No.936


 金沢に来ています。8月6日の夜、日本映画「もしも徳川家康が総理大臣になったら」をユナイテッドシネマ金沢で観ました。つまらなくて爆睡しました。こういう馬鹿馬鹿しい設定の物語は嫌いなので観る気はなかったのですが、なりゆきで鑑賞しました。想像を裏切らず馬鹿馬鹿しい内容でしたが、主演の浜辺美波は可愛かったです。彼女は石川県出身なので、この映画を金沢で観た意味が生まれました。
 
 ヤフーの「解説」には、こう書かれています。
「『テルマエ・ロマエ』シリーズなどの武内英樹が監督を務め、眞邊明人のビジネス小説を実写映画化したコメディー。総理大臣が急死したコロナ禍の日本を舞台に、AIによって復活した歴史上の偉人たちが内閣を構成する。『六人の嘘つきな大学生』などの浜辺美波がテレビ局員を演じるほか、ドラマ「こっち向いてよ向井くん、」などの赤楚衛二が坂本龍馬、ミュージシャンのGACKTが織田信長、『DAUGHTER』などの竹中直人が豊臣秀吉、『七つの会議』などの野村萬斎が徳川家康を演じている」
 
 ヤフーの「あらすじ」は、以下の通りです。
「コロナ禍の2020年、首相官邸で発生したクラスターが原因で総理大臣が急死。AI・ホログラムによって復活した歴史上の偉人たちによる内閣を作られ、徳川家康(野村萬斎)が総理大臣、坂本龍馬(赤楚衛二)が官房長官、織田信長(GACKT)が経済産業大臣、豊臣秀吉(竹中直人)が財務大臣を担当する。一方、スクープを狙う若手テレビ局員の西村理沙(浜辺美波)は、政府のスポークスマンである龍馬に接近し、ある陰謀に気づく」
 
 繰り返しになりますが、とにかく最初から最後まで馬鹿馬鹿しい映画でした。コロナ禍で内閣崩壊したのなら、なぜ、その後の記者会見とかでみんなマスクをしていないのか? こういう100パーセント架空のおとぎ話はディテ―ルにおけるリアリティが欠かせませんが、それが皆無でしたね。あと、偉人を蘇られせるにしても時代があまりにもバラバラで、これも説得力ゼロ。過去の偉人で組閣するなら、全員が戦国武将とか維新の志士とかの同時代人で揃えるべきでした。あと、「映画は死者に会えるメディア」というのはわが持論ですが、「時代を超えて先人たちの言葉は永遠である」と思わせる反面、歴史上の偉人たちをコメディーとして演出してしまうのは、まるでパリ五輪の開会式のような「ザ・企画倒れ」を感じました。

 それにしても、よくこんな馬鹿馬鹿しい映画にこれだけの顔ぶれの俳優たちが出演したものです。天下の東宝の威光もあるでしょうが、GACKTなどは「飛翔んで埼玉」シリーズのようなコメディ映画にも主演しているので、もともと喜劇俳優のようなものかもしれません。でも、野村萬斎や竹中直人といった実力派俳優が出演していることにも驚きを隠せません。思うに、彼らは昔の「オールスター隠し芸大会」のようなノリで出演したのではないでしょうか。そうとでも考えないと、あまりにも内容が下らないので理解ができません。
 
 家康内閣の人選も「?」で、徳川家康が総理大臣というのはいいとしても、徳川綱吉が厚生労働大臣、徳川吉宗が農林水産大臣と、徳川家から3人も入閣しているというのは、いくら何でも偏り過ぎでしょう。あと、日本的精神の礎をつくった聖徳太子が単なる法務大臣というのも役不足のきわみで、聖徳太子こそ総理大臣にふさわしいと思います。「馬鹿馬鹿しいな」と思いながらも、あえてわたしが偉人内閣を考えるなたら、聖徳太子が総理大臣、徳川家康が総務大臣、二宮尊徳が農林水産大臣、西郷隆盛が防衛大臣、渋沢栄一が経済産業大臣、福澤諭吉が外務大臣といったところでしょうか?
 
 この映画に登場する織田信長、豊臣秀吉、徳川家康は、しばしば比較の対象にされる戦国の三大英雄ですが、映画の中で浜辺美波演じる若手テレビ局員の西村理沙が、彼らをユダヤの3人の王に例えた場面は興味深かったです。すなわち、サウルが信長、ダビデが秀吉、ソロモンが家康というわけです。イスラエル王国はソロモンが栄華を謳歌しましたが、日本の歴史上で最高の成功者は、徳川家康ではないでしょうか。苦難の末に「天下統一」を成し遂げ、265年も続いた江戸時代の礎を築いた人物として有名です。数奇な運命をたどり、幽閉などの不遇の時代がありましたが、そのときに集中的に本を読んで読書好きになったのか、家康は非常な読書家として知られています。読書から得た歴史の知識などを活用した行動で、戦国の乱世を勝ち抜いて成功したとされているのです。家康は特に『論語』などの儒教書を好んで読んだといいます。
 
 この映画に登場する織田信長、豊臣秀吉、徳川家康は、しばしば比較の対象にされる戦国の三大英雄ですが、このなかで一番驚異的な人物は秀吉です。なぜなら、信長や家康は大将になるべき家に生まれてきましたが、秀吉は身分制度の厳しい時代に農民出身の一介の足軽から身を興して、才覚と努力だけで成り上がったからです。主君である信長のために必死に駆け回り、最後には織田政権の後継者、そして天下人になりました。しかし、秀吉が遊ぶことも、休むことも忘れて、仕事一筋に生きたわけではありません。 酒好きで話し上手でしたので、彼の家来たちは主君と楽しく過ごしながら仕事にいそしみました。秀吉は「人たらし」と呼ばれるほど、人を使うのがうまかったのです。映画には、そのへんの描写がなかったのが残念でしたね。



