No.869


 3月29日、アカデミー賞で作品賞をはじめ7冠に輝いた映画「オッペンハイマー」がついに日本公開されました。わたしは、シネプレックス小倉の1番シアターで鑑賞しました。小倉は広島に次ぐ原爆投下予定地でしたが、投下当日に長崎に変更された街です。これほど鑑賞前に意見を多く述べた映画も初めてですが、実際に観た気分は最悪です。
 
 ヤフーの「解説」には、こう書かれています。
「『原爆の父』と呼ばれたアメリカの物理学者、J・ロバート・オッペンハイマーを描く人間ドラマ。ピュリッツァー賞を受賞したカイ・バード、マーティン・J・シャーウィンによる伝記を原作に、人類に原子爆弾という存在をもたらした男の人生を描く。監督などを手掛けるのは『TENET テネット』などのクリストファー・ノーラン。『麦の穂をゆらす風』などのキリアン・マーフィのほか、エミリー・ブラント、マット・デイモン、ロバート・ダウニー・Jrらが出演する」
 
 ヤフーの「あらすじ」は、「ドイツで理論物理学を学び、博士号を取得したJ・ロバート・オッペンハイマー(キリアン・マーフィ)は、アメリカへ帰国する。第2次世界大戦中、極秘プロジェクト『マンハッタン計画』に参加した彼は、世界初の原子爆弾の開発に成功する。しかし実際に原爆が広島と長崎に投下されると、その惨状を知ったオッペンハイマーは苦悩する。冷戦時代に入り、核開発競争の加速を懸念した彼は、水素爆弾の開発に反対の姿勢を示したことから追い詰められていく」となっています。
 
 3月11日(日本時間)、第96回アカデミー賞の授賞式がアメリカ・ロサンゼルスのドルビー・シアターで開催され、「オッペンハイマー」が14部門でノミネートされ、最終的には作品賞を含む7冠に輝きました。興行的にも、全世界興行収入9億5000万ドルを超える大ヒットを記録しました。実在の人物を描いた伝記映画作品として、歴代1位の記録を樹立しています。3月29日から公開される日本でも、かなりの観客動員が見込まれると思います。
 
 3・11という日本人にとってのグリーフ・デーの当日に、日本人にとって最大のグリーフといってもよい原爆の開発者についての映画がアカデミー賞で旋風を起こしたというのが、どうにも複雑な気分であります。原爆というのは世界史上で2回しか使われていません。その土地は日本の広島と長崎です。ですから、被爆国である日本の人々は、当事者として、映画「オッペンハイマー」をどこの国の国民よりも早く観る権利、また評価する権利があると思いますした。当然のことではないでしょうか?
 
 わたしは、「オッペンハイマー」が日米同時公開されるとばかり思っていました。それが、世界中の国々で公開されたにもかかわらず、日本だけ1年ものあいだ非公開だった事実が釈然としませんでした。本作で、原爆開発の倫理的責任はどう描かれているのか? 試作弾頭「トリニティ」の臨界実験の描写は凝りに凝ったCGと音響で圧倒的なインパクトが強いそうですが、それが、原爆の恐怖を表現しているのか? それとも開発成功を称える高揚シーンになっているのか?さらには、広島・長崎の惨状はどう描かれているのか?すべては不明で、モヤモヤしました。
 
 本当は、「オッペンハイマー」は昨年8月6日の「広島原爆の日」までには公開されているべきだったと思います。アカデミー賞授賞式の時点で、わたしはまだ「オッペンハイマー」を観ていなかったわけですが、日本人のグリーフを無視した映画がアカデミー賞作品賞を受賞した事実によって、日本人はセカンド・グリーフを負ったように思えてなりませんでした。アカデミー賞の審査員たちには「ポリコレとか多様性とか言う前に、もっと大事なことがあるだろう!」と叫びたかったです。
 
