No.843
1月4日の夕方、東京から北九州に戻りました。その夜、U-NEXTでアイルランド・ルクセンブルク・アメリカ合作の伝記恋愛映画「メアリーの総て」を観ました。2017年の作品なのですが、なぜ今頃観たかというと、一条真也の映画館「哀れなるものたち」で紹介したアカデミー賞11部門ノミネート作の内容と密接に関わっているためです。名作『フランケンシュタイン』を書いた作家メアリー・シェリーの生涯を詳しく追っており、とても興味深かったです。
映画ナタリーの「解説」には、「『フランケンシュタイン』などの傑作小説を発表したイギリスを代表する女流作家、メアリー・シェリーを描く伝記ドラマ。『少女は自転車にのって』で鮮烈なデビューを果たしたサウジアラビアの女性監督、ハイファ・アル=マンスールが、メアリーの波乱万丈の人生を描き出す。主演は、『マレフィセント』『ネオン・デーモン』のエル・ファニング」とあります。
映画ナタリーの「あらすじ」は、以下の通りです。
「19世紀のイギリス。小説家になることを夢見るメアリーは、妻子ある詩人のパーシー・シェリーと出会う。互いの才能に惹かれ合ったふたりは瞬く間に恋に落ち、すべてを捨てて駆け落ち。しかし、現実はそう甘くなく、メアリーは次から次へと悲劇に見舞われる」
「哀れなるものたち」は、ヨルゴス・ランティモス監督がスコットランドの作家アラスター・グレイによる小説を映画化。天才外科医の手により不幸な死からよみがえった若い女性が、世界を知るための冒険の旅を通じて成長していく物語です。若い女性ベラ(エマ・ストーン)は自ら命を絶ちますが、天才外科医ゴッドウィン・バクスター(ウィレム・デフォー)によって胎児の脳を移植され、奇跡的に生き返ります。「世界を自分の目で見たい」という思いに突き動かされた彼女は、放蕩者の弁護士ダンカン(マーク・ラファロ)に誘われて大陸横断の旅に出ます。大人の体でありながら、新生児の目線で物事を見つめるベラは、貪欲に多くのことを学んでいく中で平等や自由を知り、時代の偏見から解放され成長していくのでした。
映画「哀れなるものたち」の冒頭では、自死した女性が人造人間ベラとして蘇ります。女性の人造人間といえば、どうしても「フランケンシュタインの花嫁」(1935年)を思い出します。しかも、ベラを生き返らせたゴドウィン・バクスターの顔はツギハギだらけで、フランケンシュタインのモンスターを彷彿とさせるのです。「フランケンシュタインの花嫁」は、アメリカのユニバーサル映画が製作したSFホラー映画の古典です。映画史に燦然と輝く名作「フランケンシュタイン」(1931年)の続編で、監督ジェイムズ・ホエールと怪物役のボリス・カーロフは前作と同じです。エルザ・ランチェスターが怪物の花嫁とメアリー・シェリーの二役を演じましたが、誕生してすぐに不幸な最期を遂げます。
1931年の「フランケンシュタイン」は、ホラー映画の金字塔的作品ですが、そこに描かれた怪物は、いかつい不気味な大男で、全身の皮膚に人造人間であることを意味する縫い目がありました。さらには、特徴的な四角形の頭部といったビジュアルが印象的でした。これが後世に典型的イメージとして広く定着し、また本来は「フランケンシュタインによる怪物」であるはずが、いつのまにか怪物自身を指して「フランケンシュタイン」と呼称されるようになったのです。しかし、これはあきらかな間違いです。作者はこの作品が舞台化された際の台本を見たときに、怪物の名前が____(アンダーバー)だったことを喜んだそうです。『フランケンシュタイン』の作者は、怪物の名前がないことにこだわっていたのです。
