No.904


 イギリス映画「ONE LIFE 奇跡が繋いだ6000の命」をシネプレックス小倉で観ました。「イギリスのシンドラー」と呼ばれた人物が主人公の映画と聴いて泣く覚悟はしていましたが、ハンカチが濡れて仕方なかったです。見返りを求めずに他人を救う人は本当に素晴らしい!
 
 ヤフーの「解説」には、こう書かれています。
「イギリスの人道活動家ニコラス・ウィントンの伝記ドラマ。ナチスの手からユダヤ人の子供たちを守ろうと、彼らをチェコスロバキアからイギリスに避難させたウィントンの奮闘を描く。監督はドラマ『窓際のスパイ』などのジェームズ・ホーズ。『ゼロ・コンタクト』などのアンソニー・ホプキンス、『スターダスト』などのジョニー・フリン、『もう、歩けない男』などのレナ・オリンのほか、ロモーラ・ガライ、アレックス・シャープらが出演する」
 
 ヤフーの「あらすじ」は、以下の通りです。
「ロンドンに住むユダヤ人のニコラス・ウィントン(アンソニー・ホプキンス)は、アドルフ・ヒトラーが率いるナチスの政策に疑問を抱いていた。チェコスロバキアを訪れたウィントンは、支配を進めるナチスから逃れたユダヤ人を受け入れる難民施設の過酷な状況を目にして、子供だけでも助けようと決意する。チェコキンダートランスポートという組織を立ち上げ、ユダヤ人の子供たちを次々と同国から脱出させるが、ドイツのポーランド侵攻によって第2次世界大戦が勃発する」
 
 サー・ニコラス・ジョージ・ウィントン(1909年~2015年)は、イギリスの人道活動家で、大英帝国勲章(MBE)の叙勲者です。第二次世界大戦がはじまる直前、ナチス・ドイツによるユダヤ人強制収容所に送られようとしていたチェコスロバキアのユダヤ人の子どもたちおよそ669人を救出し、イギリスに避難させるという活動「チェコ・キンダートランスポート」を組織しました。当時の新聞記事に、ウィントンがイギリスに送られる孤児を胸に抱いた写真が、「勇敢なる笛吹き男」の名で掲載されたことがありますが、近年では「イギリスのシンドラー」と呼ばれています。
 
 ニコラス・ウィントンは、ロンドンに住むドイツ系ユダヤ人の両親のもとに生まれました。両親ともキリスト教で受洗、非宗教的な家庭に育ちました。彼は株式仲買人の仕事をしていて、労働党左派の活動家と親交があり、早くからヒトラーの政策の行く末に疑問を抱いていたといいます。1938年のクリスマス休暇にウィントンはスイスへスキーに行く予定をしていましたが、イギリスのチェコ難民委員会の女性から、ドイツのチェコ進攻の予想とそれに対する難民の救出活動で人手が足らないという連絡を受けました。スイス行きを取りやめてプラハに向かった彼は、成人の救出で手いっぱいで子どもの救出に手が回っていないことを知るや、イギリスにとって返し、内務省の許可を得て、イギリスで子どもたちの里親や身元引受人を探し、子どもたちをイギリスに避難させる一大キャンペーン活動を開始したのです。
 
 彼は、1939年3月14日から8月2日までの間に、669名の子どもたちをチェコから脱出させることに成功し、9月3日にも最大規模となる250名の子どもたちの脱出が予定されていました。しかし9月1日に第二次世界大戦が勃発したため、この子どもたちは出国できず、これ以降チェコからの子どもの脱出は不可能となります。このことはウィントンを失望させ、長きに亘る沈黙の原因となりました。ウィントンのリストに記載された脱出予定の子どもたちはおよそ6000名。脱出が不可能となりチェコに残留したユダヤ人児童は、この後大人とともにテレージエンシュタット(テレジン)に収容されます。テレジンは絶滅収容所ではありませんでしたが、劣悪な環境の下で子どもたちは衰弱し、労働に従事できなくなったものは次々にアウシュヴィッツへと移送されたのです。 テレジンに収容されたユダヤ人児童は15000人でした。最終的には全ての児童がアウシュビッツへ移送され、その大半は即日ガス室送りとなりました。収容を経て生還したチェコのユダヤ人児童はわずか100名に過ぎませんでした。開戦後は、ウィントンは赤十字に参加し、フランス国内で難民支援の仕事に携わり、キンダートランスポートとの関わりはなくなりました。彼の行った行為を表現するなら、「人道的行為」そのものであると思います。人道とは、人間として守るべき道のことです。「人の人たる道」とも言われます。人道の観点から無視できないような問題を「人道問題」と言います。「人道」の語は人道主義(ヒューマニズム)にも含まれています。儒教思想における「人道」は「天道」に対比させられる概念でした。『論語』にある「義を見てせざるは勇なきなり」は、まさに「人道」に関する言葉です。
 
