No.906
アメリカ映画「ホールドオーバーズ 置いてけぼりのホリディ」をシネプレックス小倉で観ました。米アカデミー賞で5部門ノミネートされ、世界中の映画賞を席巻中の話題作です。心に沁みるグリーフケア映画の名作でした。
ヤフーの「解説」には、「『サイドウェイ』などのアレクサンダー・ペイン監督とポール・ジアマッティが組んだヒューマンドラマ。1970年のアメリカ・ボストン近郊の寄宿学校を舞台に、ほとんどの生徒や教師たちがクリスマス休暇を家族と過ごす中、それぞれの事情で学校に留まる3人の男女を描く。嫌われ者の教師をポール、食堂の料理長を『ザ・ユナイテッド・ステイツvs.ビリー・ホリデイ』などのダヴァイン・ジョイ・ランドルフ、複雑な家庭環境の生徒をドミニク・セッサが演じ、ダヴァインがアカデミー賞助演女優賞を受賞した」と書かれています。
ヤフーの「あらすじ」は、以下の通りです。
「1970年冬、アメリカ・ボストン近郊にある全寮制のバートン校。生徒や教師たちがクリスマス休暇を家族と過ごす中、嫌われ者の堅物教師ポール・ハナム(ポール・ジアマッティ)は複雑な家庭環境のアンガス・タリー(ドミニク・セッサ)をはじめとする家に帰れない生徒たちの子守役を任される。一方、食堂の料理長メアリー・ラム(ダヴァイン・ジョイ・ランドルフ)は一人息子をベトナム戦争で亡くし、かつて息子と過ごした学校で年を越そうとしていた。それぞれに孤独を抱える3人は、2週間の休暇を過ごす中で反発し合いながらも徐々に心を通わせていく」
「ホールドオーバーズ 置いてけぼりのホリディ」に出演している俳優陣は総じて良かったですが、特に食堂の料理長であるメアリー・ラムを演じたダヴァイン・ジョイ・ランドルフの存在感が素晴らしかったです。もちろん彼女は巨体でもあるのですが、それ以上にスケールの大きな演技が印象的でした。彼女は、ブロードウェイで公演された「ゴースト」(2012年)で霊媒師のオダ・メイ・ブラウンを演じ、トニー賞ミュージカル助演女優賞にノミネートされました。またその後、本作「ホールドオーバーズ 置いてけぼりのホリディ」(2023年)で悲観に暮れる母親を演じたことでゴールデングローブ賞助演女優賞にノミネートされています。アフリカ系アメリカ人の血を引く彼女はテンプル大学に入ってボイス・パフォーマンスを専攻しましたが、3年生の時にミュージカル・シアターに転向。テンプル大学卒業後にはイェール演劇学校に進学しました。2011年に修士号を取得してイェールを卒業。
イェールといえば、主人公の堅物教師ポール・ハナムを演じたポール・ジアマッティの父親はイェール大学の学長で、MLBコミッショナーを務めた人物です。ポール自身もイェール大学で学びました。在学中より舞台に立ち始め、卒業後もブロードウェイなどの舞台に出演したり、テレビに出演したりするようになった。1992年に映画デビュー。初めての大きな役はハワード・スターンの「プライベート・パーツ」(1997年)でした。ハワードはポールの演技を自身のラジオで誉めています。その後、ポールは数多くの話題作に脇役で出演するようになり、その演技力は高い評価を得ています。「ホールドオーバーズ 置いてけぼりのホリディ」では、彼が演じたハナム先生が口にした「人生とは鳥かごの中と同じだ。クソまみれで短い」というセリフが心に残りました。
名優ポール・ジアマッティの代表作として知られる映画が「サイドウェイ」(2004年)です。アレクサンダー・ペイン監督の作品ですが、人生と恋とワインをめぐるロード・ムービーとなっています。ワインを愛する作家志望の主人公マイルスをポールが演じました。彼の演技は評価が高く、「サイドウェイ」は作品・監督・共演者がアカデミー賞候補になり、彼自身も多くの映画賞で受賞・ノミネートを受けていたにもかかわらず、ポール自身は候補にはなりませんでした。それに対し、多くのファンや批評家、俳優が、彼がノミネートされなかったことに不服だと語りました。翌年の「シンデレラマン」(2005年)では、見事に助演男優賞の候補にあがっています。
