No.890
 

 東京に来ています。
 5月24日は業界の会議ラッシュでしたが、この日から公開されたアメリカ・イギリス・ポーランド映画「関心領域」をTOHOシネマズシャンテの朝一番の初回上映で鑑賞しました。カンヌ国際映画祭ではパルムドールに次ぐグランプリに輝き、第96回アカデミー賞では作品賞、監督賞、脚色賞、国際長編映画賞、音響賞の5部門にノミネートされ、国際長編映画賞と音響賞の2部門を受賞した話題作ですが、正直言って、わたしは駄作だと思いました。
 
 ヤフーの「解説」には、こう書かれています。
「第2次世界大戦下のアウシュビッツ強制収容所所長とその家族を描いたマーティン・エイミスの小説を原案にした歴史ドラマ。収容所の隣で穏やかに暮らすルドルフ・ヘス所長一家の姿を通して、それとは正反対の収容所の残酷な一面を浮かび上がらせる。監督は『アンダー・ザ・スキン 種の捕食』などのジョナサン・グレイザー。出演は『ヒトラー暗殺、13分の誤算』などのクリスティアン・フリーデルや『落下の解剖学』などのザンドラ・ヒュラーなど」
 
 ヤフーの「あらすじ」は、以下の通りです。
「ナチスドイツ占領下にあった1945年のポーランド。アウシュビッツ強制収容所で所長を務めるルドルフ・ヘス(クリスティアン・フリーデル)と妻のヘドウィグ(ザンドラ・ヒュラー)は、収容所と壁を隔てたすぐ隣の家で暮らしていた。収容所からの音や立ち上る煙などが間近にありながら、一家は満ち足りた日常を送っていた」
 
 マーティン・エイミスの原案小説について、アマゾンには「第96回アカデミー賞2部門受賞!『今世紀最も重要な映画』と評された『関心領域』の原作小説――おのれを『正常』だと信じ続ける強制収容所のナチ司令官、司令官の妻との不倫をもくろむ将校、死体処理の仕事をしながら生き延びるユダヤ人。おぞましい殺戮を前に露わになる人間の狂気、欲望、そして──。諷刺と皮肉を得意とする作家エイミスが描きだす、ホロコーストという『鏡』に映し出された人間の本質。解説/武田将明(東京大学教授)。監修/田野大輔(甲南大学教授。『検証 ナチスは「良いこと」もしたのか?』共著者)」と書かれています。ちなみに、同書は一条真也の読書館『検証 ナチスは「良いこと」もしたのか?』で紹介しました。
 
「今世紀最も重要な映画」などと持てはやされている「関心領域」ですが、アウシュビッツ強制収容所に隣接した家の物語という事前情報なしに鑑賞したら、きわめて退屈な映画に過ぎないでしょう。予告編や映画評に接した観客は、その情報を知っているでしょうが、映画そのものには収容所の様子が一切写っていません。ピストルの銃撃音や悲鳴などは聞こえてきますが、視覚情報はゼロです。これは「隣が強制収容所」という情報がなかったことを考えた場合、映像にあまりにも力がないと言わざるを得ません。もちろん「見せないことで、かえって想像力をかきたてる」ことを目指したのでしょうが、決定的に演出不足であることは否めないと思います。
 
 この映画がドキュメンタリーであれば、それこそ「どんなホラー映画より怖い」作品が生まれたでしょうが、フィクションとしてのこの映画を観ても、わたしは少しも怖くはありませんでした。冒頭、スクリーンには抑揚のない合唱と伴奏の音だけが鳴り響きます。やがて画面は完全にブラックアウトし、小鳥のさえずりがかぶっていきます。観客を聴覚に集中するよう促しているのでしょうか、それはなんと3分間も続きます。ようやく川原で家族がピクニックしている実写の風景が現れますが、本編の画面がとにかく暗い。この暗さゆえに寝ている観客がたくさんいました。このような退屈な映画がアカデミー2冠に輝いたというのは、ハリウッド資本を支えるユダヤ人への忖度のように思えます。そもそも、アメリカの映画産業そのものがナチスへの憎悪の上に成立しているという側面があります。
 
 一条真也の読書館『ナチス映画史』で紹介した馬庭教二氏の著書によれば、近年、ヒトラーやナチスを題材とする映画が多数製作、公開されています。2015年から2021年の7年間に日本で劇場公開された外国映画のうち、ヒトラー、ナチスを直接的テーマとするものや、第2次大戦欧州戦線、戦後東西ドイツ等を題材にした作品は筆者がざっと数えただけで70本ほどありました。この間毎年10本、ほぼ月に1本のペースでこうした映画が封切られていたことになるわけで、その異常なまでの数の多さに驚かされます。さすがにネタ切れになってきたため、新手のネタとして「関心領域」が選ばれたというのは穿った見方でしょうか?