 この映画の主人公であるJ・ロバート・オッペンハイマー(1904年4月22日~1967年4月22日)は、アメリカの理論物理学者。彼は理論物理学の広範な領域にわたって大きな業績を上げました。特に第二次世界大戦中のロスアラモス国立研究所の初代所長としてマンハッタン計画を主導。卓抜なリーダーシップで原子爆弾開発の指導者的役割を果たし、「原爆の父」として知られます。戦後はアメリカの水爆開発に反対したことなどから公職追放されました。1960年9月に初来日して東京都・大阪府を訪れていますが、広島・長崎を訪れるべきでした。
 
 オッペンハイマーは、ドイツからのユダヤ系移民の子としてニューヨークで生まれました。非常に早熟で、子供の頃から鉱物や地質学に興味を持ち、数学や化学、18世紀の詩や数ヶ国の言語を学んでいました。最終的には6カ国語を話したといいます。一方で運動神経にはあまり優れず、同世代の子供たちと駆け回って遊ぶことはほとんどありませんでした。ただし、セーリングと乗馬は得意だったとか。ハーバード大学に入学し、化学を専攻。飛び級もあり、1925年に最優等の成績を修めてハーバード大学を3年でかつ首席で卒業。イギリスのケンブリッジ大学に留学し、キャヴェンディッシュ研究所で物理学や化学を学びました。オッペンハイマーはここでニールス・ボーアと出会い、実験を伴う化学から理論中心の物理学の世界へと入っていくことになります。
 
 オッペンハイマーは実験物理学が発展していたケンブリッジから、理論物理学が発展していたゲッチンゲン大学へ移籍して、博士号を取得。1929年には若くして カリフォルニア大学バークレー校やカリフォルニア工科大学助教授となり、物理学の教鞭を執りました。1936年には両大学の教授となります。生徒などから呼ばれた愛称は「オッピー」でした。1930年代末には宇宙物理学の領域で、中性子星や今日でいうブラックホールをめぐる極めて先駆的な研究を行っていました。第二次世界大戦が勃発すると、1942年には原子爆弾開発を目指すマンハッタン計画が開始されます。
 
 1943年、オッペンハイマーはロスアラモス国立研究所の初代所長に任命され、原爆製造研究チームを主導しました。彼らのグループは世界で最初の原爆を開発し、ニューメキシコでの核実験(トリニティ実験)の後、日本の広島市・長崎市に投下されることになりました。終戦後、1945年10月にハリー・S・トルーマン大統領とホワイトハウスで初対面した際、オッペンハイマーは「大統領、わたしは自分の手が血塗られているように感じます」と語りました。トルーマンはこれに憤慨、彼のことを「泣き虫」と罵り、二度と会うことはありませんでした。1947年にはアインシュタインラを擁するプリンストン高等研究所所長に任命され、1966年まで務めています。
 
 その後、オッペンハイマーは原爆の破壊力や人道的影響、論理的問題に関心を抱き、核兵器は人類にとって巨大な脅威であり、人類の自滅をもたらすと考えたました。ゆえに核軍縮を呼びかけ、原子力委員会のアドバイザーとなってロビー活動を行い、かつソ連との核兵器競争を防ぐために働きました。水素爆弾など、より強力な核兵器開発に反対するようになったため、「水爆の父」ことエドワード・テラーと対立しました。映画「オッペンハイマー」が日本公開前から原爆の使用を肯定する内容、あるいは原爆の開発に成功したオッペンハイマーを英雄視する内容ととらえられて大バッシングが起こったことについて、映画評論家の町山智浩氏は「けっして、原爆肯定や英雄視といった内容ではない。むしろ、核兵器を作ってしまったことへの後悔と懺悔を描いた映画である」と訴えています。
 
 これに加え、米ソの冷戦を背景にジョゼフ・マッカーシーが「赤狩り」を強行したことが、オッペンハイマーのキャリアに大きな打撃を与えました。妻キティ、弟フランク、フランクの妻ジャッキー、およびオッペンハイマーの大学時代の恋人ジーン・タットロックは、いずれもアメリカ共産党員であり、またオッペンハイマー自身も党員ではなかったものの、共産党系の集会に参加したことが暴露されました。1954年4月12日、原子力委員会はこれらの事実にもとづき、オッペンハイマーを機密安全保持疑惑により休職処分(事実上の公職追放)としました。この処分は、ソ連のスパイ疑惑が持たれていたオッペンハイマーを危険人物とみなしたことによるものであったが、実際にはスパイ行為は確認されなかった。原爆による広島・長崎の惨状を知った後に水爆の開発に反対したことを問題視されていたのです。
 
