No.932
パリ五輪が開幕した7月27日、日本映画「カミノフデ ~怪獣達のいる島~」を小倉コロナシネマワールドで鑑賞。予告編を最初に見たときは、ぬいぐるみみたいなクリーチャーといい、チープな印象でした。でも、佐野史郎と斎藤工の2人が出ていることを知り、「それなら」と観ることにしました。彼らの出演時間は短かったですが、使い方は上手だなと思いました。映画の内容そのものはイマイチでしたが、ヤマタノオロチの造形は良かったです。
ヤフー映画の「解説」には、こう書かれています。
「『大怪獣ガメラ』などの怪獣造形に携わってきた美術造形家・村瀬継蔵が総監督を務めたファンタジー。著名な特殊美術造形家の孫である少女が、ある出会いをきっかけに、亡き祖父が作ろうとしていた映画の世界に迷い込む。スタッフには『狭霧の國』などの佐藤大介、『仮面ライダー』シリーズなどの高橋章、『ゴジラ』シリーズなどの西川伸司といった特撮クリエイターが集結。『こどもしょくどう』などの鈴木梨央をはじめ、楢原嵩琉、映画監督の樋口真嗣、斎藤工、佐野史郎らが出演する」
ヤフー映画の「あらすじ」は、「特殊美術造形家の時宮健三(佐野史郎)が亡くなり、孫の朱莉(鈴木梨央)は祖父を慕うファン向けのお別れ会に参列する。祖父との良い思い出がなく、複雑な思いで向かった会場で、彼女は特撮ファンの同級生・城戸卓也(楢原嵩琉)を見つける。二人は、健三の知人だという穂積(斎藤工)と出会い、祖父が『神の筆』という映画を作ろうとしていたことを知る。穂積から『世界の破滅を防いでください』と言われた朱莉と卓也は、突如光に包まれ『神の筆』の世界に入り込んでしまう。そこでは、映画に登場しないはずの怪獣・ヤマタノオロチが全てを破壊しようとしていた」となっています。
映画「カミノフデ ~怪獣達のいる島~」の冒頭では、佐野史郎が演じる特殊美術造形家の時宮健三の「お別れの会」が開かれます。そこに帽子にサングラスといった格好の男性が現れ、「なんで先に逝ってしまったんだよ? あんたには、もっと作ってもらいたかったものがたくさんあったのに...」などと言って泣くシーンがあるのですが、あまりにも大根芝居でドン引きしました。じつはこの大根役者こそ村瀬継蔵その人だったのです。1935年(昭和10年)生まれというから、わたしの父と同い年です。わたしが生まれて初めて観た映画は大映映画の「大怪獣空中戦 ガメラ対ギャオス」(1967年)でしたが、父に連れられて小倉の映画館で鑑賞しました。そのときに心を奪われたガメラの造形も村瀬継蔵によるものだったのです!
彼は北海道池田町生まれ、23歳で上京して1957年(昭和32年)にアルバイトとして東宝の特殊美術に参加し、1958年(昭和33年)に東宝へ正式に入社すると、同年の「大怪獣バラン」や、1963年(昭和38年)の「マタンゴ」などの着ぐるみ造形を助手として手掛けました。1965年(昭和40年)には、知人の劇団へ移籍するという形で五社協定を乗り越え、大映初の怪獣映画となる「大怪獣ガメラ」を手掛けます。この仕事をきっかけに東宝から独立してエキスプロダクション設立に参加、テレビの「快獣ブースカ」や「キャプテンウルトラ」などを担当後、1967年(昭和42年)には韓国初の怪獣映画「大怪獣ヨンガリ」、1969年(昭和44年)には台湾映画「乾坤三決斗」の造形も手掛けています。
1970年(昭和45年)に開催された日本万国博覧会では、テーマ館「太陽の塔」の内部に建つ「生命の樹」に取りつけられた恐竜を、円谷英二の紹介でいくつか手掛けています。1972年(昭和47年)にはエキスプロから独立し、造形美術会社「ツエニー」を設立。折からの変身怪獣ブームに伴い、「仮面ライダー」「超人バロム・1」「ウルトラマンA」「人造人間キカイダー」「クレクレタコラ」などを手掛けることになり、1976年(昭和51年)には香港のショウ・ブラザーズに招かれて「蛇王子」の造形を担当しています。1977年(昭和52年)には「北京原人の逆襲」の造形だけでなく、火だるまとなった北京原人が高層ビルのセットから落下する場面のスタントも演じています。その後は「帝都大戦」(1988年)や「ゴジラvsキングギドラ」(1991年)などのセットや造形を手掛けました。
現在の村瀬継蔵氏は映画、テレビ以外にも、CM映像や劇団四季の舞台造形・美術など、幅広く活躍しています。子息の村瀬文継氏も村瀬直人氏も造形スタッフとしてツエニーで活動し、文継氏は後に独立して自身の造形会社「株式会社フリース」を設立して活動。2019年、継蔵氏がツエニー会長に就任し、直人氏はツエニーに残り、継蔵氏から経営を引き継いで代表取締役として活動しています。2023年(令和5年)10月5日には88歳の米寿を迎え、東京立川のレストランにて開催された関係者たちによる祝福イベントに登壇しました。そして、2024年(令和6年)、第47回日本アカデミー賞の協会特別賞を受賞したのです。まさに「怪獣造形のレジェンド」ですね!
そんな怪獣造形のレジェンドが初の総監督を務めた「カミノフデ ~怪獣達のいる島~」ですが、やはり「餅は餅屋」で、映画監督や俳優などやらず、村瀬継蔵氏には怪獣造形に専念していただきたかったです。映画の出来はイマイチで、脚本も良くなかったですが、登場するヤマタノオロチの造形は素晴らしかったです。巨体をズルッズルッと引きずりながら移動させる特撮もリアルでした。ヤマタノオロチといえば、東宝映画1000本を記念して公開された稲垣浩監督の「日本誕生」(1959年)に登場した八岐大蛇の造形も村瀬氏が手掛けました。「日本誕生」は『古事記』に材を採り、神代の物語と景行天皇の時代とを織り交ぜながら描いた超大作です。原節子がアマテラス、三船敏郎がスサノヲとヤマトタケルの2役を務めました。
映画「カミノフデ ~怪獣達のいる島~」の主演は、子役としてCMなどで活躍してきた鈴木梨央です。子役のイメージが強い彼女ももう19歳だそうですが、この映画の撮影時は17歳でした。それにしてはちょっと幼稚な感じもしましたが、演技そのものはなかなか上手でした。怪獣たちの特撮部分の映像は、後から合成します。実際には、そこにいない怪獣を相手にした芝居がほとんどだったそうですが、彼女は「怪獣の高さの位置にカメラを搭載したドローンが飛行していて、迫ってくるドローンを相手におびえた芝居をしたことが一番印象に残っています」と語っています。彼女が演じる朱莉の同級生・卓也を演じた楢原嵩琉は現在18歳だそうですが、セリフが棒読みでしたね。彼は、米津玄師プロデュース曲「パプリカ」のロングヒットで国民的アーティストとなった「Foorin」の「たける」です。もちろんダンスは得意なのでしょうが、俳優としてはまだまだ修行が必要ですね。ちなみに本作の主題歌は、DREAMS COME TRUEの「Kaiju」。なかなかの名曲です♫ エンドロールで流れます!