No.907


東京に来ています。出版関係の打ち合わせの後、シネスイッチ銀座でドイツ映画「ありふれた教室」を観ました。今年観た80本目の映画でしたが、ものすごい衝撃を受けました。シネスイッチ銀座で鑑賞した作品では過去一のベストです。もちろん、一条賞の有力候補です。いやあ、世界にはまだまだ凄い映画があるのですね!
 
 ヤフーの「解説」には、こう書かれています。
「ある中学校で発生した盗難事件が予想もつかない事態を引き起こし、学内の秩序が崩壊していくサスペンス。新任の若手教師が盗難の嫌疑をかけられた生徒を守ろうとするも、生徒や同僚らとの対立を招いて追い詰められていく。イルケル・チャタクがメガホンを取り、『白いリボン』などのレオニー・ベネシュが主人公を演じる。第96回アカデミー賞の国際長編映画賞にノミネートされたほか、数々の映画賞で高い評価を得た」
 
 ヤフーの「あらすじ」は、以下の通りです。
「赴任先の中学校で1年生のクラスを受け持つことになった若手教師・カーラ(レオニー・ベネシュ)。同僚や生徒の信頼を得ていく中、校内で盗難事件が続発し、彼女の教え子が犯人として疑われる。校長らの調査に反発したカーラは独自に犯人捜しを始め、ひそかに職員室の様子を撮影した映像に、ある人物の犯行の瞬間を見つける。しかし盗難事件を巡る彼女や学校側の対応はうわさとなって広まり、保護者の批判や生徒の反発、同僚教師との対立を招き、カーラは窮地に追い込まれる」
 
 この「ありふれた教室」を観て、何より驚いたのが一瞬たりとも目を離すことができず、99分の上映時間のあいだ緊張しっぱなしだったことです。それほどリズムも良く、緊迫感に溢れた展開でした。中学生のわりには生徒たちには権利意識がしっかり植えつけられ、教師に対しても攻撃的になるところなどは、昭和の中学生だったわたしには違和感がありました。これは舞台がドイツであり、移民の生徒も多いということも関わっていると思います。あと、レオニー・ベネシュ演じる主人公カーラ自身もポーランドからの移民という設定でしたが、一条真也の映画館「フィリップ」で紹介したポーランド映画で、ナチス政権下のドイツではポーランド出身者が虐げられていたことを思い出しました。
圧力釜のようなプレッシャー映画(映画.comより)



「The New York Times Style Magazine:Japan」のインタビュー記事「学校は不寛容な世界の縮図──映画『ありふれた教室』イルケル・チャタク監督に聞く」では、観る者をはりつめる緊張感で包み、事件の渦中へと巻き込んでいくこの映画のパワーについて、「圧力釜のようなプレッシャーをスクリーンに生み出したいと意図した。観ている人が息をつく暇もないような。教室のいろいろなところで衝突が起こり、それが連鎖反応を引き起こす。それを最後まで維持していくような映画にしたかった」というイルケル・チャタク監督の言葉を紹介しています。ベルリン生まれのトルコ系ドイツ人であるチャタク監督は、12歳でトルコのイスタンブールに移った後でドイツに戻って映画制作を学んだそうです。そんな彼の実体験も「ありふれた教室」に反映しているように思います。
「非寛容主義」を掲げる中学校(映画.comより)
 


 驚いたのは、この映画に登場する中学校が「非寛容主義」を掲げていること。「寛容主義」ならわかりますが、学校が「非寛容主義」を掲げるとは! チャタク監督は、「ドイツで教育に携わる多くの人、学校関係者から話を聞いた。気がついたのは、それぞれの学校には異なる方針があり、それぞれの問題をかかえているという点だった。リベラルで自由、北欧のような学校もあれば、伝統的で権威主義寄りの学校もあり様々だったが、どの学校にもそれぞれの政治色があった。この映画で描く学校は、最も今日の状況を象徴している学校にしたかった。権威主義が世界の一部で復活しつつある現在、指導者は国民の友達だと言いつつ実はそうではない。そんな世界を学園内の事件に置きかえ比喩的に描いている点もある。また、この学校をある政府という風に理解することも可能だ」と語っています。
教師という職業のあり方が変わった(映画.comより)