 町山智浩氏は映画「オッペンハイマー」を5回観たそうですが、「非常に難解な映画」と表現しています。まず、2つの時系列が並行して描かれていることで観客は混乱します。また、登場人物が多いにもかかわらず、それらの人物についての説明が一切ないので、何がなんだかわからなくなるというのです。そのことを事前に知っていたわたしは、予習動画を片っ端から観ていきました。普段は予習動画の類はあまり観ないのですが、一条真也の映画館「デューン 砂の惑星PART2」で紹介したSF超大作とこの「オッペンハイマー」だけは観ておいた方がいいです。ちなみに両作品ともIMAX映画でもありますが、デューン2が「絶対にIMAXで観るべき」と言われているにも対して、「オッペンハイマー」の方がそこまで言われていません。それは、基本的にこの映画がスペクタクルを売り物にする内容ではなく、ヒューマンドラマだからだと思います。
 
 予習といえば、「オッペンハイマー」には物理学の用語が頻出するので、これも事前にチェックしておいた方がいいでしょう。たとえば、「量子力学」という言葉が登場しますが、わたしたちの体をはじめ、すべての物質は原子から成り立っていることが前提となる学問です。 「量子」とは、原子やそれを形作る電子、陽子、中性子、さらに小さなニュートリノやクォークなど、わたしたちの暮らす世界とは異なる法則が働く粒子のこと。 その法則は「量子力学」と呼ばれ、物理学の中でもとりわけ難しい分野とされます。「核分裂」と「核融合」の違いも重要です。原子力とは、文字通り「原子の力」を表しますが、大きなエネルギーを発生させるものとして核分裂と核融合があります。核分裂は、原子核が分裂することです。核融合は、複数の原子核が合わさり、1つになることです。このような大きなエネルギーを発生させる現象のうち、原子力発電は核分裂の際に発生するエネルギーを発電に利用しています。
 
 町山氏は「後悔と懺悔の映画」と言いますが、広島と長崎の被爆者に対する懺悔の気持ちは感じられませんでした。じつは、被爆地・長崎市の出身であるサンレーの山下格取締役と一緒にこの映画を観たのですが、彼は「原爆映画ではありません。米国人向けのヒューマンドラマでした。広島や長崎のリアルな映像もなく、社長ご指摘の通り『日本人は見えていないこと』を強く認識しました。また投下候補地として京都が選ばれなかった理由に、軍人が半笑いで『私のハネムーン先だったから...』という、どうでも良いメッセージは必要なかったです。怒りで頭が真っ白になりました。またオッペンハイマーは『精神的に未成熟』のまま原爆の父になったのですね。生まれたばかりの子供を友人に預けるところも『未成熟』な部分を露呈しています。後半では原爆開発を悔いているようですが、自ら作っといてそれはないだろう......無責任にも程があります。一人の人間として本当に悔いているのであれば米国での活動よりも被爆地の現実を知ること、そして被爆者とその家族へのグリーフに向き合うことが必要だったのではないでしょうか? 人類最大の蛮行を後世に伝える映画ではなかったことが残念です」との感想をメールで寄せてくれました。それは悲痛な叫びでした。
 
 山下取締役が指摘するように、広島と長崎の惨状を描いていないことは映画「オッペンハイマー」の大きな欠点です。わたしは、「ヒロシマ・ナガサキ」という2007年のアメリカ映画を併映すべきだと思いました。日系米国人映画監督スティーヴン・オカザキがインタビュアーとなって広島原爆・長崎原爆の被爆者14名と、投下に関与した米国側の関係者4名に取材したドキュメンタリー映画です。オカザキ監督は当初、1995年の「原爆投下50周年」に合わせての映画制作を構想していましたが、エノラ・ゲイのスミソニアン博物館への展示が政治問題となり、企画は頓挫。2005年の「原爆投下60周年」のタイミングで、再度企画がスタートし、この映画を完成させることとなりました。アメリカでは2007年8月6日夜、ケーブルテレビHBOが全米に放映。原爆投下の正当性を根強く信じる米国人がどう受け止めるか、注目を浴びました。また、この映画は国連でも上映されています。
 
