No.933
7月30日の午後、新橋で業界関係の打ち合わせ後は、産経新聞出版社の赤堀社長との夜の会食まで時間があったので、イスラエル・ポーランド映画「お隣さんはヒトラー?」を観ました。映画館は新宿ピカデリーです。久しぶりに新宿を訪れました。映画はすごく面白かったです!
ヤフーの「解説」には、こう書かれています。
「1960年のコロンビアを舞台に、アドルフ・ヒトラーの南米逃亡説を題材に描くヒューマンドラマ。もしもヒトラーが生存していたらという仮説を基に、ホロコーストを生き延びた男性とヒトラーとおぼしき男性が隣人同士として過ごす様子を映し出す。監督などを手掛けるのはレオン・プルドフスキー。『最終監房』などのデヴィッド・ヘイマン、『スワンソング』などのウド・キアのほか、オリヴィア・シルハヴィらがキャストに名を連ねている」
ヤフーの「あらすじ」は、以下の通りです。
「1960年、コロンビア。第2次世界大戦終結から15年を経て、アルゼンチンで逃亡生活を続けていたアドルフ・アイヒマンが拘束されたという記事が世間を騒がせていた。家族をホロコーストで失ったポルスキー(デヴィッド・ヘイマン)は、町外れの一軒家に一人で暮らしていたが、彼の家の隣にアドルフ・ヒトラーそっくりのドイツ人・ヘルツォーク(ウド・キア)が引っ越して来る
最近、よく知られた都市伝説を映画化するというトレンドがあるようで、一条真也の映画館「フライ・ミー・トゥ・ザ・ムーン」で紹介したアポロの月面着陸はフェイクだったという都市伝説を基にした作品が代表的です。この「お隣さんはヒトラー?」も、ヒトラーが生きていて南米に逃亡したという都市伝説に基づいています。都市伝説というのは想像以上に強い影響力を持っています。トランプ大統領を支持する陰謀論者たちの「Qアノン」も有名ですが、日本では、日航機123便の墜落事故の真相に関する本がベストセラーになっています。この日にお会いした産経新聞出版社の赤堀社長は新聞社の元社会部記者としてオウム事件にも取り組まれた方ですが、陰謀論がいかに危険であるかを力説され、「陰謀論の本がベストセラー1位になる現代日本社会は不健全」と心配されていました。
それにしても、ナチスやヒトラーを題材とした映画の数の多さには驚きます。一条真也の読書館『ナチス映画史』で紹介した馬庭教二氏の著書によれば、近年、ヒトラーやナチスを題材とする映画が多数製作、公開されています。2015年から2021年の7年間に日本で劇場公開された外国映画のうち、ヒトラー、ナチスを直接的テーマとするものや、第2次大戦欧州戦線、戦後東西ドイツ等を題材にした作品は筆者がざっと数えただけで70本ほどありました。この間毎年10本、ほぼ月に1本のペースでこうした映画が封切られていたことになるわけで、異常なまでの数の多さです。さすがにネタ切れになってきたため、新手のネタとして一条真也の映画館「関心領域」で紹介したアメリカ・イギリス・ポーランド映画やブログ「フィリップ」で紹介したポーランドのような作品が生まれました。これだけ、ナチスやヒトラーの映画が作られ続けるのは、それがユダヤ人にとってのグリーフケアだからではないかと思います。
しかし、奇想天外な設定の「お隣さんはヒトラー?」を観て、わたしが真っ先に思い出した映画があります。一条真也の映画館「帰ってきたヒトラー」で紹介した2015年のドイツのコメディ映画です。ティムール・ヴェルメシュのベストセラー小説を実写化した作品ですが、独裁者アドルフ・ヒトラーが突如として現代に出現し、奇想天外かつ恐ろしい騒動を引き起こす物語です。ナチス・ドイツを率いて世界を震撼させた独裁者アドルフ・ヒトラー(オリヴァー・マスッチ)が、突如、現代に蘇ります。非常識なものまね芸人かコスプレ男だと人々に勘違いされる中、クビになった局への復帰をもくろむテレビマンにスカウトされてテレビに出演。何かに取り憑かれたような気迫に満ちた演説を繰り出す彼を、視聴者はヒトラー芸人としてもてはやします。しかし、戦争を体験した1人の老女が本物のヒトラーだと気付くのでした。
この「お隣さんはヒトラー?」はミステリー映画の要素も強いです。「お隣さんはヒトラーなのか?」という疑念で、夜も眠れなくなる主人公のポルスキーはさまざまな方法で真実を探ろうとします。何やら怪しい動きを連発する男ヘルツォークと、病的なほどに隣人を疑う男ポルスキーの駆け引きはまことに興味深く、観客はハラハラドキドキします。わたしは、アルフレッド・ヒッチコック監督の名作「裏窓」(1956年)を連想しました。同作でジェームズ・スチュアートが演じたカメラマンの主人公のように、ポルスキーもこっそりと隣人を監視し、証拠をカメラに収め、ヘルツォークがヒトラーその人である証拠を固めていきます。最後は驚くべき結末が待っているのですが、「お隣さんはヒトラー?」という映画、ミステリー映画あるいはサスペンス映画としても一流でした!
そして、この映画を貫くテーマが「隣人との心の交流」です。最初はいがみ合っていたポルスキーとヘルツォークですが、次第に心を通わせ、共通の趣味であるチェスを楽しみます。ポルスキーがヒトラーという「人間界の悪魔」のような人物とチェスをする場面は、スウェーデンの巨匠イングマール・ベルイマン監督の「第七の封印」(1957年)で十字軍遠征から帰還した兵士が死神とチェスで対決する有名なシーンを思い浮かべました。「お隣さんはヒトラー?」では、負けず嫌いの2人がチェスの対局を重ねながら、だんだん親しくなっていきます。毎日のようにチェスができるのも彼らが隣人だからです。ポルスキーは、「隣人はヒトラーじゃないのかもしれない」「というか、ヒトラーだと信じたくない」と考えるようになります。
『隣人の時代』(三五館)
最後は胸に迫るラストで涙腺が緩みましたが、この映画の究極のテーマは「隣人愛とは何か」だと思いました。キリスト教が説く隣人愛にとって、「隣人が極悪人だったら?」というのは究極のテーマだと思います。ロシア出身イスラエル在住のユダヤ人であるレオン・プルドフスキー監督は「善と悪を割り切るのは難しい」と語っていますが、この映画を観ると納得でした。そもそもユダヤ人から見るとアドルフ・ヒトラーは極悪人ですが、ウクライナ人から見ればウラジミール・プーチンだって極悪人です。香港人やチベット人から見れば習近平も極悪人でしょう。政治的信条、宗教的信仰、その他もろもろの要素から人は排他的になり、他人の生命を奪いもします。しかし、人間には他人とコミュニケーションし、支え合いたいという「礼欲」という本能があるというのがわたしの考えです。拙著『隣人の時代』(三五館)に書いたように、「助け合いは人類の本能」なのではないでしょうか?
新宿ピカデリーにて