 信長・秀吉・家康の戦国の三大英雄には、「天下統一」という壮大な野望がありました。しかしながら、この3人の性格は、それぞれまったく異なります。そして、それを詠んだのが有名な次の句です。
鳴かぬなら 殺してしまえ ほととぎす
(信長)
鳴かぬなら 鳴かせてみよう ほととぎす
(秀吉)
鳴かぬなら 鳴くまで待とう ほととぎす
(家康)
激情の信長、策略の秀吉、忍耐の家康、というわけですね。出典は江戸時代の名随筆で知られる松浦静山の『甲子夜話』とされますが、実によく3人の特徴をとらえており、いつも感心します。



 松下幸之助の著作をまとめて読んだとき、その中に松下幸之助の、「鳴かぬなら それもまたよし ほととぎす」という句に触れ、静かな感動をおぼえました。自然の流れの中で、素直な心でありのままに生きるという人生哲学が滲み出ていて、何とも言えぬ深い味わいがあります。そして、わたしなら何と詠むか。わが社の業務内容とミッションとを考え合わせた結果、次の一句が浮かびました。
鳴かぬなら われが鳴こうか ほととぎす
(庸軒)
ホスピタリティ・カンパニー』(三五館)



 この「鳴かぬなら われが鳴こうか ほととぎす」という句は、拙著『ホスピタリティ・カンパニー』(三五館)でも紹介しました。わが社は、ホテルや冠婚葬祭業をはじめ、さまざまなサービス業を営む会社。そこでは何よりも思いやりの「ホスピタリティ・マインド」や「サービス精神」が必要とされます。常に気をつかって、お客様に喜んでいただかなければなりません。自分から動いて世界に関わっていけば、もしかしたら世界が変わるかもしれない......そんな願いを込めて、これまで事あるごとに社員のみなさんに披露してきました。
 
 この映画に登場する偉人内閣の閣僚の中で最も生きた時代が新しかったのが、坂本龍馬でした。劇中で、龍馬が民衆に向かって吐く言葉はマスメディアへの不信感と、情報を鵜呑みにして自分で考えようとしない現代日本人への不満が込められていました。龍馬は日本史における「人気ランキング」の首位を指定席としています。その絶大な人気は、司馬遼太郎の『竜馬がゆく』が影響が大きいとされています。わたしが誕生した1963年に初版単行本が出版されて以来、単行本・文庫本合わせて累計2300万部以上が売れたといいます。この作品が書かれる前の坂本龍馬は、それほどの有名人ではありませんでした。現在の日本人の多くは、龍馬に明るく愛嬌のあるイメージを抱いていますが、それはずばり『竜馬がゆく』の影響なのです。
龍馬とカエサル』(三五館)



 それでも、実際の龍馬は優れたリーダーであったと思います。そのことについて、わたしは『龍馬とカエサル』(三五館)で詳しく書きました。龍馬は「世に生を得るは事を成すにあり」との言葉を残しました。これは、「志」というものを本質を語った言葉であると思います。「志」は「死」や「詩」と深く結びついています。日本人は辞世の歌や句を詠むことによって、「死」と「詩」を結びつけました。死に際して詩歌を詠むとは、おのれの死を単なる生物学上の死に終わらせず、形而上の死に高めようというロマンティシズムの表われだと思います。そして、「死」と「志」も深く結びついていました。死を意識し覚悟して、はじめて人はおのれの生きる意味を知ります。龍馬の「世に生を得るは事を成すにあり」こそは、死と志の関係を解き明かした言葉にほかなりません。龍馬の言葉に触れると、その生き様とあわせて、「何のために生きるのか」といったことを考えずにはおれません。
 
 さて、「もしも徳川家康が総理大臣になったら」における偉人内閣の面々は、AIとホログラムによって現代に蘇ったことになっています。これはけっして夢物語ではなく、「写真復活」という動画サイトでは、歴史上の人物たちの1枚の写真から生成AIで動画を作成することを行っています。同サイトの「近世名刺写真が復活」では、西郷隆盛、坂本龍馬、桂小五郎、大久保利通、伊藤博文といった人々の動画を観ることができますが、そのリアリティには驚かされます。すごい時代になったものです!
 
「写真復活」は、写真だけでなく肖像画からでもリアルな動画を作成しています。同サイトの「戦国大名の肖像画復活」では、武田信玄、上杉謙信、織田信長、豊臣秀吉、毛利元就、今川義元、大友宗麟、龍造寺隆信、齋藤道三といった人物たちが生き生きと動いています。これを見た サンレーの山下常務は「あまりにリアルで驚きしかありません。まむしの道三が好々爺だとは......」と絶句していました。山下常務は企画部門担当ですが、いま、冠婚葬祭業における生成AI導入に動いています。
 
「写真復活」のように歴史上の人物を蘇らせるのは素晴らしい技術であり、こういった生成AIは冠婚葬祭およびグリーフケアにおいても大きな力を発揮するように思います。一方で、ブログ「AIによる死者の復活」ブログ「生成ゴーストについて」で紹介したように、中国では生成AIを使って、亡くなった人を復活させるビジネスが登場し、論争を呼んでいます。また、ブログ「VRとグリーフケア」で紹介したように、韓国ではVR(バーチャルリアリティー)では、ヘッドセットとゴーグルをつけた仮想現実の世界で3年前に亡くなった娘と母親が再会しており、これも論争を呼びました。「死者を蘇らせることに意味があるのか?」「死別の悲嘆者は、再会後さらに心を痛めるのではないか?」といった根本的な問題は無視できません。グリーフケアに最新技術を導入する場合は細心の注意が必要であると言えるでしょう。