No.851
フランス映画「落下の解剖学」をシネプレックス小倉で観ました。法廷ミステリー映画なのですが、カンヌ映画祭では最高賞のパルムドールに輝きました。ゴールデン・グローブ賞でも2冠を獲得、さらにアカデミー賞では作品賞含む5部門ノミネートの話題作です。上映時間が152分と長いですが、非常に見応えがありました。
ヤフーの「解説」には、「第76回カンヌ国際映画祭でパルムドールを受賞したサスペンス。夫が不審な転落死を遂げ、彼を殺害した容疑で法廷に立たされた妻の言葉が、夫婦の秘密やうそを浮かび上がらせる。メガホンを取るのは『ヴィクトリア』などのジュスティーヌ・トリエ。『愛欲のセラピー』でもトリエ監督と組んだザンドラ・ヒュラー、『あなたが欲しいのはわたしだけ』などのスワン・アルローのほか、ミロ・マシャド・グラネール、アントワーヌ・レナルツらが出演する」と書かれています。
ヤフーの「あらすじ」は、以下の通りです。
「ベストセラー作家のサンドラ(ザンドラ・ヒュラー)は、夫と視覚障害のある11歳の息子(ミロ・マシャド・グラネール)と人里離れた雪山の山荘で過ごしていたが、あるとき息子の悲鳴を聞く。血を流して倒れる夫と取り乱す息子を発見したサンドラは救助を要請するが、夫は死亡。ところが唯一現場にいたことや、前日に夫とけんかをしていたことなどから、サンドラは夫殺害の容疑で法廷に立たされることとなり、証人として息子が召喚される」
ジュスティーヌ・トリエは、フランス出身の女性監督です。パリ国立高等美術学校を卒業後、2006年の学生運動を追った「Sur place」(2007年)や仏大統領選挙の日々を記録した「Solférino」(2009年) などのドキュメンタリー映画を制作し、フランス映画界の気鋭の女性監督として早々に注目を集めました。劇映画とドキュメンタリーの手法をミックスした長編監督デビュー作「ソルフェリーノの戦い」(2013年)が国際的に高い評価を得て、第2作「ヴィクトリア」(2016年)、第3作「愛欲のセラピー」(2019年)と長編作品を発表。
「愛欲のセラピー」に続いて、トリエ監督とザンドラ・ヒュラーが再び組んだ最新作が「落下の解剖学」です。正直そんなに大した話ではないのですが、152分の大作に仕上げた監督の力量には脱帽です。人里離れた雪山の山荘で、サミュエルという男が転落死しました。はじめは事故と思われましたが、次第にベストセラー作家である妻サンドラに殺人容疑が向けられます。現場に居合わせたのは、視覚障害のある11歳の息子ダニエルだけでした。サンドラの旧友であるヴァンサン弁護士が疑惑を言葉にしていきますが、彼を演じるスワン・アルローがとても美形かつ上品で存在感がありました。1981年生まれのフランス人俳優ですが、一発で彼のファンになりました。
ダニエルには視覚障害があるので、散歩するときは盲導犬を連れていきます。名前をスヌープというのですが、その犬がじつに素晴らしい演技をするのです。特にサンドラへの殺人容疑の真相が明らかになる重要なシーンでは、信じられないような名演技を見せていました。映画評論家の町山智浩氏も「あの犬にアカデミー賞あげたい」と言っていました。スヌープに扮したのは、ボーダーコリーのメッシで、パルムドッグ賞を受賞しています。わたしが生まれて初めて飼った犬もコリーでした。名前をハッピーといいました。二度目に飼った犬はイングリッシュコッカースパニエルのハリーでした。ダニエルが木の枝を投げてスヌープが取りに行くシーンを観たとき、今は亡きハリーとフリスビーで遊んだことを思い出して悲しくなりました。
