No.844


 1月5日の夜、フランス映画「ジャンヌ・デュ・バリー 国王最期の愛人」をシネプレックス小倉で観ました。一条真也の映画館「メアリーの総て」で紹介した作品と同じく、伝記恋愛映画とでも呼ぶべき内容でした。女性の自由と解放を理想としたメアリー・シェリーと違って、ジャンヌ・デュ・バリーは封建時代に女性であることを武器にしてのし上がった人生でしたが、いずれも時代に翻弄されながら必死に生きたという点は同じです。また、ともに最愛の我が子を亡くすというグリーフを抱えて生きた点も同じでした。
 
 ヤフーの「解説」には、こう書かれています。
「フランス国王ルイ15世の愛人であったデュ・バリー夫人ことジャンヌ・デュ・バリーの生涯に迫る歴史ドラマ。18世紀のフランス・ベルサイユの宮廷を舞台に、庶民階級出身の女性が、自身の才覚を発揮して権力の座へと上り詰めていく。監督・脚本に加え主人公を演じるのは『モン・ロワ 愛を巡るそれぞれの理由』などのマイウェン。『MINAMATA-ミナマタ-』などのジョニー・デップのほか、バンジャマン・ラヴェルネ、ピエール・リシャール、メルヴィル・プポーらがキャストに名を連ねる」
 
 ヤフーの「あらすじ」は、「貧しい家庭に生まれたジャンヌ(マイウェン)は、その美貌と知性を武器に社交界へと入り込む。貴族の男性たちをとりこにしながらのし上がってきた彼女は、ついにベルサイユ宮殿にも足を踏み入れ、国王ルイ15世(ジョニー・デップ)との面会を果たす。二人は一瞬で恋に落ち、ジャンヌは国王の愛人となるものの、貴族階級ではない出自や、宮廷のマナーを無視したことなどから彼女は周囲に疎まれる」となっています。
 
 この映画の主な舞台は、ヴェルサイユ宮殿です。わたしはヴェルサイユの「鏡の間」が大好きで、かつて松柏園ホテルに「鏡の間」をイメージした「グラン・フローラ」というバンケットを作ったことがあるぐらい気に入っています。映画では、ヴェルサイユでの朝の国王のルーティーンのシーンが登場します。宮殿というのは儀式の場ですから、延々と儀式的なシーンが続きますが、「儀式バカ一代」を自認するわたしは興味深く感じました。ルイ15世(1710年~1774年)は、曾祖父ルイ14世の崩御によりわずか5歳で即位し、ルイ14世の甥に当たるオルレアン公フィリップ2世が摂政の座に就いて政務を取り仕切りました。成人後はブルボン公ルイ・アンリ、次いでフルーリー枢機卿が執政。優れた政治家であるフルーリー枢機卿の執政によりフランスは繁栄しました。フルーリー枢機卿の死後は親政を行いました。ルイ15世は、多くの愛人を持ち私生活は奔放で、「最愛王」と呼ばれました。特にポンパドゥール夫人とデュ・バリー夫人はルイ15世の治世に大きな影響を与えました。
 
 要するに、ルイ15世は大の女好きだったのです。しかしながら、なにしろフランスの国王ですから、どんな女性でも思いのままに手に入ります。映画でも、若き日のジャンヌに一目惚れするやいなや、家来がすぐジャンヌの家にやってきて「国王があなたにお会いしたいと言っています」と呼びに来るシーンがあります。そのまま宮殿で国王と一夜を共にするわけですが、これを見て、わたしは松本人志を連想しました。彼もルイ15世と同じく無類の女好きだったのでしょうが、意中の女性を後輩芸人が上納するという時代錯誤も甚だしい一連の行為が報道されたことによって、すっかり地位も名声も失ってしまいました。ルイ15世は正真正銘の「王様」でしたが、松本人志は「裸の王様」だったのです。ちなみに松本人志は、わたしと同い年です。そして、「ジャンヌ・デュ・バリー 国王最期の愛人」でルイ15世を演じたジョニー・デップもわたしと同い年です。みんな、1963年生まれのウサギ年です!
 