その映画「フランケンシュタイン」の原作を書いた作者こそ、メアリー・シェリー(1797年~1851年)です。同作はSF小説の元祖とされています。映画評論家の町山智浩氏のYouTube動画を観て知ったのですが、「哀れなるものたち」の主人公ベラには、メアリー・シェリー自身と彼女の実母であるメアリ・ウルストンクラフト(1759年~1797年)の両方の人生が反映しています。メアリー・シェリーは幼少の頃、イギリスの政治評論家で無政府主義(アナキズム)の先駆者であった実父のウィリアム・ゴドウィンから溺愛されて、家から出してもらえなかったとか。ウィレム・デフォー演じるゴッドウィン・バクスターのベラへの態度に重なりますね。
また、母のメアリ・ウルストンクラフトはイギリスの社会思想家で、『女性の権利の擁護』を書いたフェミニズムの先駆者でした。メアリ・ウルストンクラフトはタブーに縛られない人生を送り、未婚のまま多くの男性と交際したといいます。当然、セックスにも開放的でした。メアリー・シェリーを産んだときも相手であるウィリアム・ゴドウィンとは結婚していなかったのです。そして、産後の肥立ちが悪く、彼女はメアリーの出産後間もなく亡くなったのでした。このように、ベラという人造人間のキャラクターには、メアリ・ウルストンクラフトとメアリー・シェリーの母娘の人生が反映されているのです。ベラ自身が母親の肉体に娘の脳が入った存在ですので、その意味では母娘一体の見事なメタファーになっています。
そのメアリー・シェリーの驚くべき生涯を描いた映画が、「メアリ―の総て」です。「哀れなるものたち」を観て感動した映画コラムニストのアキ(堀田明子)さんが、続けて同作を観たそうで、「『メアリーの総て』も良かったです! 『フランケンシュタイン』読んでみたくなりました。まさに、フェミニズム映画でしたよ!」とのメッセージをLINEで送ってくれたので、観ようと決意した次第です。「メアリーの総て」には『フランケンシュタイン』誕生の背景が描かれていますが、19世紀のイギリスの劇場で行われていた「ファンタスマゴリア」という幻想ショーや生体電気(ガルバニズム)でカエルの死骸を動かす実験などのメアリーが『フランケンシュタイン』の物語を思いつくヒントになった場面が興味深かったです。
小説家を夢見るメアリーは〝異端の天才"と噂される、妻子ある詩人パーシー・シェリーと出会います。互いの才能に強く惹かれあった2人は、情熱に身を任せ、駆け落ちします。しかし、愛と放蕩の日々は束の間、メアリーに数々の悲劇が襲い掛かるのでした。失意のメアリーはある日、夫パーシーと共に滞在していた、悪名高い詩人・バイロン卿の別荘で「皆で1つずつ怪奇談を書いて披露しよう」と持ちかけられます。ここで、医師でもあったポリドリが『吸血鬼』の着想を得ます。これは後に、ブラム・ストーカーの『ドラキュラ』に大きな着想を与え、吸血鬼物語は怪奇小説の一大ジャンルとなります。そして、バイロンの別荘で生まれたもう1つの着想が当時18歳のメアリーによる『フランケンシュタイン』の物語でした。
バイロンの別荘はスイス郊外のレマン湖畔にあり、「ディオダディ荘」と呼ばれました。1816年、ここに5人の男女が集まり、それぞれが創作した怪奇譚を披露しあった出来事は「ディオダディ荘の怪奇談義」と呼ばれます。これを題材にした映画がケン・ラッセル監督のイギリス映画「ゴシック」(1986年)です。バイロン伯爵の壮大な屋敷にやって来た3人の客。詩人シェリーと愛人メアリー、彼女の義理の妹クレア。その夜、この屋敷の侍医でもあるポリドリと共にディナー・パーティが開かれました。それは文学史上最も重大な一夜になる事を、未だ誰も知らなかったのです。ケン・ラッセルは大好きな監督ですが、数多い彼の名作の中でも「ゴシック」は幻想と怪奇の世界を独特の映像美で綴る怪奇幻想映画の傑作です。
