No.811


 12月5日の夜、日本映画「隣人X 疑惑の彼女」をシネプレックス小倉で観ました。奇妙な味わいのSF映画ですが、「人間とは何か」「人間関係とは何か」といった哲学的問題の本質について考えさせてくれました。120分、まったく飽きずに一気に観ました。面白かったです。
 
 ヤフーの「解説」には、こう書かれています。
「第14回小説現代長編新人賞を受賞したパリュスあや子の小説『隣人X』を実写映画化。紛争で故郷を追われた"惑星難民X"があふれた世界を舞台に、人間の姿をして社会に紛れ込んだその存在に翻弄される人々の姿を描く。メガホンを取ったのは『心が叫びたがってるんだ。』などの熊澤尚人。正体を疑われる主人公を熊澤監督作『虹の女神 Rainbow Song』などの上野樹里、彼女を追う記者を熊澤監督作『ダイブ!!』などの林遣都が演じる」
 
 ヤフーの「あらすじ」は、以下の通りです。
「紛争により故郷を追われた"惑星難民X"が世界中にあふれ、日本政府は彼らの受け入れを決定する。人間の姿をコピーして社会に紛れ込んだXがどこにいるのか、Xとは何者なのか誰にも分からず、人々の間に不安や動揺が広がっていく。そんな中、週刊誌記者の笹憲太郎(林遣都)はスクープを狙ってX疑惑のある柏木良子(上野樹里)の調査を開始。正体を隠して少しずつ距離を縮めていくうちに彼女への恋心が芽生えるが、憲太郎は良子がXかもしれないという疑念を取り払うことができずにいた」
 
 映画タイトルにある「X」は、2つの存在のメタファーであると思いました。1つめは、新型コロナウイルスです。ウイルスは目に見えず、感染者も外見からはわかりません。でも、コロナ禍の初期の頃は、非感染者は感染者のことを異様に恐れ、行き過ぎた「自粛警察」なども出現しました。この映画に登場する"惑星難民X"も地球人から恐れられますが、まるでコロナ感染者のようでした。もう1つのXは、旧ツイッターの「X」です。イーロン・マスクが改名しましたが、とても違和感があります。この違和感や胡散臭さ、不気味さが"惑星難民X"に通じるように思えました。そして、Xとは異星人ですが、わたしは外国人をはじめとしたすべての異邦人のことだと思いました。
 
 異邦人に対して好意的に接する精神を「ホスピタリティ」といいます。ホスピタリティを人類の普遍的な文化としてとらえると、その起源は古いです。じつに、人類がこの地球上に誕生し、夫婦、家族、そして原始村落共同体を形成する過程で、共同体の外からの来訪者を歓待し、宿舎や食事・衣類を提供する異人歓待という風習にさかのぼります。異邦人を嫌う感覚を「ネオフォビア」といいますが、ホスピタリティはまったくその反対です。異邦人や旅人を客人としてもてなす習慣もしくは儀式というものは、社会秩序を保つうえで非常に意義深い伝統的通念でした。これは共同体や家族という集団を通じて形成された義務的性格の強いものであり、社会体制によっては儀礼的な宗教的義務の行為を意味したものもありました。
 
 ホスピタリティを具現化する異人歓待の風習は、時代・場所・社会体制のいかんを問わず、あらゆる社会において広く普及しました。そして、異人歓待に付帯する共同体における社会原則がホスピタリティという概念を伝統的に育んできました。その結果、ホスピタリティという基本的な社会倫理が異なる共同体もしくは個人の間で生じる摩擦や誤解を緩和する役割を果たしました。さらに、外部の異人と一緒に飲食したり宿泊したりすることで異文化にふれ、また情報を得る機会が発生し、ホスピタリティ文化を育成してきたのだと言えます。集団意識や家族意識という強い絆を持つ原始社会においては、ホスピタリティを媒介とした人間関係が社会を構成する基本原理だったのです。

コンパッション!』(オリーブの木)
 
 
 
 ホスピタリティは「コンパッション」から生まれます。コンパッションは、単なる好意や気遣いの感情以上のことを意味しています。拙著『コンパッション!』に書いたように、この用語を平たく言えば「思いやり」であり、キリスト教の「隣人愛」、儒教の「仁」、神道の「あはれ」にも通じます。そして、仏教の「慈悲」にも通じます。生命のつながりを洞察したブッダは、すべての人にある「慈しみ」の心を育てるために『慈経』のメッセージを残しました。その「慈しみ」の心は人間だけに向けられるものではなく、動物や鳥や魚や虫、さらには花や草木といった「あらゆる生きとし生けるもの」に対して向けられています。ならば、人類でない"惑星難民X"にもそれが向けられたとしても何の不思議もありません。

隣人の時代』(三五館)
 
 
 
 この映画には、異星人ではない普通の人間が大量に登場します。拙著『隣人の時代』(三五館)でも紹介しましたが、古代ギリシャの哲学者アリストテレスは「人間は社会的動物である」と言いました。近年の生物学的な証拠に照らし合わせてみると、この言葉はまったく正しかったことがわかります。結局、人間はどこまでも社会を必要とするのです。人間にとっての「相互扶助」とは生物的本能であるとともに、社会的本能でもあるのです。人間がお互いに助け合うこと。困っている人がいたら救ってあげること。これは、人間にとって、ごく当たり前の本能です。新型コロナウイルスの感染拡大で人類社会が根底から揺さぶられていたとき、世界中の賢者たちがコロナ時代のキーワードとして「相互扶助」を挙げたことを思い出します。
 
「隣人X 疑惑の彼女」では、林遣都演じる憲太郎が上野樹里演じる良子から「心で見ること」の大切さを教えられます。映画のラスト近くでは、フランスの作家サン=テグジュぺリの代表作『星の王子さま』が登場し、同書の中に書かれている「本当に大切なものは目に見えない」という有名な言葉が紹介されます。わたしが心の支えにしている言葉です。サービス業、それもホテル業や冠婚葬祭業のようなホスピタリティ・サービス業の価値とは何でしょうか。それは、ずばり、目に見えないものを扱うことです。思いやり、感謝、感動、癒し、夢、希望など、この世には目には見えないけれども存在する大切なものがたくさんある。そして、その目に見えない本当に大切なものを提供する仕事がサービス業なのですね。わたしは、そのことをいつも社員のみなさんに伝えているのですが、「隣人X 疑惑の彼女」のテーマとも共通していました。