No.881


 61歳の誕生日を迎えた5月10日の夜、この日から公開されたオランダ、デンマーク合作映画「胸騒ぎ」を観ました。できれば誕生日には観たくない胸糞の悪い映画でしたね。
 
 ヤフー映画の「解説」には、「第38回サンダンス映画祭で上映されたスリラー。イタリアでの休暇中に親しくなったオランダ人夫婦の自宅に招待されたデンマーク人夫婦が、彼らの歓待に不気味なものを感じ取る。監督を務めるのは『アフター・ウェディング』などのクリスチャン・タフドルップ。モルテン・ブリアン、シーゼル・シーム・コクのほか、『偽りの果て』などのフェジャ・ファン・フェット、ドラマシリーズ『夜を生きる女たち』などのカリーナ・スムルダースらが出演する」と書かれています。
 
 ヤフー映画の「あらすじ」は、「デンマーク人夫婦のビャアンとルイーセ、娘のアウネスは、休暇で訪れたイタリアでオランダ人夫婦のパトリックとカリン、その息子のアーベルと出会って意気投合し、楽しい時間を過ごす。数週間後、ビャアンたちはパトリック夫婦に招かれ、人里離れた彼らの家で週末を過ごすことにする。再会を喜んだビャアンとルイーセだが、パトリックたちと会話をする中で言いようのない違和感を抱き、さらに独特な歓待を気味悪く感じるが、週末まで耐えようと考える」となっています。
 
 この映画はイタリアのホテルでのプール・サイドのシーンから始まります。日光浴をしていたビャアンにパトリックが声をかけ、「よろしかったら、椅子を1つ貸していただけませんか?」とお願いするのです。その言い方が非常に礼儀正しかったので、ビャアンも「どうぞ、どうぞ」と椅子を提供します。まさに、礼儀正しくしていれば他者とうまくふれあうことができるという真理を示すシーンでしたが、このファースト・コンタクトがすべての不幸の始まりになるとは思いませんでした。
 
 パトリックとカリンの夫婦から「我が家に遊びに来ませんか?」という誘いを受けたビャアンとルイーセ夫婦と娘のアウネスは、オランダまで出向きます。パトリック家のもてなしを受けたビャアン家の人々は強烈な違和感をおぼえて、夜間にこっそり帰ろうとします。しかし、アウネスがお気に入りのウサギのぬいぐるみを忘れてきたと言ったためにパトリック家に引き返すことになるのでした。これが運の尽きで、この時、引き返すべきではありませんでした。思えば、両家がイタリアの路上で出会って自己紹介したのも、アウネスがウサギのぬいぐるみを忘れたことが原因でした。今にして思えば、ぬいぐるみが不幸の元凶であったことがわかります。
 
「胸騒ぎ」という映画は観ていて、イライラします。それは、パトリックいう男が非常識で不気味なだけではなく、デンマーク一家の家長であるビャアンがあまりにも気が弱く、優柔不断で、腕力もなければ勇気も知恵もないからです。このビャアンという男、優しいだけが取り柄で、いつも作り笑いを浮かべています。そして、何かあるとすぐ涙ぐみます。わたしも涙もろい方なので他人のことは言えませんが、このビャアンはちょっと心が弱すぎます。何度も家族を救うチャンスもあったのに、勇気がないために相手の言うなりになって、ついには悲惨なラストを迎えます。パトリック以上に、わたしはこのビャアンに嫌悪感を抱きました。家族を守れないような弱い父親など最低です!
 
 この映画では、デンマークとオランダのカルチャ―ギャップみたいなものもあって、主人公のビャアンとルイーセはモヤモヤします。映画評論家の町山智浩氏は、「なんかどんどんどんどん、こっちの領域に入り込んでくるんですよ。で、『これはやばい。ちょっと逃げた方がいいんじゃないの? おいとました方がいいんじゃないの?』って思うんですけれども。『でも、向こうは悪気がないし。こんなに親しくしてくれるんだから、それは失礼に当たるんじゃないの?』っていうので、なかなか逃げられないっていうね。ホラーって言っても、そういう系統のホラーなんですよ」と語っています。この映画、デンマーク人の家族がオランダの家族を訪ねるという物語ですが、わたしは、デンマークもオランダもともに「幸福な国」として知られていることが面白いと思いました。
 
