No.868


 東京に来ています。3月27日、冠婚葬祭文化振興財団の会議に出席した後、出版関係の打ち合わせをしました。夜は、ヒューマントラストシネマ有楽町でフランス・ベルギー合作映画「12日の殺人」を観ました。カタルシスなきミステリーでしたが、リアリティはありました。
 
 ヤフーの「解説」には、こう書かれています。
「ポリーヌ・グエナのノンフィクションを原作に描くスリラー。小さな町を舞台に、ある女子大生の殺人事件を追う二人の刑事が、難事件に翻弄される。『悪なき殺人』などのドミニク・モルが監督などを手掛け、同作に出演したバスティアン・ブイヨンが主人公の刑事を演じている。『素顔のルル』などのブーリ・ランネールのほか、テオ・ショルビ、ジョアン・ディオネらが出演する」
 
 ヤフーの「あらすじ」は、以下の通りです。
「10月12日の晩、大学生クララの死体が発見される。昇進したばかりの刑事ヨアン(バスティアン・ブイヨン)と、ベテラン刑事のマルソー(ブーリ・ランネール)が事件を担当し、彼女の周りの人物への聞き込み捜査を始める。やがて事件が計画的な犯行であることが判明するが容疑者の特定は難しく、解決の糸口が見えなくなる中で、やがてヨアン自身もこの事件にむしばまれていく」
 
 ドミニク・モル監督は2019年のドイツ・フランス映画「悪なき殺人」でも、不条理な殺人事件を描いています。解説・あらすじ第32回東京国際映画祭で観客賞と最優秀女優賞を受賞したサスペンスです。フランスの山間にある人里離れた町で、吹雪の夜に1人の女性が失踪し、何者かに殺されて見つかります。農夫のジョゼフ(ダミアン・ボナール)、彼と不倫しているアリス(ロール・カラミー)、その夫であるミシェル(ドゥニ・メノーシェ)が疑われますが、彼らはある偶然の出来事で事件とつながっていたのでした。事件はアフリカのコートジボワールにまでつながっていき、やがて思わぬ方向に向かいます。
 
 そのドミニク・モル監督の最新作である「12日の殺人」は実話をベースにしていますが、冒頭でいきなり美しい女子大生が火だるまになって殺されるショッキング・シーンが展開されます。被害者の周囲には怪しい男がたくさんいて、すぐに犯人は見つかるだろうと思うのですが、なかなかそうはいきません。観客は何度も肩透かしを食い、ついには無力感さえ抱きます。犯人が特定できない刑事ヨアン(バスティアン・ブイヨン)の焦りや苦悩が痛いほど伝わってきます。そう、この映画は謎解きや犯人探しのミステリー映画ではなく、ヨアンという刑事の心情に焦点を当てたヒューマン・ドラマなのです。ヨアンだけでなく、被害者であるクララの短い人生にも焦点が当てられます。
 
 ミステリー映画というと、一般的には推理小説のような謎解きを楽しむ作品というイメージが強いです。特にアメリカでは、一条真也の映画館「オリエント急行殺人事件」で紹介した映画のように、ハリウッドでアガサ・クリスティ原作の映画化が何度も繰り返されています。つまり、迷宮事件の謎を解く面白さといったものが主流なのです。では、「12日の殺人」のようなフレンチ・ミステリー映画の魅力とは何か。アメリカ映画とはかなり異なるものなのか。「MOVIE WALKER」において、パリ在住のジャーナリスト・佐藤久理子氏は「個人的な見解を言わせてもらうなら、フランス映画の場合はもっとドラマに寄ったものが多いという印象だ。事件が解決する醍醐味、あるいはアクションやヴァイオレンスの激しさで見せるというより、人間の暗く重い側面をじっくりと見つめるシリアスな作品が目につく」と述べています。
 
 フレンチ・ミステリーといえば、一条真也の映画館「落下の解剖学」で紹介した2023年のフランス映画が思い浮かびます。第76回カンヌ国際映画祭でパルムドールを受賞し、第96回アカデミー賞では脚本賞に輝きました。夫が不審な転落死を遂げ、彼を殺害した容疑で法廷に立たされた妻の言葉が、夫婦の秘密やうそを浮かび上がらせます。ベストセラー作家のサンドラ(ザンドラ・ヒュラー)は、夫と視覚障害のある11歳の息子(ミロ・マシャド・グラネール)と人里離れた雪山の山荘で過ごしていましたが、あるとき息子の悲鳴を聞きます。血を流して倒れる夫と取り乱す息子を発見したサンドラは救助を要請しますが、夫は死亡。ところが唯一現場にいたことや、前日に夫と喧嘩をしていたことなどから、サンドラは夫殺害の容疑で法廷に立たされることとなり、証人として息子が召喚されるのでした。
 
 また、佐藤氏も指摘していますが、わたしは「12日の殺人」から、デヴィッド・リンチが監督した大ヒットTVシリーズ「ツイン・ピークス」を連想しました。劇場版は、アメリカ・フランス合作映画「ツイン・ピークス/ローラ・パーマー最期の7日間」として、1992年に公開されました。ワシントン州の北西部に位置するディア・メドウという田舎町にて、殺人事件が発生。町内のウィンド川において、テレサ・バンクス(パメラ・ギドリー)という17歳の少女が、他殺体となって発見されます。バンクス殺害事件は未解決に終わってしまいます。捜査の中途にあって、担当の特別捜査官が突然の失踪を遂げたのです。その捜索にあたったデイル・クーパー特別捜査官(カイル・マクラクラン)は、鋭敏なる直感によって事件の再発を予言するのでした。1年後、ディア・メドウの北東に隣接する田舎町のツイン・ピークスにて、17歳のローラ・パーマー(シェリル・リー)が何者かに殺されます。
 
 ローラ・パーマーの輝くばかりの美貌は、亡きテレサ・バンクスを髣髴とさせますが、その内面は荒廃するばかりでした。ローラの高校生活は平凡極まるものでしたが、その実態はコカインに依存しながら複数の異性と関係する自堕落の日々だったのです。「12日の殺人」を観ていると、クララとローラ・パーマー、ヨアンとデイル・クーパーの面影が重なってくる気がしました。クララも異性関係は奔放な娘だったようですが、親友の少女が「彼女をただの男好きみたいに思わないで。優しくて、いい子だったのよ!」と叫ぶシーンがありました。また、傷心のクララの両親が愛する娘の墓参りをするシーンには胸を打たれました。考えてみれば、殺人事件には必ず被害者がいて、必ず遺族がいて、そこには常にグリーフが生まれます。そう、「12日の殺人」という映画は、単なる謎解きや犯人探しのエンターテインメントとしてでなく、グリーフの発生源として殺人事件をとらえた悲しみの物語なのです。