「人道」が最も注目されるのは「戦争」においてです。戦時国際法で定められた戦闘行為を逸脱し、自身の思想や嗜好・政治的判断により、他人に対し人として許されざる行為をしたとされる個人に対し、人道上の見地から処罰が下されることがあります。また、化学兵器などの使用される兵器に関しても、一定の倫理が求められ、人道上の理由から使用が禁じられた兵器は少なくありません。近代より戦争捕虜に対して、一定の「人間らしい扱い」が求められていますが、戦地における敵側民間人や戦時捕虜に対する拷問、残虐行為や虐待は近年でも発生しており、度々問題視されています。現在も、世界各国では武力紛争や自然災害による社会基盤の崩壊により、人としての生活が損なわれている人々がいる地域は少なくありません。これらの地域に対して、国際連合や赤十字国際委員会や「国境なき医師団」などをはじめとする非政府組織が、人道的な見地から、その地域を援助する活動を行っています。
 
 ニコラス・ウィントンは「イギリスのシンドラー」と呼ばれましたが、ナチスによるユダヤ人大虐殺のさなか、1100人以上のユダヤ人の命を救った男がオスカー・シンドラー(1908年~1974年)です。彼に焦点を当て、驚くべき実話に基づいた物語を描いた映画が、スティーヴン・スピルバーグ監督の名作「シンドラーのリスト」(1993年)。映画史上もっとも重要な歴史映画の1つとされており、心を揺さぶる勇気と信頼の物語は、世代を超えて感動を与え続けています。ナチによるユダヤ虐殺をまのあたりにしたドイツ人実業家オスカー・シンドラー(リーアム・ニーソン)は、秘かにユダヤ人の救済を決心します。彼は労働力の確保という名目で、多くのユダヤ人を安全な収容所に移動させていくのでした。スピルバーグが長年温めていたT・キニーリーの原作を遂に映画化。念願のアカデミー賞(作品・監督・脚色・撮影・編集・美術・作曲)に輝いた永遠の名作です。
 
 ニコラス・ウィントンが「イギリスのシンドラー」なら、「東洋のシンドラー」と呼ばれたのが杉原千畝(1900年~1986年)です。日本映画「杉原千畝 スギハラチウネ」(2015)は、第二次世界大戦中、リトアニア領事代理として日本政府に背く形で多くのユダヤ難民にビザを発給し彼らの命を救った杉原千畝の波乱に満ちた半生を描いています。世界情勢が混乱を極める中、諜報外交官として日本にさまざまな情報を送ってきた杉原を唐沢寿明が熱演。1935年、満洲国外交部勤務の杉原千畝(唐沢寿明)は高い語学力と情報網を武器に、ソ連との北満鉄道譲渡交渉を成立させました。ところがその後彼を警戒するソ連から入国を拒否され、念願の在モスクワ日本大使館への赴任を断念することになった杉原は、リトアニア・カウナスの日本領事館への勤務を命じられます。同地で情報を収集し激動のヨーロッパ情勢を日本に発信し続けていた中、第2次世界大戦が勃発します。
ハートフル・ソサエティ』(三五館)



 オスカー・シンドラー、杉原千畝、そしてニコラス・ウィントン。彼らが行ったことは、いくら敬意を表しても足りません。わたしは、彼らを心からリスペクトしています。『ハートフル・ソサエティ』(三五館)に書きましたが、古代中国において、孔子の流れをくむ孟子は人間の本性を善なるものとする「性善説」を唱え、荀子は人間を本性を悪なるものとする「性悪説」を唱えました。わたしは人間の本性は善でもあり悪でもあると考えます。来るべき「心の社会」においては、人間の持つ善も悪もそれぞれ巨大に増幅されてその姿を現すでしょう。ブッダやイエスのごとき存在も、ヒトラーやスターリンのような存在も、さらなるスケールの大きさをもって出現してくる土壌が「心の社会」にはあるのです。「心の社会」は、ハートフル・ソサエティにもハートレス・ソサエティにもなりうるのです。プーチンや習近平が覇権主義を掲げている現在、人類は「善」なるものを絶対に諦めてはなりません。また、ウィントンらが実行した「善」を忘れてはなりません。
 
 映画「ONE LIFE 奇跡が繋いだ6000の命」の話に戻りますが、なぜ「6000の命」なのか? 当初ウィントンのリストに記載されていた脱出予定の子どもたちは約6000名でしたが、彼が実際に救ったのは669人です。しかし、その669人が成長し、結婚し、子どもを作り、孫に恵まれて、結果的に6000人の命をウィントンは救ったことになるのです。この事実に、わたしは非常に感動しました。SDGsが注目されていますが、人類存続の最大のカギはやはり子どもの命を救うことだと再確認しました。ウィントンを演じたアンソニー・ホプキンスも素晴らしかったです。何より本人にそっくりでした。彼は、「私たちが忘れることのないよう、この映画がメッセージを届けてくれることを願っています。人間はあまりに早く忘れてしまいますから」と話していますが、戦争が続いている今だからこそ、観なければならない映画でした。