No.818
12月17日、雪の金沢から小倉に戻ってきました。話題のミュージカル&ファンタジー映画「ウォンカとチョコレート工場のはじまり」をユナイテッドシネマ金沢で鑑賞。クリスマスシーズンにぴったりのハートフル・ムービーでした。
ヤフーの「解説」には、こう書かれています。
「ロアルド・ダールの児童小説を映画化した『チャーリーとチョコレート工場』の前日譚(たん)。同作に登場する工場長ウィリー・ウォンカがチョコレート工場を作るまでを描く。監督・脚本は『パディントン』シリーズなどのポール・キング。若き日のウォンカを『君の名前で僕を呼んで』などのティモシー・シャラメが演じ、『ラブ・アクチュアリー』などのヒュー・グラント、オスカー女優オリヴィア・コールマン、『シェイプ・オブ・ウォーター』などのサリー・ホーキンス、『ビーン』シリーズなどのローワン・アトキンソンらが共演する」
ヤフーの「あらすじ」は、以下の通りです。
「幼いころから世界一のチョコレート店を持つことを夢見ていたウィリー・ウォンカ(ティモシー・シャラメ)は、一流の職人が集まるチョコレートの町へやって来る。彼が作るチョコレートは瞬く間に人々を魅了するが、町を牛耳る『チョコレート組合3人組』にねたまれ、何かと邪魔をされてしまう。この町は夢見ることを禁じられた町だった。さらに、ある因縁からウォンカを付け狙うウンパルンパという謎の人物(ヒュー・グラント)が現れる」
「ハリウッド・リポーター」より
明らかに子ども向きであるこの作品を、わたしは当初観るつもりはありませんでした。しかしながら、「ハリウッド・リポーター」に掲載された「【レビュー】『ウォンカとチョコレート工場のはじまり』歌って踊るティモシー・シャラメとカラフルな夢の世界へ」という記事を読んで気が変わりました。いつも素敵な映画を紹介してくれる映画コラムニストの堀田明子(アキ)さんのレビューです。アキさんによれば、主演のティモシー・シャラメは、母親が好きだったジーン・ワイルダー主演の「夢のチョコレート工場」(1971年)を観て育ったそうです。この映画、ディズニーの製作なのですが、わたしも大好きでした。日本では劇場未公開でしたが、ワーナー・ホーム・ビデオによって1986年7月にVHSが発売され、その後2001年11月に同社からDVDが発売されています。わたしは、VHSのソフトを持っていました。
「夢のチョコレート工場」の脚本は原作者のロアルド・ダール自ら草稿を書いていますが、その大半は映画スタッフによって改変されました。映画はミュージカル仕立てになり、チャーリーの学校の担任の先生などの映画オリジナルキャラクターも出演しています。また、チャーリーの父親は冒頭から不在となっていますね。工場で働くウンパルンパはすべて、何人もの身長の低い人物が演じたそうです。なお、原作に描かれた「クルミを割るリス」の部屋は「金の卵を産むガチョウ」の部屋に差し替えられ、子供たちが酷い目にあった後に工場から出てくるシーンはカットされています。結果、夢のある映画になりました。
ティモシー・シャラメは12歳の頃には、ジョニー・デップ主演の「チャーリーとチョコレート工場」(2005年)を観て、その世界観に感動したそうです。この映画、わたしも観ましたが、わたしと同い年のジョニー・デップの個性が強すぎて、そのキッチュ性がちょっと苦手でした。監督がティム・バートンだったこともキッチュな作品になった一因でしょう。ただ、「ネバーランド」(2004年)のピーター役で天才子役として世界中から注目を集めたフレディー・ハイモアの少年役は良かったですね。原作には描かれていない工場長ウィリー・ウォンカの子供時代も明らかにされました。工場の従業員である小人のウンパルンパのダンスといろいろなジャンル音楽で奏でられるコーラスは面白かったです。