 もしくは、「この世界の片隅に」という2020年の日本のアニメ映画を併映すべきだと思います。テレビドラマ化もされましたが、わたしは2016年の11月にシネプレックス小倉でこの名作を観ました。もう、泣きっぱなしでした。主人公すずが船に乗って中島本町に海苔を届けに行く冒頭のシーンから泣けました。優しくて、なつかしくて、とにかく泣きたい気分になります。きっと、日本人としての心の琴線に触れたのだと思います。この映画は本当に人間の「悲しみ」というものを見事に表現していました。玉音放送を聴いた後、すずが取り乱し、地面に突っ伏して慟哭するシーンがあるのですが、その悲しみの熱量のあまりの大きさに圧倒されました。エンドロールでグリーフケアが描かれたことにも感動しました。わたしは、この映画も全米や国連でぜひ上映するべきだと思います。
 
 ついに鑑賞した「オッペンハイマー」ですが、まずは全体を通してアメリカの傲慢さを感じました。「葛藤はあったが、自分たちは正義の執行者なのだ」というメッセージ強くを感じました。そして何より、トリニティ実験のシーンで実験成功を喜ぶシーン、日本での原爆投下成功を喜ぶシーン、講演でオッペンハイマーが登場し聴衆が狂喜するシーン、さらにオッペンハイマー自身が「日本は嫌だろうね」とか「ドイツにも落としたかったな」などと軽口を叩くシーンは不快に感じました。広島原爆の死者数は約14万人、長崎原爆の死者数は約7万4000人......このように死者を数で数えると現実感がありませんが、大学時代の恋人で愛人だったジーン・タットロックの自死によって、オッペンハイマーは「人間が死ぬこと」の重大さと悲嘆を痛感します。死を身近な人間のそれで想像し、病んでいくオッペンハイマー。自らの研究が兵器として、自分の手を離れて拡散していく無力感はうまく表現されていたと思います。
 
 映画「オッペンハイマー」を観た日本人は、セカンド・グリーフを抱くでしょう。それでは、この映画は作られない方が良かったのかというと、わたしはそうは思いません。供養というのは死者と生者によるコミュニケーションですが、死者が最も知りたい情報というのは「自分はなぜ死んだのか」という理由なのです。通り魔殺人で命を落とした犠牲者は「誰が、どのような方法で、自分を殺したのか」を知りたがります。不条理な死ほど無念なものはありません。この映画で描かれているような、アメリカの原爆開発の実情および広島や長崎に投下された経緯などの真相がわかれば、死者の不条理感も軽くなる可能性があるからです。ですから、映画「オッペンハイマー」が作られたこと自体は間違っていないと思います。ただし、日本での公開が世界で最後というのは絶対におかしい。繰り返しますが、昨年の8月6日までには日本公開すべきでした。

「オッペンハイマー」には礼がない!
 
 
 
「オッペンハイマー」の製作陣は、日本の観客に「礼」を欠いたのです。本当は、映画の冒頭に「広島および長崎に投下された原爆の犠牲者の方々に心より哀悼の意を表します」といったクレジットを入れるべきでした。「タイタニック」がアカデミー賞で作品賞や監督賞など11部門に輝いたとき、ジェームズ・キャメロン監督は「この映画は多くの人が亡くなった悲劇を描いている。何よりも犠牲者に哀悼の意を表したい」とアカデミー授賞式でスピーチしたことを記憶していますが、死者に対する「礼」の精神がクリストファー・ノーラン監督にはありませんでした。わたしは、政治には関心がありません。わたしが最も関心を抱くのは「礼」の問題です。よって、死者に対する礼も、日本人に対する礼もまったく見られない「オッペンハイマー」をわたしは評価しません。日本人として、ただただ怒りと悲しみしか感じないハートレス・ムービーでした。