 ブログ『世界一幸福な国デンマークの暮らし方』で紹介した本によれば、デンマークは各種の調査で立て続けに「世界一幸福な国」となりました。デンマークの人々の心には「童話の王様」と呼ばれたアンデルセンの精神が生きています。彼が多くの童話で描いた未来社会は、170年という年月をかけて幸福度世界一の国をつくりあげました。そもそも「幸福な国」とは何か。それは「人々が生活しやすくて住みやすい国」です。さらに、アンデルセンと同時代に活躍したデンマークの哲学者キルケゴールは、単独者の主体性ことが真理であると説き、いわゆる個人主義、実存主義を唱えました。わたしたちは、みな住みよい国を求めています。そして、この目的を達成するためには、国の構成員である国民1人ひとりが満足すべき状態になければならないというのです。
 
 また、一条真也の読書館『幸せな小国オランダの智慧』で紹介した本では、オランダの強みは、社会と個人の相互依存の関係にあるといいます。これは社会的共同体の「ソーシャルキャピタル(社会関係的資本)」の豊かさということです。オランダ人は強い国民です。それは武道や格闘技には世界トップクラスの強豪が多いということもありますが、オランダ人の真の強さとは、いわゆる「精神的な強さ」です。それは、オランダが自由な国であることが大きく影響しています。また、オランダは「安楽死」(尊厳死)を認めている国として知られています。オランダ人は、安楽死法によって「死に場所」と「死に方」という、人間にとってきわめて重要な自由を得たのです。このことがオランダ人の精神的な強さに結びついているような気がしてなりません。「自由」は「強さ」に通じるのですね。しかし、ベルギー人のオランダ訪問を描いた「胸騒ぎ」では、幸福どころか、とんでもなく不幸な出来事が描かれています。
 
「胸騒ぎ」の胸糞の悪さについて、1997年のオーストリア映画「ファニーゲーム」と似ているという意見も多いようです。確かに不条理さとか見知らぬ他人の恐怖という点では両作は共通していますが、「ファニーゲーム」は侵入者たちが家の主に対して暴虐の限りを尽くす物語で、主人公の立場は「胸騒ぎ」とは反対ですね。穏やかな夏の午後。バカンスのため湖のほとりの別荘へと向かうショーバー一家。別荘に着いた一家は明日のボート・セーリングの準備を始めます。そこへペーターと名乗る見知らぬ若者がやって来る。はじめ礼儀正しい態度を見せていたペーターでしたが、もう1人パウルという若者が姿を現す頃にはその態度は豹変し横柄で不愉快なものとなっていました。やがて、2人は別荘の主人の膝をゴルフクラブで打ち砕き、突然一家の皆殺しを宣言、一家はパウルとペーターによる"ファニーゲーム"の参加者にされてしまうのでした。ムチャクチャ怖い映画でした!
 
 わたしは、「胸騒ぎ」を観て、一条真也の読書館『荒木飛呂彦の奇妙なホラー映画論』で紹介した本の内容を思い出しました。著者である漫画家の荒木飛呂彦氏は「かわいい子にはホラー映画を見せよ」と訴えています。一般に人間は、かわいいもの、美しいもの、幸せで輝いているものを好みます。しかし、世の中すべてがそういう美しいもので満たされているということはありません。むしろ、美しくないもののほうが多い。そのことを、人は成長しながら学んでいきます。現実の世の中には、まだ幼い少年少女にとっては想像もできないほどの過酷な部分があるのです。それを体験して傷つきながら人は成長していくのかもしれません。つまり、現実の世界はきれい事だけではすまないことを誰でもいずれは学んでいかざるをえないのです。そして、そこでホラー映画が必要となります。
 
 荒木氏は、同書で「世界のそういう醜く汚い部分をあらかじめ誇張された形で、しかも自分は安全な席に身を置いて見ることができるのがホラー映画だと僕は言いたいのです。もちろん暴力を描いたり、難病や家庭崩壊を描いたりする映画はいくらでもありますが、究極の恐怖である死でさえも難なく描いてみせる、登場人物たちにとって『もっとも不幸な映画』がホラー映画であると。だから少年少女が人生の醜い面、世界の汚い面に向き合うための予行演習として、これ以上の素材があるかと言えば絶対にありません。もちろん少年少女に限らず、この『予行演習』は大人にとってさえ有効でありうるはずです」とも述べています。まさに、その意味では、「胸騒ぎ」はさまざまな不測の事態の「予行演習」となる映画であると思いました。