 映画「ありふれた教室」を観ると、教師という職業のあり方の変わりように驚きます。チャタク監督は、「僕が子供だった頃よりも、教師でいることが困難な時代になったのではないかと思う。教師という職業が侵食されたと思うから。僕が子供のころは、"先生が言うんだから正しい"と考えた。ところが現在は、逆。子供の成績が悪いのは教師のせいだ、と親はいう。親が教師を強く批判する時代になった。また、親がもはや親でいたくない時代でもある。現代の親は子供と友達でいたい、権威をふるいたくないという。そんな子供に親を尊敬しろというのは不可能だと感じる。親を尊敬しない子供が、学校で教師を尊敬できるのか? それが大きな問題だろう」と語ります。まったく同感です。わたしは、教育学者の齋藤孝氏の著書のタイトルのように「先生はえらい」と考えた方が良いと思います。
 
 この映画、一種の舞台劇のようで、物語はずっと中学校の中で進行していきました。いまどきのコンプライアンス社会における学校教育の難しさを嫌というほど描いていましたが、精神的にまいったカーラが「生徒を転校させるより、わたしがこの学校を去ります」と言ったところ、即座に女校長から「教師不足なんだから、あなたは辞めてはダメよ」と一喝されるのでした。中学生にまで民主主義や人権意識が浸透しているところはドイツに限らず世界共通なのでしょうか。この映画に登場する生徒や父兄がカーラを糾弾するさまはまさにホラーで、恐ろしかったです。わたしは、「こんな映画を観たら、誰も教師のなり手はいなくなるな」と思ったのでした。
 
 さて、この映画には懐かしいあるアイテムが登場します。ルービックキューブです。カーラが担任するクラスでは、レオナルト・シュテットニッシュが演じるオスカーという男子生徒が数学に非凡な才能を示していました。オスカーはさまざまな想定外のトラブルに巻き込まれていくのですが、そんな彼のことを心配したカーラはルービックキューブのことを教え、彼に貸してあげます。ルービックキューブは、ハンガリーの建築学者ルビク・エルネー(エルノー・ルービック)が考案した立体パズルです。各面が異なる6色で構成された立方体で、各面毎に3×3の9マスに分割されています。任意の各列を回転させる事で分割されたキューブが動くので、各面を同一色に揃える玩具です。
 
 ルービックキューブは80年代の日本でも一大ブームを起こしましたが、最近再びブームになっているようです。わたしは、この事実の背景には「多様性」に突き進む社会的背景があるように思えます。もちろん多様性は必要なことですが、昨今のハリウッドの過剰なポリコレ映画からを観るたびに、「多様性がおかしな方向に行っていないか」と疑問を抱いてしまいます。行き過ぎた多様性に疲れた現代人は、ピタっと色が揃う世界に憧れる側面があるのではないでしょうか。カーラがオスカーにルービックキューブを貸したのも、彼女の心の中に「あなたは色々な問題を抱えているけど、ルービックキューブの色が揃うように解決するといいね」みたいな想いを感じてしまいました。
 
「ありふれた教室」では、カーラが担任する男子生徒オスカーが暴力行為を働き、停学処分になります。その様子を見て、わたしは日本が誇る学園ドラマである「3年B組金八先生」を思い出しました。武田鉄矢が演じる熱血教師・坂本金八が中学校の先生として活躍するドラマです。思春期で多感な中学生を相手に、さまざまに生じる諸問題を生徒に体ごとぶつかっていき、一緒になって思い悩みながら乗り越えていく感動に満ち溢れた物語でした。そして、全8シリーズある金八先生の中で、最も多くの視聴者に感動を与え今なお語り継がれているのが、昭和55年秋から56年春先にかけ放映された、金八先生第2シリーズです。その中でも、とりわけ荒谷二中の元番長として桜中学に転入してきた"加藤優"の存在が光っていました。
あの加藤優に殴られる!
 
 
 
 加藤優の物語はドラマという枠を超えて、1つの社会現象になるほど際立っており、1人の中学生が放つ言葉や表情、行動等その全てに、日本中の視聴者が固唾を飲んで毎回見入っていました。たとえ世の中がどう変わろうとも、加藤優を取り巻く諸環境には人間教育の原点があるように思えます。その加藤優を演じたのは直江喜一さんという俳優でしたが、彼はその後、北陸の建設会社に入社しました。ブログ「直江喜一さんに会いました!」で紹介したように、わたしは2015年の12月9日に行われた加賀紫雲閣の竣工式で直江さんにお会いしました。「ありふれた教室」は、中学生やその親御さん、学校の先生たちにも観てほしい名作ですが、誰よりも直江喜一さんの感想を知りたいです。あと、武田鉄矢さんにも観ていただきたい!
加藤優を演じた直江喜一さんと