そして今回、「夢のチョコレート工場」から53年ぶり、「チャーリーとチョコレート工場」から19年ぶりに、最新作「ウォンカとチョコレート工場のはじまり」が公開。ティモシー・シャラメは少年時代から憧れだったウィリー・ウォンカの若き日を演じたのでした。若きウォンカが訪れたガレリアには素敵なチョコレート店が軒を並べていますが、彼が新しく自分の店を持ちたいと思うのはNGでした。ここでは「夢見ることは禁止」とされているのです。夢を見ただけで罰金を払わされる始末です。一方、「夢見ることができるなら、それは実現できる」と語ったのは、かのウォルト・ディズニーです。アメリカはフロリダのウォルト・ディズニー・ワールド内にある「エプコット・センター」の「イマジネーション!」というアトラクションの入口に"If you can dream it,you can do it."と掲げられています。
わたしは大学4年生のときに初めてエプコット・センターを訪れましたが、「イマジネーション!」の入口でこの言葉を目にしたときは魂が震えるほど感動しました。それ以来、わたしの座右の銘のひとつになっています。人間が夢見ることで、不可能なことなど1つもありません。逆に言うなら、本当に実現できないことは、人間は初めから夢を見れないようになっているのです。ディズニーの偉大な夢は、多くのアニメ作品のみならず、ディズニーランドとして具現化しました。そして、「夢のチョコレート工場」もディズニー映画でした。同作を観て、ウィリー・ウォンカに憧れたティモシー・シャラメだって、夢を叶えてウォンカを演じたではないですか! そのウォンカはガレリアで夢のような空飛ぶチョコレートを販売するのでした。
「ウォンカとチョコレート工場のはじまり」はディズニー映画にも負けないくらいの夢と魔法に溢れた映画ですが、「パディントン」シリーズのポール・キングがメガホンを取り、プロデューサーは「ハリー・ポッター」シリーズのデヴィット・ヘイマンが担当しています。ティモシー・シャラメは映画で使われた全13曲を歌う活躍ぶりですが、主題歌「ピュア・イマジネーション」とウンパルンパの歌は、「夢のチョコレート工場」の名曲が使われているそうです。この映画で忘れてはならないのは、ウンパルンパという小人です。本作では、名優ヒュー・グラントが演じています。アキさんは、「ミステリアスな不思議さがぴったりですが、前2作品のウンパルンパとの最大の違いはウォンカと心を通わせる点です。作品をより一層ハートフルに、そしてなぜか憎めない愛されキャラとして役を仕立てる手腕はさすがです」と書いています。
この映画を観ると、チョコレートが魅力的に思えて、無性に食べたくなります。そして、この映画はチョコレートの本質を浮き彫りにします。イギリスの医療保険会社「AXA PPP healthcare」の栄養士、シータナ・クーパー氏によれば、チョコレートの濃厚な味わいや香り、食感によって、幸福感をもたらす脳内物質が放出されるそうです。チョコレートに含まれる必須アミノ酸のトリプトファンは、幸せホルモン「セロトニン」の分泌を活発化させ、抗うつ作用があるとか。クーパー氏いわく、「チョコレートを口に入れた時の胸の高鳴りと、恋に落ちた時のワクワク感はまるで同じ」だそうです。また、「咳を和らげてくれる」「脳を活性化してくれる」「心臓病のリスクを減らしてくれる」といった指摘もあります。
このようにチョコレートは人の心も体も豊かにしてくれる素敵なお菓子です。しかし、わたしたちの手元に届くまでには深刻な事情があることをご存知でしょうか。一条真也の読書館『チョコレートの真実』で紹介した2007年に出版されたキャロル・オフの著書によれば、原料となるカカオを栽培するアフリカの農園で働く子どもたちは、自分たちの過酷な労働の結果、夢のように甘くて美味しいお菓子が生まれることを知らないといいます。同書を読んだわたしは、カカオ農園で働く子どもたちにチョコレートを味あわせてあげたいと思いました。そして、「自分たちは人を幸せな気分にする素晴らしいものを作っている」ことに気付かせてあげたいと願いました。そういえば、「ウォンカとチョコレート工場のはじまり」に登場するヌードルという名の黒人の女の子もチョコ―レートを知りませんでしたね。
