No.870
4月5日の夜、この日から公開された映画「アイアンクロー」を小倉コロナワールドで観ました。プロレス界であまりにも有名な一家の実話に基づいた作品で、昭和プロレスが三度の飯より好きなわたしは、かなり前から楽しみにしていました。しかし、グリーフケアの要素はあったものの、期待していたほどの満足は得られませんでしたね。
ヤフーの「解説」には、「アメリカのプロレスファミリー、フォン・エリック家の実話をベースに描く人間ドラマ。父親の指導のもと、息子たちがプロレス界で栄光をつかむものの、次々と悲劇に見舞われる。監督などを手掛けるのは『不都合な理想の夫婦』などのショーン・ダーキン。『炎の少女チャーリー』などのザック・エフロン、ドラマ「一流シェフのファミリーレストラン」などのジェレミー・アレン・ホワイト、ハリス・ディキンソン、スタンリー・シモンズらがキャストに名を連ねる」とあります。
ヤフーの「あらすじ」は、「1980年代初頭、フォン・エリック家はプロレスの歴史にその名を刻む一家だった。元AWA世界ヘビー級王者の父親フリッツ(ホルト・マッキャラニー)に厳しく育てられた長男ケビン(ザック・エフロン)、次男デビッド(ハリス・ディキンソン)、三男ケリー(ジェレミー・アレン・ホワイト)、四男マイク(スタンリー・シモンズ)もプロレスラーとしてデビューしプロレス界の頂点を目指すが、次男デビッドが日本でのプロレスツアー中に急死する」となっています。
エリック一家の長であるフリッツ・フォン・エリックは、1929年に生まれ、1997年に没したアメリカのプロレスラー、プロレスリング・プロモーターです。ギミックの出身地はドイツ・ベルリンですが、実際はテキサス州ジュエットです。アイアン・クロ―の開祖として知られ、「鉄の爪」はそのまま彼の異名になりました。元AWA世界ヘビー級王者。日本プロレス時代に来日し、ジャイアント馬場とも激闘を繰り広げました。劇画『タイガーマスク』には、アメリカの3大世界王者として、WWWFの「人間発電所」ブルーノ・サンマルチノ、NWAの「荒法師」ジン・キニスキーとともに、AWAのフリッツ・フォン・エリックが紹介されていました。引退後はテキサス州ダラスおよびフォートワースを本拠地とするプロレス団体WCCWのプロモーターとして活動しました。
フリッツ・フォン・エリックの息子たちは次々にプロレスラーになりました。ところが1984年2月10日、三男のデビッドが全日本プロレス来日時に内臓疾患により急死(25歳没)。次いで1987年4月12日、五男マイクが毒素性ショック症候群による苦しみから精神安定剤の過剰摂取により服薬自殺(23歳没)。さらには1991年9月12日、六男のクリスがピストル自殺で死去(21歳没)。また1993年2月18日には、バイク事故で右足首を切断した義足の四男ケリーがコカイン他の違法薬物使用により起訴され、有罪になり、同日に自宅で拳銃自殺を図りました(33歳没)。こうしてレスラーとして活躍していた5人の兄弟のうち4人が10年の間に相次いで病死・自殺などで怪死し、また幼くして事故死した長男を含めて6人中5人が若くして死去したため、フォン・エリック・ファミリーは「呪われた一族」などというレッテルを貼られることとなったのです。
兄弟の父親であるフリッツ・フォン・エリックは超スパルタ教育で知られ、息子たちは父親を心から恐れていました。息子たちに期待度のランキングを付け、それを口にするような信じられない毒親で、特に一家の次男でるケビンには辛く当たりました。ケビンの前に幼ない頃に亡くなった長男はいましたが、プロレスラーのエリック兄弟としてはケビンが長男です。「長男のないがしろにする家は滅びる」というのがわたしの持論ですが、ケビン以外の弟たちは次々にこの世を去っていったのです。1997年9月10日には、フリッツ自身も癌で死去(68歳没)。残ったのはケビンのみでした。呪いの本質とは「恐怖で心を支配すること」ですが、その意味では父から期待されなかったケビンだけが呪いを受けていなかったのかもしれません。
フリッツ・フォン・エリックの悲願は、自身が果たせなかったNWA世界ヘビー級王者になることでした。現在のプロレス・ファンなら、NWAというのは全米のプロモーターの組合に過ぎず、プロボクシングのWBAやWBCといった世界王座と違って、NWA世界ヘビー級王者などに何の権威もなかったことを知っています。しかし、当時のプロレス・ファンはNWAという組織に幻想を抱いており、日本でもアントニオ猪木がエースを務める新日本プロレスではNWA世界王座に挑戦できないため、モハメド・アリらと戦った一連の「格闘技世界一決定戦」が行われたのです。エリックの息子たちは父親のフリッツから「NWA世界王者になれ」とのミッションを与えられますが、それを果たしたのは、ケリーでした。1984年5月6日、テキサス・スタジアムでの兄デビッド・フォン・エリックの追悼興行においてリック・フレアーを破り、第67代NWA世界ヘビー級王者となったのです。
NWAが発展したプロレス興行団体がWWEで、WWFと全米プロレス界の勢力を二分しました。2009年、WWEはフォン・エリック・ファミリーの功績をたたえ、フリッツ、ケビン、デビッド、ケリー、マイク、クリスの6人をWWE殿堂に迎え入れました。セレモニーにはケビンが出席しています。兄弟の中で最も葛藤し、孤独を味わったのはケビンでしたが、彼だけが幸福な人生を送ったことが映画のラストで明かされます。ケビン役はザック・エフロンでしたが、彼の妻パムを演じたのがリリー・ジェームズです。「シンデレラ」(2015年)の主役を務めた彼女は、さすがに華があって美しかったです。ケビンの試合が終わるのを出待ちしてサインを求め、積極的に彼をデートに誘うのですが、こんな美女からモーションをかけられた男は誰でもメロメロになりますよね、しかも、そのとき、ケビンは童貞だったのです!