 ジョニー・デップといえば、「シザーハンズ」のエドワード・シザーハンズ、「パイレーツ・オブ・カリビアン」のジャック・スパロウ、「チャーリーとチョコレート工場」のウィリー・ウォンカ、「アリス・イン・ワンダーランド」のマッドハッターといった、とにかく異形の者というか、普通の人間ではないアクの強いキャラクターを演じることが多かったですが、今回のルイ15世の役は想像以上に良かったです。一条真也の映画館「グッバイ、リチャード!」で紹介した映画では、チョイ悪の大学教授を演じていました。余命&妻の不倫というダブル・グリーフによって、彼の表情には常に影がありました。そのような影のある役を演じさせたらジョニー・デップは最高の役者で、悲しみと色気を醸し出すのがうまいです。今回も、ルイ15世の最期を見事に演じていました。ちなみに、ルイ15世は晩年にさまざまな改革を行いましたが、1774年に天然痘により64歳で崩御。フランス革命の前で、断頭台の露にならなかったことは幸せだったかもしれませんね。
 
 映画の主人公であるジャンヌ・デュ・バリー(1743年~1793年)は、フランスのシャンパーニュ地方の貧しい家庭に、アンヌ・ベキューの私生児として生まれました。男性遍歴を繰り返し娼婦同然の生活をしていたようですが、やがてデュ・バリー子爵に囲われると、貴婦人のような生活と引き換えに、子爵が連れてきた男性とベッドを共にしました。家柄のよい貴族や学者、アカデミー・フランセーズ会員などがジャンヌの相手となり、その時に社交界でも通用するような話術や立ち居振舞いを会得したようです。1769年にルイ15世に紹介されますが、5年前にポンパドゥール夫人を亡くしていたルイ15世は、ジャンヌの虜になって彼女を公妾にすることを決心。デュ・バリー子爵の弟と結婚してデュ・バリー夫人と名を変えたマリ・ジャンヌは、型どおりの手続きを終えて、正式にルイ15世の公妾になり、社交界にデビューしたのでした。
 
 フランス宮廷に入ったデュ・バリー夫人は、その頃オーストリアからフランス王太子ルイ=オーギュスト(後のルイ16世)に嫁いでいたマリー・アントワネットと対立しました。娼婦や愛妾が嫌いな母マリア・テレジアの影響を受けたマリー・アントワネットは、デュ・バリー夫人の出自の悪さや存在を徹底的に憎んでいたのです。加えて、かねてデュ・バリー夫人の存在を疎んじていたルイ15世の娘であるアデライード王女、ヴィクトワール王女、ソフィー王女らが、宮廷で最も身分の高い婦人であるマリー・アントワネットを味方につけようと画策したことが、この対立を一層深めました。デュ・バリー夫人は朗らかで愛嬌がある親しみやすい性格で、宮廷の貴族たちからは好かれていたといいます。しかし、デュ・バリー夫人の立場はあくまでも公妾で、マリー・アントワネットは王太子妃。語りかけるのは必ず王太子妃からでなくてはならず、そのへんの宮殿の作法も映画ではよく描かれています。しかし、その2人は、ともに断頭台の露と消えてしまうのでした。
 
 デュ・バリー夫人は、天然痘で倒れたルイ15世の看病に努めます。国王の最期は、泣きながら手を取り合ってキスをし、「ジュテーム(愛しています)」と「モナムール(最愛の人よ)」と言い合うシーンは泣けました。この映画は、間違いなく恋愛映画でもあると思いました。ルイ15世の死後、修道院での幽閉を経て、彼女はさまざまな人物の愛人となります。1789年に勃発したフランス革命により、1793年12月7日にギロチン台へ送られました。この時の死刑執行人のシャルル=アンリ・サンソンと知己であった彼女は、泣いて彼に命乞いをしました。しかし、これに耐えきれなかったサンソンは息子に刑の執行を委ね、結局は50歳でギロチン処刑されたのでした。死刑執行人のシャルル=アンリ・サンソンは、自身の手記に「みんなデュ・バリー夫人のように泣き叫び命乞いをすればよかったのだ。そうすれば、人々も事の重大さに気付き、恐怖政治も早く終わっていたのではないだろうか」と書き記しています。
 
 最後に、ジャンヌ・デュ・バリーはその美貌が抜群だったとされていますが、映画で彼女を演じたのがマイウェンというのは疑問です。彼女は47歳のフランス人ですが、わたしとしては、エミリー・ブラント(40)、スカーレット・ヨハンソン(39)、マーゴット・ロビー(33)あたりに演じてほしかった。エミリーはイギリス人で、あとの2人はアメリカ人ですが、ルイ15世役のジョニー・デップだってアメリカ人なのだから、フランス人俳優にこだわる必要はないと思います。どう見てもマイウェンと「美貌の国王愛人」はイメージが結びつきません。「もしかして、ポリコレ?」かと思いましたが、なんと、この映画、マイウェン自身が監督を務めていたことを知りました。もともと思い入れのあった人物を自身の監督・主演で映画化したといったところなのでしょうが、なんだかなあ?