「チャーリーとチョコレート工場」と同じく、ジョニー・デップが主演した「ショコラ」(2000年)というラッセ・ハルストレム監督のファンタジー映画があります。古くからの伝統が根付くフランスの小さな村に、ある日謎めいた母娘がやってきてチョコレート・ショップを開店します。厳格なこの村に似つかわしくないチョコでしたが、母ヴィアンヌの客の好みにあったチョコを見分ける魔法のような力で、村人たちはチョコの虜になってしまいます。やがて村の雰囲気も明るく開放的なものになっていきます。この「ショコラ」にも描かれているように、チョコレートは世界で最も愛されているお菓子です。
しかし、「ショコラ」の原作であるジョアン・ハリスの著書『ショコラ』には、「夢の中で私は、チョコレートを夢中で頬ばり、チョコレートの中に寝転がります。少しもごつごつしていないのです。むしろ人の肌のように柔らかで、まるで無数の小さな口が小刻みに休みなく動いて、私の体をむさぼっていくようです。このまま優しく食べ尽くされてしまいたい。それはこれまで味わったこともない、誘惑の極致です」と書かれています。しかし、原題を『BITTER CHOCOLATE(苦いチョコレート)』という『チョコレートの真実』には、チョコレートの甘さの裏にある苦い真実が描かれています。同書では、カカオ生産の現場で横行する児童労働の実態や、巨大企業・政府の腐敗を暴き出しています。
ところで、わたしは、聖マザー・テレサをリスペクトしています。彼女の偉大な活動のひとつに「死を待つ人の家」を中心とした看取りの活動があります。マザー亡き後も、インドのカルカッタでは彼女の後継者たちが「死を待つ人の家」を守っています。死にゆく人々は栄養失調から来る衰弱死のため、たいていは苦悶の表情を浮かべて死んでいきますが、いまわのきわに口に氷砂糖やチョコレートなどを含ませると、微笑んで旅立ってゆくそうです。それまでチョコレートなど食べたことがない人がほとんどでしょうから、おそらくは脳内で幸せホルモン「セロトニン」の分泌が急激に活発化するのではないでしょうか。
『ウェルビーイング?』『コンパッション!』のWC本
わたしは、アフリカの子どもたちや、インドの老人たちも含めて、あらゆる人々に美味しいチョコレートが行き渡り、みんなが幸せな気分になれますように願っています。考えてみれば、アフリカの子どもも、インドの老人も、その肌の色は濃い薄いといった差はあれど、チョコレート色をしています。わたしは、チョコレートとは「思いやり」を意味するコンパッション(Compassin)の食べ物であると思いました。ウォンカの母親が「大事なのはチョコレートではない。分かち合うこと」と語ったことが明かされる場面がありましたが、板チョコなどは最初からシェアできるように切れ目が入っています。また、食べた人に幸福感を与え、健康にも良いという点では、チョコレートはウェルビーイング(Well-being)の食べ物だと言えます。そう、ウォンカ・チョコのイニシャルは「WC」ですが、ウェルビーイング&コンパッションの意味にも通じます。そのことに気づきました!
「サンデー毎日」2016年2月21日号
わたしは最近、ある方からチョコレートのプレゼントを頂戴しました。ペニンシュラ東京で売られているピーター・ラビットのチョコレートで、「執筆の合間につまんで下さい」とのこと。そのとき、わたしは「バレンタインデーでなくても、チョコのプレゼントは嬉しいな」と思いました。クリスマスと同じように、戦後の日本の中で定着した欧米由来の年中行事の1つがバレンタインデーです。バレンタインというのは3世紀に実在した司祭の名前で、彼が殉教した日が2月14日でした。なぜ求愛の儀式になったかというと、戦争に出征する兵士たちの結婚を禁止した当時の皇帝の命令に背いて、結婚を許可したことで司祭が処刑されたからです。もとは求愛の儀式として欧米で定着したものでしたが、日本では女性から告白する、その際にチョコレートをプレゼントする意味合いを持ちました。いずれにせよ、チョコレートは「愛」のシンボルです。チョコを口にするとき、わたしたちは愛を食べているのです!
チョコレートは「愛」のシンボル