでしょう。「永遠の0」では、1人の零戦搭乗員の短い生涯とその後の数奇な物語が感動的に描かれています。司法浪人生、とはいうものの実質的にはニートの佐伯健太郎は、駆け出しライターの姉・慶子の補助という"アルバイト"の依頼を受け、つい最近までその存在さえ知らなかった"本当の祖父"宮部久蔵について調べることになります。終戦数日前に特攻で死んだという「その人」の像を結ぶための旅は驚きと感動に満ちたものでした。神風特攻隊員が搭乗した零戦にはパイロットの脱出用装置もありませんでした。特攻とは、ただ死にに行くだけの非人間的な作戦でした。わたしは、今でも若い命を散らせた特攻隊員を想うと涙が出てきます。
 
 特攻という非常な作戦で前途有望な若者たちを殺したことに対して、多くの日本人は「では、どうすべきだったのか?」と考えました。また、特攻から生き残った隊員たちは「仲間は死んだのに、自分はどうして生き残ったのか?」「本当は、自分で死ぬべきではないのか?」と悩んだことと思います。それは戦後生まれのわたしなどには想像もつかないような巨大なグリーフです。その長年の疑問や悲嘆に対して見事な答えを与えてくれる「ゴジラ-1.0」はグリーフケア映画の最高傑作であると思いました。ゴジラ駆逐の「わだつみ作戦」を考案する吉岡秀隆演じる科学者が「この戦いは、あの戦争のような死ぬための戦いではない。未来を生きるための戦いだ!」と訴えるシーンがあるのですが、非常に感動しました。吉岡秀隆の存在は、山崎貴監督の「ALWAYS」シリーズに登場する茶川龍之介も彷彿とさせて味わいがありました。
 
 9月に行われた「ゴジラ-1.0」の完成報告会見で神木隆之介が主演、浜辺美波がヒロインと発表されましたが、当時放送中だった連続テレビ小説「らんまん」のコンビということもあって大きな反響が巻き起こりました。浜辺部波は、2011年、第7回「東宝シンデレラ」オーディションニュージェネレーション賞を当時小学生で受賞し、ゴジラを生み出した東宝の芸能事務所に入ると、必然的にその存在が近くなっていったそうです。「本社にもゴジラはいますし、東宝スタジオに見学に行っても、入口にゴジラはいます。自然とゴジラを目にする環境にいましたし、出会う人にゴジラという作品のすごさを聞くたびに、自然と『いつか出演できたら』という思いが刷り込まれていたと思います。いろいろな人から『ゴジラ』に出演できる女優さんになってねと、声を掛けられました」と語っています。今や、堂々たる東宝の看板女優に成長しましたね。
 
「ゴジラ-1.0」の完成報告会見では、主演の神木隆之介は「どのぐらい自分が背負えるのか」と大きなプレッシャーに向き合う覚悟が必要だと感じていたと述べています。また、「いろいろと責任があるなか、公開時に30歳という年齢になる僕が、どの程度その責任を全うできるのか試してみたかった」とオファーを受けた理由を明かしました。彼をスクリーンで初めて観た映画は2005年の「妖怪大戦争」で、会場は今はなき中野サンプラザでした。あのとき彼は12歳だったわけですが、本当に立派な役者に成長しましたね。「ゴジラ-1.0」でのグリーフを抱えて苦しみながら生きるシーンも、ゴジラとの戦闘シーンも、ラストの感動シーンもすべて素晴らしかったです。助演の山田裕貴も良かったですね。おそらく、神木隆之介がオファーを受けなかった場合は山田裕貴が主演だったと思います。
 
 じつは、拙著『愛する人を亡くした人へ』(現代書林)を原案とする映画「君の忘れ方」の主演候補は最初が神木隆之介さんで、2番目が山田裕貴さんでした。プロデューサーが交渉したようですが、いずれもスケジュールが合いませんでした。結果的に、坂東龍汰さんという素晴らしい俳優に決まって良かったですが、「ゴジラ-1.0」の中でも最大級のグリーフの場面(ある重要人物の葬儀シーン)で、神木さんと山田さんが共演しているのを見て、わたしは不思議な縁を感じました。2人とも今や日本映画界を代表する若手俳優ですが、坂東さんも負けずに頑張ってほしい!