「ホールドオーバーズ 置いてけぼりのホリディ」では、登場人物たちのさまざまなグリーフが描かれます。ハナム先生は外見(生徒たちが「斜視」と呼んでいるのは不愉快でした)および体質的問題からの体臭にコンプレックスがあり、女性と交際することができません。ドミニク・セッサが演じるアンガス・タリーは父親が精神病院に入っており、母親はそんな父親を捨てて再婚します。母は再婚相手とのハネムーンを優先し、休暇中もアンガスを寄宿学校に置き去りにするのでした。そして、メアリーは愛する息子をベトナム戦争で失うというグリーフを抱えていました。普段は陽気なメアリーですが、酒をたくさん飲むと、胸の奥に秘めていた悲嘆が噴出してしまいます。この映画のキャッチコピーは「孤独な魂が寄り添いあい、思いがけない絆が生まれる」ですが、まさに、それぞれの「きず(傷)」を抱えた人々が「きずな(絆)」を作ってゆく物語でした。そう、心の「傷」こそが「絆」を生むのであり、それは「悲縁」でもあります。
ハナム先生は、古代史の教師です。ですから、言葉の端々に古代史に関する知識が示されます。クリスマス・プレゼントとして彼がアンガスとメアリーの2人に贈ったのは、第16代ローマ皇帝で「哲人君主」と呼ばれたマルクス・アウレリウスの著書『自省録』でした。ローマ皇帝という地位にあってマルクス・アウレリウスは、多忙な公務を忠実に果たしながらも心は常に自身の内面に向かっていました。その折々の思索や内省の言葉を日記のように書きとめたのが『自省録』です。J・S・ミル、ミシェル・フーコーら思想家たちが「古代精神のもっとも高貴な倫理的産物」と賞賛し、欧米の著名な政治家たちもこぞって座右の書に挙げる古典です。彼の言葉を通して「人生いかに生きるべきか」「困難に直面したときどう向き合えばいいのか」といった現代人にも通じるテーマを考えます。ハナムは、この本について「『聖書』と『コーラン』と『ギータ―』を合わせたような本だ。しかも、神に言及していないところが素晴らしい!」と語っています。
この映画は、1970年の物語であります。 1961年生まれのアレクサンダー・ペイン監督の1970年代は映画に夢中な少年だったそうです。 高校を卒業して大学に入ったのが1979年、それまでの10年間はずっと映画漬けの日々を送っていたといいます。彼は、「Esquire」の立田敦子氏のインタビューで「 面白いもので、今となっては実際の人生よりも、その時期に観た映画のほうが記憶に残っているんですよね」と語ります。立田氏の「この映画を製作するにあたって影響を受けた1970年代の映画はありますか?」という質問に対しては、ハル・アシュビー監督の「真夜中の青春」(1971年)、「ハロルドとモード」(1971年)、「さらば冬のかもめ」(1973年)の名前をあげています。
さらに、ペイン監督は「私に最も大きな影響を与えたのは、ジャック・ニコルソンが出演したハル・アシュビーの長編第3作目『さらば冬のかもめ』だと思います。でも、模倣しようとしたわけじゃないですよ」とも語っています。「さらば冬のかもめ」は、軍隊という管理下に置かれた人間のやりきれない気持ちをコメディ・タッチで描いたアメリカンニューシネマの佳作です。基地の募金箱からたったの40ドルを盗もうとした罪で8年の実刑が決まったダメ水兵を下士官2人が休暇気分で護送することになります。3人はやがて奇妙な連帯感で結ばれていくのでした。この「3人はやがて奇妙な連帯感で結ばれていく」という部分は明らかに「ホールドオーバーズ 置いてけぼりのホリディ」に影響を与えていると思います。
「Esquire」の立田敦子氏の「ポール・ジアマッティを念頭において脚本を開発したとのことですが、『サイドウェイ』でもあなた方は、素晴らしい仕事を成し遂げました。彼は俳優としての特別な存在ですか?」という質問に対して、ペイン監督は「ええ、彼はとても特別な存在だと思いますよ。 私は、彼の演技を見るのが好きだし、実際、彼は何だってできるんです。たとえば、あなたのことだってきっと演じられると思います」と答えます。「そういった信頼している俳優たちとの仕事ですが、撮影現場で期待以上のことは起こるのでしょうか?」という質問には、「退屈な答えで申し訳ないのですが、良い俳優と一緒に撮影していると、彼らがどのようにその役を演じるかについて毎日、小さな驚きをもたらしてくれるのです。私にとって最大の驚きのひとつは、ドミニク・セッサが本格的な演技は未経験だったにもかかわらず、カメラの前で演じることに馴染んでいたことですね。またたく間に、彼はカメラの前で見事に演じられるようになりました」と、ペイン監督は答えるのでした。ということで、これからのドミニク・セッサには大いに期待したいですね!