1816年は前年の火山噴火の影響で「夏のない年」と呼ばれ、長雨が続きました。レマン湖畔も例外ではなく雨が降り続き、ディオダティ荘の一同は外出もままならず大いに退屈。バイロンとシェリーは哲学談義にふけっていましたが、その内容はガルヴァーニ電気の可能性、生命の伝達、死者の蘇生、エラズマス・ダーウィン博士の生命実験といった、どちらかというと現代のSFに近いものでした。ある日、バイロンがコールリッジの「クリスタルベル姫」という詩を朗読していましたが、神経過敏だったシェリーは全身に冷や汗をかいて大声を出し、昏倒。その後、一同は気を取り直してドイツの怪奇譚をフランス語に訳したアンソロジー『ファンタスマゴリアナ』を朗読した後、「皆で1つずつ怪奇譚を書こう(We will each write a ghost story.)」とバイロンが一同に提案したのです。
さて、女性であるハイファ・アル=マンスール監督がメガホンを取った「メアリーの総て」ですが、アキさんが言うようにフェミニズム映画の要素も強いですが、女性には参政権も与えられず、男性に隷属する存在でしかなった悲しみがよく描かれています。深い悲しみのことを「グリーフ」といいますが、わたしは女性にとって最大の悲しみとは自分が生んだわが子を亡くすことだと考えています。特に、幼い子どもを失った若い母親の悲嘆は限りなく深いです。メアリー・シェリーも、パーシー・シェリーとの間に生まれた子を亡くしており、それが彼女の人生に大きな影を落とします。ディオダディ荘でポリドリがメアリーに「お子さんを亡くしたと聞きました」と話しかけるシーンがありました。メアリーは「クララって言うの」と答えます。「思い出させた?」「いいの、大丈夫よ。お気遣い、ありがとう」「母親にとって、子を失うのは想像を絶する苦しみだ。よく耐えたね。君は強い人だ」という会話がありました。ポリドリの言葉に、ケアの精神を感じました。
『フランケンシュタイン』を書き上げたメアリーが原稿を出版社に持ち込んだとき、「あなたのような若いお嬢さんが本当にこれを書いたのですか?」と疑う相手に対して、メアリーは「女は、喪失や死や裏切りと無縁だと?」と言い放つ場面もあり、とても印象的でした。そして、父のウィリアム・ゴドウィンが自分が経営する古書店で『フランケンシュタイン』の出版記念会を開いたとき、彼が「この優れた作品に描かれているのは、"人との繋がり"の重要性です。怪物は誕生した瞬間から、博士に触れようとする。しかし、おじけづいた博士は、怪物を孤独の中に置き去りにする。もしも博士が自らが作り出した怪物に哀れみや愛情を注いでいたら、悲劇は起きなかった。読者がそうした思いに打たれるのは、間違いなく作者の手腕によるものです」と絶賛します。さらに、その場にいたシェリーはメアリーに対して「人生に苦悩は付きものだ。だが、君の絶望と後悔の深さを僕は分かってなかった」と彼女に打ち明けるのでした。その後、シェリーとメアリーは結婚しますが、非常に感動的なシーンでした。メアリ―を演じたエル・ファニング演技は素晴らしく、「哀れなるものたち」でベラを演じたエマ・ストーンに似ている気がしました。
エル・ファニング以外では、シェリー役のダグラス・ブース、バイロン役のトム・スターリッジも良かったですが、ポリドリを演じたベン・ハーディが最も印象に残りました。1795年生まれのイギリスの小説家であり医師であったジョン・ポリドリはメアリー・シェリーと同じく偉大です。なにしろ、怪奇小説やファンタジー小説における吸血鬼というジャンルの生みの親なのですから。彼が『吸血鬼』を書くまでは、ヴァンパイアというのはヨーロッパの古臭い伝説でしかなかったのです。ポリドリは当時著名な創作家であったバイロンの主治医で、当初はこの作品の作者もバイロン卿とされていました。ともに屈辱を味わったバイロンもポリドリも、この作品はポリドリの作品であると断言しています。しかし、最後まで『吸血鬼』はバイロンの作品と見られ続け、それを苦にしたのか、ポリドリはロンドンにて鬱病とギャンブルによる借金に悩まされながら、1821年に亡くなったのでした。死因は青酸カリによる自殺という有力な証拠があったそうです。自らが書いた作品を自作と認められないのは、作家にとって最大の悲しみであると思います。そう、この「メアリーの総て」は、さまざまな悲嘆が詰まった壮大なグリーフ映画であると言えるでしょう。