この映画には、アメリカ特有の男らしさや家父長制の家庭が描かれていますが、他の兄弟たちとは違い、ケビンだけが異なるかたちの逃げ道を見出します。それは、パムと共に築く「家族」でした。インタビュー動画で、リリー・ジェームズは、そんな自身の演じたパムという役柄について「彼女は伝統的な男らしさという有害な固定概念や感情を抑制してすべてを抱え込むという考え方を断ち切る人物」と魅力を語っています。続けて、「だから彼女はケビンが実際に行動を起こすようにと勇気づける。やらなければいけないと思うことではなく、やりたいことをやるように」と、自身もパムに惹かれたひとりとして熱くコメントしました。 また、感情を口に出すことが苦手なケビン役を繊細な演技で表現したエフロンは、「パムはケビンに無条件の愛を示している。彼女がケビンの人生に関わり始めるとすぐに彼は変わっていく」と、パムとケビンの絆に思いを馳せています。
リリー・ジェームズ演じるパムは、ザック・エフロン演じるケビンに「プロレスって、ヤラセなの?」と単刀直入に質問します。ケビンは困惑した表情をしますが、この映画では対戦前にあのブルーザー・ブロディがエリック兄弟に「ショーだからな!」と声を掛けるというちょっとショッキングなシーンもありました。「ヤラセ」という言葉は違和感がありますが、プロレスは純粋な競技としての格闘技とは違います。プロレスは、興行や試合全体の流れに基づいた真剣勝負であり、ある意味では格闘技よりもずっと生命の危険があります。一条真也の読書館『プロレス入門』で紹介した本で、プロレス・ライターでコラムニストの斎藤文彦氏が「プロレスラーはアスリートであり、パフォーマーであり、エンターテイナーである。このうちのどれが欠けていてもプロレスラーとはいえない。現在進行形のトップレベルのアスリートであることは"プロレスラー"を構成する大切な要素のひとつではあるが、アスリートとしての能力・技量とプロレスラーとしての実力とは必ずしもイコールの関係にはない」と述べていますが、わたしも同意見です。
映画「アイアンクロ―」でエリック兄弟を見ると、彼らは自分からプロレスラーになりたかったわけではなく、父フリッツ・フォン・エリックの呪いからプロレス界に入ったことがわかります。その点、自分から望んでプロレスラーになったドリー・ファンク・ジュニアやテリー・ファンクのファンク兄弟とは違いますね。この映画では、虐待にも等しい父フリッツの息子たちへのスパルタぶりが描かれて、あたかも彼らの不幸な死はフリッツに責任があるような印象を受けます。確かにそのことは否めませんが、わたしは母親も同罪だと思いました。父に物を言えずに、母に助けを求めた息子に対して、彼女は「兄弟で解決しなさい」と冷たく突き放します。最後は夫フリッツをも見限って離婚していますが、子どもたちへの愛情があったのかどうか疑ってしまう母親でした。
この母の息子たちへの無関心さを見ると、まだ父親のフリッツは彼なりに息子たちに愛情を注いでいたのかもしれません。映画鑑賞後に知ったのですが、フリッツはまだ小さかった息子たちを連れて来日したことがありました。そのとき広島を訪問し、原爆資料館に入り、わが子に戦争の悲惨さを説いたとか。現在、一条真也の映画館「オッペンハイマー」で紹介した原爆開発者の伝記映画が日本公開中なので、そのエピソードにはいろいろ考えさせられました。ラストで、息子たちが仲良く遊ぶ場面を見て涙を流したケビンに対して、子どもが「パパ、どうして泣いているの?」と質問したとき、ケビンは「パパにも、昔は兄弟がいたことを思い出したんだ」と言うシーンは感動的でした。父と息子だけでなく、兄弟関係についても考えさせる映画でした。