3階から落下した夫のサミュエルははたして自殺したのか? それとも妻のサンドラが突き落としたのか? 証人や検事により、夫婦の秘密や嘘が暴露され、登場人物の数だけ「真実」が現れていきます。この映画、冒頭の15分ぐらいを除いて、あとはずっと法廷シーンが延々と続きます。その中で、サンドラを厳しく追及する検事を演じたのが、アントワーヌ・レナルツです。検事は、サンドラに論文用の取材をした女学生に対して「サンドラがバイセクシャルと知っていました?」と法廷で質問します。「いえ」「そう感じました?」「いいえ」「録音を聴き直してみて、あの時の会話が誘惑だったと思いますか?」「本人が言いましたが、彼女は家族以外の人と接する機会が少なかったとか。だから、あなたが"誘惑"と呼ぶような態度を(取ったのでしょう)」といった会話が展開されます。
「あなたは、それを"誘惑"と思いませんか?」と言う検事に対して、女学生は「"誘惑"にはさまざまな意味が・・・」と言うのですが、それを遮るように検事は「"誘惑"という言葉の意味は"誘惑"です!」と言い放つのでした。わたしはこれを聴きながら、松本人志の性加害裁判のことを想いました。2月22日発売の「週刊文春」では、「松本人志『5.5億円訴状』を公開する」と題した記事を掲載し、松本氏から届いた訴状の一部を公開しています。実際の裁判では、「性交渉の事実はあったか」「相手に合意があったかどうか」などが争点になると予想されます。「落下の解剖学」の法廷での"誘惑"は、松本裁判での"合意"に通じるような気がします。
出廷する証人の中には、夫の主治医だった人物も登場します。彼は、妻のサンドラがいかに夫に対して過度のストレスを与えていたかを、事細かに具体例をあげていきます。裁判官や陪審員たちは彼の言葉に耳を傾けますが、そのとき、サンドラが「夫婦関係は、カオスとなり行き先を見失ってしまう。夫婦は力を合わせることも、喧嘩になることもあります。もしかしたら、サミュエルは、あなたが言うような状態だったかも。でも、もし私と彼の立場が逆なら、私の医師が法廷で彼を悪く言ったかも。でも、それは真実?」と力強く訴えます。このサンドラの独白シーンは非常に説得力があり、圧巻でしたね。
その後、死んだサミュエルが録音していたサンドラとの夫婦喧嘩のシーンが再現されます。これが、映画史上最も壮絶な夫婦喧嘩ではないかと思えるほど激しいものでした。そこで分かったことは、夫はフランス人で妻はドイツ人という国際結婚だったこと。妻は作家として成功したけれども、夫は作家を目指すも夢が叶わなかったこと。夫は妻に対して、「君はいつも『執筆中』『本が出版されたばかりで忙しい』『次回作の構想を練っている』などの理由をつけて、すべてを僕に押し付けている。君は僕の時間も、作品も奪った」と責め立てます。「作品を奪った」とは妻のヒット作の小説がもともと彼の書いたものが原案だったというのです。その内容も法廷で明かされますが、わたしがいつも考えているアイデアだったので驚きました。
長い法廷劇でしたが、最後は息子のダニエルが思い出した重要なことを話して、一気に終息に向かいます。一条真也の映画館「梟-フクロウー」で紹介した韓国映画では、殺人事件の現場を目の不自由な者が目撃したという設定でした。わたしは「落下の解剖学」も同じ設定だとばかり思い込んでいたのですが、それは誤解でした。視覚障害のあるダニエルは父のサミュエルが落下した現場に居合わせたわけではありませんでした。あくまで、死体の発見者にすぎなかったのですが、ずっと法廷で多くの人々の発言を聴いているうちに、さまざまな重要なことを思い出していったのです。ダニエルを演じたミロ・マシャド・グラネールは素晴らしい子役でした。彼は、2008年8月31日フランス生まれ。現在16歳の彼は、フランス映画界を代表する大俳優に成長するような気がします。