リゾートの思想』(河出書房新社)
 
 
 
 タイトルの「The Zone of Interest(関心領域)」は、第2次世界大戦中、ナチス親衛隊がポーランド・オシフィエンチム郊外にあるアウシュビッツ強制収容所群を取り囲む40平方キロメートルの地域を表現するために使った言葉です。その中にザンドラ・ヒュラー演じるヘドウィグは、色とりどりの花が咲く見事な庭園を造りあげます。ブログ「『みどりの日』に庭へ!」でも紹介したように、わたしは庭園に強い関心を抱いています。『リゾートの思想』(河出書房新社)にも書きましたが、庭園とは理想土(リゾート)としての楽園の雛形だと思います。そして、周囲の環境が過酷であればあるほど楽園は魅力的な場所となります。アウシュビッツ強制収容所という「この世の地獄」に隣接するヘス家の庭園はまるで「この世の天国」のような場所となったのではないでしょうか。そういえば、『リゾートの思想』のカバー表紙に使った写真を見て、編集担当だった河出書房新社の小池三子男さんが「カッコいいけど、ちょっとナチスを連想する写真ですね」と言われたことを思い出しました。
 
 ホロコーストを描いた有名なナチス映画に、アメリカ映画「ソフィーの選択」(1982年)があります。第二次世界大戦が終結した2年後の1947年。ニューヨーク市ブルックリンで、南部から出てきた作家志望のスティンゴ(ピーター・マクニコル)と、美しいポーランド女性・ソフィー(メリル・ストリープ)、ソフィーの彼・ネイサン(ケビン・クライン)の3人が出会います。ソフィーには、ナチの強制収容所から逃げ延びた過去がありました。メリル・ストリープがその圧倒的な演技でアカデミー賞主演女優賞ほか多くの映画賞を受賞した魂が震える感動作です。映画評論家の町山智浩氏の動画で知ったのですが、この映画でソフィーが強制収容所を出た後に働いていたのが、ルドルフ・ヘスの家でした。ソフィーというのは架空のキャラクターですが、「関心領域」では、ヘドウィグが「ソフィー!」とメイドを呼ぶ場面が何度か流れました。
 
 終盤、現在は博物館として公開されているアウシュビッツ収容所のシークエンスが挿入されますが、そこでひたすら床を掃除している男性が登場します。モップのようなもので床をゴシゴシ磨いているのですが、そのシーンが延々と続きます。この映画には他にもゴシゴシ身体などを洗うシーンがやたらと登場するのですが、町山智浩氏は、清掃や洗浄のシーンに「民族浄化」を掛けているのではないかと動画で語っていました。ホロコーストの罪を洗い流そうとしているのかもしれませんが、いくら洗っても世紀の犯罪は消せません。終盤、大量殺戮を指揮したルドルフ・ヘスが嘔吐するシーンが出てきますが、あれは彼の贖罪の気持ちを表現したのでしょうか? その後、画面はブラックアウトし、冒頭と同様に合唱と伴奏で長い間合いが示され、エンドロールとなります。

ハリウッド・リポーターより
 
 
 
 ずっと前から鑑賞を楽しみにしていたにもかかわらず、「関心領域」は、とにかく暗く、陰気で、退屈な映画でした。ホロコーストを描いた映画なら、映画コラムニストの堀田明子(アキ)さんがハリウッド・リポーターに書いた「『関心領域』アウシュヴィッツ収容所の隣に住む家族の無関心」という記事に紹介されている「シンドラーのリスト」(1994年)や「ライフ・イズ・ビューティフル」(1999年)や「サラの鍵」(2011年)をおススメします。多くのナチス映画の中でわたしが最も感動した「サラの鍵」には「数字ではなく顔を与えること。個々の運命に光を与えること」というセリフがありますが、アウシュビッツ強制収容所で命を絶たれたユダヤ人の1人1人には名前、笑顔、希望、友人、家族、尊厳、人生があったことを忘れてはなりません。